18話 変わってしまった世界
カチコチと時計の音が部屋に響く。少女には似合わないアンティークな時計の音を聞きながら、軽尾あかねは自室のベッドの上に寝転んでため息を吐いた。もう何度目か分からない。
「あー、もうスマホもおしまいかなぁ」
半年前に買ったスマホを見ながらため息を吐き、画面をスライドさせる。そうしてお気に入りのアプリゲームを起動させようとする。が、認証エラーとなり、起動はしなかった。何度やっても駄目で、スマホを再起動しても変わらない。
「あー、ついにこのアプリゲームも死んだか。これで私のやっていたアプリゲームは全てお亡くなりになりましたとさ。少ないお小遣いと、毎日のログインボーナスでキャラを鍛えてんだけだなぁ」
アンインストールして、再度インストールをしても直らないのは知っていたので、ポイとスマホをベッドの上に投げ捨てる。もうSNSも使えない。それどころか、本来の電話としての役割も放棄してしまったスマホをジト目で睨む。
「君には半年分のお小遣いと、将来の出世払いがかかってたのだよ、ん〜? それなのにこんな簡単に使えなくなっていいのかい? もう少し頑張ってよ」
もちろんスマホは謝ることなく、沈黙を保っている。我ながら馬鹿げたことをしてると思いつつも、悔しいのでスマホをつつく。故障ではないので、メーカーに修理依頼をしても直らないことは知っていた。が、それでもやりきれない思いが大きいのだ。なにせ、高校生には痛い出費だったのだから。
「はぁ………こんなことになるなんてな〜。半年前の私に最新のスマホは買わないようにって、タイムリープして忠告したいよ」
ゴロンと寝っ転がり、天井を見ながら、半年前の事を思い出す。あの可愛らしい不思議な男の子を思い浮かべながら。
━━━半年前。モンスターハザードであかねたちが避難した当時。まーくんに助けてもらった時。日本軍の銃弾にも耐えた化け物が一人の少年に倒された時にそれは起こった。
倒れた魔物が内部から燃え上がるように、鮮烈な閃光を放ち、神々しい光の柱が建物を貫いて天まで伸びていった。
あかねたちにはわからなかったが、その光の柱は遠く離れた場所からも見えたらしい。
そうして、なにが起きたのかと混乱するあかねたちの脳内に、ひれ伏さないといけないような偉大なる声が響いてきた。
『遂に人間が悪魔を倒しました。その聖なる行いは奇跡を呼び、我らをこの世に戻しました。神の子らよ、汝らに祝福を。これより始まる悪魔との戦争に、汝らが勝利しますように━━━』
そして、脳内に響く言葉は世界全ての人間に届いたらしい。まだ異変後、たいした影響がないからわかったことだが、老人も子供も等しく聞こえたとか。
そうして手に入ったのは、魔物と戦う能力。聖なる力を得た素晴らしい奇跡。………かなぁ?
「『オーラフィスト』」
手を目の前に翳して、ぽそりと呟く。そうすると身体がぞわりと冷たくなり、なにかが抜けたような感じと共に、銀箔を散りばめたような光のオーラが私の腕を包む。
手品とかトリックではない。本物の力だ。魔物を倒すべく神様がくれたと人々が言う聖なる力。手を振っても消えないし、思念で剣の形に伸ばすこともできる。
「たしかに強いけど、たしかに強いけども……これって良いものなのかな?」
見ただけで聖なる能力だとは思う。本能がそう囁くのだ。悪いものではない。魔物を倒せる超常の力で、薄い鉄板くらいなら、簡単に貫ける。それでも疑問は残る。
「でも、半数の魔物は銃弾で倒せるんだよね………。アンデッド系には必須の力だけど、その代償が大きいような………」
言わばそれだけの能力。アンデッド系はほとんど出ないし、私の能力くらいなら無用とも言える。なにせ神様が置いたのか、捨てたのかは分からないが、聖なる柱と呼ばれる石に触った結果、私の能力はDランク。これは、鍛えても使い方が上手くなるだけで、威力も変わらないし、保有している総量も増えないので、固定された力なのだが………。
「異世界小説のファンでしょ、このランクを決めた人」
Sが最高、後はAからEランクまで続くのだが、政府が決めたんだよね。即ち、私の力は大したことはない。せいぜいスケルトンを倒せるくらいだ。
