⑨アンティーク市場
「落ち着いて話せば大丈夫だから」
「……うん」
マリラは先日孤児院で会ったカトレアという名前の、商会も経営している家のお嬢様と個人的に会う約束をしていた。場所はいつもマリラが午前中に働いている公園内のカフェで、一緒に話を聞いて欲しい、とお願いしたレイは平然とした態度で隣に腰掛けている。
そのカトレアが今日は貴族の令嬢らしい恰好に、使用人まで数人引き連れてやって来たのでマリラは驚いた。横でレイが、お嬢様は一人で出歩いたりはしないのでその人達の事は気にしなくていいと言われたが、どうやっても緊張してしまうのは避けられそうになかった。
どうやらカトレアは、本気でマリラを商会に雇い入れてくれるつもりのようだった。海の向こうからやって来る隣国人の観光客を午前中から夕方まで相手をする仕事。マリラと同年代くらいの女の子も働いていると説明された。
試しに隣国語でやり取りをしたが、問題なさそうだと彼女は判断したらしい。親元から通うか、商会が借り上げている寮があるからそこに住むようにして、と打ち合わせは順調に進んだ。
レイから、向こうには調査能力があるから、事情は正直に説明するべきだと忠告されていた。出自に関係する情報は、調べればすぐにわかってしまうと諭されたので、そのまま話した。孤児は信用できないから駄目だ、と言われた事もあったので心配だったけれど、カトレアは大丈夫だと言ってくれた。
「レイさんの知り合いとして父には説明しておくから、安心して。妹のブルーベルが唯一大人しく話を聞く先生だから」
そうですよね、と同意を求められたレイも真面目な口調で、ブルーベル嬢もマリラもひたむきさに頭が下がる生徒さんですよ、と至極真面目な同意を口にした。
一度、職場も見学に行く約束をして、カトレアは従者を引き連れて帰って行った。マリラはしばらくぼんやりと背もたれに身体を預けてぼんやりと、自分の生活環境が大きく変わる事について、様々な思いを巡らせた。少なくとも収入は増えて、夜遅くまで働かなくて済むようにはなりそうだ。
「大丈夫?」
レイはいつの間にか席を立って、飲み物をもう一杯買って来てくれたようだ。おめでとう、良かった良かった、と子供ではないので大はしゃぎするような言い方ではないが、心から喜んで、安心してくれているのは明らかだった。
「うん」
でも、とマリラ呟いた声はレイに届いただろうか。今、説明された通りの生活が始まるとすれば、ちょうどこの時間にはもう働いている。
「レイさん、さっきの新聞読みかけだったの。もう一回見せてもらっても大丈夫?」
まだまだ勉強する事はたくさんあるけれど、それとは別にこの先もう二人で会う時間は、必要性は。マリラは話題を変えるために、カトレアが来る前に読んでいた新聞記事を探した。
街の大きな劇場の公開されている公演について、大きく紙面が割かれている。まるで本物の炎のような見応えのある演出に魅了された客の入りが、とて盛況な事が書いてあった。
レイが以前、夜の裏通りでマリラに見せたあの炎。売れない発明家と言っていた割には、売り込みに成功したのだそうだ。今までは公園や広場に即席の舞台を作って公演していた小さな劇団相手がだったのだが、今度はちゃんと劇場で上演するような大きな規模の団体らしい。
「……僕も今度はもう少し、複雑な物を作ってみようかと思って」
一体何が複雑で、何がそうではないのか。マリラにレイが作るまるで魔法のような作品の事はわからない。この先どんな風に変わって行くのか、想像がつかなかった。
へええ、と先ほどの話に戻らないように、そして動揺しているのを悟られないようにしながら、マリラは新聞を捲って別の話題を提供した。
魔女、もしくは魔法使いの集会があるらしい、と銘打ったイベントが街のあちこちに貼り紙や立て看板、それからレイの読んでいる新聞にも度々小さく四角い広告が出ている。
「この催しはね、アンティークショップと言えばいいのかな?」
