第四話
「人力とは、三血族の中で最も弱い力だ」
ガイキはそう目の前に立つベーディに語り、ベーディもまた、目の前に立つガイキを見上げていた。
「だが、人術は唯一何かを〝媒介〟することで力を高めることの出来る術でもある」
「ばいかい…」
「経由地点を作るということだ。
だが、何でもいいという訳ではない。
例えば、相手に〝のろい〟を与えたい時は媒介するものを相手に近しい〝何か〟にすると効果的だ。
それがなければ、自分が使い慣れている〝何か〟で代用する。
自分の近くに長く置いているものは、自分の〝味方〟になってくれるからな」
そう言いながらガイキは鞘に収められた自分の剣を撫でた。
ベーディはその剣を一瞥し、いつも戦地でそれを振るう彼の姿を考えながら口を開く。
「ガイキはその剣を使っていつも相手に〝のろい〟を掛けてるのか?」
「そうだ。
常に俺の側にあるし、相手に斬り付けて血が付けばその時点でこれは〝相手に近しい何か〟に変わる」
ベーディは自分の背中を見た。
そこには小銃が掛けられている。
出歩く時はいつも、ベーディは自分の背よりも大きな銃を背負っているのだ。
その内、ベーディの背の方が大きくなる。
そのはずだ、そう信じている。
「お前の小銃じゃあ無理だぞ、ベーディ。
お前は良いのが手に入ると直ぐに乗り換えるだろう。
所有期間が短過ぎる」
「えぇ…じゃあ俺は何を媒介にすればいいんだ?」
不満気に眉を寄せて唇を尖らせるベーディに、ガイキは彼の手を指差すと、
「それにしろ。
お前がこれから妖力衣の誘惑を断ち切る為に習得するは、〝のろい〟じゃない。
気兼ねなくそれを媒介にしろ」
「…!」
ベーディは自分の手を見詰める。
彼の左手の第一指と第二指には指輪が填められていた。
大人しい銀色のそれは、文句を言うでもなくただそこに居る。
いつもそこに居る。
生まれた時からと言っても過言ではない程。
「媒介にしたら…」
壊れたりとかしないよな?と問い掛けようとして、早々に口を閉じた。
ガイキがそんな危険な事にこの指輪を勧める訳がない。
それでも最早、口にした部分は消えなくて、ガイキは滞りなく答えた。
「心配するな。
何も起きない。
人が自分や他の誰かの心身に、誰かの故意で何かしら作用する術を解くには〝まじない〟を扱う。
〝まじない〟というのは、自分や他の誰かを〝癒やす〟術だ。
傷や病気を治すにはかなりの人力が必要になるが、魅了を振り切るとかの精神の表面で反応するものは〝まじない〟という人術まで昇華せずとも人力を工夫するだけでなんとかなる」
ベーディは、〝まじない〟という単語に背筋を伸ばしながらもそれが不要と聞いて体の力を抜いた。
この軍には今、〝まじない〟を扱える人なんて一影も居ない。
目の前の王、ガイキでさえもだ。
「本来血族の保有する〝力〟の扱いというのは自然に習得するものだ。
〝術〟を発動するには知識や経験が必要だがな。
人はもう何世代も人力を扱う事のなかった家系がほとんどだから、〝進化〟の過程で力の扱いが剪除されてきている」
「それじゃあ…どうするんだ…?」
瞬きや息の仕方も、体の動かし方も、声の出し方も、全て自然と習得してきた。
その手のものを、もし扱えない誰かに教え込めと言われたらベーディは説明出来ないと思ったし、自分の体の事なのに理屈も分からなかった。
隠す様子もなく難しい顔をするベーディに、ガイキは右手を持ち上げると、
「神に祈ったことはあるよな?」
ベーディは、唖然と目を瞬かせた。
勿論ベーディは神に祈りを捧げた事があるし、行軍し続ける為に移動式のテントばかりのこの軍の一つのテントには神を祈る場である〝神処〟を簡易的に模したものがある。
拠点場所が決まると、短期間でもいつもそれは建てられていた。
そして、その場に集うものは少なくない。
〝彼女〟は比較的、信仰心が強くてベーディも幼い頃からよく連れて行ってもらっていた。
だが、ベーディは熱心な信仰や祈りを掲げた事がないし、ガイキもその手の人だ。
だからこそ、ガイキの口から信仰に関する言葉が出てくるのは想像していなくて、今まで薄っぺらい祈りしか捧げた事のない自分が頷いて良いのか分からなかった。
それに、それがどう人力に関わるのかも、見当が付かない。
