22話 落ちぶれた元お嬢様
目の前にあるのはビル地下駐車場入り口だ。半年前までなら気にもしない、風景の中によくある建物としか意識しなかっただろう。記憶にも残らずに、あぁ、そこら辺に駐車場があったかしらと思い出すことも難しい施設だ。
しかし今は、まるで入口が地獄の底へと繋がっている怪物の口のように見えて、酷くおどろおどろしい。特に電気は既に落とされており、非常灯すらないので、太陽の日差しが届かぬ場所が全く視界が届いていないところが、心から怖かった。
しかし、生活費のためと、集団の後方でため息を吐いて、赤野ローズは震える手を無理やり抑える。
「皆、聞いてくれ。この駐車場は先月の魔物地震でゴブリンの巣になってしまった。今回の仕事はここのゴブリンの駆逐だ。この仕事は美味しい、なにせ五百万の依頼料だからな。ゴブリンを倒した数により報酬も増える。期待してくれ」
「ひゅー、さすがはリーダー。美味しい仕事を探すねぇ」
「本当よ。ゴブリン退治で五百万なんて大金を払うなんて、濡れ手に泡よ」
今回の仕事を取ってきたガタイの良いリーダーが言うと、集団はやんややんやと喝采する。今回集まった冒険者はローズを含めて12人。ゴブリン退治にしては人数が多すぎるが、報酬が良いので、皆は余裕の笑みだ。
と、リーダーの男性がローズへと視線を向けて、ニヤニヤと口元を曲げる。
「あぁ、ローズさん。ローズさんもゴブリンの一匹くらいは倒してくださいよ。誘った私の面子もありますのでね。以前みたいに時代遅れの会社の運動会で、後ろで頑張ってくださいねと、お上品に応援するだけでは駄目ですからね?」
「わ、わかっておりますわ。わたくしも今日は万全の状態で来ましたの。ゴブリンくらい片付けて見せますわよ」
「そりゃあ、心強い。頼りにしてますよ、ローズさ・ん」
揶揄する言葉に、周りの人々がプッと吹出して、ゲラゲラと笑う。
嫌味的な言葉だと、ローズは羞恥に顔を赤らめながら、グッと唇を噛み締めるが反論はできない。ローズのランクは冒険者の中でも最低のEランク。普通なら、このような美味しい仕事に誘われることはないからだ。
そんな自分が誘われた理由は一つ。リーダーの男はこの間まで赤野コーポレーションの一社員だったから。名前は西屋。赤野ローズの父親が雇用する会社のサラリーマンだった。いや、彼だけではない。この集団の全員が元は社員だった。
半年前まで赤野ローズはスマホ向け部品を製造するそこそこ大きな会社のオーナー社長の令嬢だった。
母がアメリカ人であり、金髪碧眼を受け継いだローズはキラキラネームも加わって、漫画に出てきそうな金持ちの美少女だった。髪型を縦ロールに変えないのと名前をもじられて、小学校では嫌という程にからかわれて、開き直り、まるで悪役令嬢のように高慢なる話し方にした。さすがに縦ロールにはしなかったけど。
そうしたら全ては変わってしまった。物理法則が変わったために、通話が不可能となり、スマホは全て使えなくなった。いや、一応は使えるが、3割の確率で出荷時に壊れており、一ヶ月も持たずに個人間の通信が不可能となれば、もはや使えなくなったのと同義である。
このご時世、銀行から借入金をしていない大手の会社など存在しない。そして、電子が信用できなくなり、破綻し始めた銀行が強引なる貸し剥がしを行ったことにより、多くの負債を抱えることになった赤野コーポレーションが耐えられるわけはなく、僅か数カ月で倒産してしまった。
そして、残ったのは元社長令嬢といういらない名札と、築50年の木造アパート、1DK6畳半の部屋。共同トイレ風呂なし。そして多額の借金だけだった。
いや、それだけではない。千人に一人が覚醒し聖人へと選ばれるが、ローズはその千人のうちの一人となったのである。ただし最低のEランクというおまけつきで。
父は借金を返すために東奔西走、母は仕事などしたことがなかったのに、パート勤め。そしてローズは冒険者として、高校を中退し、金を稼ぐことになったのだった。
そして、社員の中で一番高いCランクに目覚めた青年のもとでこき使われていた。彼はローズの状況を知っていて、困窮している可哀想な元雇用主の娘なのでと、親切めかしているが、嫌味なのは知っている。以前に告白されたので「高校生に告白しないでくださいませ、このロリコン」と断ったことを根に持っているのは明らかだった。
集団もご丁寧に赤野コーポレーションの元社員を集めているのだから、その嫌がらせに感心するしかない。
「それじゃ出発だ。皆油断するなよ」
「へーい。気をつけまーす」
そうしてリーダーの西屋の掛け声に皆が移動し始めるのであった。ローズも同様に中に入って行く中で西屋が肩に手をかけてきて、耳元に口を寄せてくる。
「あぁ、ローズさん。そろそろ俺のものになりませんか? 高校も中退したから、付き合う障害はないでしょう?」
「ふざけないでくださいませ。以前と返答は変わりませんわ」
タバコ臭い男の息に顔を歪めて、辛辣に手を叩く。西屋はローズの様子を見ても余裕を崩さない。
「そうですか? とすると次の仕事には誘えないかもですねぇ。あ、付き合わなくても、体だけでもいいですよ? 一回ごとによい仕事を回してあげますよ」
「はっ、笑えますわね。どうせ今回も歩合制とか言って、わたくしの取り分を減らすおつもりでしょう? 前回は一人頭20万円でしたのに、わたくしは二千円でしたものね!」
