第五話
ダーン。
文字に表すととても稚拙だが、その音は決して可愛らしいものではなかった。
ふぅ、と、息を吐いたベーディは上体を出していた壁から身を引き、銃身から役目を果たした軽い薬莢を地面へと落とす。
カランカランとやはり文字に表すと、とても戦地とは思えない音が響き、壁に背を押し付けながら新たな薬莢を詰めた銃身を下げるベーディが言った。
「西の廃墟はもうカラだぜ。
ただ、北の岸壁に何人か見えた」
ベーディの言葉に壁から少し様子を伺ったガイキも姿勢を低くし、その場に集う何影かに視線を配った。
「狙撃部隊は援護しろ。
スイヒの部隊は俺と来い。
東から回る。
風車近くが入り組んでいるから罠に注意しろ」
「はい!」
スイヒは背後に手信号を送ると、手元の銃の弾倉を確認してから戻した。
ガイキは更に、ハイローへと視線を向けると、
「ハイロー、お前は西だ。
手こずるとまたあの〝人外〟が来るぞ。
単調な作戦だが、時間を掛ける訳にはいかない」
「あの〝坊っちゃん〟だけには会いたくないですからね」
ハイローは後ろに待機していた自分の隊員に顎で行き先を示すとその場から姿勢を低く走り去った。
ガイキは散弾銃の銃身を折るとベーディに渡す。
ベーディはその中に銃弾を六発入れるとガイキに返した。
ガイキは銃弾を地面に付けながらレバーを引き、それを背中に掛けると。
戦地でただ一影、日傘を開くシャロノを見た。
「負傷したヤツらは?」
「〝思い込みの術〟だけは掛けておいた」
「ああ…よし。
お前はここで彼等の護衛を頼んだ。
南側に兵士は残してあるから、ベーディと共にこの塀を頼む」
了解、と軽い声がシャロノから放たれると、ガイキはスイヒとその部下を連れてハイローとは反対へと消えた。
シャロノは壁から頭を出しては引っ込めるを繰り返す兵士達の内、ベーディの隣で彼と同じようにしゃがむ。
「お前の王は、随分変わった銃を持っていったな。
散弾銃なんてあの腕で撃てるのか?」
「…ガイキは隻腕だけど、片手で大振りの銃だって使えるんだ。
それに、ガイキの主力武器は剣だ。
あの銃を敵にブッ放してる姿は見たことねぇぜ」
ベーディはそう言い、壁からまた岸壁の様子を伺った。
川が近くにあるからか、ここらの砂は風が吹いても簡単に舞い上がって来ない。
敵がよく見える。
敵からも、よく見えているのだろう。
「あんまイイ銃じゃねぇんだ、ガイキのは。
ガイキはリロードに時間も掛かるし、排莢も手動だと手間取るから無理矢理改造してセミオートの自動排莢だ。
中折れ式なら口で薬莢を加えれば何とかリロード出来るしな。
…でも、〝弾詰まり〟とか暴発とか…普通の銃より危ないらしい。
だから、余程のことがない限り使わねぇってさ」
そう言いながらシャロノを見上げると、彼女もこちらを一心に見詰めて来ていた。
秀美な彼女に思わずドギマギとしていると、静かに笑ったシャロノは視線を逸らす。
「悪かったな。
随分と〝妖力衣〟を無視出来るようになったものだと感心して…。
やはり、あまり見詰めては邪魔になるな」
ベーディはシャロノの横顔を見詰めた。
辺りの狙撃兵は敵の影が見えなくなって時間が経ったからか、ずっと壁から頭を出している。
「シャロノは…優しいヤツなんだな」
「!」
シャロノはベーディを見た。
無邪気な少年は、先程敵を撃ち殺した銃を抱えている。
シャロノはそんなベーディにまた笑うと、
「簡単に目の前の誰かを信用しない方がいいよ」
その時、シャロノはベーディとは反対の隣でスコープを覗きながら銃を構える兵士の背中の服を掴み、片手で後ろに転ばせた。
その兵士とベーディが驚く声を上げる中、派手な銃声と共に転んだ兵士が銃を置いていた壁の縁を銃弾が削る。
辺りの兵士が動揺と共に銃声の出処を探していると、シャロノはしゃがんだまま、転んだ兵士を今度は片手で腕を引いて起き上がらせる。
「お前達から見て二時の方向五度北寄りだ」
兵士達は反射的にその方向へと銃を向け、ベーディも素早くそれに倣ってスコープを覗き込むと、
「紅葉したカシナシの木!
