1話 僕は気弱なお人好し
かび臭く窓一つない重厚な石造りの通路。空中に魔法の光球がいくつも浮かび、闇を押しのける中で、光に照らされて数十人もの人たちが、異形なる生命体、モンスターと呼ばれるものと激しい戦いを繰り広げていた。
馬車が10台横並びしても余裕のある通路内にて人間に襲いかかるモンスターは丸太のような槍を持ち、人を遥かに上回る大きさの二本足で立つトカゲや、空に浮きながら、怪光線を撃つ触手を生やした目玉とかだ。
対する人間は鉄の塊のごとき重装鎧を着込み、人をすっぽりと覆い隠せる大きな盾を持った者や、胸当てぐらいで軽装な装いで槍を振るう者、全身鎧で炎や氷を大剣に纏わせて戦うもの、杖を持ち炎や氷を打ち出すローブ姿の者や清らかなる純白の服を着て懸命に祈りを捧げ、傷つく者を癒やす者たち。
総勢36人の集団で、役割別に6人ずつに分かれた集団はそれぞれ同じ服装をしている。戦士たちの先頭に立つ隊長は豪華な意匠や変わった装飾を付けているが基本装備は変わらない。彼らを見れば、軍支給の装備であり、何処かの軍属の兵士たちだと誰もがわかるだろう。
その推測は当たっており、彼等は帝国の軍隊だ。重装騎士、軽騎士、魔法騎士、魔法使い、僧侶、工兵からなる兵士たちである。
その中でただ一人。浮いている者がいた。古ぼけた革のコート。装飾どころか色も染めていない実用性オンリーの茶色の上着に頑丈さだけが取り柄のズボンを履いて、大きなリュックサックを担いで、汗だくになって、危険なる戦場を駆ける中年の男がいた。背丈は180センチ程度で、その身体は鍛えられており、ベテランの風格を持っている。
即ち、僕のことだ。軍隊の中で唯一ハンターギルドから出向している男である。僕の名前はマセット。そろそろロートルの中でも古株と呼ばれ始めている。
神に感謝の祈りを。
僕は心を込めて、最愛の神へと祈りながら忙しく動いていた。祈りながらと表現すると、適当に思えるかもしれないがいつものことなので問題はない。常に全力で、仕事をしつつ、神に祈ってるのが普通だからだ。
なので、周りを見て自身の行動を考えて、常に効率的に動いていた。まぁ、主観が自分だから、本当に効率的に動いているのかは不明だけど、少なくとも手は抜いていない。
今回の仕事は実入りが良い。神に祈りを捧げているのも、この仕事を受けられたことによる喜びを捧げるためでもある。
怒号と金属が激しく叩く音、爆発音が響き渡り、炎や氷が飛び交い、血の臭いや刺激臭が鼻をつく仕事を良い仕事と表現するかは、人によるだろうけど、僕にとっては良い仕事なのだ。
「ぐぁぁっ、皮膚が皮膚が!」
前方で戦う騎士の一人が二本足で立つトカゲ男、モンスターの中でも討伐レベルが高難易度と言われるキングリザードマンの焼けつく息を受けて苦しみ呻く。いかに金属鎧でも焼け付く息は防げないため、皮膚が爛れて煙をあげていた。その声を聞いてすぐに僕はコートにいくつも仕込んだ小さなポケットから小さな小枝を取り出すと投擲する。
「火傷治しのポーション枝です!」
見事金属兜に命中した小枝が砕け、魔法の効果を発揮する。砕けた小枝の残骸が優しい光の粒子となり、焼けただれた皮膚を瞬時に元へと戻し、火傷など最初からなかったかのように癒やす。一瞬で治し、それどころか、他の怪我も癒やす最高レベルのポーション枝だ。
「魔力が尽きそうだ。魔法を控えるか?」
「必要ありません。魔力ポーション枝はまだまだ残ってます!」
「助かる!」
節くれだった杖を持ったローブ姿の青年が息切れをして辛そうに苦々しく叫ぶのを聞いて、新たな小枝を投擲する。小枝はさっきと同じ様に、砂のようにサラサラと崩れると、青年の体に吸収されて、その青白い顔に赤みが戻り、魔力を回復させた。
青年が魔法を唱え始めるのを横目に、僕は数枚のカードを取り出すと、宙に放り投げる。舞い上がったカードがひらひらと舞う中で、僕達全体を包み込む紫色の不気味な雲が発生するが、カードが太陽のように光ると、その光により雲を散らしていった。
「イイィィィ」
その様子を見て、モンスターの中でも最後方にいた他の目玉よりも一際大きい目玉がパカリと割れて口を露わにしながら、ガラスを引っ掻くような悔しげな唸り声をあげて、生やした触手を悔しそうに揺らしていた。僕たちを一網打尽にするべく、先ほどから長々と詠唱をしていたのに気づいてたんだ。唱えている詠唱からどんな魔法を使うつもりなのかも推測済みで、対抗手段を用意しておいたんだ、残念だったね。
