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艦魂・神龍編シリーズ

『シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン』 〜悲愴のトロッケンベーレンアウスレーゼ〜

作者: 伊東椋

前作から一週間近く経ちましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

ようやくテスト期間を終え、テストの返却ごうもんを終えて、春から三年生になることが決まった上で遂に春休みが始まった身です。


前から南雲機動部隊の話や神龍続編の話を書くとかいう話をしておいて、全然別の作品を先に投稿したいと思います。すみません……。

今回は初めて外国の軍艦を扱ってみた作品です。元は戦艦だった、独練習艦『シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン』の話です。

数えてみれば、外伝十作目の作品です。よくここまで書いたなぁ…。でもチハやクリスマス特別編を入れるとそれよりは多いんですよね……。


第一次大戦を生き残り、練習艦となった彼女は、もう戦いを望んでいなかった。

そんな彼女に悲運な運命が待ち受ける――!

ではどうぞ、ご覧くだされば嬉しいです。

 少女の瞳に映る光景は、闇に燃える赤き悪魔の炎。

 

 立ち尽くし、少女はぼんやりとその碧眼で悪魔の炎が地上を焼き尽くす光景を眺めていた。

 外見年齢は十代後半。十七か十八くらいの年齢であろう少女。人形のように整った顔立ちで、滑らかな白い肌が前から吹かれて届く熱気を帯びた風に撫でられる。神に祈りをこめる十字架とは違う、悪魔の契約を思わせるような鍵十字という十字を首元に輝かせていた。そしてその身を包む、中世の貴婦人を思わせる黒いドレスが茜色に染まっていた。

 「(これはなんなの―――?)」

 少女は怯えを混じる瞳で口中に呟いた。眼前に見据える光景はこの世のものとは思えない恐ろしい光景が延々と広がり、同時に、ああ、前にも見たなと、思い出したくもない古い記憶を呼び起こす。

 「(昔も見たことがある、だけどもう見たくない、同じ光景――)」

 心は拒否を示すも、それは叶わない。見たくないという光景から眼を離すことができない。

 地上を覆う炎の陽炎に映るものは、崩壊していく街と、焼き尽くされる大勢の命―――

 「……嫌……」

 震える白い指が、頬に食い込む。

 「……もう、嫌ぁ……」

 棒のように直立だった脚は、ガクリと折れ、手で顔を覆った少女は崩れた。

 涙でぐしゃぐしゃになる顔を覆う手は、元は白い手が、黒く汚く汚れていた。

 少女は、なんなのか――人間か、妖精か、魔女か、それとも―――この街を焼いた悪魔か。

  


                 卍



                雪が降る

           深々と降り積もる雪の先には

              音の無い澄んだ世界

             儚くも美しい≪無≫は

             始まりの無い終わり


                    sovereignty of fear natumegumi.



                 卍



 世界を虐殺と略奪に染めた第一次世界大戦の主戦場となったヨーロッパで、第一次大戦を生き延び、この独裁者の時代まで生き残っている数少ない一人なのが、彼女だ。

 第一次大戦当時は弩級戦艦として、ドイツ軍の艦として多くの姉妹たちとともに地獄の中を戦った、今は引退して練習艦となり果てた乙女。

 『シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン』。戦艦として生まれ、今は引退し、練習艦としてドイツ海軍の若者たちの教育にあたっている老嬢である。

 ドイッチュラント級五番艦である彼女は、かつて多くの姉妹がいたが、姉の『ポンメルン』はかのジュットランド沖海戦で戦没。自分よりはるかに祖国の威信の象徴として輝いていた誇り高い妹たちは、スカパ・フローの全艦艇自沈によって、第一次大戦の最後の戦没者としてこの世を去った。

 そして残された八隻の旧式戦艦(彼女たちは生まれた当時から時代遅れの戦艦として生まれた悲運を持つ)の姉妹たちも旧式化のために廃棄され、今や彼女を含めて二隻ふたりしか残されていない、その片割れ。

