大地に眠る亡者の鼓動(Ⅳ)〜静かなる咆哮〜
明け方、まだ多くの人が眠りにつく頃。
はじめは、マグカップに入った飲みかけの水が、時々波紋を立てるだけだった。
やがてドスン、ドスンと規則的な振動になってくる。ソレに合わせて、部屋の窓枠がガタガタと音を立てる。何かが遠くから大地を揺らしていた。
ジンセンフは目が覚めると、着替えもせず、刀だけを持って部屋を出る。
ホテルの前の大通りに出る頃には、それはやがて地響きとなり、揺れも音量も大きくなっていた。とにかく正体を確かめるために、音のするほうへ向かう。
クロハンや他の仲間たちもホテルから出た頃、地響きの音がやんだ。
彼らが日の出のわずかな光で見えたのは、刀を構えている、見慣れたジンセンフの後ろ姿。その背後には、ちょうど街の入り口あたりに、ジンセンフの何倍もある巨大な影が立っていた。
その影はよく見ると、黄土色や褐色が主である岩石地帯に似つかわしくない、『青白い塊』であった。
巨大な2本の骨が、地面に突き立てた3本の爪で根を張っている。巨大な骨の樹木が合流し、そこに大きな骨盤が支えられている。そこから手前斜め上に骨が伸びており、等間隔で巨大な肋骨が連なっている。その途中にある前足は短く、さらに先に取り付けられた巨大な頭には、何十本もの剥き出しの牙。上顎から頭部を覆う骨の両面にぽっかりと空い虚な両目で、こちらを見つめている。
遠くてわからないが、高さ6メートルはあるだろうか。巨大な生物の形をしたソレは、骨の隙間から見える朝の景色は空虚そのものだ。それでも、骨はまるで筋肉と皮膚を纏ったかのように躍動し、生きているかのように大地を踏みしめている。
青白い骨が朝の薄暗い光に照らされる様子、骨と骨の間からは、まだ薄暗い向こう側の景色が見える。
追いついてきたクロハンが声をかける。
「なんだアレ!?」
「さあな。」
驚くだけで、正体の見当はつかないジンセンフとクロハン。その隣で、息を切らしながらもデボションが嬉しそうに声を漏らす。
「はぁはぁ、ティラノサウルスだ。」
「なにソレ?」
「獰猛な肉食恐竜だよ!太古の昔に闊歩していた、生物の王者だ!」
「いやコイツ、骨しかないぞ?」
「そんなことはどうだっていい。彼が動いていることが素晴らしいと思わないか?」
同意を求めたデボションに、2人は返事をしなかった。
その理由は感想に同意しかねるからではなく、『骨恐竜』の足が大きく上がった先に、座り込んだ小さな子供が見えたからだ。ジンセンフは刀を捨てて飛び出し、少し遅れてクロハンは槍を取り出して駆け出した。
クロハンの槍から繰り出した赤い斬撃でその巨大な足が一瞬止まった時には、既にジンセンフは子供をかかえて骨恐竜から離れていた。
骨恐竜に近づいた一瞬で、冷たい風が骨の隙間から吹き出して死の臭いを漂わせるのを感じる。
ジンセンフはその不快な臭いを払うように自身の《風》を纏い、リフレーンの元に子供を届ける。
「任せた。」
「うん。」
短いやり取りだけを交わすと、ジンセンフは捨てた刀を拾い、再び骨恐竜の元へ向かう。
「なんて美しいんだ。」
少し先で、そんな青白い巨体に少年のような目で眺める男は感嘆の声を漏らす。
「デボションも早く逃げましょう!」
クラリファは自分たちよりも骨恐竜の近くで突っ立っているデボションに声をかけながら、その手を引っ張って遠ざける。
「行こう!」
リフレーンはクラリファが戻ってきた時にはその子供をおぶり、一緒に街のほうへ走っていく。
骨恐竜の巨体は、地を踏みしめるたびに砂埃が舞い上がり、まるで地響きそのものが命を持ったかのように周囲に広がった。
骨恐竜の左側に回り込んだジンセンフが《風》の力を解放する。巻き上げられた砂とともに骨恐竜の顔に突風が直撃する。しかし、骸骨の頭が少し右に傾くだけだった。風が収まると骨恐竜は静かに肩を揺らし、ゆっくりと首の骨を左に曲げる。無機質な視線でジンセンフを捉え、体を捻りながらこちらに突き進んできた。
「コイツ硬いな。クロハン!軸足になってる右足を狙え!」
ジンセンフは叫びながら、一瞬の隙を見て恐竜の側面に素早く回り込む。クロハンは腕に全身の力を込め、槍を鋭く突き出すと、赤い閃光が並び立つ2本の骨を薙ぐ。
通り道になった腓骨と脛骨が細かく砕けていた。しかし、その巨体が傾くことはない。すぐに白い霧が立ち上り、再び骨が形を成していく。
「マジかよ!?」
「もしかしてアイツ、再生してる?」
「その可能性はありそう。2人の攻撃が有効でないなら、私たちで何か手を考えないといけないかもしれないわね。」
「ティラノサウルスに、人間なんかが敵うはずないよ。」
骨恐竜から十分に距離を取ってから作戦会議を始めた女子2人の会話に、デボションが水を差す。
