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 * * *


 「へっくちゅんっ……!」


 アイドルとして、ファンの理梨奈には素敵な体験をさせてあげることにした。その代わり、俺は理梨奈の家で一晩を過ごすことになった。

 終電間際の電車に乗って、最寄り駅へと向かう。


 (どこへ行っても、ジロジロ見られてるな……)


 周囲からの視線を感じる。アイドルが受ける羨望せんぼうとは、明らかに違う。

 見られているのは、顔よりも身体。全身が雨に濡れ、衣服がベタリと貼りつく女の身体だ。


 (やっぱり、原因はこれか……。隠さないと……)


 自分の体を見下ろすと、白ワンピの胸の部分が透けて、豊満に膨らんだ胸やそれを包む花柄のブラジャーが、あらわになっている。

 羽織はおっているカーディガンのボタンを無理やり留めたが、上手く隠せた気がしない。胸の大きさがさらに強調されてる気がするし、肩や腕なんかも窮屈に感じる。


 「はぁ……はぁ……。くそっ、どうすれば……」


 ごそごそとカーディガンを脱ぎ、身体を隠すための布として使うことにした。

 しかし、ただでさえ「びしょ濡れの女」ということで注目を集めているのに、自分の胸を必死に隠そうとする動きが、さらに人の目を引いている。それは分かっていたが、女性特有の膨らんだ胸や可愛い下着を見られるのが恥ずかしいという感情も大きくなり、隠さずにはいられない。


 「つ、次の駅だ……。あと少しだけ、耐えれば……!」

 

 駅に到着すると、逃げるように電車を降り、小走りで駅舎を出た。幸い、理梨奈が一人暮らしをしているアパートは、駅のすぐ近くにあった。


 「ここだ、よしっ……!」


 とにかく人の目を避けたい。その一心で、急いで部屋に飛び込んだ。

 しかし、玄関の扉を開け、くつを脱いで部屋に上がろうとすると、そこにはいきなり人が立っていた。


 「うわあぁっ!? 俺だっ!?」

 

 出迎えくれたのは、俺……の等身大パネル。等身大なので、今の俺よりも大きい。

 びっくりして後退あとずさり、玄関の扉の内側にドンッと身体をぶつけた。しかし、振り返るとそこにも俺。扉の内側には、俺のロングポスターが貼られていた。

 

 「前にも俺、後ろにも俺っ!? どうなってるんだよ、この家はっ!」


 等身大パネルをどかし、冷静に靴を脱いで上がり込む。

 目指すは、廊下の一番奥にある部屋。ワンルームのアパートなら、その部屋がメインルームだ。


 「うわああぁーーーーーっ!!?」

 

 扉を開けると、そこは俺しかいない世界だった。

 壁を埋め尽くすほどの、俺のポスターやフォトカード。ベッドには、セクシーな俺がプリントされた等身大クッションと、大量に並べられた俺のぬいぐるみ。本棚には、あんまり売れなかった俺の写真集やライブのブルーレイディスク。その他、この部屋にあるタオル、カレンダー、アクリルキーホルダー、タペストリー……全てに、俺の画像もしくは俺の名前があり、俺で充満している。


 (いや、これだけならまだいい……! 問題はこっちだ……!)

 

 俺は「ZEROs」という6人組のアイドルグループで活動している。当然、ZEROsで撮ったライブ用ポスターも、部屋に貼ってあったのだが……。


 「うげっ!? 俺以外のメンバーが、全員マジックで塗りつぶされてる……!」


 リーダーの広崎ひろさきレゼン(一番人気あるやつ)に至っては、顔の部分に画鋲がびょうで穴がいくつも空けられている。理梨奈は、俺以外のZEROsメンバーに対して、興味がないどころか嫌っているのだ。

 

 「他のZEROsメンバーは、邪魔者扱い……。俺だけを応援してるファンだとしても、ここまでやるのか……?」


 さらに、机の上には「淡見絆磨ファンクラブ」の会員証が置いてあった。

 ……が、ハサミでバラバラに切り刻まれている。どうにか破片を集め、パズルのように復元すると、その会員証には赤色のペンで大きく「死ね」と書かれていた。おそらく、俺個人のファンクラブでも何か問題を起こして追放され、理梨奈はそれを逆恨さかうらみしているのだろう。


 (自分と同じ『絆磨ファン』すら、全て敵視してるのかよ……。こいつ、やっぱり普通のファンじゃない……!)


 ガサッ!!

 背後で音がした。


 「うおぉっ!? 今度はなんだ!?」


 それは、うちわが床に落ちた音だった。やけに大きくて派手なそのうちわを拾い、表と裏を見てみると、そこには「絆磨以外死ね」「絆磨推しは殺せ」と、やたら物騒なことが書いてあった。

  

 「は……はは……。笑えないな……」


 *


 「へっくちゅん……!」


 なんだか、どっと疲れた気がする。華奢きゃしゃな女になった影響で、体力が大幅に低下しているのかもしれない。


 「電車の時といい、女の身体に気持ちがどんどん流されていくな……。いやいや、強い精神力があれば、肉体をコントロールできるはずだ。俺の中にある男の精神が、女の身体を凌駕りょうがすればいいんだ」


 これは心と身体の戦いだ。つまり、この女の身体に、「お前は本当は男なんだぞ」と教えてやれば、気持ちが流されたりはしないのだ。そのためには……。


 (この身体に、男の生き様を叩き込んでやる……!)


