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第八話

「風が凪いだな」



ガイキの声に、ハイローは地図を眺めながら頷いた。



「暴風地域を超えたのか、風が我々を追い抜いたのか…。


いずれにせよ、あまり良くないタイミングですね。


凪ぐなら真夜中に凪げば良いものを…」


「もう直ぐ夜明けだ。


だが、漸く皆が休める。


仮設テントを数張りだけ建てよう。


交代なく歩いたものの士気が気掛かりだ」



その言葉の後直ぐに、ガイキは軍の皆に仮設テントを張れと指示を出した。


それを受け取った皆から、安堵の雰囲気が溢れる。


ガイキは数台の馬車の内、最も大きなそれに近寄ると御者台に座って腰を叩くトーエモンドに労いを掛けてから荷台を開いた。



「休息が取れているものは手伝ってくれ。


仮設テントの設営と、炊き出しを行う。


あと、負傷したヤツに外の空気を吸わせてやってくれ。


妊婦達と古老も今の内に動いておけ。


また暫く座りっぱなしなるから」



ガイキの言葉に返事が上がり、こども達が飛び出すように設営の手伝いに駆け出た。


中に残った他のこども達が妊婦や古老を馬車から降ろす手助けをしていて、休息していた兵士達は負傷したものに肩を貸している。


ガイキは問題なさそうなその馬車から離れようとして、気付いて中を見た。


疲れて眠る兵士やこどもの中に、ベーディも転がっている。


ガイキは彼を起こそうと馬車に乗ろうとして。



肩を掴まれた。



振り返れば、怖い顔をしたリリィロが立っている。


ガイキは彼女の手を振り払うように体を向け、なんだと無愛想な声を出した。



「ベーディを叩き起こす気…!?


あの子を何時間歩かせたか分かっているのッ!?


同年代の兵士達の三、四倍は距離も時間も歩いたのよ!」



ガイキは息を吐く。


馬車で眠る彼等を気遣ってか小声のリリィロに、冷静な声で応えた。



「アイツと他の誰かを比べるな。


ベーディはちゃんと行軍を文句一つなく熟したし、集中力も途切れなかった。


それに、馬車に入れてからもういい時間だ」



いつもの無表情に近いガイキの顔に比べ、リリィロの顔は直ぐに怒気を隠す事なく露わになる。



「あの子がアンタに文句や弱音を言える訳ないでしょ…!


アンタみたいに涼しい顔で何事も熟す〝王様〟が…あの子をあまり追い込まないでよッ!


いつも…いつもアンタはっ、」



荒らぐリリィロの声色に合わせて音も大きくなるそれに、ガイキは手を出した。


彼女に向かって掌を向け、静止させる。


リリィロはその指抜き手袋に様々な感情が喉の中で入り混じり、そこをとても熱くさせた。


自分の言葉を遮る彼の行動は腹立たしい。


だが、声が大きくなってしまっていたのは自分で、あのままでは折角まだ寝かせてやりたいベーディが目を覚ましてしまうかも知れなかったし、ガイキはそれを止めようとしただけなのだ。