思わずため息を吐いて、使えなくなったスマホをもう一度見る。この能力、人々に奇跡と力を与えてくれたけど、代償も酷い。いや、聖なる力のせいとは限らないんだけど。
「ご飯よ、あかね〜。降りてらっしゃーい」
「は~い。すぐ行く〜」
もう夕飯かと、お母さんの声を聞いて起き上がると、リビングルームに向かう。お母さんは昨今では珍しい専業主婦だ。今や共働きが当たり前の時代、お父さんが結構な地位にいて稼いでいるので働いていない。のんびりとした性格で、私から見ても美人だし、いかにも専業主婦という感じたけど、元は教師で結構厳しいことを娘の私は知っている。
「今日のごはん、なぁに?」
「ハンバーグよ。最近はなにもかも高くなって困っちゃうわ」
「色々めちゃくちゃになったんもんね。お、テレビ見える」
リモコンを操作すると、珍しくテレビが見れて、少し驚いてしまう。時折ノイズが走って見づらいが、見れないよりはマシだ。
「なにか新しい技術を作ったらしいわよ。テレビのチャンネルが変わってもすぐに使えるようにするって、テレビが言ってたわ」
「へぇ〜、それならスマホも使えるようになるかな?」
なにせ最新型のスマホなのだ。期待をしないのは嘘というものだよね。お、とってもおいしそうなハンバーグ。
「そうねぇ、個人の通信は無理らしいわよ。もう電波や電子は使えないだろうって」
椅子に座る私にご飯をよそってくれながらお母さんが言う。むむむ、やはりそっか。期待はしてなかったけど、改めて言われると落ちこむよ。
半年前のモンスターハザードは、人類の選ばれた少数は聖なる力を使えるようになったけど、魔物たちも異能力を使うようになった。銃弾を防ぐ障壁や、傷を癒やす術。炎や氷を生み出して、土地自体も冷めない溶岩地帯に、永遠に雪が振り続ける地域などが出現した。
だが、その程度、いや、その程度と言ったら死傷者は出てるし、土地を放棄しないといけないから、そんな事を言ってはいけないんだけど、世界全体では多少の被害ですんだのだ。軍隊は強いし、聖なる力を使えるようになった冒険者たちの協力もあって、ディストピアのような悲惨な世界にはならなかった。小説とかアニメとは違って。
人類に未曾有の災害を起こしたのは、物理法則が、中でも電波や電子の法則が変わったことだった。
今まではコンロの火のように、完全に制御してたのに、焚き火の炎のように時折ぱちりと弾けるようになったのだ。ウイルスではない。法則が変わってしまった。
その結果、どうなったかというと、少しだけプログラムが何の兆しもなく狂うようになった。連絡を取ろうにも電話番号に繋がらない。ネットを見ようとしても、目的のサイトとは全然別のサイトになる。銀行の口座はバックアップも含めて、その金額がめちゃくちゃとなった。
人類の脅威は物理的な魔物ではなく、物理法則のほんの少しの変容だったのだ。キャッシュレスを勧めていた国ほど悲惨なことになった。数兆ドルを持っていた資産家は、口座にそれだけの金額が入っていたことを証明できなくなり、貧乏な人の口座が世界一の金額となる。もちろんクレジットカードは使えなくなり、政府の勧めていたアイカードも本人確認が不可能となった。
銀行は取り付け騒ぎが起こり、そのために日本はまだ無事だったが、隣の国などは反乱も起きて、数カ国に分裂してしまった。連絡が取れないということは致命的であったのだ。魔物そっちのけで、戦争をしている国もあるらしい。
今や信じられるのは手元にある現金のみ。銀行は昔よろしく手書きの帳面と銀行印で口座を作り始めようとしているが成功しているとは言い難い。というかたぶん無理。
「円って、いつまで使えるのかなぁ」
「まだ輸出入には使えているから大丈夫じゃないかしら? 他国も貿易をしないと、生きていけない国がたくさんあるそうだし。自国の軍隊が強かったことに感謝するしかないわ。通貨の価値は今や昔のように国の強さが保証しているのだし」
「こういう世界になったらさぁ、サバイバルみたいになって、多くの人々が亡くなって、僅かな人類が壁を作ってその中で暮らすとか、想像してたけど、たくさんの人が生き残ってる場合も大変だよね」
ぱくりとハンバーグを一口頬張る。無事にハンバーグを食べれることを感謝しないといけないのだ。お母さんのハンバーグはさすが美味しい!
