歩く素の少女
モデルの街:クライネシャイデック駅 (スイス)
「『ホスピタ牧場』、ここね。」
小さな建屋の前にある古びた看板を確認して、リフレーンはにっこりした。
「ピーター、おつかれさま!」
そう言って、巨大兎に杖を向けた。演奏終わりの指揮者のように杖を振ると、ピーターの姿は消えた。
「スゲー‼︎ほんとに一瞬でワープしたぞ!?」
「だから汽車の中でそう説明したでしょ。」
「なぁ、なんでココに来たんだ?」
「いちいちウルサイわね、美味しい牛乳が飲みたくないの?」
「イヤ、そんなうるさくしたかオレ?それに牛乳なら、さっき飲んだばっかりだろ?」
「あんなのは量産型。街で飲めば平凡な味。しかも店員からは、ホンモノの牧場を馬鹿にするような成金主義の臭いがするし。」
「よくわかんないけど、この牧場の牛乳を飲みに来たのか。」
「そうよ、それだけ分かればよし!」
結局ジンセンフにまともな説明をしないまま、リフレーンは牧場に向かった。
牧草地帯を軽やかな足取りで歩く、古びて染みの多いツナギの人物を見かけて声をかけた。
「すいませーん!」
「はーい!」
遠くの人影はこちらに気づくと、可愛らしい声で返事をした。大きく手を振りながら走って来たのは、よく見るとリフレーンよりも少し幼そうな、明るい茶髪の女の子であった。
「こんにちは!いつも来てくれるピザ屋さんの新人さんですか?」
「ううん、アタシ達はただの旅人。ここの牛乳が美味しいって聴いて、買いに来たの。」
「えー旅人さん!?」
元々パッチリした目をさらに広げて、心の底から驚いている様子が伝わってくる。仕草も表情も、都会っ子のようなあざとさを感じない、素直で可愛らしい子だとリフレーンは思った。
「旅人に会ったの初めてだった?」
「ごめんなさい、馴染みの人以外は全然人が来ないから嬉しくなっちゃって。お姉さん、何才??」
「18才だよ。」
「うわー、同い年だぁ!嬉しい!!」
子供っぽい振る舞いのせいか、勝手に年下かと思っていたことは黙っていることにして、リフレーンは話を続けた。
「たぶん普段来てるピザ屋さんだと思うんだけど、そこでお昼食べた時にこの牧場を教えてもらったんだ。」
「そうだったんだね。あっ、遅れました、ホスピタ牧場へようこそ!」
そう言ってツナギの少女は半身になり、牧場全体を紹介するように大きく手を広げた。いちいちリアクションが大きいのが本当にいじらしい。
「お嬢ちゃん、牛乳って売ってる?」
遅れて現れたジンセンフが声をかける。
「うわ、今度は男の子!ねえあなたは何才?」
「17才だけど。」
「うわぁ、年下の男の子って久々に見たぁ!あなたも旅人さん?」
「そうだよ。そこの金髪オネエさんと一緒にね。」
「うわー2人旅なんて楽しそう!世界ってどんな人がいるの?どんな街に行った事あるの?ドラゴンとか見たことある??」
その後も、少女のマシンガントークは続いた。若干気圧されているジンセンフを脇に置いて、リフレーンが話し相手をしてあげた。
ジンセンフがヨソ見し始めた頃、小屋の方から、中年だが健康的な体型の女性が現れた。
「あら、お客さんですか?こんな辺鄙な牧場にどんな御用ですか?」
「ここの牧場の牛乳が美味しいって聞いて、買いに来たんです。」
「あら嬉しい!個人の方には普段売ってないんだけど、ちょっと待っててね!ラクレッタ、冷蔵庫から牛乳ビン2本持って来て!」
「はーい!」
そう言うと、少女は小屋の方に走って行った。
「ふぅ、ようやく牛乳にありつけそうだぜ。」
ガールズトークに飽きていたジンセンフから、溜息と共に気持ちがこぼれた。
「ごめんなさいね、あの子ったらはしゃいじゃって。たぶんお客さんの用件も聞かずに、一方的に話してたのよね?普段牛の世話ばっかりさせてるから、同年代の子と話をするのが嬉しかったみたいだから、許してくださいね。」
「いえ、全然気にしてないですよ!アタシも、普段理解不能な思考回路の男子と旅をしているせいで、同い年の女の子と話せて楽しかったですし!」