「けっ、そりゃあんたが二千円しか価値がない活躍だったからだよ。でも今回は報酬を上げても良いぜ? この仕事が終わったあとに、少しばかり俺にまたがってダンスを見せてくれたらな」
いやらしい笑みで、腰を振ってみせる下劣な男に耐えられなくなり、遂にローズは怒鳴ってしまう。
「この下衆っ! いいですわ、もう仕事を紹介してくれなくて結構! わたくしだけで仕事をこなしてみせますもの」
「はーん、それならそれでも良いですよ? でもEランクじゃ、怪我の治療費の方が高くつくと思いますけどね。まぁ、現実をしったらダンスをしてみせますと、あんたの方から土下座して来ると思うけどな。その日を楽しみにしてますよ」
嘲笑すると西屋は先頭に追いつくために走っていき、周囲の人間は嗤っていた。助けてくれるものは皆無だ。そもそも西屋がそういう人選をしていることもローズは分かってもいた。
(悔しい………力さえあれば。でも、たしかにわたくしだけでは金策もままならない。どうしたら良いのかしら………)
少ないながらも、生活の足しになっているのだ。それを辞めるとどうなるか………。不安を覚えながら、ローズも入っていく。
なぜ、たかだかゴブリン退治なのに、先月から駆逐されていないのか、そしてここまで高報酬なのかを誰も考えずに。
◇
地下駐車場は電気が入っていないため、真っ暗だ。最早ガソリンの高騰で気軽に運転ができなくなり、放置された車の中には錆が浮いているものもあり、どことなく寂寥感と不気味さを見せていた。
「暗いな………。お前らヘッドライトをつけろ」
西屋が仲間に言うと自身のヘルメットに取り付けられているハイパワーのヘッドライトをつける。仲間たちも同様にヘッドライトをつけて、暗闇が支配していた地下駐車場を何条もの光線が照らしていく。ローズもヘッドライトをつけるが、他の皆とは違い安いタイプなので光量が乏しく不安を覚えてしまう。
「西屋さん、ここ暗いし、車両が多くてゴブリンを見つけるの大変そうっすね」
駐車場内に響くように。大声で話す男に西屋も注意もせずに笑い返す。たとえ居場所がバレても余裕で対処できると考えているのだ。
「まぁ、その分も合わせて高い報酬なんだろうな。お前ら油断して余計な怪我を負うなよ?」
「大丈夫っすよ、この服は最新型の防刃ジャケットですからね。ゴブリンの棍棒やナイフごとき通じませんよ」
銀色の服を見せて得意げな仲間に、西屋も笑いながら自身の胸当てを叩く。
「俺のようにタングステンの鎧や盾、そして剣を持ってねぇだろ? メガゴブリン相手だとペチャンコにされちまうぞ」
「西屋さんの鎧は大丈夫なんすか?」
「あぁ、前にしくじってもろにメガゴブリンの攻撃を受けたことがあるんだが、衝撃はあったがたいした怪我は負わなかったんだ。俺はこの鎧に惚れたね」
分厚い装甲の鎧は、SF映画にでてくるパワードスーツのように無駄のない作りだ。タングステン製であり、西屋は自身の鎧や盾に絶対の自信を持っていた。総重量は百キロを軽く超えるが『身体強化』されている肉体にとっては普段着と変わらない。それなのに、その硬度はダイアモンドの次であり、無敵の装甲と化していた。
「それじゃ、怖い時は西屋君に頼ってい〜い? 私はそれほど硬くはないのぉ」
「あぁ、任せておけよ。俺がどれだけ硬くて長持ちするかじっくりと教えてやるからよ」
隣を歩いていた女性がしなだれかかり、西屋は得意げに鼻の孔を広げて、サムズアップする。その様子に何人かの女性が媚びの入った笑いを返すのだった。
それを見て、さすがに眉を顰める者もいる。油断しすぎだと、ローズも思うが、自身の立場で注意しても、弱いからだろと反対に笑われるのは目に見えているために、口を噤む。
西屋の態度のせいで、集団に弛緩した空気が流れ始めて━━━。
「ゴブリンだ! 前方の車の陰に一匹!」
鋭い注意の声にようやく気を取り直して、身構え始める。注意をした方向を見ると車の陰に数匹のゴブリンの足や腕が垣間見える。
「はっ、俺に任せろぉぉ。『ソニックウェーブ』!」
それを見て、すぐに西屋が大剣を振り上げると、聖なる力を集め始めて、勢いよく振り下ろす。
振り下ろされた大剣からソニックウェーブが発せられて、コンクリートの床を削り、ゴブリンたちの隠れている車両ごと、吹き飛ばす。車両は上から潰されたようにペチャンコになり、ゴブリンたちは吹き飛んで床に転がる。
それを見てローズは落ち込んでしまう。悔しいがさすがはCランクなだけはある。コンクリート床を削り車両をスクラップにするとはとんでもない威力で、自身がどれだけ頑張ってもたどり着けない境地だった。
その威力はゴブリン如きでは防ぎようもなかった。
「やったか! あん、まだ生きてるのか?」
━━━はずだった。
「ギギ」
「ギギギギ」
「ギイッ」
血だらけで服も破れてダメージを負ってはいるが黒い服を着たゴブリンたちは生きていた。まるで会話をするように鳴き声をあげてゴブリンたちは立ち上がると一目散に奥へと逃げてゆく。
「ちっ、まったくゴキブリみたいなヤローだ。お前ら追うぞ! 絶対に逃がすなよ!」
「へいっ、たくっ、めんどくせーっすね!」
「埃だらけにならないかしらぁ。帰ったらシャワーね」
西屋を先頭に皆がゴブリンを追いかけて走り始める。
「わ、わたくしも、一匹くらいは倒さなくては! そうしないとまた報酬を減らされてしまいますわ」
ローズも慌てて皆を追いかけていき、地下へ地下へと走っていくのだった。