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⑲時計塔


 アスティンとエリンはその後も数日間、街の名所である海岸や時計塔を回って旅行を楽しんだそうだ。帰る時にはマリラの勤めている商会に、わざわざ声を掛けに来てくれた。次は海の向こうで会いましょうね、と約束をした。それから手を振って船に乗り込んで帰路に着くのを、レイが見送りに行ってくれた。


 そんな出来事から数日が経過した頃、マリラはレイの家にある机の上で、絵本と紙を幾つか広げて作業をしていた。

 レイは奥の部屋で次の発明品に取り掛かっていたのだが、今はマリラの横に座って作業を見学している。煮詰まってしまったから、とお茶を淹れてくれた。


「ついに、……マリラ先生か」

「ええ、その通り」


 マリラは得意気に笑って見せる。施設に新しく入って来たヴィオラという女の子を、少し気にしてあげて欲しいと頼まれていた。途中で入ったために読み書きの勉強の進みが他の子より遅れているせいか、少々いじけてしまった様子なのである。

 アビゲイルをはじめとして面倒見の良い子達が同い年に揃っているから、今のところは仲間外れになるような事はないらしい。けれど本人が一番、早く追いつきたいと思っているのは確かだろう。


「……教える側に回ってみてはじめて、これが時間と頭をすごく消費する行為だって、よくわかった」


 マリラは隣に座っているレイの顔を見ながら言った。以前に彼がマリラにしてくれたように、自分も誰かに同じ事をしてあげたいと思う。けれどなかなか根気のいる作業である事が早々に判明した。

 以前、マリラは公園のカフェを手伝いながら、精一杯の謝礼としてコーヒー一杯を御馳走していた。しかしそれでは、先生をやってもらう謝礼の相場には全く届かない。

 彼は片手間と言ってあっさり引き受けてくれたけれど、今となってはどれだけ幸運な話だった事だろう。


「その辺りは、結局慣れてしまうかどうかだけどね」


 何人も問題児を抱えていたから、と彼は笑う。けれどマリラの言わんとしている事は理解してくれたらしい。


「それでね、この街の子供は人魚姫のお話が好きだから」

  

 レイが教材のヒントを新聞記事から得ていたように、マリラは絵本の内容を参考にする事にした。お話の冒頭部分を参考にした下書きを元に、買って来た便箋に丁寧に書き写した。できるだけ簡単に、簡潔な言葉を選んで、紙の半分ほどを埋めた。

 お手紙として渡し、少しずつ読んでもらって勉強してもらうつもりだ。人魚姫の話はきっと知っているから、解読の助けになる知識はその子の中にある。

 それからヴィオラは絵を描くのが好きなので、この内容に挿絵を描いて、と頼んでみるつもりだ。これで楽しく取り組んでくれるといいな、とマリラは思う。


 絵本の続きの流れをなぞった文章はやがて、マリラが勝手に創作した内容に続く予定である。小さな人魚姫が月夜の晩に、魔法使いを訪ねて『海の底には決して無い物』をもらいに行く。その頃には他の子に追いついて、必要なくなっている可能性も十分にあるけれど。


 マリラは封筒に折り畳んだ便箋、つまりヴィオラ専用の教材を入れて、臙脂色の封蝋を施す。自分専用に作ってもらったアマリリスの花のスタンプを綺麗に押す事に成功した。


「これで、よし」

 

 お茶を頂こうとした時に、部屋の窓側に吊るされている鳥かごから、甲高い小鳥の鳴き声が聞こえた。

 どうやらご飯の催促を始めたのは、レイが突然飼い始めた黄色のカナリアだ。以前はここが仮住まいなので物を増やしたくない、と言っていたのを覚えている。しかし時間が経ち、何らかの形で心境が変化したのかもしれない。


 本当は手に乗せてじっくり身体の構造を調べたかったそうなのだが、この鳥はあまり懐かない種類らしい。仕方なく机の上に籠を持って来て観察を試みたのだが、レイの動物好きの教え子、ザックス少年から待ったを掛けられた。