すかさずリフレーンがフォローの言葉を挟みつつ、言葉と視線でジンセンフを制す。
「紹介遅れました、アタシは旅人のリフレーン、こっちの男の子はお供のジンセンフです。」
「どうも。」
「あら若い2人で旅なんてステキね。アタシはツェルマ。さっきの元気なのは娘のラクレッタよ、よろしくね。」
「よろしくお願いします。」
「持ってきたよー!」
叫びながら、全力ダッシュでラクレッタが戻ってきた。
「そんなに走って転ばないでねー!」
「はぁはぁ。大丈夫よ!ママ、いつまでも子供扱いしないで!はい、ウチの自慢の牛乳をどうぞ!」
「ありがとう。」
牛乳ビンを受け取ったリフレーンはまたラクレッタから何か話しかけられるかと思って待っていたが、今度は黙ってこっちを見つめている。あぁ、早く牛乳を飲んで感想が欲しいんだなと察し、ジンセンフにも渡してそそくさと飲み出した。
「やっぱ牧場で飲む牛乳はサイコー!」
さっきの牧場とほぼ同じ感想のジンセンフを尻目に、リフレーンは一口飲んで舌の上でゆっくり味わう。そしてもう一度口をつけると、ゴクゴクと飲み干してしまった。
「コレよ、コレ!この味はピザ屋のチーズと全く同じ!すっきりした飲み口なのに、いくつもの味が重なったような深い味わい!そして、微かに残る牧草の香り!やっぱりここまで来てよかったぁー」
「うわー!そんな褒めてくれて嬉しい!」
「えっと、ツェルマさんとラクレッタ。素敵な牛乳を作っていただきありがとうございます!」
ピシッと背筋を伸ばして深々とお辞儀をしたリフレーンに、慌ててツェルマットが声をかける。
「そんなかしこまらないで!褒めてくれたのは嬉しいけども。」
「いえ、それくらい感動する牛乳でした!」
「ありがとね。ねえ、こんな駅から離れてるウチからじゃ、もう帰りの最終便は間に合わないけどどうする予定だった??」
「あ!!」
「フフフッ。最終便の往復は、駅前の牧場で買い物する人に合わせた時間なのよね。ねえ、良かったらウチでご飯を食べて泊まって行かない??」
「いや、そんな知り合ったばっかりなのに申し訳ないです!一応、野宿できるくらいには旅に慣れてますんで大丈夫ですよ!」
「そんな遠慮せずに。ラクレッタも同世代の子達と話せて嬉しいわよね?」
「もちろんよ!2人とも泊まっていってよ!」
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
こうして今晩の宿が決定した後も、女だらけの井戸端会議はしばらく続いた。
ジンセンフはなるべく気配を消して、地平線に沈む夕陽を眺めていた。
4人が小屋に着くと、既に美味しそうな煙が立ち込めていた。
リビングにはグツグツと音を立てる大鍋の前で、中年の男性が新聞を広げて読んでいた。
「ごめんなさい、ゴルナグラ!夕飯の準備もせずに、お喋りに夢中になっちゃって。」
「いいんだよ、なんだか楽しそうに話しているのが見えたから、たまには私が料理しようと思ってね。と言ってもシチューしか作れないんだがね。ハッハッハ!」
「シチューだ、やったー!!」
「そちらのお2人さんも一緒に食べてくんだろ?そう思って既にたくさん作っちゃったからよろしくね笑。ウチの牛乳で作ってるから味は保証するよ?」
「突然オジャマしたのにすいません、ご馳走になります。」
「いえいえ遠慮なさらず。ようこそ、ホスピタ牧場へ!一応、牧場主のゴルナグラです。そちらのお喋りな女性陣のパパと旦那をやっております。」
「今日は本当にご馳走様でした。お礼と言ってはなんですが、私ちょっとバイオリンをやってまして。演奏聞いていただいてもよろしいですか?」
「もちろんよ!」
さっきまで5人でワイワイ食事をしていたのだが、リフレーンがバイオリンを取り出すのをみんなで見つめ、しばしの静寂が流れた。
リフレーンはバイオリンを構えると、さっき食事中にラクレッタが鼻歌で歌った歌を挨拶代わりに軽く弾いた。
「え、この歌知ってたの?」
「すごい物知りだな!この地方だけに伝わる民謡のはずなんだが。」
