アヒージョ求めて、谷越えて
モデルの舞台:トリフト橋と崖 (スイス)
遠くのほうまでいくつもの峠が連なり、山の斜面には荒々しい岩肌が広がっている。風が岩を打つたびに、乾いた音が遠くに反響していた。所々に生えた雑草が風に揺れ、辺りは灰色と若草色が混じり合うことなくマーブル模様に彩られていた。空は澄み渡り、時折冷たい風が吹き抜けていく。
その中を、銀髪の少年が1人で歩いていた。左側だけ長い髪が、風向きとは違う方向に靡いている。腰にはむき出しの刀を差している。刀身は手首ほどの厚みがあり、ツバがない代わりに刀身から流線型の装飾が伸びていた。
少年の足元は急な斜面が続くが、彼はまるでその険しさを感じさせることなく、飄々と歩いている。足を進めるたびに、乾いた土や小石が風に巻かれて音を立てて飛んでいく。その音が耳に届くたび、少年は微かに笑みを浮かべた。彼にとって、この厳しい自然の中に身を置くことは、何の苦でもないようだった。
やがて景色が開け、村が視界に入った瞬間、少年は躊躇なく走り出した。風がその背を押すように彼を包み、遠くで微かに聞こえる村のざわめきが、次第に近づいてくる。
まだ昼前だったが、とっくに腹が減っていたので、目に入った定食屋に入った。
出された水をがぶ飲みして空腹を誤魔化しながら、メニュー表をじっくりと眺める。1番心を惹かれた料理を、意気揚々と注文した。
「お兄さん、このじゃがいものアヒージョをください!」
「ごめんお客さん、アヒージョはやってないんだ。実は今、オリーブオイルを切らしててね。」
「えーーー!」
「メニュー更新してなくてごめんね。」
「マジかぁ。どうしてオリーブオイルがないんですか?」
「原料のオリーブはこんな高地の村では育たないから、いつも麓の村から取り寄せているんだけどね。数日前にハリケーンが来たせいで、村唯一の外へのつながりになってる吊り橋が壊れてしまったんだ。」
「でも、オレ山登ってこれたよ?」
「君みたいな体力のある旅人なら平気だろうが、普通の人にとってはかなり骨が折れる。行商人は割に合わないから、来てくれないよ。」
「そういうもんなのか。」
「うちの店は元々アヒージョが1番人気だったから、まったく商売あがったりだよ。」
「じゃぁ、ジャーマンポテトください!」
「はいよー、それなら喜んで!」
少年のじゃがいもへの熱いこだわりに、店主が応えた。
「お兄さん、ジャーマンポテトは胡椒がきいてて結構おいしかったよ」
「ありがとよ!こんなので良ければまた来てくれよな。橋が無くなったせいで旅人も減っちまったから、久々に君が来てくれて嬉しいよ。オレの名前はインビテ。君は?」
「オレはジンセンフ。色んな街や村を旅してる新聞記者なんだ。記者って言っても、自分の気に入ったことしか書かないから、ほとんど食べ物の記事なんだけどね。」
「へー、そりゃおもしれー生き方してるな!」
「ありがとう!そういえばさー、その橋はいつ頃直る予定なの?」
「いや予定はないよ。」
「でも村の生活困るでしょ?」
「仕方ないさ。あの橋は、もう何十年も前に作られたものでね。修理ぐらいなら今までもできてたんだが、イチから立て直すとなるともう職人がいないんだ。」
「そっか。」
「だから、もうこの村ではオリーブは諦めるしかないのかもなぁ」
「あのさ、その橋がかかってた所に連れてってくんない?」
「お安い御用さ。昼間の掻き入れ時が終わったら案内してやるよ。その時にまた店に来てくれ。」
再び店を訪れたジンセンフは、大きなリュックをパンパンにしていた。手には背丈ほどの棒を何本か束ねて持っている。
「もうそんなに買い出ししたのか?」
「まぁね。いろいろ入り用になると思って。それより、早く例の場所に連れてってよ。」
「そうだな。村からちょっと遠いから、早足で行くぞ。」
荷物は宿に置いていけばいいのにと、インビテでは気になった。ただ、旅人の流儀にわざわざ口出ししてもしょうがないと思い、それ以降は黙って橋があった場所まで先導した。
案内された場所は、途中で完全に地面を失っていた。崖の先は200メートルほど先に向こう岸が見え、谷底深くには黒い岩が並ぶ地面が見える。
「ちょうど追い風だし、何とかなるかな。」