モンスターたちは魔法により一気に僕たちを倒すつもりだったのだろう。目玉のモンスターが魔法を使う瞬間に切り結ぶのを強引に止めて後ろに下がっていた。まさか魔法が不発に終わるとは考えていなかったらしく動きが鈍い。
そして、その隙は致命的だった。敵が僕たちを一網打尽にするべく力を溜めていたのと同様、僕らのリーダーも一人後ろに下がり、力を溜めていたのだ。
「皆、どいてくれ! 神技にて一気に片をつける!」
バチバチと放電し、その剣身を白熱させた大剣を掲げてリーダーが叫ぶ。その叫びを聞いて、打ち合っていた人たちが素早く射線上から離れると、リーダーが大剣を振るう。振るわれた剣撃から轟雷は扇状に放たれて、後方に集まってしまったモンスターたちを高熱の光の中に呑み込んで、全てを焼き尽くすのだった。
作戦はドンピシャで、難易度の高いモンスターたちは焼け焦げた死骸となり、煙を漂わせてピクリとも動かない。その様子を見て、周りの人たちは動くことがないと確信すると喝采をあげるのだった。
うんうん、高レベルのモンスターたちを簡単に倒せるとは、さすがはリーダーだ。そして、軍だと最高レベルの魔導具や魔法薬を惜しげもなく使えるから、素晴らしい職場だね。
「さすがは皇子殿下。今のタイミングは完全でした」
「これほどのモンスターたちを被害も出せずに倒せるのは皇子のお陰です!」
「そのとおりです。もはや皇子の英雄譚は尽きることはありませんな」
やんややんやと皆が褒めるリーダー。金髪碧眼で見目麗しく、端正な顔つきの青年は柔らかな笑みで、手を振って恥ずかしそうにする。その謙虚な姿にほとんどの者たちは信頼すべきリーダーだと、ますます褒め堪える。
だが、彼は謙虚にも小さな笑みを浮かべてかぶりをふると僕を見てくる。
「いや、今のはマセットさんの支援があってこそだ。バックベアードの魔法を打ち破れなければ、戦況はまったく違ったものになっただろうからね。ありがとうマセットさん」
「いえ、僕は自分の仕事をしただけです。皇子のお力がなければ、モンスターたちをこんなに簡単には倒せませんでした。さすがは英雄皇子と僕たちが尊敬する方です。光栄にも一緒に戦う機会がありまして、僕は常に感動を覚えております」
「そう言われると照れるね。マセットさんの武勇伝には負けると思ってるんだけどね」
カリカリとこめかみをかいて照れ笑いするその姿は皇子とは思えないくらい気安さを感じさせるものだ。部下に好かれる理由も分かるよ、僕みたいな平民の冒険者にも礼を失さない貴族、それも皇子なんか見たことも聞いたこともない。
彼こそは、この世界の強国の一つ、リンボ帝国の第二皇子であるジュデッカ皇子だ。本当はもっと長い名前なんだけど、どうせこの仕事が終わったら会うこともないから覚えなくてもいいと思っています。
重装騎士隊長たちもそうだ。僕以外は貴族なので名前は覚えるつもりはない。下手に覚えていてると、後々厄介なパターンになることもあるからだ。大体貴族は僕の名前を覚えてると、厄介な仕事を頼み込む場合が多いし、まるで部下のように扱おうと無茶振りする人が多いからね。僕は気弱でお人好しだから頼まれると断りにくいんだ。
「いえいえ、僕はこの3ヶ月、皇子殿下のお手伝いができているかと、いつも不安に思ってる次第です」
「アハハハ。マセットさんのお陰でこのダンジョンを攻略できているんだから、胸を張ってください。僕たちはたしかに軍でも精強ですが、それは戦場での力。ダンジョンみたいに複雑な迷路や致命的な罠を前には無力です。マセットさんがいなかったら、転移の魔法陣の場所も、セーフゾーンのルールや、モンスターとの効率的な戦闘もできなかったに違いありません。胸を張ってくださいマセットさん」
褒め殺しにも似た皇子のセリフに照れてしまう。そこまで褒められることではあるんだけど、恥ずかしいので口に出さないでほしい。
照れる僕に追撃とばかりに、工兵隊長の青年が僕の肩に手を回してくる。この仕事をしてから、工兵隊長のこの青年は常に親しげにしてくるので困ってしまうが、先輩先輩と尊敬心を見せてくるので、適当にあしらうこともできない。
「そうですよ、マセット先輩がいなかったら、俺らとっくに撤退してますって。もう少し自信を持ってくださいよ」
「本当だ。マセット殿がいなかったらと想像するとゾッとしてしまう」
「本当ですわ。これまでの功労、私たちは忘れておりません」
