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サイコパス  作者: 高坂栞
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本文はとても長くなっておりますので、ご注意ください

 闇雲透やみぐもとおるの朝は遅い。午前九時。アラームが定められた任務を遂行するため甲高い音で騒ぎ出し、静謐な空気を破壊する。彼は僅かな吐息を漏らし、寝返りを打った。当然、アラームは止まない。

 暫くして再び寝返りを打った彼は、とうとうベッド横の本棚にある置時計の主張に眉をピクリと動かし、舌打ちをした。……うるさい。

 彼は置時計のボタンを押して、アラームを止める。ついでに午前九時三分という時間も確認する。良く眠れた故か、すっかり意識は覚醒してしまった。

「……二限」には、間に合いそうだ。

 彼はベッドから降り、ポストに刺さった新聞を取り出し、ベランダの丸机に投げる。空は快晴だが、肌寒い外気だった。ベランダの扉は開けたままで、湯沸かし器に水を入れ、その間に顔を洗い、寝癖を直し、歯をブラッシングする(歯磨き粉はコーヒーが不味くなってしまうので出掛ける前に使用する)。湯が沸くと、インスタントの粉をお気に入りのカップに入れて、コーヒーを作る。零さないようにベランダに運べば、座り、一口……あつっ。彼は猫舌であった。

 パーカーを着ているため上半身は温かいが、足が特に冷える。そこで彼は室内からヒートパネルを取り出し、延長コードに繫げ起動させる。ベランダの温度計は九度を示していた。

 さて、幾度かコーヒーを啜った彼はチラシを抜いて、新聞に目を通し始める。

 ……政治問題に経済問題。世の中は随分とお忙しいようだ。数ページ進んで地域紙欄、つまり北海道にあたる部分では、自然動物たちによる農業被害について書かれていた。彼は内容を頭に記憶していきながら、すらすらと読み進めていく。

 その間にも、たびたび電車の音が近くから響き渡ってくる。桑園駅傍にあるマンションなのだから仕方のないことなのだが、彼は特段、電車の音を嫌っていなかった。窓を閉めれば、外部の音はほとんど入ってこないし、朝はお陰で目が覚める。それに、電車に乗ってせかせかと出社する大人たちを想像するのは、悪くはなかった。自分はまだ大学生なのだと実感が沸く。

 時計を見る。それは午前九時五十分を示していた。……もうそろ出るか。

 彼は片付けをすぐに終わらせ、大学の登校準備を始めた。黒のジーパンに青色のシャツを身につけて、歯を磨き、アウターを着て姿見でぱっと全身を確認する。百七八センチある身長だが、まだあどけなさの残る顔と短髪が相まって、相貌はまるで高校生に見えてしまう。まあ、顔ばかりは何を言っても仕方がない。成長を待つほかない。

 最後、リュックにパソコンと教材を詰め込み、玄関で靴を選んでいると……「っと、」スマホを忘れるところだった。

 彼はリビングに戻り、ソファーに置かれたスマホを取って、お気に入りのティンバーランドのスニーカーを履き、ようやくと家を出た。大学へは一駅分しかないので、普段は歩いて登校するのだが、盛大な寝坊をかました時は電車に乗って登校するのが、彼の決まりだった。

 そして今日は寝坊をせずに朝の支度を終えられたので、彼は歩いて大学に向かった。大体二十分ほど歩けば、北海道大学は姿を見せ始める。授業まであと十分。間に合いそうだ。彼は構内に侵入して、目的の教室まで向かう。

 入学から大体七か月が経過しようとしている今時期、彼には随分と知り合いも増えたようで、理学部の仲間の姿が彼方で発見される。少し早歩きで、その標的に追いつき筋肉で隆起した肩を叩く。

「よっ。ヒデ、調子はどう?」

 村山英寿むらやまひでとし。同い年(十九歳)、道産子でサークルさえも同じくしている友達だ。ちなみに彼は筋トレ中毒者らしく、透と同じくらいの背丈にも関わらず、もっとずっと英寿の方が大きく見える。