 そんなにじろじろ見たらカナリアも緊張してしまうからと忠告されて結局、遠巻きに目を凝らすしかないのである。

 

「最近知ったけど、鳥の足の部分は羽じゃなくて鱗みたいになっているんだ。そこだけは蛇とかトカゲの面影を感じる」

「へええ、ちょっとそれは面白いかもしれない」

 

 マリラは少し遠くにある小鳥の足を観察しようと試みた。ちなみに名付けをレイに任せると、犬の名前としてケルベロスを挙げてしまうような人である。だから身体の色から連想して、タンポポちゃんにした。

 タンポポちゃんは生きている小鳥なので、店で購入した穀物らしき餌と、果物を小さく切って与えている。 


 最近はそんな調子で、この自称発明家の魔法使いは奇妙な物を調達しては、奥の部屋に持ち込んで熱心に研究に打ち込んでいる。生きている小鳥の前は、鶏の卵の殻だった。中身は要らないと言うので、マリラは茹で卵を作って、パンに挟んで昼食にして美味しく頂いたのである。


 その他にも、以前に二人で探検した骨董市の露店に並んでいた、小ぶりの鉢植えを持ち出して来た。


「この木はもっと南で繁殖している。これはまだ幼木だけど、大きくなると種に羽が付いて、少しでも遠くに飛ばそうとするそうだよ」


 これは一体何の植物、とマリラは尋ねてみる。レイはいつもと同じように、よくぞ聞いてくれましたとばかりに嬉しそうに教えてくれた。植物なのに羽なのか、とマリラはその不思議な植物を観察した。

 言われるがままに応じてはいるものの、この先に何ができ上がるのかはさっぱりわからない。

  

「それで明日、朝の一番に来て欲しい場所があって」


 明日もお仕事休みだよね、という話の流れから、レイが静かに告げた。何か決意を固めたように目つきに、マリラは短く肯定の返事をした。けれど内心は何だか、自分の事のようにどきどきしてしまう。


 具体的な時間は指定しなかったが、マリラは街がまだ目を覚ます前には寮を出て、レイの元へ向かった。少し早すぎたかな、という心配は無用で、途中ですんなりと合流した。彼はいつもと似たような恰好で、大仰な荷物を抱えているわけでもない。


 二人は街で一番背の高い建物である、美しい景色がよく見える時計塔を目指して早朝の道を歩いた。今日の一番乗りだ、と職員らしき男性が出迎えて、重い鉄製の扉を開けてくれた。

 ここは何回か来た事があるけれど、いつも観光客でいっぱいなので、静かで他に誰もいない状態というのは貴重な体験である。


「僕は子供の頃に友達と、海の向こうの美しい物を見に行こうって、約束していた」


 二人で螺旋階段をのぼりながら、レイの声は建物の中に少し反響して聞こえた。上の展望台に繋がる段差はまだまだたくさんある。


「子供の頃の病気が治っても、家には帰れなかった。けれど、お世話になった人にまた頼り続けるのも情けなくて。……爵位も知り合いの伝手も、何も無くても僕はやれる人間だって証明したかった。外れくじだって、大人しく認めるのだけは嫌だった」

「……うん」


 円柱の形をしている時計塔の階段をまるで回るようにして、少しずつ高い場所へ上って行く。足腰の力だけでは段々と辛くなってきて、マリラもレイも途中で手すりの力を借りた。


「僕には何も無いと思っていたけれど、実はそうではなかった。まだ向こうにいた頃、子爵は先生になる方法を学ばせてくれた。クロードは僕と友人になってくれた、アスティンは仕事の面白い話を、それから海を渡って会いに来てくれた。誰も足を踏み入れた事がない、海の底まで連れて行ってくれた奴もいる」


