㉑再会
「あ、マリラじゃん久しぶり」
「マリラさんだ!」
マリラが手土産の焼きたてパンを抱えながら施設に顔を出すと、ちょうどセシルが花壇の前に子供を集めて、球根の植え方を教えているところだった。雑草を抜き、土を足して肥料を混ぜたばかりの真新しい場所を前に、等間隔で綺麗に咲くように、穴を掘る場所の指示を出している。
「マリラさんは最近、なかなか来てくれなくてさみしかった」
「ごめん、本当にごめんね」
自分の分は既に土に埋めたらしいアビゲイルが、拗ねたように口を尖らせている。マリラはその小さな頭を、途中でさり気なく隣に来たヴィオラも一緒に撫でてやった。
「……カトレアも最近は全然顔を見せないけど、元気なの?」
「レイの作ったお手紙セットがまさに飛ぶように売れていて、すごく忙しいの。仕事は張り切って頑張ってる。セシルに会いたいって言っていた。商会にも新しい人が何人も入ったくらい、本当に忙しくて」
レイが自分の作品の流通、販売を依頼した商会は、予想外の売れ行きに人員が追いついていない状態である。今まで取引のなかった貴族階級からも問い合わせが殺到し、まさに嬉しい悲鳴、というわけだ。
もう一つの、レイの教え子がいる商会も似たような状態らしい。協力して何とか切り抜ける算段をつけるためにカトレアも打ち合わせに追われて、とてもここに顔を出せる状態ではなかった。
「セシルは買ってくれた?」
「まあね。私にも手が出せる値段の便箋もあって良かった。高いのはすごく高いみたいだけど」
「へええ、誰宛てに?」
カトレアに書こうかな、とセシルはどうやら誤魔化そうとしているらしく、わざとらしく視線を泳がせた。それを追求しているとアビゲイルがねえ、とマリラの服の裾を引いた。
「マリラさんは隣国人のレイ先生と結婚したら、一緒に向こうに住むの? 隣国に行くって聞いたけど」
「レイ先生は手続きをして、正式にこちらに住む手続きを取ったんだ。だからもう隣国人じゃなくなったの、書類上はね」
マリラも雇い入れたばかりの新人に、仕事を教える側である。それから忙しい以外にもう一つ、商会が事務員を増やした理由があった。
「いわゆる新婚旅行と商談と、レイ先生が向こうで会って欲しい人達がいるって言われて、……ごめんごめん、すぐ帰って来るから大丈夫。お土産もたくさん買うから」
「え、マリラさん結婚したの?」
どうやら子供によって情報に差があるらしい。まさに花壇と格闘していた男の子達がびっくりした様子で手を止めた。
「じゃあマリラさんはレイ先生のオンナ……」
「あらあら?」
マリラは教えていない言い回しに耳聡く反応する。おいバカ、と他の子に肘を入れられて、その子は慌てて訂正した。
「失礼致しました! 結婚した女性の呼称は夫人、令室、もしくは奥様などがあります!」
「美しい言葉遣いですね」
感心感心、とマリラは優しい声で称賛する。本当はバカも使って欲しくないところではある。どこで覚えたのか悪い言葉をうっかり使ってしまった子供だけでなく、その場にいた皆でしばらく笑い合った。
「グレイセル様は、クロード様とは旧知の間柄ですよね」
そうです、とグレイセルは昨日したばかりの自己紹介をもう一度繰り返した。様付けはやめて下さいよ、と笑って付け加えた。船に乗って海を渡り、昨日から滞在している子爵邸には、子供の頃にお世話になっていた特別な場所だった。
マリラを伴ってクロードと数年ぶりに再会したのが昨日の事、その際に新しく知り合った女性が、張り切った様子で子爵邸を訪れた。
「それでマリラさんは、その奥様」
ええ、とマリラとやり取りしているのが、クロードの婚約者のシャロン嬢である。お人形のように可愛らしい、と彼からの前評判とは大きく違って、明るく社交的な女性であった。どうせ、顔合わせで緊張したクロードがロクな話をできなかったせいで誤解が生じていたのだろう。
「私はクロード様の婚約者ですから、皆様に同行するのに、何かおかしなことでも?」
「……知らない相手がいると緊張しないか?」
「お二人とも優しそうな方で、昨日の夜から楽しみでしたの」
クロードは昔から小さい子供の相手を苦手としていたが、年頃の女性も同様らしい。シャロンとの会話は春になったら正式に夫婦になるとは思えないくらいぎこちなかった。ちなみにこちらの言葉を習得して、やり取りに問題のないマリラに対しても似たような対応である。クロードはやはりクロードだった。
