一生読まないだろうけど、教養としては知っておきたいダンテの『神曲』ってどんな内容?
『神曲』 アニソンとかの話じゃないよ。
ダンテ・アリギエーリ(1265 - 1321)は、フィレンツェ出身の政治家、詩人。
(画像生成AIで作成。実物にはヒゲがない肖像画しかないのだが…)
・『神曲』は、トスカーナ方言で著された三行韻詩
・『地獄篇』『煉獄篇』『天国篇』の3部構成
・各篇は33歌から成り、『地獄篇』のみ導入部を加えて34歌の全100歌
―― そう、『神曲』は連続性を持った詩で物語を紡いでいく、イタリア文学の最高傑作とも称される長編「叙事詩」なのである。
三行韻詩とは、三行を1セットとする詩の形式。
原題は『La Divina Commedia』、直訳すると『神聖喜劇』となる。
第一曲を見る限り、この三行韻詩を46セット連ねて完成させている。これを百曲もやるのだから、なかなかな分量だ。
すでにパブリックドメインとなっている翻訳版は「青空文庫」で目にすることが出来るのだが、地獄篇の冒頭から正に地獄……100年以上前の翻訳家による日本で最初の翻訳版が掲載されている。そのため、地獄の文体で地獄のような読みづらさを現代人である我々に与える。秒殺そっ閉じ確定になること請け合いな翻訳版だ。
――なので今回はその内容だけをさらっと紹介。
主人公はダンテ本人。「一人称」で語られる。
西暦1300年の聖週間、なぜか暗い森に迷い込む35歳のダンテ。そこで古代ローマの詩人ウェルギリウスと出遭う。ウェルギリウスは紀元前の実在人物でラテン文学の最重要人物のひとりとされる詩人。あこがれのウェルギリウスに誘われ、森の最奥にある地獄の門へ。
キリスト教的世界観で描かれる作品なので、異教徒は全員天国には行けないという設定。ウェルギリウスも地獄の住人扱いである。だが理性の象徴として描かれるウェルギリウスは、地獄篇と煉獄篇でダンテの道先案内人を務める。ただキリスト教への信仰心はないので、天国篇ではその役割をベアトリーチェが担う。
ベアトリーチェも実在の人物でダンテの初恋の相手。若くして亡くなり、天国の住人となっていた彼女がウェルギリウスに依頼し、ダンテを案内させていた。
『地獄篇』
・地獄は漏斗状の大穴として描かれ、地球の中心にまで達する
・第一圏から第九圏までの9つの圏で構成
・各圏では、生前の罪の重さに応じて様々な罰を受ける魂たちが描かれる
・ダンテとウェルギリウスは各層を巡りながら、歴史上の人物や神話上の人物、時には最近亡くなった人々とも出会う
・地獄の最下層には、最も重い罪とされる「裏切り」の罪人たちが永遠の氷漬けにされている
・最深部には、神に反逆した堕天使ルチフェロ(サタン)が幽閉されており、裏切り者たちを噛み砕いていた
・最後にダンテとウェルギリウスは地球の反対側にまで出て、「煉獄山の麓」へとたどり着く
――「地球の反対側」という表現が出てくるが、これは対蹠人(我々とは裏返った逆さまな世界の住人たち)という概念に関連する。当時の知識人の間では、地球は球体であるという考え方もすでに存在したが、この頃はまだ天動説の時代である。
登場人物は、異教の神話の神や悪魔、伝説上の人物、古今に実在した偉人や罪人たちというオールスターキャスト。
ゴリゴリのキリスト教的世界観の地獄で出遭う彼らは生前、いったいどのような罪を犯し、何に苦しめられているというのであろうか?
