3話 僕は熱々のシチューが大好き
「抵抗しても無駄だよ、マセットさん。その刺した短剣には『魔法封じ』、『魔力霧散』、『回復阻害』の毒が塗られていたのさ。クリスタルゴッドドラゴンに使ったのと同じものだ。その手に隠し持つポーション枝でも、効果はないんだ」
「そのような高級品を僕に使ってくれるなんて恐悦至極。畏れ多いことです。そこまで僕を買ってくれるとはね」
ジュデッカ皇子が狂気に堕ちた歪んだ笑みを見せてくる。最高級品を使うなんて、泣けてきて前が見えないよ。意識が朦朧としてきて身体が痺れてくるので、どうやら他の毒も混ざっていそうだ。こんな弱気なお人好しに用意周到すぎる。
「そこの工兵が当初から馴れ馴れしく肩を回してきていたから変だ変だとは思ってたんです。不意打ちを仕掛けるために3ヶ月前から用意していたのですか」
失敗した。貴族だからと邪険にできない気弱な僕の性格を見破られていたか。
「そのとおりだよ、マセットさん。君には少しも油断はできない。確実に殺せるようにしていたのさ。でも変だと思っていた? 彼の演技は私から見ても本物のように見えて、ギリギリで情が沸いて逃がすのではと内心で不安だったんだけど?」
「時折、僕を憎々しげに睨んできていましたからね。本人は気づかれていないと思ってましたが、僕はそういう視線には敏感なんですよ」
不思議そうに聞いてくるジュデッカ皇子に、余裕を見せて微笑んで見せる。痛みなどないように、毒が効いていないかのように。
僕が見ていないと思って、工兵隊長は憎らしげな視線を向けてくることがあったんだ。最初はニートに対する蔑みの視線かと思っていたんだけど、それにしては憎々しげな鋭い視線だったので変に思っていたのだ。たぶん、平民が貴族に混じっていることに気に食わなかったんだろうと思ってたが違ったようだ。最初から殺すつもりだったからだったのか。いや、待てよ? それでも憎々しげな視線は意味が通らない?
「はっ、平民のニート風情が、少しハンターとして名を挙げたからといい気になりやがって。ずっと気に食わなかったんだよ!」
僕の思考は工兵隊長の弱者を甚振ることに喜びを得るような嗤い声に中断された。僕を刺してくれた短剣を片手に、ニヤニヤと近づいてきて、見下す視線を向けてくる。
「皇子殿下。このゴミは俺が片付けます!」
僕は血の気が引いて、顔も青ざめている。脇腹からは血を流しており、身体も震え始めて瀕死だ。だからこそトドメを刺そうと無防備に近づいて、短剣を振りかぶる。
「馬鹿者! 不用意に近づくな!」
「へ? こいつはもう死ぬ寸前で━━━たへ?」
その様子を見て、ジュデッカ皇子が鋭い声で注意を促すが遅い。ごきりと骨が折れる音がして、工兵隊長の首が折れ曲がる。
僕が背中に隠していたショートソードを抜いたのだ。滑るように鞘から抜かれたショートソードは無防備な工兵隊長の首を叩き、鈍い音を立てて首骨を折った。だが、それは僕の想像とは違った結果だった。
(くっ、首を切れないか!)
