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四魂《Tetra Spirit》  作者: yuzoku
第1章 Intersection
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パン屋でダンス

モデルの街:フィレンツェ(イタリア)

 大小さまざまな赤茶色の屋根と白い壁に統一された家屋が、辺り一体に立ち並んでいた。緩くカーブをした石畳の道が、街を縦横無尽に交差している。


 この街の東側には、街の規模にしては大きめの広場があった。休日になれば屋台や大道芸が始まって賑わっているのだが、今は平日の昼前なので時々買い物客が通り過ぎるだけだった。その広場の真ん中に、石造りでできた、円形の噴水がある。噴水の池は、子供なら入って遊べるほどのスペースがあるが、今は誰もおらず、石畳の底が見えるほど水が透き通っているのが分かる。

 噴水の中央から高く湧き出る水が、受け皿に落ちるたびに360°不規則に音を立てる。絶え間なく流れる水音とは対照的に、情動が揺れ動くままに激しく音の強弱やリズムが変わる音色が響いていた。

 その音源は、噴水のほとりで1人で気持ちよさそうにバイオリンを奏でている少女だった。通りかかった人間がバイオリンの音色に惹かれて時々横目で眺めていくが、その視線に気づくことすらなく一心に弓を上下させ続けている。


 曲のクライマックスに呼応するように風が吹くと、長い金髪は噴水の水流に引き込まれるように真横にふわりと浮く。

 金髪が彼女の頬にペタリと収まると、弓を動かす手も止まる。満足げな表情でバイオリンをケースに入れて噴水のほうに目を移す。


「噴水っていいな。見ているだけで旅の疲れを癒してくれる。」

 額の汗を軽く手で拭いながら呟いた声は、ソロに戻った噴水の水音でかき消される。なかなか解決の糸口が見えない現状に対するモヤモヤを、全部洗い流してくれるようだった。



 少女は噴水を眺めるのに耽っていると、腹からの空腹を告げるアラーム音でまだランチを食べていなかったことに気づく。もう太陽は真上を通り過ぎていたので、少し先にある最近お気に入りのパン屋さんに入ることにする。


「こんにちはー。」

「いらっしゃい!おっ、リフレーンちゃんじゃないか!今日もかわいいね」

「ありがとう店長さん。ランチはいつものね。」

「はいよー!ちょっと待ってな」


 白髪混じりだが、動きは機敏な店長さんが1人で切り盛りしている。ここ数日、リフレーンのお昼はこの店に決まっていた。ランチセットのオムレツが絶品で、一発で虜になってしまった。本来お店の看板であるはずの肝心のパンの味はそうでもないのだが、オムレツだけを求めてランチに利用しているのは店長には秘密だった。

 店長ひとりで捌くにしては広い店内には、まばらにお客が座っていた。かき入れ時であろうお昼の時間帯にしては少し客の入りが悪い気がするが、ひとりランチのリフレーンにとってはそれが居心地よかったのも、店長には秘密である。


 小綺麗な店内には不釣り合いな、ボロボロのタンクトップを来た大男が店内に入ってきた。肌も服も日に焼けており、あちこちに砂埃がついている。ほとんど露出した両肩は大きく盛り上がり、力こぶのついた二の腕を今はダランと垂らしている。無精髭が目立つ顔に、険しい表情を浮かべていた。


 そんな新規客に気づくこともなく、リフレーンは目の前に置かれたオムレツに夢中だった。まずは端っこの卵の部分だけを口に含む。噛む前に舌の上で風呂敷は広がり、卵の甘みと、ほんの少しの塩気がじんわりと口の中に広がる。

 続いて、たっぷりとかけられた赤いソースと一緒にいただく。濃厚なトマトの味がガツンと舌にくる様は花形のトランペットのようで、落ち着きのある低音パートの卵との二重奏が素晴らしい。口の中でスタンディングオベーションが止まらないので、冷水で鎮めて次の曲が始まるまでしばらく余韻に浸る。さっきまでのトマトベースの芳醇な香りと濃厚な味わいを思い出すと、ソースだけをペロペロと舐めたい衝動に駆られるほどだった。


「おい店長!ちょっと来い!」

 リフレーンが食後のコーヒーを堪能していた頃、お店に怒鳴り声が響いた。どうやら客の1人である、あの大柄な男が怒っているらしい。

「お客さん、どうされましたか?」

「おい!なんだこのマズいパンは!これで1個500ソルってのはぼったくりじゃねえか!」

「すいません、お客さん。お口に合わなかったみたいで。」

「すいませんじゃ済まねえよ、こっちは毎日汗水流して、この街の壁を作ってやってるのに。クタクタに疲れてようやくのメシがこれじゃ、やってらんねえよ!

