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星を呼ぶアリア  作者: 藤宮花凛
第1章 夜明けの話
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第8話

「それで、ここがわたしを連れてきたかったところですか?」

「うん。ちょっとまってね」


 肩から提げた鞄を漁っていたノア先輩が、黒い布を取り出す。足下に広げ、彼はその上にごろりと寝転がった。


「ヨルも寝てみて」

「……はい」


 ほんの少しだけ躊躇った後、わたしは一つ頷いた。今夜だけはお行儀だとか、淑女の振るまいだとかは忘れてしまおう。失礼しますと断って、わたしはノア先輩の隣に寝転がる。背を地面に付けた瞬間、なぜノア先輩がわたしをここに連れて来たかったのかを理解した。


「わあ……!」


 そこは光の海だった。限りなく黒に近い藍の中で、星々が思うままに煌めいている。空の中央を横切る光の帯──『夜空の縫い目』が、淡く紫色に光っている。こんなに綺麗な星空を見るのはいつぶりだろうか。

「綺麗でしょ?」

「はい、とても!」

「えへへ、喜んでくれたみたいで嬉しいや」

「びっくりしました。先輩が見せたいと仰っていたのはこれなんですね……。連れてき下さってありがとうございます」

「どーいたしまして!」


 ノア先輩がひょいと上体を起こす。彼は傍らの鞄に片手を突っ込むと、ブリキの水筒とカップを二つ取り出した。


「ラコ飲まない? 持ってきてるんだ」

「頂きます」


 わたしも体を起こして、片方のカップを受け取る。今夜は少し風が冷たいから、温かいラコは有り難かった。両手でカップを包み込む。隣のノア先輩は、一生懸命水面に息を吹きかけていた。実は猫舌なのだと、照れながら教えてくれたのを覚えている。その白い横顔を眺めながら、わたしは口を開いた。


「ノア先輩。わたしもノア先輩に質問していいですか?」

「もちろん」

「どうしてわたしをここに連れてきてくださったんですか?」

「ここから見た星が綺麗だからだよ」

「そうではなく」


 ノア先輩はきょとんとした顔をしている。どう言えばいいものか。下手な言い方をすると、連れてきてくれたことを責めているような物言いになってしまう。慎重に言葉を選びながら、わたしは再び彼に問いかけた。


「なぜ、綺麗な星をわたしに見せてくださったんですか?」

「……友達になりたかったんだ」


 そう言って、ノア先輩は一気にお茶を飲み干した。カップを鞄に突っ込み、両足を乱暴に投げ出す。星空をじっと眺めながら、先輩はポツポツと話し始めた。


「ヨル、明日が本番だろ? 星を見て、ラコでも飲んで、楽しい気持ちで眠れたらいいんじゃないかって思って」

「はい」

「それで、ちょっとでもヨルの力になれたら、もっと仲良くなれるんじゃないかなって思ったんだ。それで、友達になれたらな、って」


赤い瞳が一瞬だけこちらを向いて、すぐに空の方へ戻っていった。目的が「星を見せたい」だった時点で察してはいたけれど、これは完全に私的なお誘いだったらしい。仕事の話か、まさか解雇通知かと昨日から悩んでいたのが馬鹿みたいだ。なんだか気が抜けて、わたしは思い切り笑い出してしまった。


「ふっ、ふふふっ、あは」

「なんで笑うんだよ……」

「あはは、ごめんなさい。先輩のことを笑っているんじゃないんです」


 笑いすぎて涙を流し始めたわたしのことを、ノア先輩はじとりと睨む。目尻の滴を指で払って、わたしは首を横に振った。

「先輩があんまり真剣な顔をしていたものですから、わたしてっきりお仕事のお話か、解雇通知かなにかだと思っていたんです」

「ええ!?」

「実は昨日の夜からずっと悶々としていたんです。馬鹿みたいでしょう? なんだか自分の間抜けさが面白くなっちゃって。あはは」

「……俺、そんな真剣な顔してた?」

「ええ、見たこともないくらい真剣なお顔をされていましたよ」

「うそぉ……」


 両手を頬に当てて、ノア先輩は呆然と呟く。大きくため息をつき、彼は申し訳なさそうにこちらを窺い見た。


「ごめんね。あの時も緊張してたんだ」


 指に包まれた頬がほの赤く染まっている。眉をハの字に下げて、ノア先輩は困ったように笑った。

 可愛い人だな、と思う。八百七十年も生きているのに、わたしよりずっと年上なのに、後輩一人遊びに誘うだけでこんなにも緊張してしまう人。そんなに緊張していたのに、わたしに星空を見せようと連れ出してくれたのだ。思わず口角が上がってしまう。今夜は、ノア先輩の可愛らしいところを見つけてばかりだ。


