16話 哀れなるトロールキングと僕
━━━時間は美原さんを助けた時に戻る。
美原さんを手持ちのポーション枝で癒し終わり、僕は炎華を構えてトロールキングと対峙する。巨漢の魔物に対する僕はあまりにも小さく弱々しく、周りが僕を見てざわめく。
「き、君はいったい………」
瀕死から回復した美原さんが信じられないような顔で見てくる。ぼろぼろの身体が治ったのが不思議な模様。まぁ、良いポーション枝を使用したから無理もない。
「閣下、僕は幸い炎を生み出す魔法の剣を持っております。なので、ここはお任せを! ハンターマセットはトロールキングを倒した経験がありますので!」
きりりと凛々しい表情でニカッと微笑む。残念ながら凛々しいというよりは可愛らしいという笑顔に周りには映っていたけど。
『さぁ目覚めよ、炎華。遊びの時間だ』
炎華に魔力を込めると、剣から炎が巻き起こり剣身を覆う。炎の熱は美原さんたちも熱いと感じる熱量だけど、使用者の僕には魔法の炎は一切熱を与えない。
「マ、マホウ、マホウ、ホノオーッ!」
自分の脅威となると本能が悟ったトロールキングが片言を呟きながら、ドスドスと走り、棍棒を振り上げてくる。迫力満点の一撃は空気を圧して、突風へと変えて襲い来る。
「おっと、僕も身体強化で迎え撃ちますよ! 皆さんは下がっていてください!」
ぼーっと喰らうわけには行かない。僕はニヒルに嗤うと、『力ある言葉』を紡ぎ、魔法を使う。
『おぉ、怠惰の大天使ベルフェゴールよ。素早く仕事を終えて怠惰に過ごすため、我に強き肉体を与え給え』
神に仕える6天使の一人『怠惰のベルフェゴール』様は身体強化を司る。怠惰に暮らすために、さっさと仕事を済ませたい。そのために身体能力を強化させるのだ。
トロールキングはたしかに強い。タフネスで怪力。しかも再生能力も高いので、普通のハンターならば、逃げの一手だ。しかも普通のトロールキングよりも強い『ネームド』ときた。
でも、この『ネームド』は生まれたてだ。もう少し階位を上げられたら、手強い相手となっていたが、今ならいくらでもやりようがある。
「ヒュッ」
鋭く呼気を吐き、トロールキングへと駆ける。まるで獲物を狙う狼のように前傾姿勢となり間合いを詰める。
強化された足はまるで筋肉が張ったかのようにガッチリとした力強さを感じさせて、体内からはマグマのように熱き血潮が駆け巡っていく。駆けるぼくへとトロールキングはぎょろりと目玉を動かすと、口からよだれを垂らして、こちらへと体を向けると牙を剥き笑い始める。
なぜ目の前の兵士たちを無視して、トロールキングが僕を見てきたのかは簡単だ。その視線は僕ではなく、隣を走るウサギに向いていたからだ。
「ウマソ、ウマソ、ハラヘタ」
食欲に負けたのだ。魔力で作られた弱そうなもふもふウサギはごちそうに見えるのだ。既に人間としての自我はなく、本能のみで動くトロールキングは捕まえようと腕を広げて襲いかかってくる。
「うさっ、ほいっと、きゅー!」
だが囮となることなど、ロロはこれまでの兎生で慣れている。つかまれれば一口で食べられる状況にて、恐怖するどころか、呑気に掛け声をあげて、自分よりも大きな手のひらから逃れる。突風で毛皮がぺたんこに靡き、空を切った手のひらが床を叩いて、大きく揺れても、弱き草食動物の逃亡能力をフルに見せて、ぴょんぴょんと飛び跳ねて、躱していく。
「単細胞になり、複数の事柄を覚えられないのが、君の大きな弱点だよ」
苛立ちを見せて、夢中になってロロを追う愚かなトロールキングへと僕は含み笑いをしつつ、腕を撓らせて炎華を振るう。力の乗った一撃がトロールキングの伸び切った腕に命中する。抵抗などはほとんどなく、すっぱりと腕に深く傷が生まれて、鮮血が舞うのだった。
◇