 最近やたらと壁の破損が相次いで残業は増える一方、発注元の役所は予算が確保できないとかで遅配が重なっていた。大男は何週間も続く残業や薄給生活で、一つの銅貨すら大切にしたいと思っていたのだ。硬くて味気ないパンに対する怒りは、まるで世間全体が自分を嘲笑っているかのような憤りも含んでいた。


「パン屋のパンがマズイって仕事舐めてんじゃねえぞ!あーあ、これなら代わりに野菜でも買って家で食ってりゃ良かった。オヤジ、マズイんだからタダでいいよな?」

「いえ、そういうわけにはいきません!お客さんはお気に召さなかったかもしれませんが、ウチもプライド持ってやらせていただいてます。」

「プライド持ってったって客の意見が大事だろ!?」

「何年も同じ味でこのバゲットを提供していますが、今まで不満を言われたことは一度もありません!実際、そこのお嬢さんは毎日のように来てくれていますし。」

「え!ええ…」

 急に話を振られたリフレーンは戸惑ってしまった。『マズイからタダにしろ』ってのはちょっと横暴すぎるでしょ。しかも、ちゃんと完食してるし!

 …たしかに、この味で500ソルはちょっと高いなって思ってはいたけども。セットには必ず付いてきて、毎回このバゲットだ。しかも表面は硬すぎるし、中の生地はパサパサしてる。店長さんには悪いが、客の男にもっと言ってほしいとういのが本音だった。

「ほら、この女もパンがマズイから黙ってるじゃねえか。」

 ご名答です、お客さん!でも、せっかく居心地のいいお店を見つけたのに、今さら店長さんにケンカは売れないよぉ。

「大方、お前が鼻の下伸ばして、この女だけタダで食わせてんだろ。」

「失礼な!ちゃんとこの子からも毎回お代をいただいています。」

「そうかよ。バカ舌の客相手に、楽な商売してんな。」

「私のことはともかく、他のお客さんの悪口はやめていただきたい。」

 なんかアタシまで巻き添えくらってバカ扱いされてる!いい加減ムカついてきたし反論したいけど、食後だからのんびりしたいんだよなぁ。

 リフレーンはヌルくなったコーヒーをちびちと啜りながらマグカップで顔を隠し、どちらの主張に加勢しよううか思案する。


「とにかくオレは帰るぞ」

「だから困ります!」

 帰ろうとする大柄の男に対し、店長は小走りで先回りして出口のドアを塞いだ。

「どけよ、この小麦粉屋!」

「どきません、パン屋ですから!」

 2人の男は掴み合いになってしまった。ただ、年配で細身の店長に対し、シャツの上からでもわかるほど、現場で鍛えているであろう大男の方がかなり優勢だ。リフレーンは慌ててコーヒーから口を外して、声を出す。

「ちょっと、2人とも落ち着いて!」


 ボコっ


 鈍い音がした後、店長が倒れ込んだ。ついに殴ってしまったようだ。しかも大男は、店長の上に馬乗りなって、さらに殴ろうとしている。リフレーンも流石にマズイと思い、止めに行こうと立ち上がった時だった。


 今度は大男が倒れていた。


「え、どういうこと?」

 リフレーンと同じく、店長も、起き上がった大男も状況が飲み込めずポカンとした顔である。


「ちょっと待った!暴力はいけないよ、オジサン。」

 声を張り上げたてはいないが、キツく諌めるような声色だった。声がしたほうを向くと、トイレのドアの前に銀髪の少年が右手を前に突き出しながら立っていた。怒鳴り合いが聞こえて慌てて出てきたのか、開いた掌からは水が滴り落ちていた。その間もずっと、室内だというのに左側だけ長いアシンメトリーの銀髪が風が吹いたようにふわふわと左方向に靡いている。

