結
* * *
翌日の朝。
いつのまにゴツンしたのかは分からないが、目が覚めると俺は元の身体に戻っていた。隣で眠っていたはずの理梨奈は、もういない。
「お……メモがあるな。『おはよう絆磨くん。さっさとこの家から出ていかないと、警察呼ぶから。 りりな』。うわっ、とんでもないこと書いてある」
当たり前だけど、別れの言葉なんかはどこにもなかった。
俺が活動を再開して、アイドルを続けていれば、またどこかで会える。いつかどこかのイベント会場に、またあの過激なファンがふらっと現れるだろう。そう思っていたけれど……。
(あれから一度も、理梨奈を見かけないな……)
2年が過ぎた。しかし、どこへ行っても理梨奈の姿はない。
入れ替わり生活が終わると同時に、夢を見なくなってしまったのか。それとも、私生活の方が忙しくなって、アイドルの応援どころじゃないのか。もしかしたら、今はもう、別のアイドルのファンになったりしてるのかな。
理梨奈のその後をわざわざ調べる気はないが、心にぽっかり空いた穴を、俺はいつまでも埋められずにいた。
「は……? 薬物?」
そんな矢先、うちのリーダーの広崎レゼンが、薬物の所持で逮捕された。
「グループ解散って……。え、みんなはそれでいいのかよ」
所属事務所との話し合いは何度かあったが、ZEROsの解散は決定事項。ワイドショーを連日お騒がせし、週刊誌にはあることないことをボロクソに書かれ、SNSなんかはもうめちゃくちゃに荒れた。
「はは……。なんか、すごいことになってるな」
ファンは暴徒と化し、事務所にまで乗り込んでくる女も少なくはなかった。ただ、事務所側もなかなか強行の姿勢を崩さず、解散ライブのチケットまでしっかり売り切ろうとしていた。
「ファンのみなさん、今まで本当に、応援ありがとうございました!!」
というわけで、激動の中、俺はアイドルを引退した。
正直、アイドルという夢の終わらせ方について悩んでいたので、タイミングとしてはちょうどよかったと思う。ただ、結局……夢の世界が終わる最期の最期まで、あいつは俺の前に現れなかった。
* * *
事務所を移籍して、5年。
27歳になった今は、役者をやっている。努力の甲斐あってか、こっちの業界の人にも気に入ってもらえて、次はネット配信限定ドラマの主演をやらせてもらえることになった。
「『オフィスワップ・ラブ ~上下のカンケイ性~』……。これが台本ですか、監督」
「そうそう!! 絆磨っちは、仕事ができるイケメン上司の役ね!!! ドジっ娘新入社員ちゃんと身体が入れ替わっちゃって、ドタバタラブコメディって感じ!!!」
男女で身体が入れ替わる。
どこかで聞いたことのある話だ。
「……打ち合わせは以上ですか、監督」
「いやいや、この後、もう一人の主演の女の子が来るのよ!!! 僕は10分ほど席を外すけど、その間に顔合わせしといてもらえる!!?」
「分かりました。問題ありません」
「ハッハッハ!! 相変わらずクールだねぇ、絆磨っちは!! ほんじゃ、よろしくね!!」
そう、俺はクール。あれからすっかり大人になって、俺はクールな男になった。俺は真面目な仕事人間。何事にも動じない、冷静沈着な男。
「失礼します」
「はい。どうぞ」
役者一本。これが俺の生き様。
「死んで」
そして現れたのは、ナイフを持った女。
「えぇっ!? お、おお、お前はっ!!」
「私と一緒に……死んで」
あれから7年。
彼女は今……25歳くらいかな。
「うっ……! ぐ……バタッ」
「わー。刺された演技うまーい。さすが実力派若手俳優さんだねっ」
「何やらせてんだよ、お前っ! こんな、オモチャのナイフなんか持ってきやがって!!」
「思い出してもらおうと思って。私のこと」
「忘れるわけないだろ。お前みたいな女のことを」
運命の再会。
いや、こんなギャグみたいな再会はイヤだ。もっと感動的なやつがよかった。なんというか、空気が台無しだ。
「……で、なんでお前も役者になってるんだよ」
「7年前、どこかのアイドルさんが、すっごく下手な演技でドラマ出てたの。私でもこれくらい簡単にできると思って、始めたのがきっかけ」
相変わらず、生意気なことを言いやがる。
でも確かに、アイドルの淡見絆磨は演技が下手だった。あれからしっかり勉強したので、今の俺の方が演技は上手い。
「俺も変わったけど、お前もずいぶん変わったな。7年前は、ただのアイドルのファンだったのに」
「ただのアイドルのファンではいたくなかったんだよ。入れ替わりが終わったあの日から、そう思うようになった」
「……どういう意味だよ」
「恋をしたの。アイドルの絆磨くんより、ずっと私を夢中にさせてくれる、人間の絆磨くんに」
……!
「あなたと人間同士の恋愛がしたくて、私もここまで来たんだよ。だから、これからはファンじゃなくて……あなたの恋人にしてください」
そう言って、彼女は微笑んだ。
(そうだ……。俺はもう、誰かを好きになっていいんだ)
心に空いていた7年分の大きな穴が、ようやく埋まった気がした。理梨奈は必死に努力して、ここまで会いに来てくれたんだ。こんな人に恋をしてもらえるなんて、俺は……ああ、なんて幸せ者なんだろう。
俺はさっきまで読んでいた台本を机に置いて、理梨奈にそっと顔を近づけた。
「理梨奈……」
「絆磨……くん……」
もう、お互いに何をしようとしてるかは分かっている。言葉なんてなくても。
「いやー!! ごめんごめん!! 遅くなって!!! お! 主演のお二人さん、そろってるねぇ!!!」
……監督。おい、今は入ってくるな。今だけはやめてくれ。
「……っ!?」
急なバカでかい声にびっくりして、理梨奈はピョンっと飛び跳ねた。
しかし、今は目の前に俺の顔がある。そんな飛び跳ねたりなんかしたら、頭同士がゴツンとぶつかってしまう……。
「痛って……!」
「あー!!! いきなり驚かせてごめんね!! 終盤のキスシーンの練習してたの!!? いやー気づかなかった!!」
「そ、そうです。これは稽古です。本番では精一杯がんばります」
「お、意気込みばっちりだねぇ!! 本番が楽しみだよ!!! 期待の若手女優、坂芝理梨奈ちゃん!!!」
「理梨奈ちゃん……?」
監督は、俺の方を向いて「理梨奈ちゃん」と呼んだ。俺のことを、「若手女優の坂芝理梨奈ちゃん」だ、と……。
「「あぁーーーーーっ!?」」