『煉獄篇』
煉獄とは――
・天国と地獄の中間に位置する場所
・天国に入るためにはまだ清めが必要な人々の魂が罪の浄化を受ける場所
・生者の祈りが煉獄にいる霊魂の浄化を助ける
・煉獄は、12世紀頃から浸透し始めた後発の概念
・プロテスタントでは多くの教派が、この概念を否定
きな臭いので調べてみたら、やはりカソリック教会が最初に「免罪符」を発行しだしたあたりで、同時に生まれた概念が「煉獄」のようだ。
免罪符(贖宥状)とは、罪の償いを軽減するために教会が発行した証明書。
煉獄での苦しみを軽減または短縮することを目的とした ―― ビンゴである。
十字軍遠征に伴い、発行されたのが最初とされているので、異教徒への虐殺行為に愛国無罪ならぬ「信者無罪」のお墨付きを与えるのが当初の目的か。
免罪符の「販売価格」は社会的階層によっても異なるが、一般的には熟練労働者の1~10週間分の賃金に相当する金額で取引されていたとされる(富裕層からはもっととる)。神様にワイロを払って天国へのパスポートゲットだぜ!である。
マルティン・ルターが宗教改革で弾劾したのも頷ける悪辣な後付け概念だ。
閑話休題。
『神曲』における煉獄山は「七つの大罪」に呼応する七段に分かれており、天国を目指し、山を登りながら7つの罪を浄化していく場所。その頂上には「地上の楽園」があり、ベアトリーチェがダンテを待ち受けている。先に述べたとおり、後発の概念であるため、聖書には記載のない山だ。
ダンテの宗教観と世界観の核心が述べられる煉獄篇。
罪の浄化のために修行のようなことをさせられている霊魂たちを尻目に登頂。
自己の哲学や価値観を語るエリアなので、地獄篇ほどの引きはない。
―― 中途半端な罪人よりも歴史的な偉人たちが多く現れる地獄篇の方が面白いのは仕方がない。
『天国篇』
・天国も9つの層に分かれて配置されている
・月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星、恒星天、原動天の順
・各天に呼応する聖人や天使たちがお出迎え
・9つの天を超え、最終的には至高天へとたどり着く
・最後は至高の存在である神の光をダンテ自身が体験
ダンテの信仰と思想の集大成とも言えるパート。
抽象的すぎて一般ウケはしなかったが、キリスト教文学の最高峰として高く評価もされているのだとか。
―― 総括。
通常、こういった作品は知識人たちによるものなのでラテン語で記されるのが一般的であったが、この作品はダンテの出身であるトスカーナ地方の方言で書かれている。そのため知識人、教養人以外でもある程度は読め、理解できる読者も増やせたので地獄篇と煉獄篇は一般でも多いにウケた。
ダンテは詩人である以前に政治家でもあったのだが、同時代の政治家たちを地獄、煉獄、天国の3つの次元に配していたりもして、なかなかに香ばしい匂いがする(教皇が地獄にいたりするのもなかなかだ)。
地獄篇は風刺的な意味合いの詩も多く、それが民間に多いにウケた一番の理由なのかもしれない。
キリスト教の世界観を民間に植え付けるのに大いに貢献した作品とも言われているが、正直おもしろそうなのって地獄篇だけじゃね?
――蛇足。
個人的には異教徒が地獄行き扱いであったり、自殺者などが地獄の深い層に追いやられているという世界観は、なかなかに眉をしかめたくなる箇所だ。歴史的偉人や英雄たちの多くが地獄に落とされており、単純に悪という区分けをしているキリスト教的世界観には呆れもする(もちろんその部分に対する考察が作品内ではダンテ自身によって成されているのであろうが)。
神が人間に与えた財産である生命を自殺によって損なった者は地獄行き。
神のお気に入り的性質を持った者しかたどり着けない天国。
不可避的に生命を与えられ、盲目的に天国を目指せと言われ、到底、到達は不可能であることを悟り、自死という選択をするしかなかった者たち。そんな者たちを地獄へと落とす神の愛。
これって親ガチャならぬ、神ガチャの大ハズレを意味するんじゃね。
ハイパーヒエラルキーを構築し、人々を色分け、分断する。そして自分たちは必ず上位へと配置するキリスト教的世界観。ほんと当時の権力者たちに寄り添った宗教だったんだな、とも。
1965年にダンテの生誕700年を祝ってイタリアで発行された500リレ記念銀貨。
発行枚数は500万枚と多い。裏面は天国篇を想起させるデザイン。
ダンテの『神曲』て、読みづらい叙事詩形式ではなく、ノベライズとか誰かしてないのかね。
モチーフにした作品はけっこうあるみたいだけど、変な味付けとかいらんから、原書の内容そのままやつを誰か。