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第七話

「いやぁ、それにしても、ベーディは頑張りましたね」



ベーディが抜けた分、配置がガイキに近付いたスイヒがそう言った。


風が緩む様子はないが、いつも声が大きい彼女に、二影(ふたり)の前を歩くハイローが後ろを気にした。


本当にスイヒは気遣いが足りないというか、機微に疎いというか、皆が意図して言わない事を悪気もなく放つ。


気付いていないんだろうな、本当に〝あそこら辺〟の関係性に。と、ハイローはどうせどこにも聞こえないと溜息を吐いた。


一方ガイキは、特に詰まるでもなく言葉を返す。



「そうだな。


もっと早く休ませてやっても良かったが…。


アイツの気力もまだ続いていたし、いずれは行軍の先頭も歩くことになる。


練習にはなっただろう」



ハイローは、また息を吐いた。


もっと早く休ませてやりたかったか、と。


きっと辛かったのだろう。


ガイキが、ベーディよりも幼い頃に同じような砂嵐の中行軍した事があった。


彼は昔から〝不器用なガキ〟で、ハイローがもう良いから馬車へ行けと言っても頑なに断り、皆と同じペースで目的地まで辿り着いたのだ。


小さな体が風に負けないようにと重し代わりに背負った鞄は、幼い彼の背よりも大きかった。


あの幼さで一昼夜おとなと同じペースで歩き抜いたのだから、驚いた。


流石に翌日半日はほとんど動けていなかったが、それでも大したものだ。


〝大したもの〟なんて言葉では済まない程に。


とはいえ、彼がそんな暴挙に近い事を押し通したにも理由がある。


今のベーディと当時のガイキでは、立場が違い過ぎたからだ。



ガイキはどうしても、他の誰かに劣る訳にはいかなかったのだ。



ハイローはまた後方に注意を向けた。


今度はスイヒにではなく、遥か後方で見えもしないベーディにだ。


ベーディが必死に食い下がったのは、ガイキに劣る訳にはいかないという気持ちからだろう。


もう休んでいいと言われた時、ベーディは限界に近かっただろうがきっと誰かに問いたかったはずだ。



ガイキが俺くらいの時は、休んでたのか?



と。


それはライバル心ではない。


ベーディはガイキの事をよく見ている。


周りが完璧な王だと称賛し、ハイローが不器用なガキだと揶揄するガイキの本質を、分かっているはずだ。


だからベーディは少しでもガイキに近付こうとして、そうして気付かされる実力の差に自己嫌悪しているのだ。


そもそも、ガイキは〝天才〟の類だ。


王の血の特徴である〝記憶〟の能力は、その能力が継承されてきた過去の、歴史的な事柄を想起する事が出来る。


ガイキは血が薄いのでかなり断片的であり、記憶されていない年月もあるのだが、かなりの情報量である事とその内容が。



こどもが詳細に知るべきではない血腥いものも含まれているという事を。



皆が知っていた。


どうして(ひとのえ)が他血族を滅ぼそうとしたのか、そしてその方法。


その〝記憶〟とは客観的に記されているらしいが、凄惨に誰かが死ぬ様が、鮮明に彼の脳裏に映し出される。


こどもに見せるべきではないと目を覆った所で、ガイキの瞳よりも奥深くで(ひとのえ)の醜さや血飛沫がこびり付く。


ガイキはその記憶を得るのが早かったから、〝可哀想〟だった。


その〝記憶〟の能力を得られる年齢は個体差がある。


ベーディはまだ開花していないらしいが、ガイキは六歳の頃にはもう〝記憶〟していた。


だから彼はおとなびていて、完璧で、天才なのだと周りは言う。


確かにガイキは冷静で口数も少ないが、彼が〝王〟になる前はここまでではなかった。


ガイキは自分の〝記憶〟の中で、王が、特に戦線を導く指導者というものがどうあるべきかを〝とても正しく〟知ってしまっていた。


だから彼は懸命にそうなろうと努力している。


王の座に着く前は今より生意気だった。


ハイローはそんな彼を覚えている。


同年代の友とつるみ、夕食前につまみ食いしたと給仕係の女性に怒られていた事が、両手では数え切れない程あった。


そして彼が王になった後、給仕係の女性がハイローに不安を告げたのだ。


ガイキが、王になってからは一度も〝悪ふざけ〟をしていないと。


つまみ食いなんてしなくなった。


友と共に年相応のイタズラもしない。


しかし、月日が経つとその心配気だった女性も朗らかに笑って言うのだ。


ガイキは流石だと。


完璧な王だと。


そういうものだと。


ガイキは天才だ。


幼いながらにものごとの流れを知り、自分に何か求められているのかを得る事が出来た。



そして、全ての時間と〝自分自身〟という存在を惜しまず努力し、皆の望む王となった。



王として佇む彼の中には〝ガイキ〟は居ない。


そして彼が王でない時など、存在しない。


幼い彼が王になり、そして今、青年になった。


彼の完璧な王が当たり前になるまで、ガイキは一時も王という体裁を崩さなかった。


だからハイローは、自分だけは彼を〝不器用なガキ〟と呼ばなくてはいけないのだ。


その生き方しか許されなかったとはいえ、たった独りで成し遂げて、それがベーディへのプレッシャーになっていると理解しつつも、〝王〟である彼はこの体裁を崩す訳にはいかない。