 あの少年が止めに入ったのだろうか。しかし、少年はだいぶ離れた位置に立ったままなので、大男に何かしたようには見えなかった。

「誰だてめえ!お前がオレに何か投げたのか!?」

「物は投げたりはしてないよ、《風》を吹かせただけさ。」

 少年はポケットからハンカチを出して手を拭きながら答える。

「なにワケ分かんないこと言ってんだよ。不意打ち食らわせただけでイイ気になってんじゃねえよ!」

 今度は少年に向かって、大男は殴りかかってきた。


 ふわっ


 大男の左肩が何かにぶつかったように見えて、左半身を後ろにのけ反らせたかと思うとそのまま1回転してから床に倒れこんだ。しかしそこは丁度スペースが空いており、足を引っ掛けそうなイスも見当たらなかった。


「いってぇ…」

「だから暴力はダメだってば。」

 少年は尻餅をついた大男を見下ろしながら、さっきよりもイタズラっぽく言う。手を離してしまったので地面につきそうだったハンカチはなぜかふわふわと浮き上がり、腰の高さまで来ると右手で掴んだ。


「テメェ、何しやがった? エ?アアアアアア〜」

 悪態をつきながら起き上った大男は、今度はバレリーナみたいにその場でくるくる回り始めた。4回転ほどすると、力尽きたように再び倒れ込んでしまった。


「…てめえ、何しやがった。」

「タダで教える気はないよ、オジサン。ま、パン代をちゃんと店長さんに払ってくれたら考えるけど。」

「まぁいい、魔法かなんかだろ。男なら拳で語り合おうぜ。来いよ、それとも殴り合いのケンカはコワイか、小僧?」

「言っとくけど、正当防衛だからね。」

 そう言って、少年は大男に近づいていく。


「調子に乗ったこと後悔させてやるよ小僧!」

 大男はそう言って、少年が間合いに入った途端に殴りかかってきた。


 しかし、その拳は空を切る。


 少年は避けた体の流れを利用するように半回転しながら、大男にキレイなケツキックをお見舞いした。


 大男は前に突っ伏して倒れた。肉体労働者の男には大したダメージにはならないだろうが、喧嘩の実力差を見せつけるには十分な一撃だった。


 大男はしばらくして両腕を使ってゆっくり立ち上がる。


「観念してパン代を払う気になった?」

「うるせー、2度とこんな店来るか!」

 そう言って男は、小銭を投げ捨てながら店を出て行った。床に転がったコインを確認すると、どうやらコーヒー代の300ソルしかないようだ。どんな目に合おうが、絶対あのパンは認めたくないらしかった。


「あーあ、結局ちゃんと払ってかなかったな。」

 そう言いながら少年は床の300ソルを拾い、床に座りこんだままの店長に渡した。

「ありがとうな兄ちゃん、最初のも君があのお客さんに何かしてくれたんだろう?」

「まあね。暴力はダメとか言っといて、結局オレも力技なんだけどね。それと、俺の分のお金。」

「ま、まいどあり。」

「このパンのカチカチ感、オレは好きだよ。でもなんと言ってもオムレツ、最高だよ!外はうっすら焦げ目がついてて中は丁度いいトロトロ具合。そしてこの激ウマソースとの相性もバッチリだったよ!あのオジサンもオムレツ付きのランチセット頼めば、あんな不機嫌にならずに済んだのになぁ。」

「…ああ、ありがとう。」

 それはパンへの褒め言葉として合ってるんだろうか。普通はそのカチカチ感がイヤで、あの大男も文句を言ってたのに。コイツも変なヤツだ、気をつけないと。でも、オムレツの感想に関しては完全同意だ。

 そうだ、今はそんなことより店長の体の方が大事だ。リフレーンは我に返って、店長の元に駆け寄った。


「店長さん大丈夫?怪我してない?」

「あぁ、ありがとうリフレーンちゃん。大丈夫だよ、踏ん張りが効かなくて派手に転んだだけさ。いやー、歳は取りたくないね。若い頃だったら私だけで追い返せたんだが。ハッハッハッ!」


「オレさ、見習いの新聞記者をやってるんだ。店長さん、この店のこと、記事にしていい?」

「ああ、いいよ。殴られ損だから、今日のお客さんとのゴタゴタはネタにしてくれるとありがたいよ。」

「そうじゃなくてさ、ここのお店のオムレツを紹介する記事を書きたいんだ。」

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