 戦艦という現役の軍人を引退した彼女は、練習艦として祖国の未来を担う若者たちの教育に従事するに至っている。

 再び戦場に向かう、ましては己の主砲が火を噴くことなんて、もう二度とないと思っていた――


 蒼空の一点にぎらつく太陽の光が我が身の鉄の塊の体温を上げる。その上で生活する兵たちは暑苦しい生活や労働を強いられることになる。

 甲板に水をまき、まだ少年といえるほどの大勢の若い兵たちが一斉に雑巾で甲板を拭く。その真っ白な肌には玉汗が浮かび、上官の怒声の下、兵たちは甲板拭きに精を出す。

 そんな日の光が射す光景を、一人の少女が見下ろしていた。

 人形のように整った顔立ちに、幼さの内に美貌を含めた少女は日傘を開いて、陶器のような白い肌を紫外線から守っていた。碧眼に鋭利な硬さ、誰も受け付けない不可侵の気品のようなものがうっすらと漂っている。

 正に美少女といえる容姿だが、その中にある鋭利な硬さと同時に、純粋で美しい雰囲気も漂わせる。

 練習艦――かつては戦艦だった――『シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン』の艦魂、シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン。戦場の海を駆け抜け、多くの姉妹を失った彼女という過去が、その美しい雰囲気に誰も引き寄せない鋭利なものを生じさせたのか。

 美少女――というように、彼女は女である。男がやる戦争に出る軍艦には、やはり男しかいない。女がいることはありえない。そんな世の中がこれからも一〇〇年は続くことになる。しかし人が跋扈する世の中とは別の世ではこれはとっくの昔から既にあったことだった。

 彼女は艦魂だから――それですべての説明になる。

 それらはすべて若き乙女の姿をしていて、神秘的な存在。西洋では妖精のような存在である艦魂。彼女たちは果たして妖精なのか?ただわかるのは、文字どおりの意味で、彼女たちは軍艦に宿る魂だということだ。

 妖精とも呼ばれてしまう艦魂は、すべての人の目にその存在を知覚してくれるわけではない。元々は七つの海に伝わる伝説として囁かれ、そして一部の人間の瞳に映ることしかない。

 彼女の背後に、一人の将校が足を踏み入れた。

 

 その蒼い瞳に、彼女のさす日傘が確かに映った。


 日の光を浴びる日傘がゆらりと傾き、少女の滑るような白い肌が見えた。振り返る少女は小さく口を開いた。

 「あら、こんにちは」

 振り返るや早速、ニコリと微笑んだ彼女の笑顔は、さながら妖精の癒しの笑顔に見えた。

 日傘をさす美少女――に相応しい、どこかのお譲様のような気品な服装。中世の貴婦人のような装いに、一般には不気味なイメージを浮かばせるものも彼女の身から漂う雰囲気からそれをも打ち消してしまう。色は闇夜を思わせるような黒。温かみより冷たさを感じる雰囲気が少女の身を包みこんでいた。天使や悪魔にも見える西洋の神秘的イメージの、ゴシック・アンド・ロリータを着こなす彼女の笑顔はその服装にうまく調合されていた。

 「…よっ」

 対する彼の服装は、首元に鍵十字を煌めかせた黒色の制服。「黒」は、神聖ローマ帝国やプロイセン王国の旗の一部を構成する色でもあり、ドイツにとって象徴的な色で高貴な部隊であることを意味している。

 骨になっても祖国を守ることを意味する人の頭蓋骨のトーテンコップの徽章を刻んだ制帽の鍔の下に、鋭利な光を宿す瞳が、彼女の黒色を映す。

 彼のそんな鋭さと滲み出る恐ろしさを纏った姿を、彼女は一瞬寂しげに見詰めた。

 「随分、長いこと待たせてしまったな。すまなかった」

 「いいえ」

 「すぐ戻ると約束したのに、破ってしまったな…」

 「そんなことは……ございません」

 首を横に振る少女。すこし微笑みながら、二人は向き合う。

 「お久しぶりですね、レオンハルトさん」

 「久しぶりだな、シュレス。元気だったか」

 「はい」

 二人は再会を分かち合い、微笑みあった。

 シュレスはコツ、コツと歩み寄り、立っている彼のもとに近付いた。上目づかいで彼を見詰めてから、顔をすこし仰いで、視線をからめ合う。

 彼はSS将校――ナチスドイツの親衛隊――レオンハルト・ハルトヴィック大尉はシュレスとの約束のためにここに再び戻ってきた。

 まだ彼女が現役の戦艦だった頃、レオンハルトもまたSSに入る前の、『シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン』の士官として乗艦勤務についていた。