「そのとおりだ。行き過ぎた謙遜は嫌味になるぞ? もっと堂々としてくれたまえ」
重装騎士隊長や神官女隊長たちも笑いながら褒めてくれるので、ますます照れてしまう。僕の頬を見てほしい。赤くなってると気づいて褒めるのは止めてくれないかなぁ。
「僕もこの仕事につけて良かったです。こんなにも最高級のアイテムばかり使うなんて初めての経験ですからね。僕の活躍のほとんどは軍支給のアイテムの力ですよ」
これは本当のことだ。さすがは第二皇子率いる部隊。コストなんか関係なく最高級のアイテムや薬品ばかり支給された。たった一本のポーション枝でも、平民の半年分の給料の値段がする。それを湯水のごとく使えるのは、もう今後僕の人生ではないだろう。
「それじゃ先輩のようにニートでも、これだけのアイテムがあれば活躍できるって、武勇伝ができますね、先輩!」
笑顔でバンバンと肩を叩きながら、工兵隊長が言うと、騒がしかったのに、シンと静まり返る。ニートの言葉に反応したのだ。工兵隊長は失言をしたことに気づき、あちゃーと顔を顰めるが、別に僕にとってはいつものことだ。
「す、すいません、先輩。えっと悪気はなかったんです」
「本当のことですし、いいですよ。僕がニートでいるのは本当のことですしね。ですが、急に職につこうと考えるかもですよ?」
「勘弁してくださいよ〜。先輩はニートでお願いします。ほんと、コレはまじですから」
「わかってますって」
笑い飛ばすと重苦しかった空気が霧散して、皆がホッとした顔となる。この話題はどこでもNGだからな。特に優しい皇子の顔が少しこわばってるし。くわばらくわばら。
「はぁ~、本当に失言でした。先輩でなかったら、喧嘩になっていたかもです」
安堵して息をつく工兵隊長に、皇子が空気を変えて微笑みを向けてくる。ここで悪い空気を完全に払拭させるつもりなのだろう。
「悪かったね。マセットさん。こいつも悪気があったわけじゃないんだ」
「わかってますよ、彼は良い人ですから。僕も気にしておりません」
「そう言ってもらえると助かる。でも、マセットさんは優しすぎる。僕と使ってるからかな、少し与しやすさも感じるんだろう。マセットさんは立派な人だ。どうだろう、私とか俺に変えてみたらどうだい?」
「僕と言ってから、もう何十年も経ってますから難しいですよ。まぁ、これも仕方ないことです」
『僕』の呼び名は、個人的に気弱でお人好しのイメージを相手に与えると考えている。多少猫背になり、気弱そうな笑みを見せながら丁寧な言葉と礼儀正しい態度を見せると、初見の相手は僕を甘く見るし、多少僕の名前を知っていても、直に見た印象から、僕を侮る輩も多い。
『僕』って、語句は素晴らしい発明だと思う。もちろん僕は印象どおりに気弱でお人好し、神への信仰篤く、清廉潔白で品行方正なお人好しのわけなんだけど。
それよりも、重要なことがあるので、話を変えるべくジュデッカ皇子を見てから、真剣な顔になり、通路の先へと目を向ける。
「皇子殿下、お気遣いありがとうございます。その件は善処致したいと思います。が、僕のような者のことよりも重要なことがございます。埋まってきたダンジョンマップから推測しますと、この通路の奥にダンジョンボスへと続く扉があると思われます」
「それはまことか?」
「はい。ボスが戦えるだけの広さ、このダンジョン全体の配置から考慮しますと十中八九はそうかと」
快活で親しげな顔つきから、一気に真剣な顔となるジュデッカ皇子に、僕も真剣な顔で頷く。
「そうか………そうなのか」
その口元がじわじわと喜びに綻ぶのを見て、僕も釣られて嬉しくなる。これまでの苦労を考えると、嬉しくなるのは当たり前だ。
「諸君、マセットさんの聞いたとおりだ。この3ヶ月の苦労は終わりに近づいた。ダンジョンボスは目の前であり、我らが現在起こっている災害の原因を知ることができる日が近づいてきた! 急ぎ、先に進むぞ!」
「おぉっ! ジュデッカ皇子のために!」
「我らが帝国のために!」
「帝国の未来に幸あれ!」
皆が一斉に歓声をあげて、猛々しい咆哮が合唱し、通路に響き渡る。そうして、足早に進むと━━━黄金の大扉がすぐに目に入ってきた。まるで生きているかのような精緻な意匠が彫られている大扉の前で立ち止まると、皆は息を呑む。僕も緊張して、喉を鳴らす。
これが最奥。世界にあるダンジョンの中でも最難関と呼ばれる『謙譲のダンジョン』の終点。
僕達の3ヶ月にも渡る長い旅も終わりを告げようとしていた。