 雨に濡れたカーディガンと白ワンピを、豪快にバサッと脱ぎ捨て、洗濯機へぶん投げる。ブラジャーとショーツだけの姿になり、腰に手を当て、股を大きく広げて立つ。ガハハと笑えば、それはもう完全に男の仕草だ。


 (というか、おっさんみたいだな)

  

 ベッドを見つけた。よし、豪快にダイブ。

 ごろんと寝転んだら、俺のクッションが添い寝してくれている。そいつの顔に、パンチ、パンチ、エルボー! プロレスのようにアグレッシブに戦う。これこそが男なのだ。ただベッドで暴れてるだけのように見えるが、これは俺がオスけものであることの証明なのだ。


 (ふぅ、疲れた……。もういい、このまま寝よう……)


 ────

 

 そして、朝が来た。

 

 「『おはよ。もう少し寝ててもいいよ。お姫様』」

 

 目覚まし時計からは、王子様の声。

 いや、これは俺の声だ。「淡見絆磨の王子様ボイス」が収録された目覚まし時計が、俺を優しく起こしてくれたのだ。

 

 「『かわいい寝顔だね。お姫様』」

 「誰がお姫様だよ。恥ずかしくないのか、お前は」

 

 時計の頭をバシッと叩き、アラームを止める。

 上体を起こしたついでに、部屋をぐるりと見回し、自分の体をチラリと見る。

 

 「はぁ……。まだ入れ替わったままか……」

 

 あまり期待はしていなかったが、やはり寝て起きるだけで魔法が解けました、なんてことはないようだ。俺は今でも、お姫様のまま。


 「ん……? 誰か来たな」


 ピンポーンと、インターフォンの音がした。

 正直、もう少し寝ていたいという気持ちもあったが、俺はのそのそとベッドを降り、玄関へと向かった。


 「はーい……!」

 「……」

 「うわ、俺だっ! ってことは、理梨奈か。いや、何しに来たんだよ、お前っ……!」


 そこに立っていたのは、ジャケットを羽織った淡見絆磨。そいつの中身は、坂芝理梨奈という女だ。

 おはようのあいさつはなく、わざわざここへ来た理由も話さず、理梨奈は無言で立っていた。そして、出迎えた俺のことをじっと見つめていた。


 「……」

 「部屋の中、特に触ったりはしてないぞ。寝るのにベッドを使ったくらいだ」

 「……」

 「なんだよ。なんとか言えよ」

 「……」

 「うおっ!? おい、なんだよ! 押すなよっ!!」


 理梨奈は無言のまま、真っ直ぐに進んできた。正面に俺が立っているのに、避けようともせずに。今は俺の方が身体が小さく、力も弱いので、俺はどんどん部屋の奥へと押し返されていった。


 「押すなってば! 止まれっ! 何なんだよ、一体!」


 気がつくと、俺はベッドのそばまで押し戻されていた。これ以上押されたら、もうベッドに寝転がるしかない。


 「何か言えっ!! 黙ってないでっ!!」

 「私の……胸……」

 「えっ!? ちょっ……!」


 ボソッと、何かを呟いたと思ったら、理梨奈は俺の胸にあるふくらみを触ってきた。むにっと柔らかく、掴んだ手のひらに合わせて形が変わる。

 いきなり触られたので、びっくりして俺は後ろへと倒れこんでしまった。


 「待っ……わあぁっ!」


 ボフン。背中で着地した。布団の上なので、痛みはない。

 時間が巻き戻ったかのように、俺は朝起きた時と全く同じポーズになった。


 「お前……! 本当に、何を考えて……」

 「……」

 「なっ!? わっ、バカ、来るなっ!!」


 ベッドで仰向けになっている俺に、理梨奈は倒れこんできた。大きな体で、上からおおかぶさるように。

 そして……男女の、二人の身体が重なった。


 (こいつ、まさか……!?)


 脚が絡まる。身体同士が密着する。俺の顔と理梨奈の顔が、今はとても近い。

 もう少し、あと少しで、いよいよ唇まで……!