 あるとき、いつも一緒だった二人は、ある日を境に、それぞれの道へと進んだ。

 「俺はあの時に誓ったとおり、『力』を手に入れた。絶大なる悪の力。この服装が、悪魔との契約の証だ」

 鋭い瞳を光らせたままレオンハルトの黒い服が、シュレスの蒼い瞳にシルエットを浮かばせた。

 第一次大戦で祖国は敗北し、今までの愚弄に対する大いなるケジメを強いられた。国は衰え、国民は疲弊し、衰弱し、戦争が終わっても、その後も地獄の日々が続いた。

 やがて年月が経つにつれ、国は復興と発展を遂げるも、ナチという歪んだ十字架に蝕まれ、遂にはすべてを、歪んだ十字架から発するその強大なる『力』が支配した。主は悪魔となり、妖精は魔女となった。そして悪魔は自分以外の人種を認めない世界を目指した。『力』は本当に強大で、恐怖の的だった。

 『力』に侵され、死に絶える道から回避するには、その『力』になるしかない。

 彼のその蒼い瞳以外は異なる人種の身体には、それしか方法はないと、彼自身は判断し、その道を選んだ。

 魔女となった妖精を置いて―――

 「………」

 レオンハルトは自分の手に、ふんわりとした温もりが触れるのを感じた。

 「あなたの手―――」

 触れるのは妖精――いや、魔女の白い手。

 手袋をはめた自分の手に、彼女の白い素肌の手が、そっと握っていた。

 「昔は……この手によく引っ張られましたね」

 手袋越しでもわかる、彼女の触れる手から、温もりがじんわりと体中に伝わってくる。

 「いつも、この手で私を護ってくださいましたね」

 「………」

 今や、汚れてしまった自分の手。

 己の生きる道のために、生き残るために、自分の素肌の手は酷く穢れてしまった。彼女のその白い手とは大きく違った、手袋で隠してしまう汚い手。

 この手で、数えたこともない数の異なる人種の子供をさらい、知らない人間を傷つけ、殺し、素肌はどす黒い血と汚物で染まっている。

 「……冷たい」

 すこしだけ、小さい声で、彼女は呟いた。

 寂しくも、悲しくもなく、ただ小さく呟くように。

 「……ああ、当然さ」

 あの頃の人の温もりは、彼の心を表したような温もりは、もうその手に感じない。

 レオンハルトは自分の手を彼女の手からスッと引き離した。

 「私の手も、冷たかったでしょう…?」

 すこし作っているような微笑みを向けて、首を傾げる目の前の少女を見据え

 「……そんなこと、ないさ」

 フッと微笑んで、眼を逸らした彼はそのまま背を向けた。

 「もう、行かれるんですね」

 「ああ。長くはここにいられないからな」

 短すぎる再会。

 だけど双方とも、流れる時間を自然と流すように、素直に流されるままに身を任せていた。

 「久しぶりにお前と話せて楽しかったよ、シュレス」

 「私もです。レオンハルトさん」

 「…じゃあな」

 「はい」

 彼は振り返ることもなく、背を向けたまま、別れの言葉を紡いだ。

 そして歩き出し、彼の背が遠ざかっていく。

 「……お前だけは、もう二度とその手を汚してほしくないな」

 背を向けたまま歩き去っていくレオンハルトの口からこぼれた言葉は、不意に吹かれた風に乗って、彼女のもとに届いたのだろうか。

 一人の魔女は――シュレスはただ、小さくなっていく彼の背をいつまでも蒼い瞳に映し続けていた。



 運命は残酷だった。

 その一言が、彼女には言えた。

 


