68話 あかね怒られる
「ただいま〜………」
軽尾あかねはガチャリと自宅のドアを開くと、小声で帰ったことを知らせながら素早くドアの隙間から滑り込む。ササッと靴を脱ぎ、まるで子猫のように誰にも見つからないで、部屋の隅っこに隠れるが如く、自室へと向かう。完璧だ、あとはベッドの中でふわぁ、おはようと目覚めれば━━━。
「あかね? ようやく帰ってきたのね?」
後ろから聞こえてくるおどろおどろしい声と共に、肩を強く掴まれる。ギクリと体を震わせて、そ~っと後ろを振り返ると、般若が立っていた。熱気のように怒りがオーラとなり、世界を震わす。もはや世界は破壊神が降臨し、滅亡しちゃうだろアテテテテ。
「ママッ、痛い、痛いよ! 肩が壊れちゃう。ピッチャーとしての選手生命が終わりを告げちゃうよ!」
ぎゅうぎゅうと肩をつかまれて、壊されるかもと痛がるあかねである。おかしい、レベルが上がって普通の人間の攻撃は効かないはずなのに、ママの攻撃はとっても痛い!
「いつから野球選手を目指すことにしたの! あかね、貴女はインフルエンザにかかって寝てたんじゃないの?」
「だから、バズる内容を探してたんだよ。ほら、有名になるとインフルエンサーとしてアタタタごめんなさい、ごめんなさーい」
インフルエンザにかかったと嘘をついて、部屋で寝たふりをして学校をサボっていたことがバレたあかねであった。
◇
「完璧な偽装工作だと思ってたんだけどなぁ、よくわかったね、ママ」
「高熱なので部屋に入らないでくださいと部屋の前にプレートが置かれていたら心配するに決まってるでしょう」
「その割に1週間誤魔化せた私の偽装工作を褒めてもいいんだよ?」
「朝と夕方は姿を見せていたから油断したわ。まったくもぉ。で、冒険者をしていたの?」
リビングルームにて1時間に及ぶ説教が終わり、ママがため息をついて聞いてくるので、ポリポリと頭を掻いて気まずそうにする。
「冒険者というか、冒険者なんだけど魔物を倒しまくってたよ、あ、ありがとう」
呆れながらも、ママが夕ご飯を置いてくれるので、えへへと笑い返す。怒っていても、ご飯を出してくれる優しいママは優しいなぁ。今日はクリームシチューだ。熱々で湯気が立っていて野菜がよく煮込まれて牛乳の匂いが食欲を掻き立てる。
「冒険者って、あかねは最低ランクの力しか持っていなかったじゃない。マセット君に出会って強くなったの?」
「え!? なんでまーくんに出会ったと思うの? 私、なにも言ってないのに!?」
鉄の手甲を外しテーブル脇におきながら、驚いてしまう。一言も言ってないのに、ママはエスパーか名探偵だったのかな!?
「一言もって………。そのゲームに出てきそうな改造空手着と手甲はどこで買ったの? それに………小皿で食べます?」
「きゅー。小さめのスープ皿でお願いしますうさ」
呆れ顔のママはテーブルにちょこんと座るミミうさぎに声を掛けると、うさぎはペコリと頭を下げて、クリームシチューをよそってもらう。クリームシチューに鼻を近づけて、スンスンと匂いを嗅いでスプーンを持つと、ちろちろとクリームシチューを舐めて、アッツと体をプルプル震わせるのであった。
ふむ、バレた理由がさっぱりわからないよ! なんでバレたんだろう?
「本当に気づいていないあかねの将来がママは不安だわ………。私の名前は軽尾夜子と申します。うさぎさんのお名前は?」
「あ、はじめまして。うさはいつもニコニコアットホームなハンターギルドのローン担当のチサうさ。この度は軽尾あかね様が、武具一式を購入するために、ローンを組んだので、支払い能力があるかを審査するためにしばらく一緒に行動をすることになりましたうさ」
「ローン………?」
「はい。あかね様は1500万天貨のローンを組みました。一応3年払いの予定で組まれてます。利率は12%うさね」
チサのきっちりとした答えに、ママが顔を強張らせて、ぎぎっと私を見てくる。なので、新装備を自慢げに見せてしまう。まーくんが特別に作ってくれた装備なんだ。
「えへへ、鉄の手甲と鉢金と武道着と靴、それに最低位の筋肉向上の婚約指輪を買ったんだ。すごいでしょ? お得なセットだって、まーくんは………ママ、なんでまた般若に転職したの、アァァイタタタ!?」
━━━再び破壊神が降臨し、事情を説明するのに、さらに1時間かかったのでした。その間にチサは3杯おかわりして、魔力スパイスが必要うさと呟いてもいた。
「そう………異世界からまーくんは戻ってきて、元江戸川区を買い占めたの………。それで異世界の冒険者ギルドであるハンターギルドと、洗礼による改宗を行っているのね。それで武具も売り始めたと」
「うんうん、そうだよ。ママ理解が早いね! だから、今やマセット村2号に人が集まり始めてるんだよ。実乃梨さんなんか、家族を連れてくるって言ってた!」
「魔物の出現を防ぐ方法がある土地なら、その実乃梨さん? という人の考えもわかるわ。どこよりも安全ということになるものね。話はわかったけど………」
リンゴを剥きながら、ママは難しい顔で唸る。
「でも、おかしいわね。あかねが見つけられるほど簡単にマセットちゃんは見つけられたのに、十三さんは見つけられてないの。あの人はマセットちゃんを探すのにかなりの労力を使ってるはずよ。お偉いさんに無駄なお金を使うなって嫌味を言われているくらいだもの」