左側ッ!!」
その叫びと共にベーディの銃から鉛の塊が弾け出て、他の兵士達も目標へと銃を放った。
ベーディのそれは樹木を傷付けただけだったが、誰かの銃弾が対象の首を貫く。
兵士達はまた警戒を先程よりも広範囲に凝らして、ベーディはまたシャロノの隣に屈むと、
「どうして分かったんだッ!?」
興奮気味のベーディに、シャロノは日傘の影で瞬きをしてから、
「音を〝よく聞こえる〟ようにしているから、聞こえただけだ」
「…それも、〝思い込みの術〟?」
「ああ、そうだ」
シャロノは壁にもたれ掛かった。
背中を引かれた兵士はシャロノに礼を言おうとしたが、彼女の姿を目に入れて妖力にやられてしまったらしい。
ベーディは、日傘の中を見上げる彼女を見て思った。
やはり、彼女はズルい程に強過ぎると。
「〝思い込みの術〟ってのは確かに強大な妖術だ。
だが、術の中で唯一〝上書き〟をされる可能性があるし、術を掛ける相手の抵抗力が強いとあまり強大なものは掛けられないらしい」
「だとしても、どこで銃が撃たれたかとか、今からここに着弾する、ってのが分かるのはズリィよ!」
まるでこどもの喧嘩をした少年のように叫ぶベーディに、ガイキは地図を広げた卓上を見詰めたまま言葉を返す。
「俺もそんな〝思い込みの術〟は聞いたことがない。
だが、〝自分を強化出来る〟ってことは、アイツの抵抗力はあまり強くないと思う」
「?」
「不老不死を〝英力〟なしの〝のろい〟で殺すことは無理だが、何かしらの〝のろい〟には掛けられるかもな。
アイツが契約破棄した場合は俺も少しは役に立ちそうだ…。
まぁ、真実のCosa-adiで契約したから互いを攻撃することは無理だが」
ガイキは、地図の一箇所を指差した。
「ここは?
製鉄所の跡だ。
資源も機材ももう残ってないだろうが、壁や塀は残ってるだろ」
そこで、ガイキの言葉に反論したのは同じ机を囲む数影の中のリリィロだった。
「ダメよ。
北へ向かうならルートが逸れ過ぎる。
武器は保つけど食料が尽きるわ」
「…そうか、」
ガイキは少し唸った。
今度はリリィロが地図を指差し、声を出した。
「北へ真っ直ぐ向かいましょう。
ここに村があるわ。
…多分まだ生きてる村が」
「バカ言え。
彼の国のヤツらがこっちに向かってきているかも知れないんだぞ。
今日潰した部隊には大型無線兵が居た。
あれはかなり遠くまで繋がるぞ。
無線機は壊れていたが、俺達との銃撃戦で壊れたなら、国へと連絡を入れられた可能性がある」
「自分達が撃った銃弾なのに何を撃ったのか分からないわけ?」
ガイキの反論へのリリィロの反抗的な態度に、ガイキは彼女を一瞥しながら眉を寄せた。
「そうだな。
今度からは咄嗟の反撃にも無駄撃ちをしないと定評のお前にも前線に出てもらおうか」
「アンタらの武器管理から、軍全体の食料の管理まで誰の班がしてやると思ってるのよ…!
アンタの使いもしない大口径の銃弾でどのくらいの食料が買えるか知ってるわけ?」
空気に電気が拡散した。
静電気よりも強く断続的なそれは、ガイキとリリィロが目を合わせもせずに辺りに敷き詰めている。
そんな二人に、この場で最年長のハイローが咳払いにも満たない音を喉から出した。
ここで地図を指してよりよい案が出せればいいのだが、そんなものは残念ながら簡単に思い付かない。
暫くの間、討論と沈黙が何度も地図上で往復し、漸く次の行き先が決まった頃にはハイローが一番疲れていた。
ガイキは地図に文字を加筆しながら、
「ベーディ、この行軍が終わるまではずっとリリィロの部屋で寝泊まりしろ」
「!」
「シャロノの件がある。
まだ彼女を信用してないヤツが多いし、俺もその中の一影だ。
俺は暫く部屋に戻らない」
ベーディは、ガイキの背中を見詰めた。
彼が部屋に帰らないのは〝よくある事〟だ。
彼は忙しい。
寝る間がない事もあるし、敵地の近くでは王である彼が夜の見回りに加わる事もある。
軍に不安を抱えているものが居れば、ガイキはその不安を一番前で見定める。
彼等が抱える不安の重さを感じなくなるまで、ガイキは決して身を引かない。
そんなガイキを皆は誠実な王と呼ぶが、ハイローは不器用なガキだと言っていた。
「ほら、ベーディ。
帰るわよ」
優しい声に、ベーディは扉の前で待つリリィロに駆け寄った。
彼女はベーディの肩に手を置き、共に外へと歩き出す。
「今日は前線で援護をしてたんでしょう?
大丈夫だった?」
先程の会議とは違って棘も電気もない優しい声色のリリィロに、ベーディは思い出して興奮気味に彼女を見上げた。
「シャロノが凄かったんだ!