目の前に立つ彼は喩え嫌う相手にも、無意味に言葉を遮るなんて失礼な事は決してしない〝完璧な王〟だから。



リリィロはマスクの下で唇を噛む。


それでもやはり彼の動作の所為かまだ言い切れていない意見の残りなのか、腹立たしい気持ちが大きかった。


しかし、次に口を開いたのはガイキだった。


彼は手を下げると、



「分かった、好きにしろ。


だが、頃合いを見て起こせ。


あの砂嵐の行軍では体力と同等に精神面も削られたはすだ。


炊き出しをしている間に温かい食事を取らせろ」



リリィロは、噛んでいた唇をきゅっと噤んだ。



「それと、外に長く出てはいたが、〝兵士として〟だ。


仕事以外の理由で外に出させてやれ。


それだけで、精神的にかなり回復する」



リリィロに反論はなかったし、反撃なんて出来るものは何もなかった。


それに、ガイキは忙しい。


だから踵を返した彼を留める理由も道理もないが、さっさと〝勝ち逃げ〟するその背中がとにかく恨めしかった。



「険悪なんだな」



ハッとした。


そんな言葉を掛けてくるものなんて居ないはずのこの軍で、リリィロは背後を見る。


そこにはシャロノがマントとマスクを外して立っていた。



「彼は王で…お前はその参謀の一影(ひとり)だろ?」


「…、ええ、」


(ひとのえ)は好悪の感情を簡単に抱くが、そんなに嫌っていても行動を共に出来るものなんだな」



リリィロは溜息を吐き、馬車の中を一瞥した。


ベーディはまだ、ちゃんと寝ている。



「…そうね。


(ひとのえ)の好悪の感情なんてそんなものよ。


(あやかし)は嫌った相手とは行動を共にしないの?」


「私達が〝嫌う〟時は相手を迷いなく殺すくらいの嫌悪を感じている時だ」



極端ね。と、リリィロは言った。


(ひとのえ)が簡単に嫌い過ぎなんだ。と、シャロノが返す。


そんなものだろうか。とリリィロはまた息を吐いた。



(ひとのえ)というのはね、〝殺す手前の嫌悪〟くらいなら割り切れるものなのよ。


言動の節々に如何に嫌っているのかが現れてしまうけど、」


「相変わらず面倒臭いいきものだな」



シャロノの言葉に軽く笑ってから、リリィロは歩き出した。


シャロノはそんな彼女にベーディをどうするのかと問い、リリィロは馬車を一瞥してから、



「もう少し寝かせて…それから、癪だけど彼の言う通り〝頃合いを見て〟起こすわ。


テントの設営と炊き出しはまだ時間が掛かるから」



リリィロは息を吐く。


落胆するようなそれを落とし、呟くように呻いた。



「…分かってるわ。


ベーディの苦心とか、一番理解しているのはガイキよ。


立場が似ているもの。


でも、だからこそ、私はベーディにとって甘えたり弱くなれる場所でないといけないの。


…あの子、まだこどもよ?」



リリィロは薄闇の中で建つテントの骨組みに目を細めた。


骨組みだけだとみすぼらしい。



「私はあの子の為に何かを惜しむ気はないわ。


…ベーディは、私の大切な家族だもの」



俯いた。


まだゴーグルやマスクは外せないが、視界は良好だ。


自分の靴の汚れも見える。


リリィロはそこから目を離すように顔を上げ、歩き出した。


テントの設営に手を貸す。


シャロノはそんな彼女の背を眺めてから、手持ち無沙汰に息を吐いた。


ガイキとの契約では、公平性の為にシャロノは契約外の仕事は出来ない。


シャロノがあまり手を出すと、ガイキ側からの報酬が割に合わなくなるらしい。


(ひとのえ)というものは本当に細かいし、面倒臭いものだと思って。



シャロノは、ふと、いつかの〝自分の非〟を思い出した。



彼女が(ひとのえ)だったらもっと慎重で、恐怖心というものを知っていて、あんな失敗は起こらなかっただろうかと。


独り、考えた。


百年以上、何度も何度も考えている。


あの取り返しの効かない失敗は、どの行動を取るのが正解だったのか。


ただ見ていれば良かったのか、それとも──と。



シャロノは目を閉じる。


彼女の瞼は幕だ。


まつげで飾られた幕。


それを閉じて、眠らずに見る夢はまるで喜劇だった。


だが、



「炊き出しよー!


腹減ったヤツらは全員来ーい。


腹減ってなくても食っとけー!」



快活な女性の声にシャロノは幕を開けた。


幕が開けば、目の前にあるものはいつも変わらない。



まるで、悲劇だ。



列を押し合うこども達の笑い声や、兵士達の談笑、妊婦の腹に耳を当てる夫。


それは〝幸せ〟の具現化かも知れない。


それでも、彼女の前には悲劇だけが踊っている。


忘れ難く、忘れたくなどないが、忘れてしまいたい。


それでも、彼女には出来ぬ〝上塗り〟というものがが出来れば違ったのだろうかと。



そうは思うが、それに魅力は感じなかった。



その内にリリィロが馬車に乗り込み、優しくベーディを起こして食事に誘っていた。


ベーディは赤ん坊のように眠たい目を擦っていて、それから慌ててリリィロに騒いでいる。


もうキャンプ地に着いたのかとか、敵と戦うのかとか。


リリィロは、仮設しただけだ、直ぐにまた行軍が始まるとベーディに告げ、二影(ふたり)は共に炊き出しに賑わうテントに入って行った。


シャロノはネズミの入る袋を確認する。


ネズミはまだ眠っていて、シャロノはその袋を閉じると、



「凶暴種とは思えないな」



そう笑った。











「ネズミって肉食なのか?」



自分の妖力衣よ影響を考え、人が減るまで待った炊き出しのテント内で食事を取るシャロノに、ベーディがそう聞いた。


彼が覗くテーブルの上で、シャロノの白いネズミが茹でられた肉の塊を少しづつ食べている。



「普通は雑食だ。


この子は肉食。


ピネッチツヒョエモドキという種類のネズミだ。」


「ピネッチツヒョエって…南西に住む毒の山の猫?」


「ああ。


それと同じ地域に生息しているネズミだ。


ピネッチツヒョエと配色が同じだから付いた名だ。


それと、毒はないがピネッチツヒョエと同じくらい獰猛だから…」


「わっ!」



ベーディは、〝獰猛〟という言葉に直ぐに退いた。


そんな彼を見上げたネズミはヒゲを揺らし、また肉に歯を立てる。


シャロノはそんなベーディとネズミの様子を見て笑みを浮かべながら食事を続ける。



「その子は大丈夫。


昔、共に暮らしていた〝猫〟に捕まっていた所を、私の従獣にした。


ピネッチツヒョエ以外の猫に捕まるピネッチツヒョエモドキなんて聞いたことがない。


いわゆる〝腑抜け〟だ」



シャロノはそう言うと、肉を割いて食べているネズミの頭を指先で撫でる。


ネズミはその指に体を翻弄されながらも、必死に自分の食欲を満たそうと肉に前足を伸ばしていた。


そんな光景にシャロノはくすくすと笑っていて、ベーディは彼女を眺めながら、



「名前は?」


「名前?