ママは私がまーくんを見つけたことに違和感をもっているみたいだけど、その理由は簡単だ。含み笑いをしつつ、リンゴに手を伸ばす。
「ママ………まーくんを見つけられた理由はね………」
「理由は? 愛というつもりなんでしょ?」
「え~っ! なんでわかったの!? 愛だってよくわかったね」
「わからいでか。貴女の母親を何年やってると思うの。それよりもこの情報は重要よ、よくやったわ、あかね。十三さんのところに向かうわよ。今日も残業で事務所にいるはずだもの」
すっくと立ち上がると真剣な顔で、ママが言う。
「え~っ、私帰ってきたばかりで疲れて……なんでもないです」
パパが帰ってきてからでもいいんじゃないかなと、口を尖らせながらも、再び出かけることになってしまう。だってママのギラリと光った瞳が怖かったのだ。
ママが車を出すので、助手席に座り、チサがぴょんと私の頭の上に乗る。すぐに車は発進するけど………。
「あれ? なんか暗くない? 街灯とか灯りついてないよ」
道を走ってすぐに違和感に気づく。今まできにもしなかったけど、薄闇に覆われて暗くなる中で、道路の街灯の灯りがついてないことに気づいたのだ。通行人たちが、少し足早となり、背を丸めて不安げに通り過ぎてゆく。
「あかねはもう少し周りを見なさい。そうなのよ、最近は昼も夜も電気の使用制限が行われてるの。だから、ソーラーパネルを屋根に取り付ける家庭が多くなってるけど、在庫が少ないらしく大変みたいよ」
「うちはソーラーパネルで良かったね。そんなに大変なんだ」
「ソーラーパネルは2年に1回はメンテナンスは必要だし、このまま使い続けることができるかという問題もあるわね。段々と外国から物資が輸入できなくなっているみたい。輸送船が何隻も沈没してるらしいわよ」
「それじゃファミレスとかチェーン店とかも大変じゃん。輸送船には冒険者の護衛がついてるんじゃなかったっけ?」
「まず食べ物の心配をする我が子を褒めれば良いのか迷うところね。食べ物どころか、あらゆるものが窮乏するわよ。身近にあるものだと電気やガスと、わかりやすいところだとトイレットペーパーとか?」
「大変だ! はわわわ、ママなんとかしなきゃ!」
「よーやくわかったか、この子はまったくもぉ。だからこそ、マセットちゃんの情報は大事なの」
「そういえば、まーくんは食べ物も異世界から持ってきてたよ。たくさん採れたからって、お店で使ってたけど凄い美味しかった!」
「! そう………。食料も輸入できる可能性があるわけね。それならもっと急ぐわよ。しっかりと掴まってなさい」
「法定速度は守って、ママぁ〜!」
アクセルがべたぶみされて、車が一気に加速する。あかねは椅子に押しつけられて、急速に流れていく外の景色を見ながら悲鳴をあげるのだった。
◇
パパの事務所は軍の駐屯所の中にあるビルの一つだ。魔物がダンジョンの外に出現し始めて厳戒態勢になって以来、多数の戦車や装甲車、戦闘ヘリが駐機し、兵舎には多くの兵士たちが待機している。通常火器では対応できない場合に備えて、冒険者たちもいるので、まさに東京を守護する重要拠点の一つである。
常ならば、門には兵士たちが立哨し、訓練をする兵士たちがグラウンド内を走る姿を見られるのだが━━━。
「な、なにこれ?」
あかねは見慣れている駐屯所を見て、思わず声を上げてしまっていた。
なぜならば、駐屯所は炎に包まれて、銃声や爆発音がひっきりなしに聞こえてきたからだ。鉄門はひしゃげており、装甲車が半ばから分断されて、燃えている。多くの兵士たちが銃を片手に目を血走らせて走り回り、懸命になにかと戦っていた。
「街中にある駐屯所なのに、なんでこんなことになってるの!?」
ここに来るまでに通ってきた街中は避難する者もおらず静かなものだったのだ。それなのに駐屯所だけが混乱の極みにある。
「どうやら、内部から出現したんだわ。駐屯所の周りに住む人たちが静かなのが不気味だけど、十三さんが心配だわ。あかね、あの魔物たちが倒せる? 駄目ならUターンして逃げるわ」
暗闇の中で踊るように動く蝙蝠の羽を生やした小さな影、そして地面に這う大型の蠍たちをママが指差す。その顔は真剣そのものだ。
パパのことが心配だけど、私の身も案じてくれるその優しさが嬉しい。私もパパが心配だ。
「チサちゃん、あの魔物たちは私一人で倒せるかな?」
「ん〜。大さそりと……あれはグレムリンうさね。あかねさんなら余裕うさ。ローンを返す第一歩頑張ってください。優しい複利だから早く返した方がいいうさ」
自分では判断できないので、チサちゃんに尋ねると背伸びをして目を凝らし答えてくれる。チサちゃんはローン未回収にならないようについてきたアドバイザーだ。その言葉は信用できる。
「ママ、大丈夫だって!」
「あかねがローンを返せるかにわかに不安を感じたけど、それじゃ事務所まで飛ばすわよ。掴まってなさい!」
「法定速度を守ってぇぇぇ」
「基地内は私有道路だから、法律的には大丈夫よ!」
ひぇぇぇと叫ぶあかねを気にせずにママは車を加速させると基地内に飛び込むのであった。




