28話 元お嬢様の岐路
数多くの食料品が入っている段ボール箱の山を睨むように見つめながら、赤野ローズは腕を組むと隣に立つ少年に問いかける。
「これだけの食料をどうするんですの?」
「それはもちろん村人に配布するんです。僕は男爵で小さな村を領地として持っているので」
ローズの疑問に、あっさりと答えてくれる無邪気そうな天使の笑顔の美少年のマセットさん。だが、この少年の笑顔は悪魔の笑顔だと短い付き合いながらも知っている。悪魔は伝説のような醜悪で狡猾な笑みで人を騙すのではなく、無邪気な善人のような笑顔で騙すのではとも考えていたりする。
今ローズたちが立っている場所はソウトコの裏駐車場だ。珍しいことに誰もおらず、人気が無いためガランとしていた。
「領地とかはよく分かりませんけど、この量を運ぶのは大変ですわよ。トラックでも用意しましたの」
どうもこの少年はよくわからない。青髪がそよ風に靡かれて、薄っすらと笑う横顔は悔しいが見惚れてしまう。
「それはこうするんですよ」
『きゅーきゅーきゅきゅ』
マセットさんの口から、高音のよく聞き取れない音がその口から漏れる。………そうしてなにも起きなかった。が、やりきった感を出して、マセットさんは見てくる。
「ね。この扉の先に運びます」
「ね。って、なにもありませんわよ?」
「…………え? この扉が見えないんですか?」
何もないところに段ボール箱を運ぶと、目を疑う光景となる。なんと段ボール箱が何かがそこにあるかのように、空間にめり込んで消えていくのだ。手品……ではありませんわね。
「扉、本当にありますのね? でも、わたくしが触っても消えませんし………持ち物も消えませんわよ?」
好奇心が勝って、マセットさんが運び入れる空間に手を伸ばすが、わたくしの手は消えることはなく、そこに感触はなかった。たしかに扉があるような感じはしますのに。青いたぬきのロボットが使うどこにでも行けるドアのような物が見えないけれども、確実にある。なのに触れられない。
「すると、通れるのは僕と使い魔のロロだけか………移動用には使えないんだなぁ」
頷くマセットさんの横を、箱を持って、てくてくと空間の歪みに消えていく幼女。通ってますわよ?
「あ~ちゃんも通れるよ!」
「あ~ちゃんは特別でしょ」
「えへへ、あ~ちゃんは特別〜。どこにでも行けりゅの」
ぴょこんと頭だけ突き出して生首みたいな幼女が、テレテレと照れる。幼い子供なら通れるのかしら?
わたくしが推察していく中で、今度はおとなしそうな銀髪メイドが現れて、箱の一つをパカリと開けて中を確認する。
「領主様………あの、ドーナツは業務用の安いのではなく、ドーナツ専門店のドーナツが良かったのです。これだと挟まれている生クリームはフレッシュではないですし、生地ももちもちとした歯触りではないんです。食べますけど」
そして箱を持って空間の歪みに消えていきましたわ。
「ルルとあ~ちゃんは参考にならないから、考えない方が良いよ」
そっぽを向いて呟くマセットさんなので、わたくしもあまり考えないことにする。どうせ、自分は入れないのだ。それだけが重要である。
50万円分の食料品が入った段ボール箱は、それほど時間がかからずに全て空間の歪みに運ばれていき、あっという間に空になってしまった。
「ふぅ〜、こんなものですか。これでしばらくは村の人たちは餓死を恐れないですむでしょう」
その口振りから、本当に空間の歪みの先には食べ物に困った人たちがいそうだと思う。性格はともかくとして、その行動は善人なのでしょうか?
わたくしのリュックサックには、50万円という臨時収入を得たので、大盤振る舞いで国産ステーキ肉やメロンなどが入っている。彼が買った物はインスタントラーメンやレトルトにお米や味噌醤油と、自分のためのものではないだろう品物ばかりだった。
そのことに気づいて顔を赤らめて、自身の行動に恥ずかしく思ってしまう。少し考えなしだったかもしれない。しかも、この報酬は本来ならばマセットさんの物だ。わたくしはまったく役に立たなかった。
(護衛料金などと誤魔化してましたが、わたくしに気を遣わせないためで、やはり優しい人なのでしょう………)
「餓死されると生産力が落ちて税金を取れないから必要経費、必要経費。もったいないけど必要経費」
たぶん優しい人ですわ。
「でも、残り400万円も全て食料品に変えますの? ソウトコでも、それだけの買い物をする人はいなかったから、結構目立ってましてよ。この自動販売機も使えませんか………」
一息つくために近場の自動販売機で缶ジュースを買おうとして、故障中の張り紙が貼ってあり顔をしかめてしまう。最近は自動販売機が稼働しているのを見たことがない。
車も電子機器が使用されているものは使われなくなり、昔の単純な車に変更されているらしい。電子機器を使っていると突然壊れるのだから当然と言えるが、段々と不便になってきて、どことなく近い将来に訪れる嫌な予感にゾワリと身体を震わす。
「それなんですか? 町中に故障中と張り紙が貼られてますけど。宝箱………じゃないですよね?」
小首を傾げる様子は冗談を言っているようには見えない。本当に自動販売機の存在を知らないようですわ。
この日本にそんな人間がいるでしょうか? どんな辺鄙な土地でも自動販売機を知らない人はいないでしょう。
目を背けていましたが、そろそろ尋ねる必要があります。その返答はわたくしの常識を打ち壊すだろうが━━━。
(いまさらですわね。魔物が徘徊するようになって、聖人として人々が覚醒し、出来の悪いヒーローもののように戦って人々を守る世界ですもの)
「マセットさん………。貴方どこの国の人なのですか? 日本ではないですわね? なのに、日本語もペラペラです。それはなぜ?」
ゴクリとツバを飲み込み、誤魔化されるだろうか、それとも最悪消されるだろうか?