今日はその日付の当日である。新聞の見開きを丸ごと占領して、大釜をかき混ぜる、黒服姿のおばあさんの絵姿が載っていた。公園の中央広場に本日の日付。朝の九時から午後の四時、という案内が並べられている。
『世界中から集まった、ちょっと不思議な魔法使い達が、皆様のご来場を歓迎します!』
下に掛かれた説明文によると、職人と称された人々が丹精を込めて製作した古い道具や、普段は手に入らない異国の収集品や薬草が手に入るらしい。
「つまり、骨董市?」
「そう、何か使えそうな掘り出し物があるかもしれない。それから、単純に楽しそうでもある、と思わない?」
彼が楽しそうに話をするので、マリラこの広告がまだ新聞の隅にちらほら掲載され始めた頃から行きたいね、と喋っていたのである。そんなわけで二人の意見は一致して、公園の中をのんびり連れ立って歩き出した。あちこちに設置されている、黒猫と会場の方向の矢印が描いてある看板を辿って、ちょうど開始時刻くらいになりそうだ。
もしかしたらレイの、魔法使い仲間に出会えるかもしれない。そんな冗談めかしたやり取りをしていると、あちこちから人々が集まって来ているらしい。辿り着いた広い公園の開けた一画にはたくさんの黒い天幕が集まって、小さな集落が突然現れたような光景が広がっている。既に人だかりができていて、何かお香のような物を焚いているのか、薬みたいな変わった匂いがしていた。
入り口のアーチ型の門をくぐると、黒い天幕が両側に並んで道を作っている。いかにもそれらしい丈の長い外套、もしくは対照的に色鮮やかな民族衣装らしき恰好の人達が、入場者を待ち構えていた。
「ねえ、北国の魔女お手製、美味しい滋養強壮スープだって。レイさんは何から見たい?」
入り口の大きな案内板によれば古い品物と、食べ物を提供する出店とで会場が二つに分かれているらしい。レイにどこか行きたい店があるのかと尋ねて見たが、道なりに沿って見たいそうなので、マリラは美味しそうな匂いの元を探す事にした。
いくらも歩かずにここだ、と足を止めると良い匂いがあたりに漂っている。人当たりの良さそうな女性が、即席のカウンターの向こうからこちらにどうぞと言わんばかりに片目を瞑って合図を送ったにで、レイに買って食べる事を提案した。
マリラは二人分のお金を出して、魔女を名乗る女性が二人分のスープ皿を運んでくるのをうきうきとした気分で待つ。
「……南瓜は具の一つなんだね。てっきり裏ごしでもしてあるのかと思ったけど」
「不思議な味」
お皿の中に多く入っている、この白っぽい物はなんだろうと首を傾げていると、練った小麦粉ではないかとレイから推測が飛んで来た。後は鶏肉と野菜がたっぷり入っていた。塩気のあるスープに、南瓜の甘みをはじめとした色々な味が混ざり合っている。美味しい物がたくさん入れば美味しい、という理屈が一つの鍋に計算されているのだ。二人はふうふうと冷ましながら、湯気の立っているスープを楽しんだ。
通りかかる人にどんな味がするのかを尋ねられ、マリラが説明すると、彼らも列に加わった。どうやら催しは盛況らしい。
「東の国で調達した、美味しい調味料が入っているのさ」
最初のお客さんにおまけだよ、と小さい飴玉らしきお菓子までもらえた。しかし北国の魔女だったような、とマリラが看板を確認すると、世界中を回っているんだよ、と何気なく躱された。
お腹の温まったマリラはようやく、レイが発明に使えそうな品を探しに来たことを思い出したので、残りの時間は大人しくしていよう、と心に決めて彼に続いた。
「あんまり離れないようにね」
うん、とマリラは頷いた。しかし美味しいスープに夢中になっている間に、どうやら随分と人が増えたらしい。この大勢の中をはぐれないように、となると恋人のようにくっついて歩く必要がありそうだ。試しにくっついてみたのだが、彼の方からは特に何も言われなかった。既に真剣な眼差しで、眼鏡越しに人混みと立ち並ぶ露店を見定めている。
「……」
