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まず皆を救え。泣いたり叫んだり迷ったりは家でやれ。金や名誉が欲しいならやめちまえ。それはヒーローのやることじゃない。と、若いときに言っていたらしい。

作者: コカ

 






 『本日未明、港にて原因不明の爆発が相次ぎました。××団残党による犯行という疑いが強く、現場に駆けつけたヒーロー達により……』


 そんな物騒なニュースがテレビから聞こえてきたのは、僕が掃除をしようとリビングに顔を出した時だった。


 「……悪いのが多いなぁ」


 なんて、まるで人事のように呟いたのは親父だった。

 現場は隣町、割と近いにもかかわらず、知ったことかといった風情で屁をこいている。


 あの尻に蹴りを入れたいと何度思ったことだろう。


 今日も今日とてリビングの真ん中にパンツ一丁で寝転がり、駄目な父親像を僕へと見せ付けてくる。

 しかもいちいち尻からガスを出すので始末に終えない。ブースカブースカよくもまぁ出るものだ、掃除機を片手に溜息が出てしまう。

 まったく、母さんがいない日はいつもこうだ。

 無精ひげを剃りもせず、寝癖だらけの頭のまま日がな一日ゴロゴロと、これといって働きにも出ず、かといって家の事をするわけでもない。

 たまにぶらりと出て行ったかと思えば、どこで何をしてきたのやら。先日なんてパトカーで帰ってきたもんだから肝を冷やした。

 母さんは流石に慣れたもんで、お世話になりましたなんて缶コーヒーを警察官に手渡していたが、あれはもしや一種の賄賂ではないだろうかと怪しんでしまう。

 そういった地道な口封じが、オヤジの収監を防いでいるように思えてならないのだ。


 そんな我が家の大黒柱でもある母が出張から帰ってくるのは次の月曜日。

 今日が火曜だからあと一週間近くもあるのか。そう考えるとげんなりしてしまう。


 掃除の邪魔だと親父をどけると、返事代わりに屁を浴びせられた。あまりの臭さにムカッ腹が立ったが、同時にこれが自分の親父なのだと思うと少し涙が出そうになった。


 つくづく思う。

 こんな男とよく母さんは結婚したものである。


 だらしなくて汚くて尊敬もできないこんなヤツのいったいどこがいいのだろうか。

 何度母さんを問い詰めたか分からない。だが、さすが親父の嫁である。この旦那にしてこの妻ありだ。

 惚れた弱みというのだろうか、外ではしっかりものの美人キャスターで通っている母なのだが、世の中には恐ろしい事もあるもので、あろうことかこんな親父にぞっこんなのである。

 そして呆れ顔の僕に、決まってこういうのだ。


 『パパはね、正義の味方なのよ』


 なんだそりゃ。夫婦そろって馬鹿なのだろうか、本気で息子を辞めたくなる。

 まぁ、きっと妄想の類なのだろうが、母さん曰く、僕の親父は正義の味方だったらしい。


 その名も、ヒーロー『ピーカブー』


 名前こそ可愛いものの、当時はイケイケの武闘派で、その残虐非道なファイトぶりに悪の軍団は軒並み震え上がったそうだ。

 滅ぼした悪の組織は大小合わせ百をゆうに超え、その悪に対する容赦の無さから、正義に魂を売った悪魔とさえ言われたらしい。

 ただそのあまりの強さゆえ、悪組織からの報復が激化。しかも直接親父に手を出してもかなわないからと、何の関係もない一般人が標的とされたのだ。

 特に被害にあったのはメディア関係の人間だった。

 親父の正体を探ろうと雲霞の如く詰め寄ったのが原因だったのだろう。そんな彼らに悪の組織たちが目をつけたのだ。

 何らかの情報を手に入れただろう、ピーカブーの弱点をつかめるかもしれない。親父の圧倒的な強さはすでに敵陣営の冷静さをも奪っており、恐怖でがんじがらめになった彼らは片っ端から新聞屋、ジャーナリスト、カメラマン等を手当たり次第に拉致。情報を持ってないと知るや激高し、虐殺を繰り返した。