「おっ、透か。調子はええよ。それよか、透。ミステリ研の課題終わらせたか?」

 悩まし気な顔に付属した黒縁眼鏡が透に向いた。透の二重瞼とは違って、奥二重のキリッとした瞳が、彼の真面目さを際立たせている。

「あー、自分で創作するってやつね。ううん、全く」

 というか、聞かれるまでその存在を忘れていた透。

「だよなー。まさか、勉強じゃなくてサークルに苦労させられるとは思いもしなかったぜ」

「ちなみにさ、前回の集会の時、茜先輩は課題について何て言っていたっけ?」

 小原茜こはらあかね、大学三年生のミステリー研究会の先輩だ。今は彼女がサークルの指揮をとっている。

「おいおい、ちゃんと聞いておけよなお前。まったく、メモ書きしたやつ、後で送ってやるよ」

「流石だね、せんきゅ~」

「はいよ……ってか、時間ギリギリになりそうだな」

 透はスマホ画面に映る時刻を確認する。

「あと七分っぽいね」

 周囲に人の姿はちらほらとしか確認されない。加えて、彼らは大学生らしからぬ老いを発現させていることに共通していた。

「まずいな、走るぞっ」

「えぇ~」

「えーじゃねーよ! ただでさえ構内が広いんだから!」

 透は離れていく英寿の背中をできるだけ追っかけ、ギリギリ授業開始前に辿り着くのだった。やはりギリギリの出席というのも、彼のいつも通りなのであった。


 二限、化学の授業が終わると見知った女性が透と英寿の着席している所に接近してきた。品の良い服装に黒光りする長髪。端正な顔の中にあるキュートな唇や、モデル体型のプロポーションから繰り出される一挙手一投足は多くの男性の視線を誘導する。

 橋本玲子はしもとれいこ。獣医学部所属のいわゆる、大学のアイドルだ。実際にモデル業を営んでいるらしいから、アイドルに近しい存在であるのは間違いない。そんな彼女とどうして二人が繋がりを持っているのかというと……。

「こんにちは、二人とも。透はいつも通りだけど、ヒデがギリギリなんて、珍しいこともあるのね」

「まあな。夜遅くまでサークルの課題やってたからよ」

「へぇ~。どう、完成しそうかしら」

「いや、全く。お前はどうなんだ、玲子」

「私? いいえ、私は読専よ」

 と、このように三人は同じサークルに属しているのだった。

 玲子は口元に人差し指を当て、

「でも、ヒデが書くっていうなら、私も書いてみようかしら」

「もしかして、書く書かないは自分の判断に委ねられている感じなの?」

 透は教科書から視線を外し、嬉々としてそう言い放った。

「ええ、そうよ……?」と玲子は透の疑問に、首を傾げて答える。

「おいお前、だからって書かないってことは許さないぞ!」

「えー、なしてさ」

「そりゃあ、新入生代表の書く作品は誰でも読んでみたいだろ」

「それに関しては私も同意だわ」

「いや、テストと小説は別物だろう」と、透は若干うんざりしつつも答える。

 教室は、次の授業の為か徐々に空いていく。唯一残っている者は男子だけで、遠目で玲子のことを眺めていた。

「全く関連性がないとは言い切れないだろう」

「そうね。読書だけじゃ、論理的思考能力を鍛えるのに限界があるもの」

「そうかなぁ。それよりも、次の授業に向かった方がいいんじゃない?」

 透はどうにか話を逸らそうとする。

「まだ大丈夫だろ」

「私は空きコマだから次は午後なのよね」

「はあ……」どうやら無駄だったらしい。

 透は頭をかきながら、考えてみるよ、と答えた。

「本当か!」「それは楽しみね!」

 二人は賛同すると、呆気なく次の話題に転換した。ミステリー研究サークル員一年生の課題とされたミステリー小説にまつわるものだった。北海道大学ミステリー研究会では上級生が毎月、課題の一冊というものを掲げ、一個下の下級生にそのミステリー小説の考察や問題点、あるいは新たな突破口などを文書に纏めて提出しなければならない制度があった。