 ナチ党台頭のドイツ第三帝国は様々な野望を抱いていた。

 独裁者率いるドイツ第三帝国はヨーロッパへの全面戦争を画策、世界に対する決起を準備した。真の『第三帝国』を創り、世界の覇者となる夢を、一人の独裁者は抱いていた。そして三等民族と蔑む民族の大虐殺を展開し、自分たち以外の人種を認めない政策を掲げ、実行に移した。世界は、まるで悪魔と契約したかのような恐ろしい独裁者に恐怖を感じ、危惧した。

 そして運命の歯車は嫌な軋みをあげながら、彼女のほうに回り始めた。

 

 先の大戦で奪われた都――ダンツィヒ。

 第一次大戦の敗戦でドイツはこれまでの植民地と領土を奪われ、その中の一つに今や国際自由都市としてあるダンツィヒ(現在のグダニスク)も含まれていた。

 野望を夢見る独裁者にとって、ダンツィヒを含むポーランド回廊の奪回は悲願であり、威信の復活のために欠かせないものであった。

 しかし国際自由都市となった今では、ドイツ軍、ポーランド軍も、正規軍をその都市に置くことは禁止されていた。

 ダンツィヒ周辺はポーランド領であり、バルト海に面するヴェステルプラッテには、ポーランド軍兵営が存在している。

 ダンツィヒに目を向ける前、オーストリア併合、チェコ併合に外交的に成功した独裁者は、ポーランド回廊の奪還を決意し、社会主義者のソビエト連邦とポーランド分割秘密協定を結び、ポーランドへの侵攻を計画する。

 手始めの目標が、ダンツィヒであった。

 しかし、国際自由都市には自軍は配置しておらず、周囲に侵攻すべき敵軍がいるだけだ。対して自軍側は、SS義勇軍、国家警察部隊などを派遣することにしたが、軽武装のその部隊では、ダンツィヒの攻略前に、周囲の敵軍営からのポーランド正規軍に打ち負かされる可能性が高かった。

 

 そこで、独裁者に目をつけられたのが、彼女だった――


 ダンツィヒで八月二五日から二八日まで行われる予定の第一次大戦中にロシア軍に撃沈されたドイツ巡洋艦『マグデブルグ』――かつての彼女の亡き戦友の追悼式典。

 そこに練習艦籍の彼女を送りこみ、彼女の艦砲と乗艦している海軍陸戦隊をもって、ダンツィヒを制圧することを計画したのである。

 かくして、戦艦を引退し練習艦となって若者たちを教育していた老譲は、再びその主砲を以て戦場になる海へと出た。

 はためく国旗。そのマストの下に、彼女はいた。

 中世の貴婦人を思わせる黒いドレスの端が靡き、日傘をさした少女は、魔女のようにも見えた。

 その首元には、鍵十字が下げられていた。

 顔を上げた――シュレスヴィッヒ・ホルシュタインは細めた眼で、眼前に見える都市の地平線を見詰めた。

 目の前に見える港では式典のために様々な艦艇が集まり、装飾が小さく煌めいていた。そしてその背後に見える都市は人々の平和な日常に満ち溢れ、美しいとも言えた。

 もうすぐ、あの街が、地上が炎に焼かれるなんて、想像しただけで彼女の胸を強く締め付けた。

 日傘の持ち手を握る彼女の白い手は、微かに震えていた。

 「……嫌…」

 震えた声で、彼女は言葉をこぼした。

 怯える蒼い瞳には、確かに映っている。

 かつて戦場で散った戦友の冥福を祈ってくれる、自分と同じ存在の少女たちが目を閉じている。かつては敵同士だったのに、亡き戦友の冥福を祈る者もいた。

 空の上にいる彼女はどんな目で私を見下ろしているのだろう。それを知るのは恐ろしかった。知ることなんてできないが、限りなく恐ろしかった。こんな、こんな手で、もう二度と火を噴くことはないだろうと思っていた我が主砲を放ちたくない。戦を望まない目の前の光景に、私は手をかけることができるわけがない――!