 これが後の世に言う、かの有名な『メディアショック』だと母はいうのだ。


 当時、新聞社やテレビ局が活動を自粛し、ほんの少しの期間だが、日本は混乱に陥ったという。

 そのこともあって、親父は皆に惜しまれつつも戦線から退くことを決め、地下に潜ったらしい。そうしてひっそりと表舞台から姿を消し、今に至る。


 とまぁ、百パーセント大嘘なのだが、母さんは本当の事だと言ってきかないし、親父は屁をこくだけで何も語らない。


 確かに親父が活躍したらしい時期は、第二次世界危機と言われるほどに悪の組織が乱立、幅を利かせていたと授業で習ってはいたが、そもそも、それならばなぜ親父の名前が世に出てはいないのだ。

 レッドマスク、荒鷲のジョナサン、パワーマン等々、この時代活躍したヒーローは数多く居れど、少なくとも教科書に親父の名前は載っていなかった。それこそ百以上の組織を潰したのなら、有名でなければおかしいはずなのだ。

 やはり、認めたくはないが母さんはどこかおかしいようだ。いや、そうとでも考えなければあの親父の嫁などやっていられないのかもしれない。

 まだ歳こそ三十中盤のくせに無気力で堕落しきった職のない旦那なんて、確かに目を覆いたくなるくらいの惨状である。なさけない。

 そんな、怒りや悲しみでごちゃ混ぜになった僕の視線に気がついたのだろうか。ふいに親父がこちらに顔を向けた。ちょうどテレビ番組がコマーシャルに入ったからだろう。立ち上がり何をするかと思ったら、おもむろに冷蔵庫を開けた。


 ……もちろんビールである。片手でつまみを探しながら、小気味よく喉を鳴らし始めた。


 いつもなら母親に叱られ諦めるのだが、今日はその天敵がいない。家は親父の天下である。

 ちなみにまだ夕暮れ時で、時刻は午後五時を少し回ったくらい。平日の夕方からうちの親父は仕事もせずに酒を飲んでおります。

 流石に、自由すぎるだろう。いよいよ頭にきた。文句のひとつでも言ってやろうかと、口を開いたら、


 「げぇふっ」『バブッ』


 顔の前で上下からのダブルパンチを喰らってしまい、たたらを踏んだ。

 同時にゲップと屁を放つとは恐れ入った。時間差で襲ってくる異臭攻撃に殺意が芽生えたが、いかんいかん、ぐっと堪える。


 「……へぇ、なるほどね」


 そっちがその気なら、こちらにも考えがあるさ。

 言うことを聞かない親父へと我が家限定の切り札を使うことに決めた。これ見よがしにスマホを取り出し、言い放つ。


 「……母さんに密告するぞ」


 見事、親父の動きを止めることに成功した。

 不満たらたらこっちに視線を向けてきたが、知ったことか。毅然とした態度で「あと五秒待ってやる」そう言ってやると、観念したのだろう。引っ張り出したつまみをそそくさと冷蔵庫に戻し始めた。