「いえ。さっき聞いて、なんとなくこんな感じかなぁって思って」
「スゴイ!天才なのね!」
「まぁね。」
リフレーンは少し得意げに笑うと、演奏を再開した。鼻歌で聴いたフレーズをベースに、アレンジを加えて即興でメロディラインを紡ぎ出す。演奏技術としてはかなり高度なものだったが、聴き入るというよりは皆が手を叩きたくなるような、盛り上がる曲調にしていた。
最初は座って肩を揺らしながら聴いていたラクレッタだったが、我慢できなかったのか立って踊りだした。両親はそれを見て、愉快そうに手を叩いて合いの手を送る。傍観していたジンセンフもなんだか気分がノッてきて、立ち上がって盛大に踊りだした。
夢中で踊っていたラクレッタも、途中でジンセンフの激しく、流麗なダンスに気付いてからは自分が踊るのをやめ、バイオリンの名演奏とダンサーの踊りに見惚れていた。
演奏が終わると、ラクレッタが1番大きな拍手を送った。
「2人ともすごいすごい!!」
「今日はなんて楽しい1日だろう!ありがとね2人とも」
「さて、食器を洗わないと。ゴルナグラ手伝ってね!あ、若い3人は座ってお喋りでもしてて。」
「ありがとう、ママ!」
「それにしても知らなかったわ。ジンセンフがまさか、こんなに踊りがうまいなんて。」
「呼吸術の《スピリット》で、かなり身体能力を底上げしてるからね。風の性質に似てるからルール通りに動くとかは苦手だけど、自由に体動かすことに関しては負けないよ。」
「あんたの能力もなかなかのチートよね。」
「ちゃんとそれに見合った努力をしてますから。リフレーンだって、魔法使って超絶技巧の演奏してたじゃん。」
「いっとくけど、アタシの方は、別に《スピリット》は使ってないわよ?今のは完全な演奏の技術だけ。バイオリンも初めはただただ好きでやってたんだけど、ちゃんと血のにじむような努力をしているんだからね。」
「2人ともアタシと同じ年くらいなのに、なんかスゴいね!」
「ごめんラクレッタ、無視して会話進めて」
「うんいいのよ、それより聞いて欲しい話があって」
両親が台所にいなくなったのを再度確認して、さっきまでとは違って少し真剣な顔をしたラクレッタが切り出した。
「実はジン君とリッフンにお願いがあるんだけど、いいかな?」
「いいよ、どんなこと?」
「3日後に街でダンス大会があるんだけど、その大会が男女ペアでしか出れなくてね。ジンくん一緒に出てくれないかな?」
「オレで良ければ喜んで。」
「ありがとう!!あんなに上手に踊れるなら優勝間違いなしだわ!あのね、私も18才になって今年から出場できるんだけど、相手もいなくて。けど、どうしても出たくてずっと練習してたの!最初はパパに参加してもらおうかなって思ってたんだけど、パパ全然ヘタっぴなままだし笑。だから出るの迷ってたんだ。」
「そうだったんだ」
「それでね、リッフンにもお願いがあるんだけど、バイオリンで伴奏してくれないかなぁ?」
「いいわよ。3日あるなら曲も覚えられるでしょうし。」
「やったー!!!」
「コラコラ、出会ったばかりで事情も知らない2人に、そんなムチャなお願いをしてはいけないよ」
食器を運び終わったゴルナグラさんが娘を軽くたしなめる。
「あぁ、ごめんなさい!そうよね!リッフンて言う恋人がいるのに、ジン君と一緒に踊ったりしたら気が悪いよね。気づかなくごめんなさい!ホントにアタシは世間知らずよね!」
「あ、そこは気にしなくて大丈夫よ。別に私たち、ただの旅のツレだからさ。」
「そうなんだ、私てっきりラブラブの恋人だと思ってた!勝手に変な誤解してごめんなさい!」
「いいのよ。そういう勘違いはもう免疫あるから気にしないで。ゴルナグラさん、アタシ達ももう少しココに居させてもらえるなら出場してみたいです。」
「もちろんウチは大歓迎さ!じゃあ悪いけど、娘のワガママに付き合ってもらえるかな?」
「わかりました!ダンス大会は3日後なんでしょ。早速今日から練習するわよ。」
「ありがとうリッフン!ジン君!」