フィクションの世界は数万人が生き残って、滅んだスーパーや倉庫から食べ物を回収して、吸血鬼やゾンビなどから逃れて細々と暮らしている。60億人以上が生き残って、魔物の脅威と戦いつつ暮らす世界など想像もしていなかっただろう。
「世界が滅亡するよりはマシでしょう? ゾンビやスケルトンがでたら倒してよ、あかね? あれ、元は人間じゃないわよね?」
「うん、お偉い科学者が言うには、魔物は何らかのエネルギー体で、肉を持った存在に変わっただけなんだって。たしかに知り合いにゾンビになったとか聞かないし、噛まれてもゾンビに感染しないしね」
「それだけは救いよねぇ。魔物が生命体と考えたら、戦う人は少なくなると思うわ」
「そうかなぁ。税金は高くなるし、失業者は増えるしで、報酬の良い冒険者になる人はたくさんいるよ」
「税金を支払っているかのような発言をするなんて生意気さんね、あかね」
「えへ、この間テレビでコメンテーターが言ってたんだ。あ、兄さんだ」
クスクスと笑うお母さんに舌をペロリとだしておどける中で、テレビに見慣れた人が出ているのに気づいちゃった。兄さんだ。
『本日は聖炎使いとして有名なSランクの軽尾馬治さんにご出演していただきました』
『いやぁ、よろしくお願いするでござる』
最近流行りの有名な冒険者を出演させる番組だ。あの奇跡の時に兄さんはSランクとなった。それ以来、各地で英雄として活躍しているのだが━━━。
『馬治さんは初めて魔物を倒した英雄とか? そんな噂が流れていますが本当ですか? 本当ならば神の奇跡は貴方の活躍で降臨したと言うことになりますが』
やけに顔の良い頭の空っぽそうな女性が、媚びた笑顔で話を向けると、以前と違いブランド物のスーツに身を固めている兄さんは、ハッハと笑う。長年妹をしてきた私にはわかる。あれは調子に乗っている。
『えぇ、当時は聖なる力など使えなかったでござるからね。トロールを相手に、勇気を振り絞って、ボンベを使った火炎放射で戦ったんです』
『それは凄いですね! 魔法を使う魔物は今でも強敵です。それなのに徒手空拳で知恵を使って戦ったんですか』
『えぇ、その戦いを神はご覧になったのでしょう。拙者は人類の守護者としてSランクの力を手に入れたでござるよ』
『素晴らしいです! そんな奇跡の人を慕って今やファンクラブもできていますよね。いつもファンに囲まれて大変なのでは?』
『いやぁ、拙者を応援してくれる人たちでござるから、感謝しかないで━━━』
聞いてられないので、番組を変える。
「上手い具合に自分が倒したって言ってないところが狡猾だよね~。本当はまーくんが倒したのにさ」
「でも、あの子も大忙しよ。魔物を倒して人々を守っているのだから、それくらいは許してあげなさい」
たしかに兄さんはSランク冒険者として活躍している。この間もビルを砕き、家屋を更地にする恐ろしい魔物、Sランクのギガゴーレムを倒したのだ。まぁ、兄さんの他にSランクが二人、Aランクが50人くらい参加して、多数の死傷者を出したらしいけど。その点は尊敬する。たとえ法外な報酬をもらっても命を賭けてるのだから。
「ん〜、でもさ、兄さんがSランクなのって、あの時の戦闘が関連しているのは間違いないと思うの。だとすると、どういう基準? まーくんはどこに行ったのかな? まるでまーくんがいなかったかのような基準で力を与えてない?」
兄さんだけではない。当時トロールキングと戦っていた美原少佐たちもAランクだ。だから、兄さんの言う通りだとは思うのだが、違和感がついて回るのである。
「そうねぇ、マセットちゃんは天使で、人々を試していたのかもしれないわよ?」
「あの子は見た目天使だけど、がめついから違うと思う。あーあ、もう一度会えないかなぁ」
もうハンバーグがなくなっちゃった。兄さんは今日も豪遊してるだろうから、残りのハンバーグを食べてあげよう。
「また会えるとは思うわ」
「なんで?」
そっと兄さんのお皿を取ろうと、手を伸ばしてピタリと止める。やけに断言的なお母さんの顔をまじまじと見ると、当たり前でしょとお皿を取り返された。
「お父さんが支払う報酬を取りに来てないじゃない」
「あ~、あ~………たしかに。あの子は絶対に忘れなさそう」
納得の言葉だ。
「とすると、もう一度会えるかなぁ……今度会ったら連絡先を聞かないとなぁ」
ため息を吐いて、私はそろりとお父さんの分のハンバーグに手を伸ばすのだった。