 透はしばしば相槌を打つだけで、二人の熱狂した言い争いについていけなかった。透は比較的感情的になりにくい人物だった。楽しそうに口を動かし続ける二人とは違い、透は二人の顔には目もくれずに教室を所々見渡した。

 感想会で五分ほど時間の浪費を喰らったところで、透と英寿は授業があるので移動しながらの会話となった。廊下は温度調整が成されておらず、透は体を震わせる前にアウターを着用した。二人はそもそも着込んでいる枚数が違うようで、寒そうにする気配など微塵も感じられない。

 目的の教室につくと、玲子は「じゃあ、友達が待ってるから」と、潔く別れを告げた。

 離れていく彼女の背中を見ながら、英寿が言った。

「そういえばアイツ人気者だったな」

「そうだね。ミステリー研究会に加入しているのが不思議なくらいだ」

 二人には玲子の美貌に惹かれた様子は一切なく、只のミステリー好きの友達として接している為、こうして玲子が大きな輪の中に帰する瞬間に違和感を持たざるを得ないのだった。

「ああ。ただ、それを言うならお前もだ」

 透と英寿は前線にある席を確保する。次の授業は『ロボットは感情を持ち得るのか』という一風変わった議題をもとに行われるもので、透は毎回この授業を楽しみにしていた。

「そりゃまたどうして?」

「あのな、大変勉強できる奴っては勉強しかしないで小説を読む時間なんて普通持ち合わせちゃないだろ」

「そうかなぁ」

「ああ。お前は特別なんだろうよ。ちょっとばかし焼けるぜ」

「うーん」

「微妙な反応だな」

 授業まであと三分。教授があくせくと配線をパソコンに繫げていた。

「俺には恵まれているなんて実感がないからね」

 すると英寿は大きな声を出して笑い始めた。……いったい、何が面白いのだろうか。

「これだからお前は面白いんだな! 頭脳明晰でバカ高い賃貸の駅近マンションに住みながら、アウディRS Q8 を乗り回している奴が恵まれている実感がないとはね」

「そう言われると確かに俺は両親に恵まれているね」

「ははっ、そうだぜ。まあ、俺もその恩恵を預かってる身だからな、感謝もしてるぜ。また今度、あの車でどっか連れてってくれよな」

「勿論」

 これを最後に、透はパソコン画面に映し出されたPDF教材に目を落とし始めた。

 文書はAIの感情の認識を皮切りにコントロールまで論理を発展させ、結論は『感情を持つことはできないが、限りなく人間に近い形で模倣することは可能である。しかし人の閃きと技術の進歩によって否定してきた部分について将来、可能になりえるのかもしれない。よって、今後の展開に期待したい。』と論文らしい終わり方でしめられていた。

 これまでの授業は感情の認識プロセスを事細かく見てきた(言ってしまえば、プログラムの授業である)が、一体、今日の授業はどこまで発展するのだろうか。教授が声を張った。さあ、授業が始まる。


 結局のところ教授は前回同様、人の感情アウトプットについての考察から始まり、機械のプログラムに共通項を見出し、無数の学びを繰り返すことで限りなく人間に近似することを教唆した。加えて、実際に世界に知れ渡ったChatGPTを使い、これの応用例をいくつか実践して授業は終了した。

 午前の授業時間帯が終わり、透が英寿と一緒に食堂に向かっている途中のこと。

「……お前、授業中ずっとコード弄ってただろ」

「ちゃんと聞いてたよ」透の頭は既に食堂のメニュー選びに切り替わっていた。

「はあ、本当か?」

「うんうん。あ、俺そばだからこっち」

「今日は俺もラーメンにするわ」

「なら、席で落ち合おう」

「おう」

 と、二人はそれぞれ食品ごとに区分けされた列に並ぶため、人混みを縫うように進む。透がそばの列に並ぶと、「あっ」と驚いた。最後尾には、同じミステリーサークルに所属する数少ない同級生がいた。ちなみに、ミステリーサークルに所属している一年生はたったの四人である。