 「……そもそも俺はビールなんて飲んでいない。これは水だ」


 「うるせ。あ! 飲みかけを冷蔵庫にいれんな。臭くなるだろ、捨てろ! 」


 「あぁ、もったいねぇ……ったく、口うるさいのは誰に似たんだか」


 あんたの嫁だよ。言わせんな恥ずかしい。


 なおも晩酌を渋る親父を冷蔵庫から引き剥がし、強引に扉を閉めると、表に一枚の紙が磁石で留められているのを見つけた。


 「あぁ、ほれ。書いたからこれ学校に持ってけ」


 親父は思い出したようにプリントをむしりとると、面倒臭げに寄越してくる。そして一言こう告げた。


 「今度の参観日、父ちゃんが行くことになったからな」


 「は?」


 ……一瞬、時間が止まったかと思った。そして、見覚えのあるプリントに目を落とし、


 『授業参観出欠表』


 今度は心臓が止まったのかと思った。


 それから先は、もう死に物狂いだった。

 来なくていいと、出席に丸のついた出欠表を握り締め、まるで泣きつくように必死で訴え続けた。たが、親父は聞く耳持たず。


 「ばぁか。行かなかったら父ちゃんが叱られるだろうが」


 聞くと、どうやら母さんが出張で行けないからと、変わりに親父を代理として立てたらしい。

 今の今まで一切の行事に参加しなかった親父である。今更出席するとはどういう事だと思ったが、母さんの命令ならば仕方が無い。

 力なく、ヘナヘナとその場にへたり込んでしまう。……母さんの命令は、我が家の絶対である。だからこれ以上どんなに騒いでも覆らないのだ。


 「本当は面倒だからイヤだけどな」


 地響きのような親父の屁をBGMに、僕は、文字通り目の前が真っ暗になった。



 ――結局、授業参観の日となってしまった。


 あの手この手と数多の方法で親父を参加させまいと努力したが、全て徒労に終わり、僕は教室で一人、机の上に突っ伏して絶望感に打ちひしがれていた。

 例のイベントは今日の二限目である。先ほど一限目が終わり、少しずつだが教室全体が浮き足立ってきているのを感じてしまう。

 あぁイヤだイヤだイヤだ。

 枕にした自分の腕にグリグリと頭をこすりつける。先ほどから止まらない溜息は、きっと僕の胃袋に穴を開ける事だろう。

 まったく今日ほど家出しようと思った日は無い。

 どこか遠くに旅立って、未だ見えない自分探しとしゃれ込みたい。だが前日に送られてきた母さんからのメッセージ『パパに恥をかかせないようにね(ハートマーク)』が絶妙なニュアンスをかもし出していた為、僕はキリキリと痛む腹を押さえながらも登校し、今に至るわけだ。


 「どうしたの、具合が悪いなら保健室にでも行ってきなさいよ」


 クラスメイトの少女が、前の席から心配そうに話しかけてくれた。だけど、出来ればそっとしといてもらいたいものだ。僕がそう言うと不機嫌そうにむっと頬を膨らませ、


 「なによ、今日はアタシのお父さんが来るのよ。アンタも喜んでたじゃないの、あのレッドマスクに会えるのかって」


 それはそうなのだが、その時と今とでは勝手が違うのだ。

 確かにスーパーヒーローであるレッドマスクを間近で拝見できなんて小躍りするほど喜ばしい事なのだが、今の僕の心理状態ではその嬉しさも半減してしまう。

 プリプリと腹を立てる少女をなだめていると、聞き耳を立てていたのだろう、今度は隣から大柄な男子が目を輝かせながら会話に混ざってきた。


 「知ってるか? このクラスって親がヒーローやってるヤツばっかりなんだってさ」


 知ってるよ。だから困っているんだ。

 そうなのである。このクラスの生徒は揃いも揃ってヒーローの血縁関係者ばかりなのである。目の前の少女は言わずもがなだし、この今話しかけてきた男子生徒もそうなのだ。

 まぁ、中にはレッドマスクのような教科書に載るスーパーヒーローもいれば、あまり認知されてないヒーローもいて、ピンからキリまでよりどりみどり。

 だが、僕の親父のような自称ヒーローは他にいないに決まっている。それがクラスの人間に親父を知られたくない原因のひとつでもあるのだ。

 例えば、


 『おいお前の親父、なんて名前のヒーローなんだよ? 』


 『僕の親父は、ヒーロー “ ピーカブー ” さ! 』


 なんて会話になるとするだろう。後は考えなくても分かる。

 

 『何だそれ? 聞いたことねぇ。ご当地ヒーローか? ゲラゲラゲラ』


 と笑いものにされることだろう。


 なんだってこんなクラス編成なのかと心の底から恨んだものだ。

 噂では無類のヒーロー狂である我が担任が心血を注いでハーレムを作り上げたらしい。

 少年時代に憧れたヒーロー達とお近づきになれるのだ、その気持ち分からなくもないが、もし本当ならまともじゃない。


 悶々としているうちに、始業ベルが鳴り響き授業が始まってしまった。


 颯爽と教室へ入ってきた担任はやけに気合の入ったスーツ姿で、まるで蒸気機関車のように鼻息が荒く、あそこまで瞳をギラつけせているのだ。あの様子では例の噂は本当かもしれないな。そう考えずにはいられない。