マリラと彼とで、元の国から育ちまで何もかも違う。けれど外から見れば親密な関係性に見えるのだろうか、とマリラは少々複雑な心境でぴたりと張り付いたまま歩いた。
そんなこちらの心中をよそに、彼は主に細工物の露店と、それから乾燥させた植物をたくさん並べている場所が気になるらしく、あれこれと見定めては早速値段の交渉に入った。あっさりと決まる事もあれば、食い下がって安く手に入れる事もある。逆にそれなら、と遠慮して立ち去る素振りを見せると、向こうから安くすると提案される事もあった。
「何を基準に買い込んでいるの?」
「え、……良い品かどうかと、値段に納得できる範囲なら、かな」
どうだい眼鏡の兄ちゃん、と鷹揚に構える店主達も、レイがもっと詳しく見たいと商品のいくつかを指差すと、少し態度を改めて商談に応じ始める。
色んな人がいるのは確かだ。マリラも一応は客商売をしているのでわかる。値段を聞いてわざとらしく引き下がる、ただの冷やかしも相当数いるようだ。たくさんの品が子供のお小遣い程度からはじまって、本物の宝石のような値札でも並んでいるのである。
たとえば似たような大きさの櫛が並んでいて、レイが右の奴を見せてくれ、と店主に声を掛けた。左は見ないのかと後から聞いてみると、あれはただ新しい物を古く見えるように何かが塗ってあるだけだ、と当り前のように言う。
それが、何を参考にしてそう評価しているのかがわからない。瓶詰の薬や粉、小さな鉢植え植物、袋に入った大量の球根を買い込んだ。櫛や髪飾り、そのためレイはいくらもしないうちに、大きい紙袋を抱えて歩く事となった。彼の古い眼鏡を通してみると、価値がある品は光り輝いて見えるとか、そういう彼にしかわからないサインがあるのかもしれない。
マリラがそんなレイの様子を見ていると、急に周囲の人垣が動いて、誰かに道を譲ったらしい。先頭を歩く女性は傘を自分の手ではなく、後ろに続く使用人に差してもらって歩いていた。その後ろにも更に護衛らしき人間が複数付き従っていて、先ほどのカトレアではないが、かなりの大所帯だった。
お兄さんこっちはどうだい、と熱心に商品を見せられているレイは気が付かない様子だったので、背中を押して道の端に寄ってもらった。
「ああ、ごめんありがとうマリラさん。……おや」
「あら、ごきげんよう。こんなところにいらっしゃるなんて、魔法使いさん」
その明らかに身分の高そうな女性が目に留めたのは、並んだ屋台や商品ではなく、どうもレイ本人であるらしかった。奥様やお嬢様と傅かれる身分の女性を相手に、しかしその場にいる中で気後れしたのはマリラだけで、彼は愛想よく挨拶に応じてやり取りを、後ろの付き人達は表情一つ動かさない。
「……奇遇ですね、奥様。今日も仕入れのために?」
「本当は見るだけの予定だったけれど、素通りするのはもったいなくて」
ね、と彼女は後ろの付き人の皆さんを振り返った。よく見るとどの人も、本日の戦利品らしき大きな袋や陶器や不思議な置物を抱えていた。
「それにしても、今日は可愛いお連れの方と一緒でいらっしゃるのね。あちこちのサロンで人気者と思っていたけれど。……なるほど、なるほどね」
「彼女は勉強仲間ですよ。とても熱心で、こちらも頭が下がります」
「話の合う人がいるだなんて素敵。私なんてみんなの、どこかの誰かの悪口と色恋話ばかりで」
うんざり、と彼女はため息をついた。背後に控えているお付きの人達は生真面目な表情を取り繕ったままなので、なかなか奇妙な光景である。
「ちょっとよろしいかしら?」
「わ、私ですか?」
振り向いた彼女の目がこちらを見て、上品な所作で扇子で口元を添えた。マリラの髪が勝手にゆるく波打っているのとは違い、向こうはきっちりしっかり手を掛けて綺麗に整えられているのがわかる。年齢はレイと同じくらいだろうか。彼女は余裕のある微笑みを浮かべている。これが身分の差だろうか、と妙な迫力があった。