「そんなことない!2人ともけっこう強いスピリット術士なのよ!」
そんなどや顔のリフレーンの顔が段々と曇る。2人の強力な技をいくら受けても、先ほどと同じように恐竜の骨は一時的に破壊できても、すぐに再生されてしまう。
「なんで効かないの!?ねえ、なんかいい方法ないの?」
「物理攻撃が効かないなら、何か弱点を突く必要があるかも。」
ただ安全圏で見守ることしかできないリフレーンが尋ねると、クラリファは軽く返答だけして思案し始めた。代わりに、隣のデポションが意気揚々と答える。
「ムリさ。化石という1億年の歴史の前では、たかだか数万年しか歴史のない人類の文明など無力なんだ。」
「アンタはどっち側の味方なのよ!」
「ボクはロマンに忠実なんだよ。」
「じゃあ、そのロマンも今日で終わりね。あの2人が負けたら、あの恐竜に全員ここで土葬されて、今度はアンタが憧れの化石になるわよ、良かったわね。」
「そ、それは困る!ボクにはまだ知りたい化石の知識が山ほどあるんだから。」
「じゃぁ、その蓄えた知識とやらを使ってよ。」
「でもボクの知識は自然のロマンを求めるためであって、こんな野蛮な戦いのためでは」
「何か言った?」
「い、いえなんでも、、、」
乾いた大地で殺気立つ蛇と睨まれたカエルに、ここで恵みの雨が降ってきた。
「ねえ、化石ってことは骨なのよね?それを溶かす酸があればなんとかならない?」
「さすがクラねえさん!どっかの引きこもり学者とはモノが違うわね。ほら学者君、ベストな酸を答えなさいよ。」
「ちょっと、焦らせないでくれ!ボクは熟慮型の学者なんだ。そ、そうだ!骨は主にリン酸カルシウムでできているから、塩酸があれば溶かせる!でも工場地帯ならともかく、こんな海沿いの田舎にあるはずもないし。」
「そうよ、海!たしか塩酸ってHClよね?」
デボションの悲痛な声に反応して、普段はクールなクラリファの『学者の血』が騒ぎだす。
「そうだよ。でも化学式がわかったところで材料がなければどうしようもない。」
「材料ならたくさんあるわ!海水中には、『水』の水素と『塩』の塩素がたくさんあるもの!」
「そりゃ、あるにはあるけど。あんな大きなティラノサウルスを溶かすほど大量の塩酸をこの場で生み出すなんて、自然法則を無視した化学反応を起こさない限りムリだ。」
「あとは、その『自然法則』を無視すればいいのよね?」
「何をバカなことを言っているんだ?自然の掟は無視できないから法則なんだよ。」
ムキになる学者に対して、しばらく学者同士の難しい話が続いて蚊帳の外だったリフレーンが先に気づく。
「ねえ、もしかして、クラリファ姉さんならイケちゃうの?」
「うん、私イケちゃうの!」
笑顔でクラリファが答える。
「リフレーン、あの2人に恐竜を海岸に誘導するよう伝えて。それまでには準備は間に合わせるから。」
「わかった!」
骨恐竜の側で戦っている2人に向かってリフレーンは駆け出した。
「どういうこと?」
いつの間にか話に置いていかれているデボションの答えに、海岸に続く裏道に駆け込んでいたクラリファの耳には、残念ながら聞こえていなかった。
クラリファは海岸に到着すると、波打ち際から少し離れた砂浜に《円盤型の石》を投げる。
「《バーストオープン・サークル》」
詠唱と同時に石は弾け飛び、砂浜に数メートルのクレーターができた。中心は1メートルほどが凹んでいる。
今度はクレーターと波打ち際の中間あたりに《細長い石》を置く。
「《バーストオープン・ストレート》」
砂浜が抉れて溝が生まれ、海からクレーターへの『海水の導線』が敷かれた。
「はぁ、はぁ、はぁ。」
デボションがかなり息を荒げながらやってきた。クラリファの姿を見つけ、彼女の目の前にあるクレーターに海水が流れ込んでいるのに気づく。
クラリファは、今度は《トゲトゲとした石》を取り出す。クレーターに溜まった海水に投げ入れた後、両手をかざす。
「《エヴァポレイション》」
クレーターの中の海水が一瞬光ったかと思うと、白い煙が沸き立つ。煙が霧散すると、クレーターに水はなく、底面には山盛りになった白い粉だけが残っていた。
「はぁ、はぁ。どうやって海水をあんな一瞬で蒸発させたんだ!?」
デボションは日頃の運動不足のせいでまだ落ち着かない息を整えることよりも、目の前の謎への好奇心が勝ったようだ。だが、息が上がった中で漏らした声は小さく、クラリファは作業に集中していて聞こえていない。
クラリファはクレーターに降りて、少し掬って舐めてみる。
「うん、バッチリ!」
「あの、その白いのは何?」
ほっと息を吐くと、ようやくデボションの存在に気づく。