トロールキングは強力な再生能力を自負していた。兵士たちの自動小銃は極めて強力であり、たとえ大人が見上げる程の巨漢であっても、蜂の巣とされて肉塊に変えられる。なのに、その自動小銃から放たれる豪雨のような銃弾を受けても、今の自分はまるで効かなかったのだ。
尾根の意識はトロールキングの本能に支配され始めて、殆ど論理立てた思考は不可能となっていたが、それでも頭の片隅でそのことを理解していた。
だからこそ、腕を斬られようと気にせずにご馳走を食べようとするが━━━。
「グッグギャァァ、アヅイ、イダイッ、ナゼナゼー!」
激痛が腕に奔り、悲鳴をあげてのけぞってしまう。無敵のはずの自分の腕。なにが起こったのかと見ると、斬られた傷が沸騰しており、血管を通って炎が流れ込んでいた。本能が囁く。あれは魔力の込められた炎だと。消さなければ危険だと。
「ヌヌゥゥゥ」
慌てて腕に魔力を集めて、流れ込む魔力の炎を打ち消す。さほど強くはないようで魔力の炎は鎮火するが、すでに焼かれた部分は炭化しており、再生する様子はない。
「ナ、ナ、オデノ、オデノウデェェ」
信じられない姿に絶叫する。すぐに治る、治るはずだと考えても治る様子はない。
「欠片のように人の意識が残っているから、悲鳴をあげて、怖気づく。本来のトロールキングなら怒りに任せて攻撃してくるのに」
ちっぽけな少女が、冷めた目で淡々と呟きながら、トロールキングの隙を逃さずに連撃を入れてくる。怯んで後ずさるトロールキングは回避などできるわけもなく、防ぐことも不可能で、切り傷が次々と増えていき、その度に炎が毒のように体内に入ろうとしてくる。
(と、止めなくては、トメナクテハ、な、なんで、ナンデ、神様は無敵の体と言ってたのに! 親父に、殴られても、痛みなんか感じない体ナノニ)
半狂乱となって、棍棒を振り回す。トロールキングの本能が痛みにより怯むよりも、傷つけられた怒りにより、少女を殺せと身体を無理やり動かしていた。
一撃だ。たった一撃当たれば、命中すれば、あのちっぽけな人間などミンチにできるはずなのに。横薙ぎに振ると、飛翔して背面跳びで躱される。むなしくコンクリート壁を打ち壊し、瓦礫が勢いよく散らばっていくだけだ。
振り下ろすと、素早くステップを踏んで、まるでうさぎのように脱して、その場を離れてしまう。しかも離れる際に軽く一撃を入れてくる始末だ。
深い傷は負わないが、それでも傷は増えていき、炭化した黒焦げの肉体が増えていく。戦況は徐々に少女へと傾いていた。
流れてゆく血と共に魔力がどんどん流れていき、自身の死を冷たく自覚し始めて、恐怖で顔を歪める。
「オォぉ、しにたぐない、じにたくない!」
咆哮しながら、トロールキングは壁や柱を狂ったように砕き、床を大きく陥没させていく。
そこで気づく。砕いた瓦礫はトロールキングの魔力に数秒包まれて、弾かれて飛んでいく際に、少女を傷つけていくことに。見ると瓦礫により額から血を流している。
いかに素早く逃げても、瓦礫の散弾は躱せない。本来のトロールキングには存在しない知性による気づきに、にやりと嗤う。
命中させることはない。ただ床を叩き、瓦礫を散弾のように放てば良いのだ。
(コイツサエ、こいつさえ殺せば、オデノ自由、うるさく言うやつイナイ)
自由の未来を考えて、トロールキングは立ち止まると、斬り掛かってくる少女を無視して力を溜め始める。本能で魔力の糸を地面に展開し始めていく。それは神技の事前準備。魔力の糸が展開し終えれば、後はその糸に身体を乗せるだけ。それだけで、今の自分の怪力を数倍に膨れ上げ、少女を倒す一撃を放てるのだ。
(これだけの力があれば親父も殴ってこない。成績が悪いとか、議員の立場を考えればとか、いつも殴ってきやがって。でも、この力サエアレバ!)
