第20章 私はシャルロット
あの男さえ、いなくなればいいのに…
フランソワのやったことに、アンドリューは今だに腹をたてていた。
どうして病人を殺してまで彼らは国家に忠実であり続けるのか?
逃れられない運命なのか?
そんなことをかんがえながら、彼はシャルロットをおぶって小さな石造りの建物に入った。
「おや、お客さんですかな?」
旅行かばんをベッドのわきに置いて、荷物の整理をしている老人が、ドアをノックするとともに出てきた。
「あんた、医者なんだって?」
「ああ。 ああそうですとも。 あいにく今到着したばかりでね、白衣は着てないが、医者でないと言えばうそになる。」
老人は笑ってアンドリューにたずねた。
「こんな夜に訪ねてくるなんて、そうとうお困りのようだ。 しかも外人嫌いのこの街で。 だがよかった。 君は私を選んで正解だと思うだろう。 何の用かね?」
えらく聡明な顔つきで、痩せていて、しかしどこか気の抜けるようなしゃべりかたをする男だった。
「この子だ。 ほら、熱があるだろう?」
「どれ? ほお、これまたかわいい娘さんだ。 おっと、失礼…」
アンドリューとオスカーは、本当に任せて大丈夫なのかと顔を見合わせた。
「ん? うん、うん。うん!」
医者は何度か一人でうなずいて言った。
「かなり風邪をこじらせたようだ。 この分だと、体も弱っているから、三日くらい安静にしている必要がある。 それにしても辛抱強い子だ。 さぞつらかったろうに…」
医者の言うとおり、シャルロットは苦しみながらもしっかりと意識を持ち、ここに来るまで弱音一つはいてはいなかった。
そのせいでリディルはまたも彼女には貴族としての意識があるということを思い知らされた。
「お医者さん。お水は?」
「水? ああ、ここだ。 使うかい?」
彼女はうなずくと、布を浸してしぼり、シャルロットの額の汗を拭いてやる。
「私がついてるわ、シャル。」
何か自分が役に立てることはないのだろうか?
シャルロットの強さに、リディルはこのとき、憧れを抱いたのかもしれない。
「ところで、あんた外国人なのか?」
オスかーが医者にきりだした。
シャンドレーの街では昔から、外人は何をやらかすか分からないから、信用するなという風潮があった。
「ああ、大丈夫。 文句があるなら金はいらんよ。 今回は試しに来たんだ。 この街が、どれくらい外人に対する風当たりが強いのかをね。 で、君たちはその類なのかね? ぜひとも話をしたい。 なんたって私は、正真正銘のドイツ人、ヨアヒム・リヒトケルナ―なんだから。」
「残念だが、俺たちは難癖をつけるようなタイプじゃない。 この子を助けてくれたことに感謝しているよ。」
しかしアンドリューはシャルロットの眠っているベッドの横に腰掛けた時、肩に痛みを感じて顔をゆがめた。
「ん? どうしたのかね?」
「いや、大丈夫だ。」
医者に言われて彼は拒絶しようとしたが、代わりにオスカーが異変に気づいた。
「お前、あいつから逃げた時に撃たれたのか?」
「撃たれた? 銃の傷で? ぜひ治さねば、筋肉が腐る。 さあ、はやく。」
アンドリューはできれば娘の前で手術はしたくなかったのだが、リディルからの強い勧めもあって、仕方なく腕をまくった。
「う、うあっ!」
「じっとしてください。 娘さんは耐えてきた。 あなたも男なら、これくらいでうろたえてはいけません。 私なんて、足に三発もくらって、平気で夜通し歩いたくらいですから。 若いころの話ですがね。 はははっ!」
手術中だというのに、この老人はまるで真剣さがない。
しかしうでは確かで、治療の手際の良さにオスカーもうなるほどだった。
「終わりか…」
「ええ、痛くなかったでしょう? それでもあとは残りますが、これくらいなんともありません。」
「ああ、ありがとう。」
包帯を巻き終わると、彼はシャルロットの金髪をなでつけた。
すると彼女は小さくあえいで苦しそうにするのだ。
「よかった。 まにあってよかった。」
