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星を呼ぶアリア  作者: 藤宮花凛
最終章 星を呼ぶアリア
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最終話

 その日の稽古を終え、ブランコ乗りの少女は額の汗を拭った。時刻は午後四時。もうすぐかな、いや、まだかな。そんなことを考えながら、彼女は稽古場の扉をじっと見つめていた。先に行ってもいいが、そうすると彼はうるさいのだ。とても。


「お待たせー!」


 五月の太陽のような声と共に、赤髪の少年が稽古場に飛び込んできた。とても年上とは思えない子どもっぽい振る舞いに呆れながらも、少女はまとめていた荷物を持って立ち上がった。


「丁度今終わったところです」

「そっか、よかった」



 彼こそ、この世の中で一番、子どもっぽくて脳天気な人間。

 ノア・アステラ。

 年齢、約千三百歳。

 ……化け物か?



 およそ自分が所属するサーカスの団長に言うとは思えない台詞を脳内で吐きながら、彼女は少年と並んで歩き始めた。


「やー、誘うときは断られるかと思ってひやひやしたよ。いいよって言ってくれてありがとう」

「……いえ」


 本当は断るつもりでした。断ると迷子の子どもみたいな顔で縋られるからさっさと了承した方が早く済むよってサクさんに教えられたんです。

 とは、当然言わなかった。



 ここは四百年以上の歴史を誇る移動サーカス団、ステライール。

 発足直後は北の王国に居を構えていたが、その時期に発生した戦争の余波で活動を一時中止。十年ほど経って戦火が収まった後、国の都合に振り回されることを嫌った初代団長テナー・アステラの手によって移動サーカスへ転身。以降三百年、大陸各地を転々としつつ、芸と笑顔をお届けしている。

 現在の団長はノア・アステラ。ちなみに二代目。初代団長の弟で、人類の中で最も長く生きている人物である。



「あ、そうだ」


 ノアがぽん、と手を打つ。


「そろそろ次の場所に移動したいんだけど、そこがきみの出身地でさ。現地を案内して欲しいんだけど、いいかなあ?」

「はい」

「ありがとー、助かる!」


 また新しい歌手探さなくちゃなあ、と少年が腕を組む。その顔を横目で眺めながら、少女はずっと疑問に思っていたことを口にした。


「何故、歌手だけは毎度興業先で探すんです? 一人専属で雇ってしまえばいいのに」


 ステライールは現在、歌手が一人も所属していない。いや、これでは誤解を招くかもしれない。正確な言い方をすれば、正規の専属歌手がいないのだ。ブランコ乗りも猛獣使いも道化師も、他の演目者は皆専属で所属しているというのに、歌手だけは毎度興業先で募集し一時的な契約を結んでいる。毎度募集をかけるのは面倒だろうし、興業先の地に必ずよい歌手がいるとも限らない。事実、少女がこのサーカスにいるこの三年間でも適当な者を見繕えずに歌手無しで興業を行ったことが数回ある。


「一番わからないのは、イズル副団長もそれを容認していることです。あの方なら、団長が何と言おうと正規の人を連れてきそうなのに」


 どう考えても正規の人間を見つけた方がいいのに、何故そうしないのだろう。


「うーん、たしかにちゃんと雇った方がいいってサクは言うし、俺もそう思うんだけどさあ」

 困ったように頭を掻いて、少年は小さく笑った。

「忘れられない子が……忘れたくない子が、いるんだ。あの子以外がここで歌手をしているのが、どうしても変な感じで」

「……『歌姫』さんですか」

「知ってるの?」

「酔ったイズル副団長がしょっちゅう話しています」

「サク……や、別にいいんだけどさ……」

 

 ……ノア・アステラに『歌姫』がいるのは有名な話だ。

 彼と共に長い時を過ごしたサク・イズルが、酔って正体を無くしたときに必ず口にする名前であり、ステライールにおいて一種のお伽話として扱われている存在。天使のような声音の持ち主だったとか、女神のような美しい容貌をしていただとか、彼女が歌えば人々は足を止め涙を流さざるをえなかっただとか。本当か? と首を傾げたくなるような伝説がまことしやかに囁かれている。ノア・アステラかサク・イズルならば真偽の程を知っているのだろうが、前者は彼女のことをほとんど語ろうとしないし、後者は「ノアの歌姫がいた」という事実以外は口にしない。どんな人間だったのか問い詰めても「普通の優しい女の子だった」としか言わないのだ。



「どんな人だったんですか。その『歌姫』さん」

「え。えー……なんか恥ずかしいな」


 興味本位で訊ねると、少年は両手で頬を覆った。訊きかなきゃよかったかも、と少女は一瞬で後悔した。『歌姫』が女性である以上少年とそういう関係であった可能性は考えていたが、別に惚気が聞きたかったわけではない。やっぱりいいです、と少女は言おうとしたが、それより先に少年が口を開いた。


「普通の……優しい女の子だったよ。ちょっと臆病だけど、誠実で。大人しそうに見えて、すっごくかっこいい女の子だった」


 その口調が存外あっさりしていたので、少女は少し拍子抜けした。


「……天使のような声に女神のような美貌で、彼女が歌えば人々は足を止め涙を流さざるをえなかったって言うのは本当です?」

「え、そんな感じになってたの!? 恥ずかしさで憤死しそうだな、あいつ」


 少女の問いも簡単に否定して、少年はけらけらと笑う。自分の『歌姫』に対する態度としてはあまりに軽いそれに、少女は首を傾げた。


「たしかに歌はすっごい上手かったし、えっと……き、綺麗な子だったけど。そんなお伽話の妖精みたいな子じゃなかったよ。上手く歌えなくて落ち込んでた時期もあったし、寝起きの顔とかだいぶめちゃくちゃだったしね。本当に、普通の女の子だよ」

「そうだったんですか」

「うん。あの頃もふざけて歌姫って呼ばれてたりしたけど、『恥ずかしいからやめてもらえません!?』っていつも叫んでた」


 予想とだいぶ違う『歌姫』像に、少女はぱちくりと瞬きを繰り返した。てっきり、もっと浮世離れした神々しい女性なのだと想っていたのだが。


「あいつ真面目だし俺に厳しいからなあ。あれ以来ちゃんと歌手を採用できてないって知ったら『公私混同しないでください!』って怒りそうだ」

「じゃあ、どうして採用しないんですか」


 少女がそう言うと、少年は柔らかく目を細めた。


「約束をしたんだ」

「……どんな?」

「それはね……」


 嬉しそうに呟き、少年は走り出した。その背に「通路は走らないでください」と言葉を投げかけ、少女が後を追う。少年の赤髪が、炎のようにひらひらと揺れていた。


「ずっと、ちゃんと聞いてるからねって!」


 赤い瞳が、星をはらんだように煌めいた。

 彼女の呼ぶ声は、今も彼の中で響いている。


星を呼ぶアリア   終

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