「それでお嬢さん、彼って本物だと思いません? そう思うからぴったりくっついているのでしょう? 誰に言ってもただの手品だって笑われるのですけれど。きっとあの変わった眼鏡の隣国人さんは、本物の魔法使いに違いないって。最近はちょっと名前が売れて来たみたいで、新聞記事はもう見ました?」
マリラも密かに同じ考えである事を打ち明けると、彼女は心底嬉しそうな顔をした。この市場のどこかで購入したらしい、小さなお菓子の詰め合わせの袋までくれた。
「一体何のお話を?」
「女同士、情報の共有は重要事項でして。……ほら、貴殿が先週の集まりで披露して下さった……。いい加減、一つ一つの作品に名前を付けて下さらない? あれ、あれと繰り返すのはいい加減に億劫なの」
「……名前を付けるのにも、それなりの教養とセンスが必要でしょう。それがどうも苦手で」
その後もしばらくやり取りをしたが、まだ見て回らないと行けないから、と一行は撤収して行った。後ろに付き従う従者達もそれぞれこちらへ会釈しては、主人へと続いてぞろぞろと去って行った。
「やっぱり早めに来て正解だった。あの人がいたんでは、質の良い物はみんな買い上げられてしまう。本物の審美眼をお持ちだから」
軍資金も豊富で羨ましい、と彼は苦笑した。そろそろ撤退の時間だ、と続ける。マリラは審美眼、という耳慣れない言葉だったので聞き返した。
「古くて希少価値の高い物には、厄介な事に巧妙な偽物が出回ってしまっているんだ。どうしてもやり取りが高額になるから、わざと粗悪品を売りつける厄介な連中もいる。けど彼女はそれを見抜くのは抜群に上手でね、嫁ぎ先でも宝物のように扱われているらしい」
ここには真贋、どちらもたくさんあったんだよ、と教えてくれた。二人は周囲と押し合いへし合い、会場の外へ向かう。マリラは周囲の露店に並べられた古くて奇妙で、それから面白そうな品物の事を思った。
物の価値を見る目があるのは羨ましい、としきりに彼女を称賛するけれど、レイもおそらくはきっちり見破って買い物を終えたのだ。彼は質の良い悪いを並べてある中から、悉く前者ばかりを選び出したので、店主達も態度を変えたのだろう。
マリラがその事を考え込んでいたので、彼の話に返事をしなかった。彼が不思議そうな顔をしているので、何でもないと誤魔化しておいた。
足取りは公園を散策する方向へ向いて、人混みからは離れて行く。周囲が静かになって話がしやすい、とマリラはレイに話し掛けた。
「ところで、どうして名前をつけていないの? 後から注文が入った時に不便じゃない?」
「え? だってあれは単なる装置なわけで」
「……単なる装置!」
レイはそんなに大層な物でもない、と言わんばかりの主張である。マリラは先日連れて行ってくれた小さな音楽会で披露された、一つの短い曲だってちゃんと名前があると訴えた。
そう言えば、以前に見せてくれたスノードームはそのままそう呼んでいたし、マリラを助けてくれたあの炎と綺麗な花が一緒になっている物も、どうやら作品名は特にないらしい。
「あのね、私の本当の名前はアマーリアと言って」
「……そうなんだ。アマリリスでマリラさんだと思っていたけど」
「そう、勝手に呼んで欲しいってみんなにお願いしているだけ」
女の子の名前で人気なのは、花か宝石か、もしくは色から取って来る。綺麗に、健やかにと願いが込められているのが一般的だ。
「ずっと前、まだ本当に小さい子供の頃、アマーリアってきっとアマリリスと何か関係のある名前だと思って、孤児院の先生に尋ねたの。好きなお花と一緒だったから。けどそうしたら、全然関係ない、孤児なんてアから順番に割り振って決めているだけだって聞いて、がっかりした。そんな贅沢な物がもらえるわけがないだろうって言われて、庭で一人で泣いたっけ」
今まで誰にも話した事がなかった事を、勢いに任せて吐き出した。今となっては何が一番悲しかったのかもよく覚えてない。ただ、泣いて星を見上げたのは今でも覚えている。星明かりは涙で滲んで十字に広がり、その綺麗な光に少しだけ慰められた。
