第15章 逃亡
諸事情により、R15とさせていただきました。読者の皆様、なにとぞご了承ください。
また、マイページに自己紹介文を追加しました。興味のある方はぜひお気軽にアクセスしてください。
無数にできた傷が、罰の凄惨さを物語るなかで、フランソワの命令のおかげで、アンドリューの顔だけは無事ですんだ。
結局、長官は仮面の下をのぞくようなことはしなかった。
なぜだろう?
「私の経験からして、秘密を知ってしまったら、たちまちそれがつまらなくなるからだ。 だから、お前の顔は死んでから見ることにしよう。」
たずねたところ、彼からの返事はそれだった。
ちなみに彼が罰を受けた日から、老人がいなくなった。
どうしていないのかと兵士にきいても、何も答えず、しつこく問うと、うるさいという返事が返ってきた。
これもフランソワの命令なのだろうか?
それとも、老人を殺しはしないという話は嘘だったのではないのか?
ああいう人間ならやりかねないが、はっきりとした根拠はない。
「もうやめだ!」
アンドリューはついに気が滅入って床に大の字に寝転がった。
ここではそよ風にゆらぐ草の香りも、パリ郊外のフォンテーヌブローの森に生い茂る葉のざわめきも聞こえない。
ここで俺は死ぬのか?
「残念だ。 死は怖くない。 だがリディルを守ってやれなかったことが残念だ。」
こうして彼が絶望の淵に立たされていた時、またも交代の兵士が来た。
この一時間ほどの間に、すでに五回以上になる。
なにかあったのだろうか?
彼がそんなことを考えていると、今度は五分も経たないうちに交代が来た。
何かが変だ。
「今日は妙に交代が多いが、長官の命令か?」
さすがに不審に思い、交代しろと言われた兵士がもう一方の兵士にたずねた。
「ああ、そうだ。 だから早く行け。」
兵士はフランソワの命令ならば仕方ないと、半ば顔をしかめて出ていった。
だが今度は兵士が出ていった直後に、十人の兵士が縦二列にならんで現れ、声をそろえて交代の時間だ、と言ったのだ。
これを見た残りの兵士はおどおどしながら、互いに視線を投げあって驚きを隠せない様子だ。
「おい、今交代したばかりだろう? 一体何の必要がある?」
「分からないが、何かあるんだろう? あの長官の考えていることはさっぱりだ。」
「俺たちをからかっているんだろう? いつものことだ。 それとも、これも訓練だ。 諸君らの規律ある行動は、国家繁栄の輝かしい第一歩だ、か?」
「ふっ、はーっはっはっは!」
兵士たちはフランソワの口癖をまねして大笑いしながら、牢の外へと何の疑いもせずに出て行った。
あまりにまじめな台詞は逆に兵士をばかばかしいという気分にさせることがある。
普段は恐ろしいフランソワがこんな見方をされていることが、アンドリューにとっては驚きだった。
「おい、アンドリュー。 元気か?」
「ん? 誰だ?」
見知らぬ兵士に話しかけられ、彼はとまどった。
「俺だ。 オスカーだ。」
「なんだって?」
耳を疑ったが、彼に近づいてきた兵士は深くかぶった帽子をとって、代わりに仮面をつけてみせた。
「大丈夫か? こんなところで…」
「心配ない。 諸君。 我らが騎士団長にごあいさつしろ。」
するとオスカーの一言で、その場にいた全ての兵士が帽子を脱ぎ、仮面をつけアンドリューに頭を下げた。
「どういうことだ? どこからこんなにたくさんの仲間を?」
「今ははなすと長くなるから後だ。 それより時間がない。 リディルの居場所を突き止めないと。 だろ?」
彼は牢屋の鍵をポケットから取り出して言った。
「ほかの兵士はどこだ?」
「ああ、あいつらには少し眠ってもらうことにした。 別に殺しても良かったがな…」
その声とともにヴィクトルが出てきた。
相変わらず酒に酔った声は直っていなかったが、アンドリューにとっては彼に再会できたことがなによりうれしかった。
「よし、開いたぞ。 馬はエミールが外で待機させてある。 だから急ぐぞ。」
「なんだ? お前ら、何やってる? 仮面なんかかぶって。 今は勤務中だぞ? 長官に見つからないうちに、早く片付けろよ。」
そのときオスカーは焦りを覚えた。
一人だけ遅刻して、牢へこっそり入ってきた兵士の存在に気付かなかったのだ。
だが兵士は彼らが侵入者だとは思っていないらしい。
「悪かった。 片づけるよ。 でもお前も早く長官のところへ行ったほうがいいぞ。 お前の遅刻に怒って、今お前の罰を考えてる。」
「本当か?」
「本当さ。 遅れるほど厳しい罰になるそうだ。 分かったら早くしろ。」
「ああ。 ありがとう。」
ヴィクトルがうまく機転を利かせたおかげで、兵士は足早に執務室のほうへと走っていった。
「よくやったヴィクトル。 行くぞ。」
彼らは静かな足取りで素早く牢を抜け出し、外へと出た。
外ではエミールが馬に乗って部下たちとともに待っていた。
「エミール、久しぶりだな!」
だがアンドリューが彼に向って片手をあげてあいさつした瞬間、オスカーが声を張り上げた。
「おい、伏せろ!」
「なに?」
銃の音とともに、弾がものすごい速さでアンドリューの前をかすめた。
「うおっ! くそっ!」
「奴が来た! 急げ!」
後ろから怒りに満ちた顔のフランソワがわずかな手勢をひきつれて、アンドリューたちに向かって発砲したのだ。
「逃がすか! 撃て! 撃ちまくれ!」
逃がしてたまるか!
絶対にお前の化けの皮をはぎ取ってやる!
まんまと騙され、プライドを傷つけられた長官は我を失い、なかなか命中しない部下の銃を取り上げた。
「かせ! 私がやる!」
今は昼間だったが、周りは街から離れた牧草地帯だったため、隠れる場所がなかった。
彼は遠ざかり、すでにぼやけて見えるアンドリューに狙いを定めた。
「見ていろ! 今に見ていろ! 私をだしぬいたことを、後悔させてやる! 今だ!」
ドカン!
風圧とともに弾が騎士団のほうへと一直線にとんでいく。
「…」
一瞬、アンドリューが体をこわばらせたような気がしたが、彼はその後も何事もなかったかのように走り去った。
「ちくしょう! このくそったれ!」
フランソワは手にした銃を思い切り草地に投げつけた。
そして先ほど遅れてきたことを報告した兵士をにらみつけた。
「このマヌケが! お前のような奴がいるから軍の規律が乱れ、仮面をかぶった変態一人にも逃げられるんだ!」
兵士のゆるしを請う悲痛な叫びと、フランソワの怒りの声がその日の晩、長きにわたって響いたのは言うまでもない。