『くくくく、知らなければよかったものを。バキューン』
『ああっ、知らなければ良かった……パタリ』
━━━赤野ローズの人生、『完』
アホな妄想をするが、マセットさんは素直に答える。
「僕は大陸の列強リンボ帝国のマセット・グーマ。皇帝陛下からは男爵を頂いております」
「リンボ帝国………聞いたことのない国ですわね。どこにありますの?」
「リンボ帝国は辺土大陸にあります。この大陸がどこの大陸か、僕も反対に聞いてよろしいでしょうか?」
「この国は島国ですの。大陸ではありませんの。でも辺土という大陸は聞いたことが………」
ない。と答えようとして、ギクリと身体を強張らせる。
━━━聞いたことがあるのだ。記憶の片隅で、どうでも良い雑学として、その地の名前を聞いたことがある。そして、その土地の住人だとすると……。
わたくしの顔が強張ったことに気づき、柔らかな笑みながら、マセットさんは鋭い視線を向けてくる。
「そちらは辺土大陸の名前を知っているのですね。なるほど、島国なら聞いたことがないのも当然です。過去にも賢者たちの隠れ里などは、『認識妨害』の魔法で、自分たちの街を隠していた例もありますが、ここまで発展した国が隠れていたことに驚いてます」
「隠れているわけではありませんわ。きっと世界がズレてますの。そこに存在するけど、そこにはいけない幻想の世界ですわ。俗に言う『異世界』というものです」
「『異世界』………そんなことがあるのですか? たしかにここまでの発展している国が誰にも知られていなかったのは不自然ですが………そちらはリンボの名前を知ってましたよね?」
「ええ、その、うん、リンボを含むそちらの世界に行った人間がその記録を残していたのです。その話は結構人気を博しまして、土地の名前も知っていたのです」
嘘は言っていない。真実だとも思えない。今大事なのは、眼の前にその地の住人がいるということだ。
わたくしの顔を窺って、マセットさんは嘘ではないと思ったのだろう。ふむと、複雑な表情で顎に手を当てる。
「だからこそ知っていたと。それならおかしいことはありませんね。へぇ~、異世界ですか。わかってきましたよ、だからこそ神様の教えが広がってなかったのか」
ほぅほぅと納得するマセットさんを見ながら、声が震えないように言葉を紡ぐ。
「えぇ、異世界ですわ。マセットさんは『魔法使い』ですの?」
緊張しながらも確認する。ここでの返答で、わたくしの選択肢は変わる。
「ん? いえ、魔法は使えますが『魔法使い』ではありません。そういえば、ローズさんはどんな職種なんですか?」
「『職種』? わたくしは『聖人』ですの」
そして使用する力は『聖術』だ。神より祝福をもらい、聖なる術を使う者。即ち、『聖人』である。『魔法』ではない。
「『聖人』ですか。結構良い職種だと思いますよ」
「ふふ、あまり強くないので、お恥ずかしいのですが。それでですね、一つ提案がありますの」
胸に手を当てて、気合を入れて言う。
「提案? なんでしょうか?」
「それはですね、わたくしと組みませんこと? マセットさんは、この国の、そしてこの世界の常識を知らない。ですが、魔物に対して圧倒的な力を持ってます。反対にわたくしはか弱い力しか持ちませんが、この国の常識を知っています。二人の力が合わされれば、荒稼ぎできますわよ」
「ほほ~。なるほど………。支援に終わらず、パートナーとなると。それは良いことですね! 清廉潔白、品行方正、弱気でお人好しの僕ですが、荒稼ぎという響きには興味が湧くので、その提案はお受けします」
あっさりとわたくしの提案に乗ってくれて、手を差し出してくるので、握手をしてニコリと微笑む。
この提案がこの先この世界にどのような変化を巻き起こすかわからない。とんでもないことをしてしまったかもしれない。
━━━でも、元社長令嬢の暮らしが懐かしいのです。困窮した生活はうんざりだ。今は両親も懸命に仕事をしていて、周囲に目をやらないが、そのうちに喧嘩を始めるかもしれない。不満が溜まって離婚をするかもしれない。
幸せはお金が必要なのだ。貧すれば窮するとのことわざどおりに。
だから、世界の行く末などどうでも良い。愚かな選択だって後に罵られても良い。わたくしは再び前の、いや前以上の生活を取り戻すと、マセットさんと握手をしながら誓うのだった。
『それこそが愚民に相応しい選択です』
どこからか楽しげな声が聞こえてきたが、ローズは気にしなかった。