そうつぶやくジンセンフは、手に持っていた棒を地面に並べた後、リュックから紐の束と大きな白い布を取り出した。インビテが不思議に思いながらも黙って見ている横で、ジンセンフは器用に組み立てていく。数分すると、翼が4メートルほどのハングライダーのようになった。今度はかなり長いロープを取り出して、橋の残骸であろう木の柱に念入りに縛りつけ始めた。
「まさか、ここから飛んで向こう岸に行こうって言うのか!?」
「さすがインビテさん、察しがいいね。」
「そりゃムチャだ!そんな『羽』を使ったって、あんな遠くまで届くわけないだろ!」
「ダイジョーブ、俺に任せて。」
そう言うとジンセンフはハングライダーを背負い、ロープを肩にかけ、崖に向かって走り出した。
「あっ」
あまりの急展開にインビテは静止することもできず、声だけが漏れた。
少したって我に返った。ジンセンフがそのまま転落したかと思い、恐る恐る崖の淵に駆け寄って谷底を覗いた。
谷底には無惨な姿のジンセンフ、、、ではなく、崖から離れた所で滑空している白い翼が見えた。インビテは目の前でその光景を見ていても、あの簡単な作りのハングライダーが飛んでいるのが信じられなかった。
それでもハングライダーは少しずつ高度が下がっているのか、段々と小さくなっていく。ロープを絡ませることなく順調に伸ばしつづけてはいるが、このままでは向こうの崖に辿り着く前に、谷底に墜落しそうだった。
「ちょっと厳しかったかぁ」
物凄い風に包まれる中、ジンセンフは心の中でそう呟く。
向こうの崖まで残り4分の1となったところで、ハングライダーと自分を繋ぐ肩の紐を切る。そして反動をつけるように、谷底に向かってハングライダーを捨てた。
次の瞬間、縦に宙返りをした。
宙返りの瞬間に、突風が吹く。
その風に押されたジンセンフは大きく前進するだけでなく、浮き上がってさえいた。
宙返りを終えて、再び見えた向こうの崖にはなんとか手が届きそうなものの、目の前はほぼ垂直の壁。
腰に差していた刀を抜いた
宙返りの勢いそのままに、頭が上に来た体勢の時に刀を振り下ろして崖に突き立てた
すごく硬いはずの岩肌に、見事に刀は突き刺さる
「ふうっ」
ようやく一息つけたジンセンフは、刀にぶら下がりなら息を漏らした。
両足と右手が収まる窪みを見つけると、左手で刀を抜く。崖の窪みを見つけては手足を引っ掛けて、スルスルとよじのぼっていった。
登り終えると、向こう岸に繋がるロープをピンと張って、元々橋があった柱にロープをくくりつけた。
ジンセンフはロープにぶら下がると地道に両腕でつたって、腰を抜かしたまま待っているインビテの所まで戻ってきた。
「ただいまー!」
「よかった、無事に戻ってきて。いきなり崖から飛び降りるからびっくりしたぜ。飛べるんだったら先に言ってくれよ!っていうか、なんで飛べてるんだ!?」
「ごめんごめん、ちゃんと説明すればよかったよね。まぁ『飛べる』わけではないんだけどね。さっき見ての通り、ちょっと《風》と仲良しな体質なおかげでね、これぐらいの崖ならなんとかなるかなと思って。」
ジンセンフはそう言った後、足下の草むらから数本草をむしり、手のひらに広げた。
草が段々と浮き上がり、手のひら数十センチの辺りで渦巻いた。
「これがオレの能力なんだ。」
「えっ、どういうこと?」
「自分の周りの《風》を自由に操れるんだ。といっても、自分自身を《風》に乗せて飛ぶには、さっきみたいにハングライダーを使わないといけないんだけどね」
「いや、めちゃくちゃ凄いな!世の中には魔法みたいな特殊な人間がいるって噂では聞いたことあったけど、初めて見たよ!」
数日後、ジンセンフの通したロープを元に、なんとか仮設の橋が完成した。ひとまずは最低限の往来ができるようになった。
無事にオリーブを手に入れたその村で、ジンセンフはインビテの店でアヒージョを堪能していた。
「あーうまかった。たしかにアヒージョが一番ウマイね!」
「ありがとよ!アヒージョ再開の1人目にふさわしいリアクションだよ。」
「会ったときにも言ったけど、オレ記者やっててさぁ。ここのアヒージョを紹介するような記事書いてもいい?」
「そういえばそんなこと言ってたね。風の能力がスゴすぎて、記憶から吹っ飛んでたよ。もちろんさ、宣伝してくれればありがたいよ。崖の綱渡しのお礼もあるし、もし良い記事だったら3日間ウチの店食べ放題でもいいよ!」
「やった!その言葉、忘れないでよ?」
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