ハクシだ」



ハクシ…。と呟き、ベーディはそのネズミを見詰めた。



「どうぶつに〝名字〟を付けない風習は昔からなのか?」


「ああ。


〝名字〟はいきものだけのものだからな。


お前にも〝名字〟はあるだろう?」



ベーディは頷く。



「俺の〝名字〟は〝塀掟〟。


〝塀でかこみて掟をおもんず〟。


〝自分の周りに居るものは塀に招き入れて、皆と皆の為の掟を守り抜く〟…って意味らしい」


「いい名だな」



いかにも〝王〟という名だとシャロノは考えながら首を縦に振り、ベーディは首を横に傾けた。



「シャロノは?


どういう意味の〝名字〟なんだ?」



シャロノはベーディを見た。


そして終えた食事に食器を置き、まだ肉を頬張るハクシを一瞥してから、



「〝白好〟…。


字の通り、〝白を好む〟という名字だ。


〝白〟は私の家系を指す字だ。


お前達、(ひとのえ)の王の王位継承者を指す〝一〟と、それ以外の王子を指す〝零〟のようなものだ」



ベーディは瞬きをした。


(ひとのえ)の王の長子には必ず名に〝一〟を付ける。


他の誰にも使用出来ない文字だ。


名字とは口語的に使う〝名の音〟とは別に、正式な書類で扱う〝名の字〟だ。


ほとんど使われないが、王族や貴族は名乗る際に使用したらしいし、話のネタとしては定番ではある。


名字は、いきものなら皆が持っているものであり、〝名付け〟とはこの〝名字〟と〝名音〟を共に新生児に与える事を言う。


その中でも、一族として決まった字を必ず付ける家系や、親の一字を受け継ぐ風習は王族だけではなく一般的な家系でも珍しくなかった。



「吸血貴って(あやかし)の王族が居る家系なんだろ?


シャロノは王族じゃないのか?」



シャロノはやっと肉を食べ終えたハクシの皿を、自分の空の食器に重ねた。



「吸血貴の家系はかなり細かく分けられている。


王家本家、王家分家、王の配属者の近親者、王の第一従者家系、第一以外の従者家系、王の召使い…。


吸血貴はこういう細分化した家系にそれぞれ〝家名〟という名の前に付く名称を持っている。


身分を示す称号のようなものだ。


これは基本的に名乗らないものだが…。


王家本家なら、〝ローゼド〟という家名が与えられている」



そしてシャロノはベーディを見た。


好奇心が強いらしい彼は、じっとシャロノを眺めている。


本当に人力の扱いが上手くなったのだなと思った。



「だが…残念ながら、私は吸血貴が王位を放棄してかなり経った後に生まれた。


吸血貴を殺す〝吸血貴猟師(ヴァンパイアハンター)〟が最も多い時期にな。


私の親は私が生まれた翌日に猟師に殺されたらしい。


勿論、私は覚えていないが」



ベーディが言葉に詰まっていた。


シャロノはハクシを自分の肩に誘い、ベーディに微笑んで見せる。



「そんな顔はしなくて良い。


(ひとのえ)は殺害を行ったものの家系や種族、血族すらも嫌うらしいが、妖魔(ようま)はそんな風に不特定多数を一気に嫌うなんてことはない。


私は別に(ひとのえ)という血族に対してなんの感情も抱いていない」



敵意なんてないと笑うシャロノに、ベーディは呻くように言った。



「でも…親を殺されたんだろ…?」



シャロノは瞬きをした。


相変わらず、美しい所作だ。


そう感じるのはやはり、まだベーディが人力をちゃんと扱えていないからなのだろうか。



「ああ。


だからといって何故、親を殺してないものまで嫌わなければならないんだ。


(ひとのえ)といういきものは短慮が過ぎる」



本当に、彼女は何も思っていないのだろう。


(ひとのえ)からすると、冷たく感じてしまう。


しかし、向こうからすれば(ひとのえ)が色んなものごとを一緒くたにし過ぎなのだろう。


どちらが優秀な思考の持ち主なのかは、ベーディには答えを出せなかった。


食べ終えた食器を手に立ち上がるシャロノをただただ見上げていると、



「居た!


ベーディ!


やらねぇのか?」



ベーディはテントの入口を見た。


そこに立つ彼は、ベーディを遊びに誘いに来たのだろう。


思考が凝り固まっていたベーディが素早い返事を出せないでいると。



頭を撫でられた。



ベーディは驚いてシャロノを見上げる。


彼女は先程ベーディの頭を撫でたのであろ手を下げると、



「遊びに行かないのか?


こどもはおとなより遊んだ方が良い。


どの血族でも共通だ」



シャロノはそのまま、食器を片しに歩き出してしまった。


ベーディは心臓が煩いまま、また急かしてきた仲間にやっと返事をして彼に駆け寄る。


驚いた。


まさか、吸血貴である彼女に、あんな慈悲深い手付きで頭を撫でられるなんて思ってもみなかったから。


顔が熱かった。

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