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星を呼ぶアリア  作者: 藤宮花凛
第4章 夜の話
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第27話

 雪の降る町を、わたしは死に物狂いで駆けずり回っていた。ノア先輩はどこにもいない。当たり前だ、気づくのが遅すぎた。徒歩ならともかく、馬車か列車か、それとも最近で回り始めた車というやつか、そんなもので移動されたらわたしには追いかけるすべはないのだ。奥歯を強く噛みしめる。それでも、諦めるだなんて到底不可能だった。

「先輩……」


 拳を強く握る。


「どこに行ったんですか……」


 悲しい。悔しい。寂しい。腹立たしい。恨めしい。どす黒い感情がわたしの心に沈殿していく。


「どうして……」


 どうして、黙って出て行ってしまったのだろう。

 わたしはそんなにも頼りなかったのだろうか。わたしの言葉は信じるに足らなかったのだろうか。ずっと一緒にいられたらと、永遠じゃなければよかったと、そう言ったのは嘘だったのだろうか。

 星の子ども達にとって、わたし達人間の持つ時間はあまりにも短い。八百七十年を生きているあの人にとって、わたしと過ごしたこの半年なんて一瞬も同じだろう。人は花を愛でるけれど、昨日咲いていた一輪一輪の姿形なんて覚えていやしない。それと同じなんじゃないのか。わたしだって。

 溶けかけた雪に足下を掬われ、わたしはみっともなく転んだ。


「ぐえっ」


 受け身も取らずに倒れ込んだせいで、顔から地面に突っ込んだ。痛い。雪を払いながら体を起こすと、ぱたぱたと音をたてて雪が赤く染まった。


「え」


一瞬、なにが起こったのかわからなかった。無言で赤い雪を見つめた後、恐る恐る顔にに手をやると、掌にべっとりと血が付いた。転んだ拍子に鼻血を出したらしい。そういえば猛烈に顔面が痛い。


「あー……」


 雪はどんどん血で染まっていく。無我夢中で飛び出してきたから、手巾もちり紙も持っていない。どうしよう。どうしようこれ。痛みと情けなさ呆然としているうちに、わたしの視界はじわじわと水に浸食されつつあった。ハッとして、無理矢理手で顔を拭う。


「ふんっ」


 少なくとも、うずくまって泣いている場合ではないのだ。自分の血で汚れた雪を踏みつけ、再び走りだそうとする。その時だった。


「ヨルちゃん!?」


 名前を呼ばれて、反射的に振り向く。


「セトア?」

「うわ鼻血! ヨルちゃん大丈夫!?」


 錫色の髪を翻し、雪を蹴散らしながらセトアがこちらへ駆けてくる。たったの一晩しか離れていなかったのに、彼女の姿がひどく懐かしく感じた。


「どうしてここに? 寄合所にいたんじゃなかったんですか」

「雪が収まってきたから、街がどうなってるのか見て回ってたんすよ。ヨルちゃんこそなにをしてたんすか? 寮に戻ってたって聞いたっすけど。師匠は? 一人なの?」


 答えられなくて俯くと、一緒に鼻血がぼたぼたと落ちた。怪我していたの忘れてた。無理矢理手の甲で拭おうとすると、セトアが慌ててわたしの手を掴んだ。


「こらこら、手で拭いたらだめっすよ。じっとしてて」


 彼女が手巾を取り出して、わたしの顔に押し当てた。汚れちゃうよと言うと、彼女はそれを笑顔で無視した。これはもう、なにを言っても仕方がない。諦めて、私は素直に御礼を言った。


「ありがとう」

「どーいたしまして」


 気を付けてねと苦笑して、セトアはわたしの頭を撫でた。


「で、話戻すっすけど。こんなところでどうしたんすか」

「うん……」

「寮になにかあったっすか? あたし一回戻った方が良い? あ、でもそっちには師匠がいるっすよね」

「ちがうの」

「……?」

「ノア先輩が、あの」


 なんと説明したらわかってもらえるだろう。わたしは必死に話した。ノア先輩が実は星の子どもで、八百七十年以上生きていること。この異常気象は彼が原因で、七十年前に似たようなことを引き起こしていること。それらのせいで彼には国の監視が付いていること。そういう不思議な力や星の子どもであることが原因で、ノア先輩は戦争に利用されそうになっていること。このままだったら、きっと二度と会えないであろうこと。

