第12章 天罰は下された
「あ、あ…」
クロードはその場に座りこんだ。
今日ほど後悔した日はない。
フランソワに告げてさえいなければ、あの二人は今頃楽しい、ささやかな幸せに包まれていたことだろう。
「なんて自分はバカだったんだ! 人を犠牲にしてまで生きているなんて。 そして長官。 やはりあなたは恐ろしい人です! あなたのせいで、私の中の精神は病んでしまった。 もう自分は、私は私でいたくない!」
彼はゆっくりと向きを変えて海岸のほうへと走った。
そして水面に映る自分の姿に向かって言った。
「長官。 もうやめにします。 あなたのおかげです。 おかげで死ぬのが楽になりました。 それだけ最後に伝えておきます。 だってそうでしょう? 私は死ぬよりつらい経験をしたんですから。 本当は経験する前に死にたかったな…」
「ならばすでに終わった事だ。 経験してしまった事を今さら言っても仕方がない。 生きればいい。」
フランソワの声が聞こえる。
振り向くと彼がいた。
「終わりなんかじゃない! 一生続くんですよ? 死ぬよりつらいことがこれから何度もあるなんて、私には耐えられない!」
「だがなクロード…」
「嫌だ! 聞きたくありません!」
クロードは必死に耳をふさいだ。
「あなたはいつだってそうだ! 生かしてつらい思いをさせるじゃないか! 来ないでください。 もうおしまいです。」
彼は思いきり地面を蹴って空中に身を投げる。
風がヒューヒューと耳をかすめ、やがて全身には凍てつく海洋の世界が泡とともに彼に襲いかかる。
やっと解放される。
クロードは海の中にいるというのに、まるで激務をこなして家に帰って一息ついた時のような、実に力の抜けた、和やかな顔をしていた。
「死後の世界に秩序はあるのかな? 正義と悪はあるのかな? あるわけないか…」
クロードの思考はそれを最後に停止した。
母なる海へと人は帰る…
「おしまいか…」
フランソワは静かになった港を見て、クスクスと小さく笑った後、急に大きな声を出して叫んだ。
「お前は負け犬だクロード! 負けたんだぞ? 自ら負けを認めたんだ! 悪魔の男! あの仮面に騙されたんだ…」
何が心の弱さだ、何が感情をうまくコントロールすることが苦手な連中だ。
奴らほど心をうまく操れる者たちはいない。
彼は思っていることを次々に口にした。
「奴らは悪魔だぞ? 人を騙すことぐらい朝飯前の血も涙もない連中に、お前は魂を売ったんだ。 あわれなクロード…」
そう、あわれなクロード。
彼は目の前の地獄の光景から逃げたのだ。
「私のやり方がまずかったか?」
フランソワの異常なまでに激しい悪への制裁に、彼は心を動かされて自害したのではないだろうか?
「いいえ、そんなことは…」
近くにいた部下が言った。
「いいか、私に同情するな。 お前が思っていることを言え。」
部下は少しばかり困った顔になったが、恐る恐る口を開いた。
「私としては、その、彼の性格を考えると多少ながら…」
しかし部下が言いかけたとき、彼は思い切り片足を上げ、地面にストンと振りおろして気をつけの姿勢をとった。
「バカ者! 前にも言ったはずだ。 我々は国家の繁栄のために動く崇高な組織だ。 ガキの自殺ごときで血迷って、何が警察だ! 泣きたければ泣かせてやればいい! やめたければやめればいい! 私は試しただけだ。 クロードが、あいつが我々の威信を保つに足る存在なのかを! 奴にこの仕事は向いてない。 ただそれだけだ!」
部下は怯えきって声も出なかったが、フランソワは続ける。
「私に影響されて死んだとは、勝手な! やつはやつの意志で死んだ。 やつ自身の問題だ。 そもそもそんな弱い人間など我々には必要ない。 貴様もそうだ。 クロードに同情することは弱いあかしだ。 奴は我々の面子を丸つぶしにしようとして、見事にやってのけた! その意志の強さは買うが、私は認めない。 このまま潮にもませろ! いいな!」
「は、はっ!」
部下は敬礼すると一目散に走っていった。
「どうだ、楽になったろう?」
彼は再び揺れる海面の様子を見て笑う。
「なんという愚かなまねを。」
理想を追い続けたあげく、現実にざせつし、死に至る。
なぜ彼はそんな現実を変えようとはしなかったのか?
いや、変えようとはしていた。
神の意志を聞くという彼なりのやり方で、変えようと努力していた。
だが、その行動と考えに問題があった。
「彼らは弱いだけではないのでしょうか?」
実はクロード自身も弱かったのだ。
フランソワにも弱さがあるぞということばかりに気をとられ、自身はどうなのか、見つめなおす必要があったのだ。
しかし、あろうことか、彼は死ぬときまで自分の弱さに気づくことができなかった。
「自分は弱い奴らとは違う。」
そんな意識があったからこそ、弱さに気づかなかったのかもしれない。
これは強いていう一種のうぬぼれのようなものだ。
「悪にはなりたくない!」
彼自身もはっきりそう言ったのだから、自分は正義だから大丈夫だと、無意識のうちに決めていたはずである。
決めていたのではなく、フランソワに決めさせられたと言ったほうが適切であろう。
弱さゆえの自害。
弱さゆえの意志のぐらつきと後悔。
神の意志とは、彼に傲慢になってしまったことを戒めさせること。
つまり、フランソワを使って彼に自害をさせるよう仕向けた神がそこにいたのかもしれない。
神は信じる者全てを救うと言うが、それはあくまで人のつくりだした理想に過ぎない。
もともと神は人の味方をするという考えが、うぬぼれの証であるかもしれないのだ。
それでも人々は災いが起きると、神でも破壊神だの邪神だのと都合のいいように使い分ける。
まるで自分たちが神の支配者にでもなったかのように…