 しかし彼女の意思とは関係なく、主砲の砲身は仰角を合わせるために動き始めた。

 悪魔の砲弾が――装填されるのを感じる。

 「ヤダ…ッ! ヤダヤダ……ッ!」

 日傘を放り投げ、彼女は子供のように身体で己の意思を示した。頭を抱え、いやいやと首を振る。

 彼女は、艦魂―――自分の意思とは関係なく、自分に乗り込む人間たちの手により、初めて彼女の本体からだは動くのだ。彼女が戦いたくないと望んでも、それはまったくと言っていいほど、残酷に、引き裂かれる。

 静かで、綺麗な都市。平和で、普通の人々が普通の日常を過ごしている街。

 彼女には見えた――

 街の中の人々の生活を。主婦がリンゴを買い、お店の主人が笑顔でお金と引き換えにリンゴの入った袋を渡す。馬車を引いて客を乗せる男。友達と追いかけっこする子供。公園のベンチに座って談笑する老人。公園で腕を組んで歩く二人のカップル。娘と遊ぶ夫婦。パトロールをする警察官。そして港で追悼の念をこめる少女たちと、軍人たち。政治家もいた。追悼に参加する民間人もいた。

 そのすべてが、彼女の瞳に映ったのだ。

 それらの光景が、一発の轟音で、ガラスが割れるようにバラバラに砕け散った。

 「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!」

 彼女の張り裂けるような叫び声とともに、一発の轟音が響き渡り、彼女の主砲が火を噴いた。

 もう二度とないと信じていたことが―――再び起こってしまった。

 彼女の主砲から噴かれた火力は、あっけなくポーランド軍陣営を壊滅させた。

 第一弾が大きな炎と黒煙を噴き上げた瞬間、彼女の体にビシビシと、まるで臓物の間を駆け巡るように、恐ろしく凄まじい痛さが押し寄せてきた。

 目の前が真っ赤に染まり、真っ赤な光景からぶくぶくと泡が噴き出るように、自分の砲弾で気づくこともなく死んでしまった人々の、炎に焼かれていく悲愴の顔が浮かんだ。

 彼女は悲鳴をあげる間もなく、いつの間にか自分が倒れていることに気付いた。

 ゆっくりと起き上がると、鼻に火薬の匂いが刺さった。視線を向けると、大きな黒煙をあげる地上が見えた。

 その大きな黒煙がのぼる場所には、大勢の人がいた。

 そこにいた大勢の人々を、あの時見た顔の人々を、自分が一瞬で殺したのだ。

 「……………」

 放心したようにぼーっとしていたシュレスは、触れた手がべちゃりという感触を感じたことにふと気付いた。

 虚ろな瞳で自分の手を見詰めると、その白かった手は、黒い血に染まっていた。

 それは――自分の血ではない。

 どこも怪我などしていない。不思議と、自分の手にしか、その血は付いてなかった。

 黒く汚れた手から瞳をあげると、次々と砲弾を撃ち込まれ、炎上する地上と港が光景に映った。

 ――黒く穢れた、手。

 瞳からこぼれる雫は、涙か。

 彼女は――妖精か、魔女か、―――いや、この街を焼いた悪魔。

 

 

 自由都市だった地上は瞬く間に地獄と化した。攻撃を受けた都市に雪崩れ込むように進軍するSS義勇軍と国家警察部隊、さらにドイツ正規軍も後日になってポーランドに進撃した。そして、彼女が放ったその炎は、ポーランドを、フランスを、イギリスを、そして世界中を埋め尽くすこととなったあの悪夢の火種となり、彼女の砲声は、彼女が戦った第一次大戦以来の、それ以上の大量虐殺が行われることになる、第二次世界大戦の始まりを知らせる号砲となった。

 