 「キス、すると思った?」


 ……。


 「そんなカッコで玄関出たら、ヘンタイだって思われちゃうよ。気をつけてね、私」


 ニヤリと笑って、理梨奈は俺から離れた。

 理梨奈はただ、イタズラをしただけのつもりらしい。軽い冗談で、俺を驚かせたかっただけ。そんなこと分かってるし、俺もすぐに「何するんだよ、このバカっ!」って、言い返してやりたかった。けど……。


 「はぁっ、はぁっ……。お、お前っ……何し、て……」


 声が震える。全身が熱い。心臓のバクバクが止まらない。身体の様子が、明らかにおかしい。

 カッコいい男に顔を近づけられて、ドキドキした。下着姿であることを指摘されて、ドキドキした。このままキスするんじゃないかって、期待なんかさせるから、俺の身体にある「乙女の気持ち」が、もう抑えきれなくなっている。


 「はぁっ……はぁっ……」 

 「あれ? どうしたの? 顔、すっごく赤いよ?」

 「べ、別にっ……赤くない……」

 「ウソじゃん。今のでそんなんになったの? え、ヤバくない?」

 「なんでも……ないって……。くそっ、はぁ……はぁ……」

 「本当になんでもないの? 興奮してるようにしか見えないけど」

 「ああ……! だから、もう、ほっといてくれっ……! あんまり……俺の顔、見ないでくれ……」

 「ふーん……ごまかすんだ」

 

 理梨奈の言う通り、俺はごまかしていた。この身体で女みたいにドキドキしているなんて、自分でも認めたくなかったからだ。

 女だということを身体に叩き込まれ、男の精神はすっかり弱くなってしまった。


 *


 俺はアイドル、淡見絆磨。

 でも今は、波伊香なみいか大学だいがくの一回生、坂芝理梨奈。

 

 「へっくちゅん……!」


 というわけで、俺は理梨奈として大学に行くことになった。もちろん、俺がいきなり女子大生をやれるはずがないので、サポート役として理梨奈もついてくる。


 「ほら、サングラスとマスクだ。キャップも被れよ」

 「えー? こんなのいる? いいじゃん、ちょっとくらい顔バレしても」

 

 理梨奈は嫌がったが、無理やりつけさせた。活動休止中のアイドルが、ヘタに騒ぎを起こすわけにはいかないのだ。

 理梨奈の方は、これで出かける準備OK。次は俺の番だ。


 「髪の毛、むすんでくれたのか」

 「うん。次はメイクするから、じっとして」

 「うおっ……やけに気合い入ってるな。簡単なやつでいいのに」

 「は? ダメに決まってるでしょ。ちゃんと可愛くなってもらうから」

 「大学に勉強しに行くだけだろ? そんなにばっちりキメなきゃいけないのかよ」

 「違う。絆磨くんの隣を歩く女だから、ばっちりキメなきゃいけないの。誰のためにやってるか、分かんないの?」

 「え……。あ、そうなのか……」


 言葉はキツいけど、リスペクトはちゃんとしてくれている。割りとヤバめのファンだけど、俺を応援する気持ちは、きっと本物だ。

 鏡をチラっと見ると、そこには俺じゃなくて「理梨奈」が映っている。俺は彼女をじっと見て、見たままの感想をつぶやいた。


 「そのままでも、充分可愛いと思うけどな……」

 「は? 何いってんの? きっしょ。キモすぎ。ほんと無理」

 「……」


 あー。普通に「きゃー!」とか言ってくれるファンがほしい。

 

 「……できた。じゃあ、行こっか」


 髪にはリボン。襟にはフリル。黒いスカートに、厚底のブーツ。俺はこういうファッションの女を「地雷系」って呼ぶんだと思っていたが、理梨奈が言うには「これは量産型」らしい。

 違いがよく分からないまま、アイドルだった俺は量産型の女にされて、街へと連れ出された。


 「バス……混んでるな。大学に行くには、これに乗らなきゃダメなのか?」

 「いいから乗って。ほら」

 「うわぁっ!? 尻を叩くなっ!」

  

 ぎゅうぎゅう詰めの車内。俺と理梨奈が入るスペースはなさそうだったが、背中を無理やり押し込まれて、ドアを閉められた。

 

 「やばいっ……。理梨奈、ちょっと離れようっ」

 「せまいから無理。どうしてもくっついちゃう」

 「ダメだ……。近いっ……て……」

 「んふふ。やっぱりそうなるんだ」


 理梨奈はもう、俺の「乙女の気持ち」に気づいている。

 身体がファンの女だから、憧れのアイドルと接近すると、無性にドキドキしてしまう。だから、わざと顔を近づけたり身体を密着させたりして、俺の反応を楽しんでいるのだ。

 

 「やめろって、言ってるだろ……! くそっ……」


 大学に到着すると、俺は理梨奈から離れるべく、すぐにバスを降りた。

 しかし、動悸どうきがなかなか収まらない。運動をしたわけでもないのに、ずいぶん息が上がってしまっている。こんな状態にされ続けたら、きっと身が持たない。


 「経済学部棟の大教室で授業があるみたいだけど……どうする? 私、ついていってあげよっか?」

 「いい! 独りで行くからっ!」

 「じゃあ、カフェテラスで待ってるね。終わったら、ここで」

 「分かった! 来るなよ、絶対っ!」


 知らない奴らだらけの知らない場所で、俺は独りになることを選んだ。

 例えるなら、大学は海。大学生たちは波。どこかに味方はいないのかと、心細さや不安を抱えながら、俺は広い海を小さな船で進んでいった。

 

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