銃弾が迫って来ているのを察知して兵士を助けてくれたし、それがどこから撃たれたのかも分かったんだぜ!」
「そう」
やはり優しく笑うリリィロは、額に掛かる少し大人っぽい髪型をしているベーディの前髪を指で流した。
「それと、ガイキに教わって妖力に惑わされないようになったんだ!」
凄いわね。と。
優しく聞き入れるリリィロの声と騒がしいベーディの声が遠ざかり、会議に参加していた他の皆も退室の言葉を述べて出て行く中、ガイキはまだ地図に何かを書き込みながら溜息を吐き、
「まだ完璧ではないクセに…。
直ぐに調子に乗る」
ガイキと共に唯一残っているハイローは、そう呟くガイキの背を眺めた。
ほぼ毎回、会議の度に険悪になる〝二影〟に思う所はずっとあるのだが、ハイローは。
せめて自分だけは陰でも表でもそんな事を言う訳にはいかないと決心しているので。
ただ黙って、方針が決まった事だけを良しと考えた。
ガイキはペンを置き、ハイローはそんな彼に地図を丸める作業に入った。
ガイキは長身なハイローを見上げると、
「ハイロー、それだけやったら下がっていいぞ。
〝老けた〟ぞ」
疲れている、という意味なのだろうが、相変わらず自分に対してはこどものような憎まれ口ばかりを叩くガイキに、ハイローは顔を弛緩させた。
安心する。
彼がまだ、〝こども〟で居てくれる事が嬉しい。
他の誰よりも〝おとな〟で居なければならない彼の、一時の若さに安堵する。
「王であるアンタを置いて休めませんよ。
今日はあの〝坊っちゃん〟は来ませんでしたが、明日や明後日は分からない。
彼が来たらアンタが頼りなんですから、仮眠くらいは取っておいてくださいよ」
「じゃあ先に休め。
もう若くないんだから」
「…ベーディの生意気口はアンタ譲りじゃないですか?」
ははっ、と。
小さく声を立てて笑う我らが王は、ただの青年に見えた。
ガイキの笑い声を、久し振りに聞く。
ガイキは気付いてないだろうが。
「ああ…それは困った。
またリリィロが姦しくなる」
先にスイヒが居なくなって良かったと、ハイローは何も言わずに思った。
スイヒはどうも、気遣いに欠ける。
今の彼の言葉に、辺りがヒヤリとするような返しをしただろう。
「女ってのは大体そんなモンです」
「妻と娘にそう言えるのか?」
「それは…ああ…、…いや、」
苦笑するハイローに、ガイキは静かに笑うと彼の背を叩いた。
「お前は家に戻って少し休め。
ここに設営してからまだ家族に会ってないだろ?
お前と妻子には悪いが、ここから北へ向かう部隊の戦闘にはハイロー、お前は必ず入れるんだ。
北へ進めば進む程に忙しくもなるし、今の内に家族と飯でも食っとけ」
ハイローは、他の誰よりも〝おとな〟であるガイキに息を吐いた。
この軍は戦地の真ん中を進む。
この軍が居る場所が、戦地になるのだ。
戦歴の長いハイローだろうと、〝のろい〟を駆使して剣技も秀抜なガイキだろうと。
死ぬ時は死ぬものだ。
そういうものだと、ガイキが一番分かっている。
ハイローは自分の頭を掻いた。
ガイキにも〝家族〟は居るが、今宵はそれと共に過ごす気はないらしい。
誰よりも〝おとな〟だ。
自分よりも他の皆を優先する、完璧な〝おとな〟。
こうなった彼は遠慮を受け取らない。
本当に、不器用なガキだ。
ハイローは、ガイキの肩に手を置くと、
「自分の分の夜回りは済ませておいてください。
オレが戻ったら交代です。
いいですね?
融通はしませんからね」
ハイローの言う融通は、ガイキがハイローにもっと休めと言っても聞かないという意味だ。
ガイキは笑った。
ハイローという男性は実に頑固で、皆をよく見ている。
ガイキの事も、〝王〟としても〝ガイキ〟としてもよく見ている。
頼れる奴だ。
「分かったよ。
じゃあ、ごゆっくり」
ガイキはそう言った。
腰に常に差している剣と共にあの散弾銃も持ち、そのテントから外に出る。
風はそうないが、辺りにはやはり火薬と砂と灰が舞っていた。
ゴーグル越しにそんな夜風を眺め、口を覆う布を少し直してから、ガイキは夜警へと出掛ける。
ここらは明るい。
テントから漏れる光は、夜空に何故月や星があるのかを疑わせる程だ。
ここは明るい。
荒野の中で貧困に喘ぐものが多い中、この軍はそれなりの衣食住が揃っている。
武器すらある。
この恒星の元、辿り着く先で光を抱えたままで居られるのか、否か。
そんなものは分かるはずがないが、ガイキは抜け目なく見回りをした。
彼の国との戦いは正直平行線だ。
だから、シャロノが味方でいる内に片を付けられればと思って。
今、この軍は彼の国へと行軍しているのだ。
焦り過ぎだと言うものも居たが、今は焦らなければならない時なのだ。
この軍が立ち上がり、戦争を開始して十年経つ。
根無し草のこちらは消耗戦には向かない。
立ち上げから関わり、戦力の要であるハイローも本当にもう若くはないのだ。
これからはまだ幼い戦力も育つだろうが、今の戦力よりも強大になる見込みは正直ない。
ガイキは荒野の中で暗がりを警戒した。
その内にハイローが現れ、休めだ何だと煩くして。
その煩わしさに、ガイキは笑った。