それに苦悩している。


そんな素振りも見せないが、他のものの機微に敏感なガイキがベーディの焦りに気付かない訳がないし、ガイキがベーディを大切にしている事は周知の事実だ。


ガイキは最も付き合いが長く、自分を兵士として鍛え上げたハイローには〝年相応〟な一面を見せる事もあるが、己の苦悩を誰かに告げたりはしない。


戦地を走る軍において、王が揺らぐ事は許されない。


兵士が目標を見失い、敗北が歩み寄ってきてしまうから。


ハイローがこの苦悩を勘付いていると知りながらも、それでも隠す。


本当に〝完璧な王〟である〝不器用なガキ〟だ。


息を吐いた。











息を吐いた。


それは誰に辿り着くでもなく暴風に消えたが、隣の彼女の視線が向く。



「休まなくていいのか?」



リリィロは、シャロノに視線を返した。


風に負けないようにとに皆が前屈みになる中、シャロノだけは姿勢よく歩いている。



「大丈夫…。


貴方は?」



シャロノは砂に汚れた前髪を流す。



「私は吸血貴だ。


筋力も体力もお前達、(ひとのえ)とは比較にならない」



本当に羨ましいわ。と、リリィロは思わず声を溢した。


風が煩く、口に布も巻いているのでシャロノはリリィロが喋った事も気付いてないだろうが。



シャロノが、リリィロへと手を伸ばしてきた。



リリィロがこの手に困惑する中、砂塵の霞でも鮮明なシャロノの瞳が瞬き、



「荷物を」


「…え?」



リリィロは歩みを止めずにそう聞き返した。


足は長時間動かしているからか反射的に前に出ているようなものであって、リリィロは呆然と立ち尽くすような気持ちでシャロノを見詰める。


風が煩く、埃は堆く、周りはこのやり取りに気付いていないだろう。


シャロノは眉一つ動かさずに、リリィロに差し出した手もそのまま、



「余分な荷物を持とう。


(ひとのえ)はそうやって他の誰かの苦心を肩代わりするものだと、昔聞いた」



リリィロは呆然とした。


彼女の言う通りだ。


(ひとのえ)というものは、足を挫いて動けないものが居たら、喩え見ず知らずの誰かでも手を貸す事が〝美徳〟とされている。


だが、この感覚を他の血族は持ち合わせていない。


喩え重い荷物を持っていようと、それが与えられた仕事であるなら最後まで熟す事が当たり前だ。


そもそも、〝見栄〟のような自意識過剰な感情や〝自分や他のものの実力を見誤る〟なんて愚かな失態は(ひとのえ)にしか起こらない。


だから他の血族は基本的に〝助け〟を必要にしないいきものなのだ。


故意に貶められる時以外は。


だからリリィロは驚いた。


〝手助け〟という感覚を持ち得ていない彼女が、自分を〝手助け〟しようとしているのだ。


彼女の口振りでは、本当にその感覚はないらしい。


ただ、昔聞いた知識を覚えていて、それを〝相手が(ひとのえ)だから〟という理由だけで気持ちを慮っていた。


驚きだ。


簡単に誰かを嫌いにならない(あやかし)(まみかた)という血族は、誰かに対して不平不満を抱かない。


気持ちを推し量られなかったという理由だけで、相手に対して醜い感情なんて向ける訳がないのだ。


だから、彼等は誰かを慮る事は基本的にしない。


勿論、自分を省みる誰かに対して〝嬉しい〟という感覚はあるので、妖魔(ようま)は相手を気に入っていれば気を配る事もある。


だが、特に感情のない相手に心を傾けるなんて、そんな不毛な考えは持っていないのだ。


そのはずだ。


なのに、シャロノはまるで(ひとのえ)のようにリリィロの体を配慮している。


シャロノが何故、彼女の血族の常識の範疇を超えた行動を取るのか。


その理由は一つだけで、リリィロは思わず布越しに口を押さえると笑って、



「シャロノ、貴方は優しいのね」



微動だにしなかったシャロノの眉が寄った。



「ありがとう。


でも平気よ。


まだ大丈夫。


このくらいで音を上げていたら、軍の参謀を名乗れないわ」



シャロノは笑うリリィロを見詰める。


彼女の瞳は曇ったゴーグルに埋もれて、正しい色が分からなかった。


だが、シャロノはまた口を開く。



(ひとのえ)は出過ぎる程に他のものに気を遣うものだと記憶している。


本当に〝大丈夫〟なのか?


(ひとのえ)はそういう嘘を吐くことを好むのだろう?」



リリィロはまた笑った。


小さく声を立てて笑う。


シャロノはそんなシャロノの微笑みの理由が分からないまま、数十年前に得た(ひとのえ)の知識が古臭くなってしまったのだろうかと。


未だ、大丈夫だなんて(ひとのえ)特有の根拠のない言葉を放つリリィロに手を下げた。


どうやらまだ本当に大丈夫そうだなと、シャロノも前を向いた。


勿論、(あやかし)であるシャロノは、己の懇篤を踏み躙られたなんて醜い感情もなく、また、まだ共に歩こうという彼女の気持ちに対しての喜びもない。


この短いやり取りで心が動いたのは、行軍している多数の波の中でたった一影(ひとり)、リリィロだけだった。


それでも、彼女だけは確実に晴れやかな気持ちで砂嵐に向き直っていた。


足取りが少し軽い。

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