そばでヨアヒムの声がした。
それから二日後のこと。
「ここは?」
シャルロットは見慣れない部屋を見渡した。
そばには医者と思われる老人と、四人の男たち。
「誰なの? リディルは?」
どうやら二日も寝ていたせいで記憶が曖昧になっているようだ。
「シャル!」
そとで遊んでいたリディルは、彼女の声に気づいて駆け寄ってくる。
「よかった! シャル、ごめんなさい! ごめんなさい…」
シャルロットに抱きつくなり、リディルは涙をポロポロとながして謝りだした。
「いいわ。 気にしないで。 あんなことで怒るひとが悪いのよ? リディルのせいじゃない。」
彼女はリディルをなだめると改めて言った。
「この人たちは?」
「私のお父さん。 それでね、ほかの人はお父さんのお友達なの。」
彼女は全てを思い出した。
あの頑強な背中の感触、あの自分を包んだ大きな手のぬくもり。
目の前にいる男は、ずっと自分のために行動していたことを理解した。
「あ、ありがとう。」
シャルロットは照れくさそうにアンドリューに礼を言うと、ベッドから立ち上がって外へ出て行こうとする。
「おや、お嬢さんどちらへ? まだ病み上がりの身だ。 無理をするもんじゃない。」
ヨアヒムが引きとめるが、彼女は出ていこうとする。
「私、決めてたのよリディル。 親に捨てられても、一人で生きていくって。」
「えっ?」
リディルは何を言っているのよとばかりに、さみしそうな顔をする。
「自分の命なんだもの。 それくらい自分で守るわ。 ご先祖様に申し訳ないし、いつかは一人になるもの。 だからここであなたとはお別れ。 これから仕事を探して働きにでるのよ。」
「そんな。 嫌だよシャル。 一緒にいてくれないの?」
シャルロットは首を横にふる。
「せっかくお友達になれたのに、行っちゃうの? 私たち、まだ子供なのに、シャルはそれでいいの?」
「リディルの言うとおりだ。」
アンドリューが口をはさんだ。
「働きに出れば、誰も助けてくれない。 今みたいに君が熱を出したって、誰も診てくれない。 はたして生きてゆけるのかい?」
アンドリューの言葉に、シャルロットはしばらく黙りこんでしまった。
「出ていくといっても、君にはお金もない。 そうだ。 今日飲み食いをするために物を買うお金もない。 どうするんだ? 俺は君にとって他人でしかないけど、あの孤児院で見たときから、君のことを心配してた。 もちろんリディルも心配してる。」
「…」
「それでも出ていくと言うなら仕方ない。 止めることはできない。 俺もリディルも、ここにいる全員も。 もう少しよく考えてくれないか? 君がいなくなってしまったら、俺たちには君の生死すら分からないんだから。」
「うっ、ぐすっ…」
彼の声を聞いていた彼女は、どういうわけか突然両手を顔で覆って泣きだした。
貴族の生まれというのは厄介なもので、庶民とは違うことを教え込まれながら育てられる。
それゆえに、どこかで自尊心やらエリート意識やらが高まっていくものだ。
「強がっちゃいけないの? ううっ、強がってなにが悪いのよ。」
シャルロットは文字通り、自分の立場にもてあそばれていただけなのだ。
本当はリディルともっと一緒にいたかったし、この若さで社会へ出て行きたくなかったに違いない。
「どうしたらいいの? ねえ教えて…」
アンドリューの服のすそを強く握りしめて、涙は流れているものの、顔は絶対に見せず、彼の胸にすがるシャルロット。
「生きろ。 俺たちと一緒に。 リディルもそれをのぞんでる。 それとも、ほかに道が?」
「いいえ、ないわ。」
彼女は首を振ると、初めて泣き顔を彼に見せようとする。
しかし、そこには瞳を赤くしながらも笑顔のシャルロットがいた。
「やれやれ、本当に忍耐強いお嬢さんだね。」
ヨアヒムはシャルロットの頑強な貴族精神に、半ば感銘を受けた口調で言ったのだ。
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