グレイセルはマリラと旅行と商談を兼ねて、生まれた国へと一時的に帰って来ている最中である。
こちらの国の人間は、多かれ少なかれ誰もが、海の向こうの国の美しい物に憧れている。だからグレイセルの作品も順当に行けばちゃんと売れるであろう。既に海の向こうから帰った人間が、魔法の手紙セットがどうのこうの、と勝手に話を広めているらしい。
「シャロンさん、この辺に雪はいつ降るのでしょう? 私はそれがずっと楽しみで」
子爵邸が出してくれた馬車の中では、シャロンとマリラが楽しそうにお喋りしている。マリラは初めて見る、冬の気候がとても珍しいらしい。襟巻にコート、寒風に目を細め、季節柄の荒涼とした窓の外の風景ですらはしゃいでいる。シャロンもいつかは海の向こうに行ってみたかった、とあれこれ聞き出しては楽し気に笑っている。
「……いやに静かだな」
「緊張しているんだよ」
わいわい賑やかな女性陣に対し、グレイセルとクロードはほとんど無言である。馬車が向かう先は、王都の寒さから避寒してきた人々で賑わう保養地の一画、クロードの父親が療養している別荘である。
だからこそだ、とグレイセルはクロードに切り返した。
「……成功して帰って来たんだから、大きい顔をして会えばいいだろう。ちなみに一般的な見解として、息子同然に可愛がっていた奴が急に出奔した上、現地の女性と結婚して戻って来たら普通に驚くからな」
クロードの父親はグレイセルが病気で苦しんでいた時に、手を差し伸べてくれた人である。必ず優しい人間になれると言ってくれた。海の向こうにいた時も、手紙のやり取りは欠かさなかった。どうしたらいいか、助言を求めた事もある。けれど一度も帰ってはいない。話をしているうちに到着してしまったらしく、御者が明るく声を掛けて来た。
「私はしばらく散歩でもして時間を潰すから、思う存分報告してくれ」
あなたはこっち、とクロードはシャロンを呼んだ。散歩ではなく寒いからケーキの美味しいお店に入りたいです、というやり取りの声が遠ざかって行った。
「大丈夫?」
二人は別荘の前にしばらく立ち尽くした。マリラに、それはそれは心配そうな目で見られてしまう。彼女は環境の変化で体調を崩さないように用意した防寒具で、いつもよりもこもことした格好をしている。
「うん、平気。マリラさんは何を着ても可愛いなって、思っていただけだよ」
何それ、と照れているマリラの手を引いて、意を決したグレイセルは邸宅の呼び鈴を鳴らした。通された部屋の先に、ずっと会いたかった人が待っていた。腰を悪くして療養していた影響なのか、少しやせたような印象を受ける。
「お久しぶりです。こちらが、妻のマリラです」
「……アスティンから聞いたよ。やっと君の魅力を理解してくれる女性が現れたか」
再会できた事を喜んだ後、グレイセルはマリラを紹介した。短い一言を告げるのに、随分と勇気と気合が必要だった。
先代の子爵、クロードの父親は立ち上がって、マリラと固く握手を交わしている。腰は重い物と、急な動きを避ければ問題はないらしいと嬉しそうに報告してくれた。一緒に来たクロードは差し入れを買いに行っている事と、彼の婚約者も来ている事を伝えた。
「それで、海の向こうでは有名人だそうじゃないか。注目している王侯貴族の皆さんを差し置いて、会いに来てくれるとは嬉しいね」
「またそんな事を」
「それにしても何年前だ? 最近、物覚えが悪くてね」
「胸を張って貴方に会うために、それだけ時間が掛かってしまいました」
おどけたような物言いに、グレイセルは苦笑を浮かべた。親代わりだった人は指を折って、年数を数えている。
グレイセルが海の向こうへ行く決意を固めた時に、ちょうどこの人は腰を悪くして息子に家を譲っている。お世話になった親代わりに、何か自分にできる事はないかと尋ねたが、こちらの事は気にするなと返答された。
当時はそれで、どこか突き放されたような心地にもなったのである。大変な時でさえ頼ってもらえないのか、と。
「遠回りでしたが、今は最善のつもりです。というわけで、……何からご覧にいれましょうか」
その時間がなければ、自分はこの人に甘えたままだったに違いない。今は一人ではなく、子爵領の運営に貢献できるような商談も抱えている。
それを以てようやく、グレイセルはこの人に会いにやって来る事ができたのだ。