 それとほぼ同時だろうか、突然クラスの入り口付近で歓声が上がった。どうやら一人目のヒーロー(父兄)がやってきたようだ。


 僕も担任ほどではないがヒーローに憧れる一人の少年である。反射的に入り口へと顔を向けようとして……いかんいかん。思いとどまった。

 良く考えろ。うかつな行動は命取りだと自分自身に言い聞かせる。

 なんせ皆の親が来ているという事は、僕の親父も居るという事であり、もし不幸にもあの親父の姿が僕の視界へ入ってみろ。そんな輝かしいヒーローの中、あのダサくて不潔な姿を見てしまっては、発作的に教室の窓から飛び降りかねない。

 迫り来る現実という名の恐怖から目を背けるように、体を震わせながら黒板へと顔を固定する。

 その間にも次々と教室へ父兄ヒーロー達が入ってきているようで、そのつど生徒達から歓声が上がる。


 「やべぇ! 疾風のエースだ! 俺、大ファンなんだよ! 」「なんだマジシャンズ・ドラゴンって、お前の親父なの? じゃぁ、ウチの親父と同期じゃん」「きゃあ~! シン様よ! チーム『ムーンライト』のエース、シン様よ! かっこいいっ! 」「え? わたくしのパパと貴方のお父様、昔チームを組んでらっしゃったんですか? ……なるほど、そうですか。そ、それならどうですか、今度わたくし達も、その、ち、ちち、チームを組んでみたりしちゃったりして、手取り足取り、くんずほぐれつ、きゃっ! わたくしったら! 」「先生、隣でまた暴走してます。マジ勘弁してください」


 そんな喧騒の中、僕はというと下唇をかみ締め、机の下で拳を硬く握っていた。

 見たい。非常に見たい。恐らく教室の後ろはヒーローの見本市と化していることだろう。

 図鑑やテレビの中でしか見たことのない彼らを生で見る機会など早々無いはずなのに……。

 おい担任よ、少しは静めないと周囲のクラスから苦情が来るぞと、なかば八つ当たり気味に叱りつけたくもあったが、……ありゃダメだ。

 教壇に立つ担任はすでに心ここにあらず。まるでメタルバンドのライブにきた、熱狂的なファンの如く狂ったように奇声を上げていた。

 ふと廊下を見ると隣の生徒や先生、はてはまったく関係のない父兄達までもが集まっており、我がクラスに入るたくさんのヒーロー達にその瞳と心を奪われているようだった。

 クソ、ちくしょう。のどから手が出るほどに見たい。でもあの親父は死んでも見たくない。だが、僕の頑張りをあざ笑うかのように、突然歓声がすさまじいものとなった。


 ――このときほど、ほとほと人間の反射という反応を憎く思ったことは無かったね。


 僕の身体は意思という名の枷をやすやす引きちぎり、無意識にけたたましい歓声の渦の方へと顔を向けてしまったのだ。


 そして、絶句した。


 まず目へと飛び込んできたのは、その逞しい胸板。次に、引き締まった腰周り。それでいて長身のせいかスラリと見える体躯に、何といってもあのさわやかフェイス。


 そこには、あのレッドマスクが立っていたのだ。


 振り返った少女が、「お父さん」はにかみながら手を振ると、皆に握手を求められながらもあの百万ドルの笑顔を見せてくれた。

 それを角度的に僕へと送られたように錯覚してしまい、先ほどとは違う、興奮を飛び越えたまさに絶頂で身体が震えた。

 小さな頃、テレビに映る彼の姿に感動した。

 こうなりたいと目標にした。

 追いかければ追いかけるほど、彼に憧れた。

 そして、やはりスゴいヒーローだと誇らしかった。

 そんな彼が、あのレッドマスクが、僕に笑顔を下さったのだ。今なら死んでもかまわない。あまりの感動に涙が出そうになってしまう。


 それからしばらくは、授業が続行不可能となった。当然、皆が稀代のスーパーヒーローであるレッドマスクへと押し寄せたのである。老若男女問わず、押すな触るな引っ張るなのすったもんだ状態。