 とうとう二人は、息を切らしながら展望台まで登り切った。外に通じる扉を開け放すと、街も海も一望できる、素晴らしい眺めである。もうすぐ陽が昇って、これから一日が始まるのだろう。マリラとレイは、手すりの向こう側から吹いて来る海風に、揃って目を細めながら話を続けた。


「マリラさんは愛をくれた。僕の好きの気持ちを受け取って、僕の事を見つけてくれた。それ以外の方法では、人の中の空白は埋められない。それこそ魔法ってやつだ、愛の魔法」


 レイは感動的な台詞を惜しげもなく、真っすぐこちらを見据えながら口にした。そのおかげでこちらは耳まで真っ赤にしながら、ただただ頷く。マリラをどん底から救ってくれたのは、他の誰でもないこの人なのだから。


「何かを始めるなら早いも遅いも関係ない。大切なのは、自分が世界を変えてやるってくらいの気合いだって、ようやくわかった」


 というわけでこれ、とレイは懐から紙を取りだした。何なのかわからないまま受け取ると、ごく普通の長方形の封筒に入った手紙である。裏は封蝋で閉じられていた。


「僕が、一番美しいと思う物を形にしたんだ。名前を書いて。誰でもいいから、宛名として」


 レイの気合の入った表情を見るに、どうやらここで書かなければいけないらしい。マリラは机の代わりとして手すりを借りつつ、同じ場所にいるレイの名前にした。


 そして言われるがままに手に持って宙にかざし、その向こうに海を見た。手紙は旗のように風にはためていたが、不意にぴたりと静止して、他のレイの作品と同じく鮮やかな炎を纏った。


「……これは」  


 彼の別の発明品が、腕輪が犬に変わるのを知らなければ、その場でひっくり返っていたかもれない。炎の中から封筒から形を変えて現れたのは、小さな鳥である。色はどこかで見たような淡い緑で、マリラの手の指を止まり木の代わりに足で掴んでいる。飛び立って時計塔の周りをくるくる旋回した後、レイに向かって一直線に飛んで来た。そして彼はいとも容易く、飛んで来た小鳥を空中で捕まえる。


「……ごめん、近すぎてあまり性能が伝わらないけど」


 小鳥は彼の手の中で、封筒に戻った。レイが言うには、相手の所在を把握していれば、どこへでも飛んで行くように設計されているらしい。本当にそんな事が、と喉元まで出かかったけれど、他の発明品を見る限り、そんな性能があってもおかしくはないのかもしれない。


 レイは実験と称してその場で何枚か、別の封筒を取り出して宛先を走り書きした。隣国で療養が一段落した先代の子爵、教え子の一人であるザックス少年、他にも街の外にいる知り合いに向けて、次々と封筒を小鳥に変えて見せた。

 不思議な事にマリラの時のような淡い緑ではなく、レイの手紙は薄明るい茶色の小鳥だった。


「クロードさんには書かないの?」

「あいつはびっくりさせてやるつもりだから、ぎりぎりまで秘密にしておく。……今出した分は中に同じ手紙の道具一式と使い方を書いたから、無事に届いたら小鳥が帰って来るはず」


 返事が楽しみだ、とレイは一段落ついたらしく、ほっとしたように景色に視線をやった。マリラはその横顔を分厚いレンズに邪魔される事なく眺めていると、ある発見をした。


「小鳥の色は、書いた人の目の色なの?」

「その通り。宛名を書いた人の、瞳の色を映すように作ったんだ」


 彼は自慢げに、そんな不思議な仕組みを教えてくれた。確かにこの手紙は、随分と気合の入った設計になっているらしい。

 マリラが思わず目を輝かせて称賛し、それからようやく朝陽が昇り始めてるのに気が付いて、隣にいるレイに教えた。


 レイの方は彼女が気が付くまでの間、美しくてずっと形にしたかったものを静かに見つめていた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 碧い小鳥、紅い鳥の前日譚だったことにやっと気がつきました。 慌てて読み返したら2人ともがっつり名前入りで登場してて、クロードがおじさまになってもグレイセルに振り回されていて(?)ほのぼのし…
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