4話 ニートを止めて僕は職に就く
ぴちょんと僕の頬を水滴が叩く。そのひんやりとした感触は若芽を育てる慈雨のように、僕の意識を覚醒に向けて力を与えてくれて、徐々に闇に沈んでいた心は浮上していった。
「うぅ………い、生きてるのかな? 僕は生きてる? え?」
ぼんやりとした頭のままで、朦朧としながら、石のざらざらした感触を手のひらから伝わってくるのを感じながら、ゆっくりとまぶたを開ける。
薄暗い場所で、継ぎ目のない石でできた天井が目に入ってきた。どこからか甲高いモンスターの唸り声が聞こえてきて、すぐに起き上がる。ハンターの本能、モンスターの声が聞こえたら、危険を察知して、すぐさま戦闘態勢をとる条件反射の反応が一気に意識を覚醒させてくれた。
「ここはどこだ? 僕は━━━━━生きてる? あの絶望的状況で?」
素早く周りを見ると、静かなもので、モンスターの唸り声は遠くから聞こえてきていることに気づく。息を潜めて、気配を探り、なにか異変はないかと窺うが、人気はなく生命の反応はない。
「あー、良かった。僕は生き残れたのかぁ。ありがとうございます神様。その慈悲に感謝を」
生きていることに安堵して、再び寝っ転がる。背中から硬い感触が返ってきて、その感触が僕が生き残ったことを教えてくれて、ジワジワと口元が笑みに変わる。
手を顔の前でグーパーと動かし、痛みもなく、ちらりと足を見ると血で赤黒くズボンは汚れているが折れても潰れてもおらず、怪我が回復していることに喜びを隠せない。
「いやったぁ〜! まさか生き残れたとは! でも、なんで生き残ったんだ?」
四肢を伸ばして歓喜の声をあげつつ、自身が何故に生き残っているのか不審に思う。が、薄っすらと自分がしたことが、怪我が回復していることの理由だと思い出して、ポンと手を打つ。
「そーいや、ニート辞めたんでした。職種を選んだんでした」
皇子からも、他の人々からも『ニート』と蔑視されてきたが、闇の中で落ちている最中に職種を選んだのだ。一か八か、新しい職種もなぜか増えてたし。
『神の恩寵を見せてください』
言葉に魔力を込めて、『力ある言葉』に変換させる。『力ある言葉』は世界の理を変えるのを許してくれるのだ。
ピコンと音がすると目の前に灰色の半透明の板が現れた。世間一般ではステータスボードと呼ばれるモノである。
マセット
種族:ロイヤルニュート
職業:幻想の守護者
階位:1
筋力:5
体力:5
器用:5
魔力:5
精神力:測定不能
固有スキル
幻想の扉、全耐性(小)、神降ろし、全職種特効
スキル
剣術32、格闘術35、全魔法22、錬金39
「おぉ、職種についてるや。職に就くとこう表示されるのかぁ。今までは就ける職種が表示されるだけだったからなぁ」
皆がいつも見ていた表示が物珍しく板を触ろうとして、スカッと空振りして苦笑してしまう。
だが、なによりも職種に就けたことが目出度い。灰色の板というのが気になるが。
神の恩寵として人類が12歳となったら、平等に与えられるもの。それが様々な職種なのだ。
━━━━━闇に落ちたあと、地面に到達することもなく、僕は浮遊感を感じながら、職種を選んだ。『幻想の守護者』という職種を。
唯一神は自由を愛し、人類に自由を与えてくれる。素晴らしい神様だ。その中でも顕著であるのが職種の自由である。12歳の洗礼式で、人は神の恩寵を貰える。自分にふさわしいと思われる職種が神の恩寵に一覧となってずらりと表示されて、その中から選ぶ。
選んだ職種により様々な恩恵があるのだが、その種類は一般で三百種類、多い者は千を超える。少ない人でも百は超える。パン屋の息子だから、パン職人にならないといけないとかないわけだ。職種の自由というわけ。まぁ、実際は親の跡を継ぐから、『パン職人』を選ぶんだけどね。
━━━━━だが、その中で数個しか職種が表示されない者がいる。そして、その職種を嫌がり無職である者を『ニート』と呼ぶ。