「あら、いらっしゃい。コレは海水から作ってみたの。」
「まさか、塩を作ったの?」
「自分で確かめてみる?」
クラリファはクレーターの中から手を伸ばし、デボションの出した掌の上に粉を置く。
「しょっぱぁ!」
探究心に負けて、掌に乗った分を全て口に入れたデボションのリアクションには触れず、クラリファは山盛りの粉に向き合って詠唱する。
「《コンデンスド・クロライン(塩素)》」
山盛りの粉は、あっという間に《小さな白い結晶》になった。
クラリファは《白い結晶》を拾うと、再びクレーターに海水を通す。
「《コンデンスド・ヒドロジェン(水素)》」
今度は《蒼い結晶》がいくつか生まれ、クラリファはクレーター に1個だけを残して回収する。さらに、さっきの《白い結晶》を投げ入れる。
「《ケミカル・リアクション》」
詠唱した途端、底面に結晶が転がっている以外は空洞だったクレーターは、光で満たされていく。
しばらくして、地響きが段々と近づくとともに、巨大な影が現れた。ソレに追われている仲間たちに声をかける。
「3人ともありがとう!この水溜りに骨恐竜を誘導したら、危ないからすぐに離れて!」
「「「わかった!」」」
「ジンセンフは先回りして、《風》でこの水溜りの液体を骨恐竜にぶっかけて!」
「よくわかんないけど、わかった!」
ジンセンフは加速して、一足先に水溜りを迂回して前に立つ。
クロハンはリフレーンと骨恐竜の間に立ち、振り回した尻尾を弾き返す。
3匹の子犬が、注意を引くように骨恐竜の目線の先をジグザグと駆け回り、水溜りの前に誘導していく。
「今よ!」
水溜りまで、骨恐竜の足ならあと一歩というところで、3匹の仔犬が一斉に消える。
「《逆巻き》」
ジンセンフが刀を振り上げるとともに、水溜りの水面が波打つ。それは竜巻のような渦となり、進路は骨恐竜の肋骨あたりに続く。液体が螺旋に沿って立ち昇っていき、骨恐竜の全身へ飛び散っていく。
シューっという音ともに、液体がかかった部分からは白煙が湧き立つ。
「やった!」
リフレーンが声を上げた時には白煙がやみ、発生源の骨は表面が少しか溶けていなかった。
「どうしよう、ダメみたい!」
リフレーンは泣きそうな顔でクラリファに近づいてくる。
「でも骨の一部は溶けたままだから有効よ!もう少し改善すれば、あの骨を完全に溶かす方法があるはず!」
クロハンとジンセンフは、再び足止めするために立ち回っている。
「そうか!つまり海水から塩酸を作って、ティラノサウルスにかけたんだね!?」
今までの一連の状況を見てようやく謎が解けたデボションが、緊迫した状況も読まずに嬉しそうに問いかける。
「そうよ。まぁ今まさに失敗したばかりだけど。」
「でも、硫酸はこの場にないはずだ!塩化ナトリウム(NaCl)と濃硫酸(H₂SO₄)を加熱して反応させることで、塩化水素ガス(HCl)と硫酸ナトリウム(Na₂SO₄)が生成されないと、、、」
「その『常識』を無視できるのが《スピリット》なの。科学談義にも興味はあるんだけど、今はあの巨大な骨を溶かせる方法を教えてもらえるかしら。」
「そうだ、あれは『骨』じゃない、『石』なんだ!」
「そうね。太古の生物だから骨そのものが残ってるわけじゃないし、」
「そうじゃない!つまり、『化石』になってるから、組成が二酸化珪素に変わってるんだ!」
「ソレよ!でも二酸化珪素をかす酸なんてあったら?」
「簡単さ。フッ化水素酸が二酸化珪素と反応すると、非常に安定で水に可溶なヘキサフルオロケイ酸(H2[SiF6])を形成する。この反応により、水に不溶なガラス(SiO2)でも水に可溶となって溶液になるんだ。」
「ごめん、つまりどういうこと?」
話についていけないリフレーンが割って入った。
「フッ化水素酸を作ればイイんだよ!でも、流石に海水中のフッ素じゃ絶対量が足りない。」
「じゃあ、フッ素が足りないなら、この《蛍石》で代用できるかしら。」
「完璧だ!」
クラリファは前夜に蛍石から作った《紫紺色の結晶》と、さっき多めに錬成しておいた《蒼い結晶》を、空になったクレーターに投げ入れて詠唱する。
「《ケミカル・リアクション》」
「「やったぁ!できた!」」
叫んだリフレーンと、隣のデボションがハイタッチを交わす。
「ジンセンフ!もう1回、水溜りの液体を恐竜にぶっかけて!」
「信じてるぜ、姐さん!」
ジンセンフがもう一度、《風》で骨恐竜の頭からぶっかけた。
液体をもろに被った部分は跡形もなく溶ける。残った骨もバラバラと崩れ始めた。砂浜で生まれた土煙が捌けると、そこには生気のなくなった骨の残骸だけが残っていた。
evaporation 蒸発
chlorine《元素》塩素
hydrogen《元素》水素