 わたしも全部を理解できているわけではない。推察や予想を交えながら、なんとか言葉を繋げていく。でも、話している途中でなにがなんだかわからなくなってきてしまった。空想か作り話でもしているような気分だった。


(信じて貰えるはずがない)


 こんなの、夢か不安と恐怖でおかしくなった末の妄想だと判断されるに決まっている。そうだったらいい。これが全部悪夢だったらいいのに。目が覚めたらステライールへ入団する日の早朝で、なんだか長くて嫌に現実感のある悪夢を見ていたなあと笑うのだ。そうして春を過ごし、雪の降らない夏を超え、秋の空に目を細めるのだ。ノア先輩の友人として。本当に、そうであればいいのに。ノア先輩の隣にいられるなら、全部やり直したって構わない。二人で恋をしたことだって、全部夢で構わないのに。

 全てを話し終わった後、セトアはしばらく黙っていた。顔を上げると、彼女は柳眉をぎゅっと寄せてなにかを考え込んでいる様子だった。


「わかったっす」


 ややあって、セトアが低い声で呟く。急に怖くなった。たぶん、セトアはこれからわたしを宥めすかすだろう。ノア先輩は街の人を助けに言っただけだとか、怖いことがたくさんあったから疲れているだけだとか。それに頷いてしまいそうな自分が怖かった。だって、置いて行かれたと認めるのは怖いし辛い。もう疲れた。これなら一人で鼻血を垂らしながら走っていた方がよかったかもしれない。セトアに──友人に会ってしまったから、どこか心の大事な紐が緩んでいるのが自分でもわかった。

 死刑執行を待つ罪人のように蹲るわたしへ、セトアは夏の陽を濃縮したみたいに力強い声で宣言した。


「つまりヨルちゃんは、師匠を一発ぶん殴りたいんすね」

「はえ?」

「無理もないっすよ。こんなに健気で可愛い恋人を置いて勝手に出てくなんてサイテーっす。一発と言わずボコボコにされても文句は言えないっすね。師匠は丈夫だから大丈夫っすよ」


 いつもと変らないトーンでまくし立てるセトアに、わたしは呆然と呟いた。


「なんで」

「え?」

「なんで信じてくれるんですか……?」

「そんなこと言われても」


 セトアが困ったように頬を掻いた。


「友達の言うことだし。もし嘘でも、ヨルちゃんのしたことならあたし気にしないっすもん」

「そうなの……?」

「うん。友達ってそういうもんじゃない?」

 違う? と、セトアは不思議そうに首を傾げた。

「そうかな。んん、いや、そうかも」

「でしょ」


 彼女は満足げに頷き、わたしの両手を引っ張って立たせた。


「顔以外に怪我はないっすか? 痛いところは?」

「ないです」

「リョーカイっす。じゃ、行こっか」

「行くって、どこに?」

「団長のとこ」


 混乱するわたしをよそに、セトアはわたしの手を掴んだまま、どこかへ向かって歩き出す。


「なんでですか?」

「団長と師匠は兄弟っすから。少なくとも書類上は。いくら国のお役人が偉いからって、家族になんの断りもなしに連れてくのは無理っすよ」

「……たしかに。団長は先輩が星の子どもだと知ってるし、今の状況を知らない方が不自然ですね」

「うん。団長だったら師匠の連れて行かれた場所を知ってるかもしれないっしょ?」

 セトアの言うことに確証があるわけではないけれど、現状彼女の提案に賭ける以外の手はない。頷いて、引かれるばかりだった手をぎゅっと握り返した。


「セトア」

「なに?」

「ありがとう」

「いいっすよ」


 セトアと手を繋いで、わたしは走り出した。一人だったときよりずっと足が軽い。彼女が、友達がいてくれてよかった。凍って頬に張り付いた涙を払って、心の中で決意した。

あのひと、絶対一発ぶん殴る。


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