世間から後ろ指を刺されて、蔑視される者たち。即ち、僕のような者のことだ。『ニート』は神の恩寵なく、スキルの取得が極めて難しいので、神に逆らった者と言われる。実際に信仰薄い差別をしない人でも『ニート』は嫌がられる。なぜならば、スキルの覚えが難しく固有スキルを持てないから。
例えば、『剣士』なら『斬撃ダメージ2倍』が固有スキルとしてつく。『パン職人』なら『パンの第二次発酵が普通よりも2倍早い』とか、努力では覆せない神の恩寵があるわけだ。そうなると、他の戦士よりも弱いから、職人よりも効率が悪いからとその職種に就くのが難しくなる。
そして、僕は普通の人よりも表示された職種がちょっぴり少なかった。
2個しか表示されなかったんだ。なので仕方なく『ニート』をしてた。
「たしか………闇の中でラストチャンスを選ぼうとしてたんだよな」
━━━━━ダンジョンが崩壊した時を思い出す。
◇
床が崩れていつ終わるとも知れぬ命。血を吐き咳き込みながら、意識が薄れる中で身体の感覚がなくなってきて、熱が失われていくことを感じていた。
死ぬ。ここまでの善良な行いをしてきた敬虔なる神の信者である者としては、結構悲惨な終わり方だと苦笑する。転生後はどうか世界一の金持ちに、できれば愛ある家庭にお願いしますと、ささやかなる願いをしながら、地面に衝突する時を待ち受けて、覚悟を決めて━━━━━。
「い、何時まで経っても地面に落ちないですね? これ、どれくらい深いんだろう?」
身体は死にそうな程に痛く、だが鍛えた身体はまだまだ死にそうにない。ここまで頑丈な自分の身体がこのときばかりは恨めしい。
そして、フト思った。『ニート』を止めて、職種に就こうと。12歳に就ける職種。その時に神から全員が貰える恩寵がある。
それは肉体の完全回復。健康になれるのである。太っている者も痩せている者も健康的な標準体型と変わる。肉体の障害、盲目だったり、不治の病だったり、手足の欠損だったり、呪いや毒にかかっていたり。まぁ、魔法で治せるんだけど、一回だけ神様が癒してくれるのだ。
どうせ死ぬのは確実だが、死ぬまでこの激痛でいる理由はない。回復できるならしておこうと考えたのである。
たった2個しか選べる職種がない神から見捨てられたと蔑視されていた僕の職種。
『神の恩寵よ』
闇の中で、ピコンと青色のボードが目の前に表示される。暗闇の中で唯一の光源となった神の恩寵たるステータスボードは、僕の職種を示してくれる。
『世界を慈悲で支配する大皇帝』
青色の文字で表示されている。
『世界を殺戮で支配する大魔王』
赤色の文字で表示されている。
うん、いつもの職種しか表示されていない。神様ありがとうございます。たった2個なれど、最高級の職種で、感謝しかない。だって大皇帝と大魔王だ。しかも世界を支配するとの枕詞も付いている。これだけの職種についた者は聞いたことがない。
神様に愛されていることに感謝しつつも、惜しむらくは、土地も兵もなく、人脈もない僕はこの職種についた途端に皇帝や勇者に殺されるだろうことは確実だった。皇帝や王、勇者は『占い師』に定期的に『王』関連の調査を依頼している。皇帝たちは自身の権力を守るため。勇者たちは魔王を倒した際の名声やドロップアイテムや経験値目的。なので、自分を守れる地盤が無ければ狩られるだけだった。
なので、僕は『ニート』をしながらハンターとして働いていたんだが━━━━━。
「ん? なにか増えてる!?」
3個目の職種が最後に表示されていたことに気づく。
「なんで………職種が増えたなんて聞いたことがないけど………」
『世界を信仰で覆う幻想の守護者』
灰色の文字で表示されていた。こんなことは初めてだ。しかも幻想の守護者なんて聞いたことがない。しかも文字も青くもなく赤くもない。灰色なのは中間とでも言うのだろうか?