 もちろん僕も握手やサイン、あわよくばハグでもしてもらおうと、押し合いへし合い、人山を一心不乱に掻き分けて行った。……そこまでは良かった。

 そう、そのままわき目も振らずただレッドマスクへと突撃すればよかったのだ。だが、僕の瞳は捕らえてしまった。


 彼の後ろにある、開きっぱなしの我が教室の扉に、あの男が立っているのを。


 僕は本日二度目であるが、言葉を失った。

 まず目へと飛び込んできたのは、その首元がヨレヨレに伸びたTシャツ。次に寝癖のついたままあちこちに髪の毛が跳ねた頭。かろうじて無精ひげは剃ってあったが、あのやる気の無い目は見間違えようはずも無い。


 なんたってそこには、我が恥ずべき親父が立っていたのだ。


 首から下げた保護者証がなければ、間違いなく入り口で止められたことだろう。いや、いっそ止められて欲しかった。

 舞い上がっていた脳に氷水を浴びたように、僕の頭は真っ白け。

 突然立ち止まった事をわずらわしく思ったのだろう、誰かは分からないが僕の背中は突き飛ばされ、人ごみの中をまるでピンボールのように、あれよあれよと親父の前へと突き出されてしまった。


 「よぉ」


 親父は面倒そうにクラスの様子を眺め、あくびをかみ殺しつつ飄々とたずねてくる。


 「なにやってんだ? すごい騒ぎだな」


 どうしてそんなだらしのない格好なのかとか、いろいろと聞きたいことはあったのだけど、僕の口から言葉は出ては来ない。今はただこの情けない男が自分の親父だなんて死んでも回りに気づかれたくなかったのだ。

 顔をそらす僕に親父はなにか感じ取ったのだろう。薄く笑みをこぼすと短く鼻を鳴らし、教室を覗き込んで、……突然「お」っと息をこぼした。

 そして、早く帰れと願う僕の隣で、おもむろにとある人物の名を呼んだのだ。


 「お~い、レッドマスク~」


 それは無駄に良く通る声だった。


 当然のようにレッドマスクの耳にも届いたようで、彼は多くの取り巻きと共に、こちらへと顔を向けた。

 なんということを! こんなヤツが親父とばれたら一大事だというのに! 

 声にならない悲鳴を上げてしまう。すみませんこんな情けないのが気安く名前を呼びまして。穴があったら入りたいとはまさに今の僕にぴったりの言葉だろう。

 だが、そこは流石スーパーヒーローである。こんな男にも屈託の無い笑顔を送ってくれた。


 そう、親父のこの言葉までは。


 「あぁ、忘れてやがんな? 俺だよ、ピーカブーだよ!」


 ――僕はきっと、その時のレッドマスクの顔を忘れないだろう。いや、彼だけじゃない。その場にいたヒーロー達の顔をきっと死ぬまで忘れないだろう。


 突然だった。


 先ほどまで笑顔だったレッドマスクの顔が瞬時に凍りついたかと思うと、すさまじい勢いでこちらへ身体を向け、背骨に針金でも通したかのように背筋を伸ばし、顎を引いたのだ。

