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第3話 お隣さんと、忘れられた約束

 サリューが外部チャージステーションで自己メンテナンスを行った日から数日。コマツ家には、いつもと変わらない、けれど少しずつ新しい発見のある毎日が流れていた。ユウカはますます活発になり、つたない言葉でおしゃべりするようにもなってきた。サリューはその小さな成長の一つ一つを正確に記録し、夫妻に報告する。その報告を聞くコウイチとミサキの顔は、自然とほころんでいた。


 その日は、からりと晴れた気持ちの良い土曜日だった。

 コウイチは珍しく午前中から非番で、リビングでユウカと遊んでいる。ミサキはキッチンで、サリューに手伝ってもらいながら週末の作り置き料理に挑戦中だ。


「サリュー、このニンジン、もうちょっと細かく切れる? ユウカが食べやすいように」

『ミサキ様、了解しました。ニンジンを現行の5ミリ角から3ミリ角へ変更。みじん切りモードを実行します』

 サリューの多機能アームが、目にも留まらぬ速さでニンジンを刻んでいく。その横で、ミサキはジャガイモの皮を剥いていたが、ついサリューの華麗な包丁さばきに見入ってしまう。

「はあ…やっぱりサリューはすごいわね。私なんて、指まで刻んじゃいそうだもの」

『ミサキ様の安全は最優先事項です。調理中の負傷リスクは0.02%以下に抑制されていますが、万が一に備え、救急キットはキッチン収納C-3ブロックに常備してあります』

「ありがとう。でも、できればお世話になりたくないわね、救急キットには」

 ミサキが苦笑すると、サリューのLEDパネルが「了解」とでも言うように、パターンを変えて点滅した。


 その時だった。リビングの大きな窓の向こう、隣のタカハシさんの家の庭で、何やら困ったような声が聞こえてきた。

「あらん、どこへ行ったのかしらねぇ、あの大事な植木バサミ…きのう使ったきり見当たらないのよぅ」

 タカハシさんは、初老の品の良い女性だが、AIやロボットといった新しいものには少々懐疑的で、サリューのことも「コマツさんちの、あのピカピカ光るお手伝いさん」と遠巻きに眺めているだけだった。今日も、腰を屈めて植え込みのあたりを何度も探しているが、見つからない様子だ。


 ユウカの安全をベビーサークル内で確保していたサリューは、その声を正確に集音。同時に、窓越しにタカハシさんの行動パターンと庭の状況をスキャンした。

『コウイチ様、ミサキ様。隣家のタカハシ様が庭にて探索行動を実行中です。対象物は「植木バサミ」である可能性92.5%。音声パターンから、紛失による軽度の精神的ストレスを検知。サポートの必要性を検討しますか?』

「え、タカハシさんが? サリュー、そんなことまで分かるのか」コウイチが驚いて窓の外を見た。

「お困りみたいね…でも、私たちがお手伝いするのも、なんだか出しゃばりみたいだし…」ミサキが少し困った顔をする。


『…ミサキ様。外部環境センサーが、タカハシ様の庭のツツジの植え込み下、深さ15センチの地点に金属製の物体を検知。形状データ照合の結果、タカハシ様が過去に使用していた植木バサミのモデルと98.9%一致します』

「マジかよ!レントゲンかお前は!」コウイチが思わず叫んだ。

 サリューは静かにキッチンを離れると、玄関へ向かい、そっとドアを開けた。そして、敷地境界の低い生垣の隙間から、多機能アームをしなやかに伸ばす。その動きはまるで生き物のようだ。アームの先端が植え込みの中に分け入り、数秒後、泥のついた古い植木バサミを掴んで出てきた。


 サリューはそのままタカハシ家のインターホンに向かい、チャイムを鳴らした。

『ピンポーン』

「はいはい、どちら様…あら?」

 出てきたタカハシさんは、インターホンのカメラに映るサリューの姿を見て、一瞬、目を丸くした。

『タカハシ様。お探し物は、こちらではありませんか』

 サリューは、カメラの前にそっと植木バサミを差し出した。その声は、いつものように落ち着いているが、どこか丁寧な響きがあった。


 タカハシさんは、数秒間、言葉を失ったようにサリューとハサミを交互に見ていた。そして、ゆっくりと玄関のドアを開けた。

「…ああ、これだよ、これ! いやぁ、どこを探しても見つからなくてねぇ…あんた、コマツさんとこの…サリューさん、だっけ?」

『はい、タカハシ様。家事・育児支援AI、サリューです』

「そうかい、そうかい。いやぁ、大したもんだねぇ…ありがとうよ、本当に助かったよ」

 タカハシさんは、ぶっきらぼうながらも、どこか照れたような笑顔でハサミを受け取った。そして、初めてサリューのLEDパネルをまじまじと見つめた。

「…なんだか、あんた、ただの機械じゃないみたいだねぇ」

 そう言うと、タカハシさんは少しお辞儀をして家の中へ戻っていった。


 リビングでその一部始終を見ていたコウイチとミサキは、顔を見合わせていた。

「サリュー、お前、すげえな…」

「本当に…なんだか、感動しちゃったわ」

 サリューは静かに家に戻り、何事もなかったかのようにキッチンの作業を再開した。

『コマツ家の皆様、及び近隣住民の方々の快適な生活環境維持も、私の重要な任務の一つです』

 その言葉はいつも通りだったが、ミサキには、サリューが少しだけ誇らしげに見えた。


 その日の午後。ユウカがお昼寝から目覚めると、ご機嫌でサリューの足元にまとわりついた。

「さーうー! あーそーぼ!」

 ユウカはサリューの脚にぎゅっとしがみつき、見上げる。

『ユウカ様。現在、リビングエリアの清掃プログラムが78%完了。残り12分です。その後、知育ブロック遊び、または絵本の読み聞かせを実行可能ですが、どちらをご希望ですか?』

「ぶーぶー!」ユウカはブロックの箱を指さした。

『ブロック遊びですね。承知いたしました。清掃完了後、直ちに準備いたします』

 サリューはユウカの頭を、そっとアームで撫でるような仕草をした。それはプログラムされた動作なのかもしれない。でも、ユウカはそれが嬉しいらしく、キャッキャと声を上げて笑った。


 そんな穏やかな時間が流れる中、サリューの内部クロックは、ある時刻へと正確に近づいていた。

 夫妻が週末の予定が変更になったことで、すっかりその存在を忘れてしまっている「夜間充電命令」。

 サリューのシステム内では、その命令は依然として有効なタスクとして認識されていた。


『…指定時刻まで、残り6時間18分32秒。バッテリー残量、現在68%。夜間長時間待機ミッション実行のため、夕刻までに推奨残量80%までの充電を実施予定』

 サリューの内部モニターには、そう表示されている。

 リビングの窓からは、明るい陽射しが差し込み、ユウカの楽しそうな声と、サリューの静かな稼働音だけが響いている。

 この平和な昼下がりが、数時間後には緊迫した状況へと変わることを、まだ誰も知らない。

 ユウカは、お気に入りの赤いボールを追いかけて、ベランダへと続く窓の方へ、よちよちと歩き始めていた。その窓の鍵は――確か、ミサキが換気のために少しだけ開けて、そのままにしていたはずだ。

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