トロールキングは、いや、元尾根は嗤いながら、棍棒を振りかぶった。その棍棒には人間の血がベッタリとついていたが気にすることなく。
◇
僕は地面に大きく魔力の糸が展開し始めたのを苦々しく見ていた。
「親分、トロールキングがなにかやろうとしているうさよ!」
攻撃範囲が魔力の糸により表示されて、ロロが慌ててぴょんぴょんと飛び跳ねる。フリフリと尻尾を振って、トロールキングを挑発するが、残念ながら一瞥すらされずに振られていた。
「えぇ、きっと瓦礫による怪我に気づいたんです」
額から流れる血を拭い、舌打ちする。ネームドの知性が僕を倒すヒントを得てしまったのだ。額に瓦礫を受けたのは失敗だった。
何を使うかは予想できている。『地裂撃』だ。地震を引き起こし、周囲を衝撃波で吹き飛ばす。その際に多くの瓦礫を飛ばすことだろう。
喰らえば最後、僕は死ぬ。対抗する手段は一つしかない。
敵の神技の軌道を予測して、僕も魔力の糸を展開する。全力全開の魔力の放出だ。後を考えることのない一撃にかけることにしたのだ。
空中で交差させて、数秒で展開を終えると、深く息を吐き、もう一本のショートソード氷華を引き抜くと二刀となり身構える。緊張から手が震えて、呼吸が荒くなるが、頭の片隅に緊張と命を失う恐怖を置いて、冷静さを取り戻す。
(チャンスは一瞬。高レベルのショートソード炎華と氷華ならいけるはず!)
「親分、フレーフレー!」
長年の付き合いから、僕が何をするのか理解して、ロロが小さくお手々を振って応援してくれる。その可愛らしい姿に気が抜けて、思わず笑みが漏れる。長年のパートナーに感謝を。いい具合に力が抜けたよ。
「ウオォォォ」
『地裂撃』
トロールキングが棍棒を振り下ろす。魔力の糸に乗った一撃は魔法の一撃。その威力は数倍となり、岩山でも落下してくるように落ちてくる。
「はぁぁぁ!」
『氷炎十字斬り』
対峙した僕も二刀を魔力の糸に乗せて放つ。炎と氷が吹き出して剣の形へと変えると、展開した空間を切り裂く。
ビッタリ、棍棒が振り下ろされた場所へと。
ピシリとガラスに亀裂が入るような澄んだ音がすると、分断された棍棒が僕の横を通り過ぎてゆく。ガコンと大きな音を立てて、残骸が転がり━━━。
「ア。アデ、オデノカラダ」
十字に切られたトロールキングがその肉体から炎を吹き出して、黒焦げとなっていく。巨漢の魔物は膝をつくと、4つに分かたれて、その命を終えるのだった。
「どうやらあなたでは僕の相手にはならなかったようですね」
「お、俺は、もっと自由に暮らしたかっただけなのに………ナンデコンナコトニ」
全ての魔力を失って、意識が薄れる中で、呟くように最後の言葉が聞こえた。その哀れなるセリフに哀しみと共に祈る。
「自由とは全ての責任を自分が負うことなんです。貴方はあまりにも考えなしに職種を選択してしまった。来世では良き人生が待つことをお祈りします」
灰へと変わり、討伐の証たる魔石が姿を垣間見えて━━━。カッと眩い閃光が放たれる。
僕は、いや、この場の全てが閃光に包まれた。
「なんだ? まだ神様に奉納してないのに!?」
なにもしていないのに、突如として予想外の光が放たれて、僕は目をつむりながらどうにか状況を確認しようとして
『じ、………の、住………ここ………いては………よそう………追放を………』
どこからか、誰かの声が途切れ途切れに聞こえてきて、僕は光の中で意識を失うのだった。