 思いがけない行動に、周りの生徒や先生、他のクラスの父兄たちは呆然と立ち尽くし、一瞬にして、教室がお通夜のように静まり返ってしまう。

 見ると、他のヒーロー達も直立不動、レッドマスクと同じ体制で固まっていた。皆、じっとりと脂汗をかき、中には小刻みに震えている人さえいる。


 「神っ!! 」


 なんて、唯一聞こえてきたのは担任の声だけだったけど、同時に何か人の倒れるような音が聞こえて、それっきり。

 一変した空気の中で、唖然とする僕の前。親父は雪駄を地面にこすりながら少し目の潤んだレッドマスクへと近づくと、


 「よう、元気してたか? 」


 彼の鍛え上げられた腹筋を軽く小突いた。


 「こ、ここ、光栄でありますっ! 」


 図鑑やテレビでは見たことのないレッドマスクの恍惚とした表情は、まるで憧れのヒーローに出会った少年もかくやといわんばかりである。

 親父と二三言葉を交わし、最後は直角に腰を曲げ、見事なまでのお辞儀を見せた。


 ヒーロー(父兄)たち以外、皆があんぐりと口を開けている中、親父は父兄ヒーロー一人一人と挨拶を交わしていく。


 「あの時は、助かりました」「おう」「その時戦った敵幹部と結婚しまして」「おう」「先日発表された新装備、あの時のアイディア頂いてます」「おう」「貴方は今でも目標です」「おう」「サイン下さい」「おう」「あ、ずるい! 」「俺も俺も! 」etc……


 授業が親父のサイン会と化して十分ほど経った頃だろう。親父の携帯が鳴り響いた。

 

 スマホを眺め、教室の壁がけ時計を一瞥すると、

 

 「そろそろ母さんが空港に着くんだとよ。迎えに行ってくらぁ」


 固まる僕に言い残し、去っていってしまった。


 扉を背にし、最後にヒーローたちに残した一言、『じゃあな』をきっかけに、教室がヒーローたちの大歓声に飲み込まれた。

 口笛や、拍手が鳴り止まず、皆、顔を真っ赤にして涙ぐんでいる。

 まるで、タイムスリップでもしたかのように、スーパースターに心ときめかす無邪気な少年少女達がそこにはいた。

 それは親父の姿が見えなくなるまで続き、夢見心地といった表情のまま、ヒーローたちは一斉に、空気の抜けた風船のようになっていく。そして、思い出したかのように次々僕へと詰め寄ると、「お父さんにヨロシク」深々と頭を下げて、まるで親父の後を追いかけるように教室から出て行ってしまった。


 先ほどの熱狂が嘘のように静まった教室内で、誰かが小声で僕に言った。


 「……お前の親父、何者なんだよ……」


 僕は答えることが出来なかった。




 これは後日談となるのだが、先日のことを母さんに話したところ、まるで恋する乙女のように頬を染めつつ、こう教えてくれた。


「パパが強いのは話したわよね? その上仲間のピンチは見捨てないし、どんなに遠くでも誰かが困っているなら誰よりも早く駆けつけたわ」


 それは知っている。小さな頃から耳にタコが出来るほど聞かされたのだから当然である。

 時間を超えるだの、瞬間移動できるだの、それでいて、瞬きする間に敵は血だるまだっただの。何もかもが荒唐無稽な与太話ばかり。


 だがもしも、だ。


 もしも、授業参観の一件もあることだし、嘘に塗れたその話が仮に本当だとすれば、そんなに強いヒーローならどうして親父は有名ではないのだろう。


 考え込む僕に、母さんは「ちっちっち」と舌を鳴らし、分かってないなと人差し指を軽く振った。


 「でもパパはね、あぁ見えて、と~っても恥ずかしがり屋なの。それに、身バレすると敵からの仕返しとか面倒でしょ。だから彼の素顔を知っている人はごく一部だけ。まぁ要するにあれね。――どこにでもいて、どこにもいない神出鬼没の謎のヒーロー」


 そこまで言うと、母さんはえへへうふふと笑いながらおもむろに自分の顔を両方の手のひらで隠し、パッと開いて見せた。


 「名前の通り、peekaboo。……いないいないばぁ、ってね」


 ――去り際の『じゃぁな』って台詞、痺れるほどにカッコよかったんだから。


 そう言った母さんの言葉をかき消すように、親父の屁が家中に轟いた。







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― 新着の感想 ―
[良い点] 文章が読みやすく書かれていて楽しめた。ヒーローものはイイゾ~これ。 [気になる点] 特になし [一言] これからも執筆を楽しんでください
[一言] 正体を晒した、つまり身バレしても大丈夫になった。 という事は少年の肉体はすでに
[一言] 日本ではただのひょうきんのおっさんにしかみられてない中野が当時欧州でツール取り捲ってたインデュラインにインタビューしたら直立不動でリスペクトされまくってるの思い出した。 地元でつねにいると評…
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