 穴だらけの路上。半壊した建物。拡散した瓦礫。

 かつては自由都市だった地は荒れ果てた戦場に変貌し、武装した男たちが陣地の中にいた。

 「聞いたか。 ポーランドに、ソ連軍も侵攻を開始したらしい」

 「今になってか」

 「きっと我が軍が予想以上に進軍が速かったんで、スターリンの野郎が焦ったんだろうよ」

 「はは。事前にこっちとあちらさんで分け合うって秘密で約束してたんだもんなぁ」

 「しかし、なんとか成功したな」

 「ああ。後は未だに抵抗を続ける分子を片付けるだけだが、それも時間の問題だ」

 「それもこれも、あの老いぼれの戦艦のおかげだな」

 「練習艦として不審なく射程距離内まで入り込めたんだからな。本当、ウチの総統は大したもんだ」

 「奇襲も大成功。ポーランドの平和ボケどもは一掃。はははっ」

 「艦の名前は、えーと……『シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン』か」

 笑い合いながら話すSS義勇軍の兵士たちを背後に向けながら、レオンハルトは口に咥えた煙草にマッチの火を近づけた。

 紫煙を吹いてから、自分の手を見詰めた。

 穢れた手は、どこまでも穢れている。

 彼は、彼女がもういない、港の向こうの水平線に視線を移した。

 そこにはもう―――彼女はどこにもいなかった。


 ――彼女が残したのは、ただ、悲愴と悲哀に満ちた、絶望だった。


悲運に満ちた生涯を過ごした練習艦『シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン』。

二度と戦場に出ることはないと思っていた彼女は、想ってもみなかった開戦の火蓋として使用されてしまいました。

ドイツ軍がポーランドに侵攻して第二次大戦勃発というのが歴史でも学ぶ常識ですが、さらに細かく言えば、彼女の第一弾が、開戦の火種だったのです。

艦魂は艦の魂ですが、自分の意思で艦を動かすことはできません。そこに乗る人間がいて、初めて艦は動くことができるんです。

だから、彼女が戦いを望まなくとも、その意志は関係なく、人間の意思で彼女は戦いに巻き込まれてしまいます。

第一次大戦で大勢の姉妹と仲間を失い、練習艦になっていた彼女が第二次大戦の火種に利用された事実を知った私は、もし彼女に意思があったら……と思ってこの作品を書いてみました。

資料を漁ってみましたが、ネットでも全然情報がなくて苦労しました。


そして彼女の最期は、五年後の一九四四年一二月のゴールデンハーフェンで爆撃を受け、翌年の三月にソ連軍に捕獲されないため、妹たちの後を追うように自沈して果てることになります。その時、彼女はどんな思いでこの世を去ったのでしょうか?

戦いを望まなくとも、大戦の地獄に巻きこまれていった悲愴の練習艦……。

絶望し、悲愴に満ちた思いで、死んでいったのかもしれません…。


さて、もう一つ。長ったらしいタイトルでしたが、トロッケンベーレンアウスレーゼとはドイツワインの一つで、意味は「乾いた果粒を選り摘んだ」という意味であり、暗に「貴腐化」を指していますが、必ずしも貴腐ワインではありません。

そして彼女、第一次大戦では戦艦として軍籍に置かれ、その後は老譲の練習艦となりましたが、再び戦争の道具として利用されてしまいます。

彼女は一九〇八年生まれで、あの三笠の六年後輩、ドレッドノートの二年後輩ですからね。

結構古い艦なのに、再び開戦の火種に選ばれてしまったんです……。

はい、ここで意味不明だった長いタイトルが明かされました(笑)

ちょっと違うんじゃね?って思う人、ご了承ください…。


現在南雲機動艦隊の話と神龍続編に手を付けていますが、どちらを先に投稿しようかなと迷っています。もしかしたら同時進行になるかもしれないし……う〜んな状況です。

それでも、次回作をお待ちくだされば幸いです。

では、そろそろ失礼します。

え…? 最近艦魂ラジオがない? べ、別に面倒くさいとか思っているわけではありませんよっ? たまたまですから……。 信じてください、ね…?

そ、それではっ!

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― 新着の感想 ―
[一言] 新作読ませていただきました三ノ城です。 第二次世界大戦、特に欧州の方は全くの無知であった自分にとってこの話を呼んで世界大戦の火種を知ることができました。 シュレスが自沈したとき彼女は救われ…
[一言] 伊東先生初めまして。 作品を読ませて頂きました。 シュレスヴィヒ・ホルシュタインの事は知っていましたが、文字通り第二次大戦、そして祖国が崩壊していく事への引き金を引かされてしまった彼女の想…
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