振り抜いたショートソードはガラスをあつめて赤く染めて作り上げたような赤き半透明の剣身の物だ。その鋭さは普段なら、人間の首など柔らかいチーズのように切断できるが、僕の魔力が霧散している中では、その効果を発揮できていなかった。
それでも、会心の一撃だったようで、工兵隊長は泡を吹いて痙攣を始めている。
「良かったよ。貴方の名前を覚えていなくて。罪悪感を覚えずに済むから」
倒れている工兵隊長を一瞥して、冷たい声音で呟くと覚悟を決める。………ここからは逃げられない。包囲してくるのは、騎士たちに魔法使いと神官。しかも精鋭たちだ。毒がなくても逃げられるか分からないのに、魔法も封じられて、魔力も霧散している今は絶望的だ。詰んでいる。
なら、僕の選択肢は一つだけだ。
「ジュデッカ皇子。申し訳ありませんが、ここで貴方だけでも殺します!」
声が痛みで震えないように、青ざめて力がもはやないことを誤魔化すように大声で宣戦布告をする。だって、もう嫌がらせしか選択肢はない。神もきっと僕の選択肢を喜んでくれるだろう。
「皇子を守れ! マセットは瀕死だ、ここで殺せ!」
重装騎士が僕の叫びを聞いて、皇子の前に立ち、タワーシールドを構え、包囲していた騎士たちが一斉に仕掛けてくる。先頭に立つ二人の騎士が剣を繰り出すが、そのタイミングは泣けるほどに完璧で、振られた剣は確実に僕を捉えていた。
が、僕のショートソードはもう一本ある。背中に隠した同じ様にガラスを集めて青で染めた半透明のショートソードを抜き放ち二刀流とする。
膝をたゆませて、バネのように一気に跳ねると赤きショートソードで右からくる騎士の袈裟斬りに対抗するべく、敵の剣の先端に合わせて、その横腹を削って受け流す。剣身が削られて火花が散り、僕の横を通り過ぎていった。
続けて、足の親指に力を入れて支点にすると、身体を地に這うようにしゃがみながら、無理やり体を回転させて、左からくる横薙ぎを躱す。被っていたフードに掠り、外されるが気にせずに切り返した回転斬りを右から来た騎士の籠手に食らわす。が、金属の籠手は凹むこともなく、反対に衝撃が僕に返ってきただけだった。
「無念だけど仕方ないですか!」
倒すどころか、傷一つつけられないことに落胆しながらも、二人の間を抜けて、皇子へと突き進む。魔力が無く、身体強化もかけられない僕の身体は泥沼に落ちたように鈍い。他の騎士たちが迫る中で、なんとか敵の攻撃をその軌道だけで読み、切り払い駆け抜ける。
「魔力が霧散しても、それだけ動けるとはさすが階位が70のハンターなだけはある! だが、そこまでだ、皇子の体には指一本近づけぬわ!」
「絶対に皇子だけは殺してやる!」
僕が騎士たちの攻撃をくぐり抜けてきたのが驚きだったのだろう。皇子を守る重装騎士がタワーシールドに魔力を流していくのが見えた。僕の怨念のこもった叫びも効いたに違いない。何かしらの切り札があると想像しているのだ。
たしかに僕は皆の支援のために山程アイテムをコートの中に隠し持っていた。軍が支給した皇子のための最高級品だ。もしかしたら、皇子を殺せるかもとの焦りが見えた。だけど、魔力を使わないと発動しない物ばかりなので、実は意味がない。ハッタリを仕掛けたのだ。
『シールドバッシュ』
魔力なく、物理攻撃しかできない僕に対して、的確な技で対抗してくる。敵の使った技は盾に触れた相手を吹き飛ばす。ここで吹き飛ばされたらもはや逆転の一手はない。後は包囲してくる騎士たちに殺されるだけだ。
と、相手は思ったのだろう。きっとその手段をとってくれると、優秀な重装騎士ならその選択肢をとるだろうと考えていた。僕の予想通りに。
もはや躱すことは不可能。だが、僕は最後の力を振り絞って、全力で盾に向かってジャンプした。その行動に目を剥く重装騎士隊長。石壁に体当たりをするようなもので、自殺行為だ。が、僕は両足を盾に合わせて踏みつけた。
ぐしゃりと肉が潰れる嫌な音と、耐えきれない痛みが襲ってくる。だが、歯を食いしばり身体の向きを変えて吹き飛ばされた。
━━━━━重装騎士隊長の後方、皇子をも越えてさらに後ろへと。ダンジョンコアへと。飛び越える僕を信じられないと唖然とした顔で見送る重装騎士隊長とジュデッカ皇子の姿が小気味いい。
すみません。ジュデッカ皇子を狙うのもフェイクです。本当の目的はダンジョンコアにあった。
ダンジョンコアに叩きつけられて、一瞬衝撃で息ができなくなる。が、ここで気を失うわけにはいかない。
「かはっ………ジュデッカ皇子、シチューは好きですか?」