「いいんですよ。今日はいい収穫がありました。ノア先輩は、緊張すると言動が全て空回りするタイプなんですね。よくわかりました」

「ひどくない?」

「それから、先輩はわたしと友達になりたいとお思いだったんですね。今まで気がつかなくてすみませんでした」

「なんで追い打ちかけるの……」


 両手で顔を隠し、ノア先輩はうめくような声を出した。頬どころか、耳まで赤く染まっている。わたしはノア先輩の前に回り込み、彼の名前を呼んだ。三回目でやっと顔を上げてくれたので、真正面から瞳を見つめ、努めて誠実な声を出す。


「わたしとお友達になりましょう。……ふふ」

「馬鹿にしてるだろ?」

「していませんよ。ノア先輩はとてもいい人だということがよくわかりましたから。是非とも、お友達になりたいです」

「絶対してる……」


 赤い瞳が、じとりと半眼で睨んでくる。続いて、白い掌がわたしの頭に降ってきた。ぽすん、と間の抜けた軽い音がする。ノア先輩が「仕返しだ」と拗ねた声で呟いた。数秒の沈黙。どちらからともなく肩を震わせ、やがて弾けるように二人で笑い始めた。

 たかが「仲良くなって」「友達になる」程度のことで、なぜこんなにも迷子になってしまったのだろう。方や今年から働き始めた十七歳、方や八百七十年生きた人生大ベテランだというのに。


「ねえノア先輩、友達って『友達になりたい』と言ってなるものですかね? 一般的に、自然と関係が構築されるものなのでは?」

「そうだけど、ヨルが言わせたんじゃん」

「そうでした。すみません」

「ヨルってちょっと意地悪だったんだね、知らなかったや。いままでは猫を被ってたの?」

「まさか。後輩として接していただけですよ。今はお友達としてお話しているんです」

「屁理屈だ!」


 はあ、と大きく息を吐く。笑いすぎて少し疲れてしまった。もう淑女とかいいや。思い切り足を投げ出すと、隣から小さく吹き出す音が聞こえた。今日くらい淑女の振る舞いを忘れていいって言ったのはあっちなのに! 反論しようとノア先輩の方を睨むと、彼は「ごめんね」と小首を傾げた。それから、とびきり優しい笑みを浮かべた。


「ヨルはそうしてる方が、俺は好きだな」


 発言の意図がわからなくて、わたしは首を傾げる。どういう意味かを尋ねると、ノア先輩は考え考え口を開いた。


「いつも背筋を伸ばして、俺のことも『目上の人』扱いしてるだろ。団員のみんなにも丁寧な振る舞いでさ。礼儀正しくて真面目なのはヨルのいいところだけど、もっと肩の力を抜いたっていいんだよ。せっかく仲間になったんだから」


 そして優しい顔から一変、先輩は悪人顔でニヤリと笑った。


「さっきみたいに、俺に意地悪してゲラゲラ笑ってる顔とか最高だったしね」

「どういう意味ですか!?」

「すごい顔だったなー」

「わたしどんな顔してたんですか!?」


 ノア先輩は笑うばかりで、一切返事を返してくれなかった。さっきわたしがからかった仕返しだ。わたし、そんなにひどい顔をしていたのかしら。ぺたりと顔に手を当てる。場合によっては、二度と人の前で爆笑しないように努力するべきなのかもしれない。

「うそ、うそだよ。変な顔なんてしてないよ。いつもこんな顔してたらいいのにな、って思っただけだよ」


 その声があんまりにも柔らかいものだから、わたしはなにも言えなくなってしまった。膝を抱えて、満点の星空を見上げる。どうお返事すればいいのだろう。ノア先輩が「無理にってわけじゃないけどね」なんて言ったせいで、余計に返す言葉が見つからなくなってしまった。


「きっと、みんなヨルのことを好きになるよ」

「……そうだと、いいんですけど」


 小さな星が、東の空を流れて消えた。


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