「こんにちは、智美さん」

 深田智美ふかだともみは顔を上げて、透を目視するとすぐさま頭を下げた。

「あっ、こ、こんにちは闇雲君」セミロングのウェーブがかった茶髪が垂れる。

「うん。智美さんも今日はそばの気分なんだね」

「う、うん……あまりお腹も空いてなかったから」

 内気な性格ゆえ、智美はやや猫背気味に答える。

「そうなんだ。良かったら、一緒に食べない?」

「えっ、い、いいんですかっ?」

 智美は目を見開き、仰天してみせた。

「うん、数少ないミステリ研のメンバーだし。あ、英寿もいるけどいいかな?」

「勿論です」

 注文が出来るまではもう少し時間が掛かりそうだ。

「文学部の授業は楽しい?」

「あ、えっと、はい。やっぱり、知識のある方たちに質問できるのはとても有意義です。これまで知れなかったこととか、沢山知れて面白いです!」

「へえ、楽しそうだね」

「はい。闇雲君は、楽しいですか?」

「うん、楽しいよ」

「そ、そうですか。あっ、闇雲君は読まれましたか? 『文学館の殺人』は」

 それはミステリ研の一年生における課題本のタイトルだった。

「うん、読んだよ。十月の半ばにもなるからね。そろそろ手を付けないとまずいと思って」

「ですよね。私も最近読み終えたんですが、今回はいつもより頭を捻りそうです」

「そうだね。頑張ろうね」

「はいっ」

 溌剌とした返答をする智美。好きな話題についてのレスポンスが強まるのは智美の性格ゆえか。透が微笑みを返すと丁度よく、順番がきたようだ。二人は続けてそばを注文し、会計を済ませる。年配の方々がテキパキとした動作でそばを盛り付け、お盆に乗せて二人に渡す。

 礼を言ってお盆を受け取った二人は横並びで移動を始める。

「お、英寿のやつ、遠くからでも分かりやすいね」

「で、ですね。なんというか、体がガッチリしていますから……」

 そのまま銅像にして飾っても良いのではないかと思える英寿のマッチョボディのお蔭で、二人は迷わずに目的地へと到着する。

「おっ! 智美も一緒か、よくやった」

「うん」「こ、こちらこそ、ありがとうございます」

 透は言いながら席に着く。智美は一礼して座った。

「と、ところでよくやった、とは?」

 恐る恐る、智美は上目遣いで透に尋ねる。本人に聞かないのは、英寿を未だに怖く感じているからか。

「きっと『文学館の殺人』についてじゃないかな」

「当たりだ」

「ほっ」と、智美は目に見えて安堵を覚えていた。

 その様子に透は苦笑しながら英寿を見る。彼は口をすぼめ頭を掻いていた。

「それで、智美はなにかあの物語の欠陥に気付いたか?」

「いえ……それが、まだなくって……すいません」

 智美の伏し目の先には、そばがある。

「あ、謝らなくてもいいんだぞ。実際、俺も今回は手こずっててな」

「取り敢えず、いただきますをしようか」

「ああそうだな」「はい」と、三人は手を揃えて、小声でいただきますと告げた。

 三人は一斉にずずずっと麺を吸い込み、各々が持参したお茶を飲む。

 茶の嚥下を終えた透は淡々と語りだした。

「それにしても英寿が苦戦とは珍しいね。いつもは堂々たる言い草で『これはミステリーとして成り立っていない。欠陥品だ!』なんて言ってるのに」

 透のモノマネに、智美が二口目のそばを吹き出しそうになる。

「……」

 睨みを利かせる英寿。透は視線を逸らした。「あ……」透の逸らした視線の先には見知った人物がこれまた不機嫌な面持ちで接近してくる。

「ん? あ……」「……!」

 二人も彼女の存在に気づいたようだ。その彼女が、普通は話しかけない距離感で「あらあら、随分と楽しそうね~?」あたかもレッドカーペットを歩く玲子だった。彼女はどっと周囲の視線をかっさらう。