血を吐きながらも、僕はすがりつくようにダンジョンコアへと寄りかかる。両足は潰れて動くことももうできない。
「シチュー? シチューがなんだと言うんだ? いや、それよりもダンジョンコアに何を願うつもりだ? 何を願っても逃げられませんよマセットさん。転移を願えば逃げられるでしょうが、その身体では長くは生きられない。生きたいと願っても、ここにいては生きる屍にしかならないでしょう。願いは曲解されないようにできるだけ正確に願わなくてはならないのです」
なんとか冷静さを保ちつつ言葉をかけてくるジュデッカ皇子だが、そのとおりだ。生きたいと願って、ただの石塊となった者も過去にはいると伝えられている。意思が宿っているが、何もできないおそろしい結果であり、ダンジョンコアへの願いは注意しないといけないという教訓にもなっている。
「も、もちろん知っていますよ。で、シチューは好きですか?」
「シチュー? シチューがなんだと言うんだ。好きでも嫌いでもない!」
苛立ちを見せるジュデッカ皇子。僕の言動がわからずに、それでも嫌な予感を感じているのだ。その勘は当たりだよ、ジュデッカ皇子。
「僕は熱々のシチューが好きでして。復讐も同じだと思うんです。想いが熱い中で行わないと冷めた感情で行っても面白くもなんともない。やはり復讐をなして昏い喜びで心を震わせないとね」
ひんやりとした感触のダンジョンコアを撫でながら、ゆっくりと力ない笑みで、されど昏い光を瞳に込めて告げてあげる。
「ここで他の願いをしても、貴方がもう一度ここを攻略したら、何の意味もない。嫌がらせにもならない。そんなのは面白くないと思いませんか? 神もそんな結果だとがっかりすると思うんです」
悔しいがジュデッカ皇子は優秀だ。ここまでの戦闘経験やダンジョンマップを持っているから、もしかしたらすぐにもう一度攻略しに来る可能性がある。そんなことは許されない。
国の内乱を防ぐため? ノーだ。
皇帝を守るため? ノーだ。
僕をこんなことに巻き込みやがって! 後継者争いだかなんだか知らないがどうでも良いのに、殺されかけている。絶対に復讐してやると決めたのだ。それもすぐに。なにせ、僕の命はそろそろ尽きる。命を引き換えに復讐を成しても良いだろう。
皇子の命と合わせて、その心も砕いてやると誓ったのだ。
「それに復讐もありますが、皇国を混乱に落とす悪を僕は許さない!」
キリッと凛々しく叫び、とりあえず、表向き正義感溢れるセリフも口にしておく。正義感溢れる男だったと意地を見せるのだ。最後の見栄だ。それにその方が、ジュデッカ皇子は悔しいだろうし。あはは、ざまーみろ! 僕も死ぬんだぞ、くそー!
「ま、まさか、やめろ。お前ら、相手を止めろ。奴の考えは━━━━━」
「良い勘をしてますね皇子。太陽のごときジュデッカ皇子。そろそろ日の沈む時間です」
僕の考えを悟ったジュデッカ皇子が恐慌の顔で命令を出し、騎士たちは一気に間合いを詰めてくる。が、遅い。
僕はダンジョンコアに手を添えて、ニコリと微笑んだ。
「願うは、このダンジョンの永久なる廃棄。迷宮を閉じて自壊せよ」
カッとダンジョンコアが太陽のような閃光を放つ。あまりの眩しさに皆が目を覆い、苦しみのたうつ。
そうして迷宮全体を震いはじめて、床が砂へと変わり足が沈み込む。天井が崩れ始めて、石塊が落ちてくる。終わりだ。このダンジョンは崩壊し跡形もなくなるだろう。
「おのれ、おのれ、マセット。絶対に許さないぞ、このニートが! 何故にニートに私の野望を打ち砕かれなければならないんだ!」
目を押さえて苦しみながらも、ジュデッカ皇子が呪詛を吐くように叫ぶが、もうなにもかも遅い。
「ならニートを雇わなければよかったんです。そうしたらなにもかも上手くいきましたのに」
楽しげに答える僕だが、突如としてさらなる震動が起きて、迷宮の床が抜け始めて暗い穴に呑み込まれていく。
「マセットォォォォ!」
叫ぶジュデッカ皇子の床が抜けて、暗い穴に呑みこまれていった。
「これは………あの地震か。皮肉なものですね。本当はこの地震を防ぐために攻略に来たのに」
僕の座る床も無くなり、闇がポッカリと口を開けたような穴に落ちていく。浮遊感と共に、僕の意識も薄れていく。
どうやらここで僕の人生は終わりのようだ。神様、清廉潔白で品行方正、気弱でお人好し、神様への信仰心はだれよりも篤い僕の次の人生は、今よりももっと良い人生にお願いします。金に困らない世界一金持ちの人生がいいです。
極めて平凡でたいしたことのない願いをしつつ、僕は暗闇の中を落ちてゆくのであった………。