「だから、ちゃんとつけて欲しい」
「……僕の名前は曽祖父、歴代で一番有能だったそうだから、期待を込めたんだろうけど。見事に外れクジだったわけだ」
しばらく後になったレイの返事はそれだけで、同情を誘いたい風でもなかった。小さなマリラが泣いた事を、そんなのはありふれているのだと言いたかったのだろうか。何か考え込むように眉間にしわが寄っている。買い物自体はもう終わって未練もないらしく、会場の外に足を向けた。
「子供に当たり外れがあると思うの?」
「だって少なくとも、親の側には……」
レイはさらりと他人事のような返事をしようとして、途中で言葉を切る。マリラの顔を見ながら、いつもの笑顔が少しずつ消えた。
「ごめん、違うんだ。そんな事が言いたかったんじゃなくて……」
「わかるよ、大丈夫だよ。レイさんが優しいって、ちゃんと知っているから」
レイは我に返ったようにごめんなさい、とマリラに繰り返した。こちらも彼の、何か思い出したくない出来事を引き出してしまったようだった。よしよし大丈夫、と気が付くと小さな子にしてあげるように、マリラはレイと抱きしめ合うようにしてくっついていた。
かつての自分にも彼にも、こうして寄り添ってくれる人がいたら、と思わずにはいられなかった。
しばらくすると落ち着いたようで、二人は並んで公園の散策を再開した。ちょっとさっきのは勉強仲間の域を超えてしまったような、とマリラは気まずかった。こういう時に表情が読み取りにくい、彼の眼鏡が羨ましかった。
大きな池に差し掛かると、木で作った桟橋が道を作っている。歩くとゴトゴトと独特の音がした。彼が足を止めたのは真ん中辺りで、そのまま進もうとしたマリラは背中に軽く頭をぶつけた。ごめん、とレイが振り返った。
「……ちょっと考えてみたんだ、マリラさんの意見を聞かせてくれない?」
もちろんいいよ、とマリラは頷く。足を止めた二人は、橋の上で向き合うような恰好になった。
「前にほら、酔っ払いから逃げる時に使った、あの花が咲く奴。『星明かりとアマリリス』というのを今、考えたんだけど」
彼が挙げた名前が、マリラが好きで美しいと思っている物で構成されていて、少し目を瞠った。
「『作品』を綺麗だと言ってくれた女の子の好きな花で、その女の子と名前の響きがなんとなく似ていて。マリラさんが惹かれたように、星の明かりって特別だから。物語の元になり、季節の移ろいを示し、遭難した船を導く希望にもなりえる存在、みたいな」
饒舌だったレイはそこで話を止めてしまったので、続きを聞きたくて促したのに、彼は難しい顔をしてまた黙り込んでしまった。
「やっぱりちょっと気障ったらしさが過ぎるかな。……何とか言ってよ、マリラさん。何だか一人でぺらぺら喋って恥ずかしくない?」
「……私、何だか胸がいっぱいで。さっき食べた、魔女の何とかスープのせいだと思う」
今、マリラの心の中がいつもよりぽかぽかしているのは明らかに別の理由だったけれど、とりあえずしれっと誤魔化しておいた。お昼ご飯食べに行こう、と軽い足取りで彼を誘う。
「胸なの? お腹じゃなくて?」
レイは恥ずかしかったのは本当のようで、珍しく憮然とした表情のままだった。それとは対照的に、マリラは最後まではしゃいで、彼との時間を惜しむように楽しんだ。
それから、あの貴婦人にもらったお菓子もすごく美味しかったのである。甘い物は苦手だと遠慮するレイの口に、無理矢理押し込んで後悔しないくらい、偶然巡り合わない限りはきっともう食べる機会はないのが惜しい。
「包装紙に何も書いてないから、この美味しいお菓子は手に入らないんだ」
彼の話に頷きつつも、マリラは別の事を考えていた。つまり、先ほどの貴婦人は周囲が認める程の審美眼とやらを以て、レイに目を掛けているのである。
その事を考え続けると、最終的にはどさくさに紛れて抱きしめ合った事に行き着いて、とにかく落ち着かない気分になるのだった。