「もしかして、私を省いてミス研一年生の会でも開いてたのかなぁ?」

 偶然残り一つ空いていた席に座り込むと、玲子は得意の嫌味を披露した。

「ち、違うんです! 私、偶然――

「そうだぞ、偶然の成り行きだ!」

 玲子は「ふふっ」妖艶な笑みを零すと、「言い訳を並べると、返ってそれっぽくなるのはどうしてなのかしら、透」

「さあ」

 透は最初から玲子の嫌味を全く気にしていないらしく、そばを食しながら答える。「俺も一つ疑問に思うんだ。どうして玲子が来ると視線が集まるんだろうか」

「それは私が有名人だからよ……まあでも、ミステリー研究会に所属しているだけでも、大学では有名人よ。つまり、貴方達もね」

「そ、そうなんですか……?」

「ええ。限られたものしか入れないって、この大学では有名な話よ。それに所属した人たちは決まって成績が優秀だったらしいわ」

「まあ、知らなかったのは智美くらいじゃないか?」

 得意気に英寿が言った。その事実を多少なりとも誇りに思っているのかもしれない。

「いや、実は俺も初耳で驚いてる……成程それで見学の時に三十分のテストを受けさせられたのかな」

 玲子は声量を抑え、

「ええ。ちなみに、三十問のテスト全て正解した人じゃないと所属の資格を得られないらしいわ」

 透と智美は「へぇ~」と興味深そうに相槌を打った。透としては、適当に選んだ(とはいえ、小説は結構な量を読む方だったのでミス研を選んだのは必然だったのかも知れない)サークル見学先の一つで、テストを受けたのち先輩からの勧誘に惹かれて入っただけに過ぎない場所だったが、今ではそれがこうして大学生活を充足させるに足る人物たちとの交流を得られたのだから、結果としては上々だろう。

「あっ、そうそう。みんな、今日の夕方は空いてるかしら」

 ……。内容を聞かないことには誰一人として答えないのだが、玲子は大きな目をパチパチさせ、「えっと、ミステリ研の先輩たちと居酒屋で交流があるのだけど、一年生も是非って誘いを受けたわ」

「随分と急な話だね。まあでも、先輩たちの性格を考えたら、それが普通に思えてしまうよ」

 やれやれと言った感じで、透は皆がわかっているだろう説明を挟んだ。そこには微かな期待が入り混じっているようにさえ思える。

「俺は参加しようかな」

「俺もだ」

「そ、それじゃあ、私も……」

「決まりね! 茜先輩に連絡するわね、詳細は後でまたメールする」

「了解」と透。

「それじゃあ、友達待たせてるから行くわね」

 きっと、この誘いのためだけに玲子は偶然発見した三人に声を掛けたのだろうと透は思う。

「玲子さん、やっぱり人気者ですね……」

 小さくなっていく玲子の背中を見て、智美は言葉を漏らした。無意識のうちだったらしく、言った後に「あっ」と口元を手で覆った。

「羨ましいのか?」

「そうかも知れません。いえ、玲子さんを羨まない女性なんてきっと誰もいません……私、人の目を見るのが苦手ですし、話し下手ですし……」

 言ってて辛くなったのだろう、智美は眉を八の字にして俯いた。

「そうか? 俺は嫌いじゃないぜ。智美は賢いし、何より話していて面白い」

「うん。それは俺も同意見だ」

 智美は一瞬で顔を赤く染め、伏せて顔を隠す。

「あっ、ありがとう、ございます」

 蚊の鳴くような声が、あとから伝わる。男二人は互いに顔を見合わせ、困ったように笑みをこぼした。

 それから三人はすっかり伸びてしまった麺を食べつつも、文学館の殺人について話し合った。自分を矢面に出すことを苦手とする智美も、こればかりは初めておもちゃを与えられた子供のように楽しそうに語っていた。

 そうして時は早歩きで過ぎていき、昼の休み時間もあと十分程となる。

「そろそろ片付けようか」

「だな」

 三人は立ち上がり、お盆を持った。

「お二人は、次の授業は何ですか?」

「どっちも中国語だよ」

「あ、わ、私と同じです!」

「そっか。それじゃあ三人で向かおうか」

 お盆を返却し終えると、一行は授業の行われる教室に向かった。

 闇雲透の一日は、まだまだ始まったばかりだ。

 

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