「これは神様の最後の恩寵かな………ありがとうございます、神様」
死ぬ前に痛みだけでも消してくれるのだろうと、神様へと愛ある祈りを捧げる。神様のくれた恩寵だ。これを選ばないという選択肢はない。
震える指で『世界を信仰で覆う幻想の守護者』を選ぶ。ポチリと押すと、ステータスボードが点滅をし始めて、柔らかい光が僕を照らしていく。闇の中で光の柱に覆われる僕の姿はきっと神秘的だと思う。ちょっぴり背丈も高く、身体も鍛えたためにごつく、着ている防具も革のコートやスボン。味も素っ気もなく、歳も中年で顔立ちも二枚目とはいえないけど。
きっと、絵画や彫刻にしたら、本人の原型なき美形に修正されるんだろうと、場違いのことを考えつつ、身体がぽかぽかと暖かくなり、身体の疲労もあって、僕は寝てしまったのだった。
◇
回想終わり。なにが起こったのか完全に思い出した。だから身体が回復していたのだ。
とはいえ━━━━━。
「手が小さくなってる? マメもない? ゴツさが、いや、筋肉がない? なにかぷよぷよしてる? それに………僕の声が少し変だ、な?」
よくよく見ると、手が綺麗だ。今までの僕の手はいかにも戦士といったごつく鍛えたグローブのような手だった。だが、今はまるで貴族様のように肌が綺麗で日焼けもしておらず、肌白い。なによりも筋肉がなくなっていて、ぷにぷにだ。太っているというわけではない、抓むとぷにぷにと柔らかく、みずみずしい。
そして声も声変わりしていないように子供っぽい感じがする。
「ふむ、ふむむむむ? 手も袖にすっぽり入るな。これは背丈も低くなってるな………若返ったか」
手を目の前で翳して、ふむと顎をさすると無精髭もなく、ツルツルだ。これは確実に若返っている。
「まぁ、驚くことはないか。職種を選ぶと12歳まで若返るという話は聞いたことがあるし。たしかどこかの大貴族がニートのまま30歳くらいまで生きて、職種を選んで若返ったと聞いたことあるし」
貴族も権力争いや戦争、領地の管理が必要だから、貴族にふさわしい職種に就く。『ニート』ではいられないが、時折、圧倒的な力を持ってて、息子や娘に長生きしてもらいたい親とかが『ニート』を許すんだよね。なので、驚くことはないさ。まぁ、若返る可能性は本当に稀らしいので、本当にそんなことをする人は稀らしいけど。僕はその幸運なことに若返りに当たったようだ。
「うん、僕の大蛇はサイズも前のままだし、問題はないな。………ないな、基本戦闘力もリセットされているようだけど………」
ズボンの中に手を突っ込み一安心して立ち上がる。石の床に寝ていたのに身体も強張りはなく、元気なものだ。これぞ若さってやつ。
だから、新米ハンターよりも弱くなっていても問題はないな。うん、迷宮の最中にて、体内の魔力もほとんど無くても大丈夫。うぅ………やばいかもしれない。
すぅと軽く息を吸うと立ち上がり、裾を何回か折り畳んで、足に引っかからないようにする。
「まぁ、仕方ない。アイテムはあるし、ここはなんとか脱出しないとね。大丈夫、僕にはアイテムという強い味方があるから。………できればモンスターに出会わずに転移魔法陣まで到達できますように………うん?」
神に祈りを捧げつつ、周りの光景に訝しげになる。
継ぎ目のない石造りの広間。石の柱が等間隔で天井を支えており、天井からは魔導具の光が広間を照らしている。
そしてずらりと並んでいるのは………。
「金属の馬車? ここはどこなんだろ?」
見たこともない金属の馬車を前に、僕は困惑するのだった。どこだろ、ここ?