ただただ固まり、それは多分寸の間の出来事だったのだが、ベーディは軋む工具のようにぎこちなく頷いた。
ガイキは、持ち上げていた手で、ベーディの後方を指差す。
「祈れ」
「!」
ベーディは振り向き、上の方を指していたガイキに従って顔を上げると、
「…!」
そこには、いつも使う出入り口。
そして、その扉となる布を止める装飾品は一対の神使像と、中央には神の像を象るものがあった。
いつからそれは使われていたのか。
ベーディの身長では目に付き難いその高さに、もしかしたらベーディが今まで一度も気付かなかっただけでずっと昔から使用されていたのかもしれない、と。
見上げて痛む項を押さえ、ベーディはガイキへと顔を戻した。
彼が、信仰深かったとか知らなかった。
ガイキはほとんど、神処に来ないから。
「何故、神やその使いに祈るか知っているか?」
ベーディはまた、黙ったまま瞬きや息だけを繰り返した。
何故、と問われて、一度サボると瞬きや息の仕方を忘れてしまいそうだ。
ベーディは少し呻き、あの小さな神と神使の像を見て、直ぐにまたガイキへと向き直った。
彼は漠然とした理由しか分からない自分の無知さに辟易とした気分を追いやり、答えを待つガイキに声を出す。
「叶えたいこととか、救われたいことがあるから?」
ガイキは少し悩むような様子を見せた。
ベーディからするとそんな彼は意外だった。
いつも正しく、真実を見るガイキはいつも素早く的確な答えを出す。
考える為に少し視線を外していたガイキはベーディを見詰めると、
「半分、正解だ」
ベーディもまた、悩むように首を傾げた。
いつも正しいガイキにしては、随分曖昧な応えだ。
「この世界が一度、神や神使達から見放された話は聞いたことあるな?」
「うん。
でもその時に見放さなかった一部の神様や神使がいきものの声に耳を傾けてくれる場所として神処が出来た。
…花の日にうっかり神処に行くと毎回この話するんだぜ?
どう思う?」
形式的に神に祈りを捧げるからか、まだ幼いからなのか、退屈な前置きが苦手らしいベーディの倦厭するその顔にガイキは軽く彼の額を小突いた。
「生意気な口ばかりを覚えるな。
それと、神処がこの世界を見放さなかったのはある一影の神のお陰だ。
その神は、他の神や神使達から見放されたいきもの達を憂い、己の心身を使っていきものを救った。
そして、その神を慕っていた神や神使達がこの世界の保護を放棄しないでくれた。
その神は祈りと言霊の神だった。
いきものの祈りがその神の力となる。
その神の影響で、いきものはその神に祈る時に力を放出するという特性を得た。
だから、祈れ。
祈りには、祈りと言霊の神への力の譲渡と共に人力のいい練習になる」
ベーディは口を開けたままガイキを見上げ、それから眉間に皺を寄せていった。
ガイキの口振りは、まるで、
「神様って…ホントに居たのか?」
「ああ、居た」
「それも、〝記憶〟で分かるのか?」
「そうだ。
それに、この〝記憶〟の能力自体が彼らが存在した証だからな」
「?
Cosa-adiが?」
ガイキは自分の首筋に指を当てた。
そうすると指先に鼓動を感じる。
その振動は、自分が生きているという実感よりも、この血脈を思い出させた。
「Cosa-adiというのは、いきもの血に含まれる〝遺伝子〟という部位によって発動の権限を制限している〝様々な能力を持つもの〟だ。
かつて、Cosa-adiがこの世界に降り注いだその日、人の王妃が身籠る胎児にそれが飛び込んできた。
それが平王の血が持つ特殊な能力、〝記憶〟の起源だ。
胎児の血の遺伝子に絡み付いて定着したCosa-adiの能力は〝記憶〟。
だから、その血を一定の濃さまで継ぐものには、その胎児以降、経験したものごとを血と共に受け継いできた。
だが完全な記憶を受け継ぐのは平王だけ…つまり、名前に〝一〟を付けることが許された王の長子のみだ。
王の子の内、長子以降の名に付く〝零〟や、その子孫…俺達とかの〝一〟も〝零〟も受けていないヤツの記憶が部分的なもので…、俺も、過去の歴史全てを知っている訳ではない。
かなり限られた〝知識〟のみだ」
ベーディは目の前の〝王〟を眺めた。
人の王族とは王とその妻か夫、そしてそのこどもだけを指す血筋だ。
つまり、名前に〝一〟も、〝零〟も付かない王族は王の配偶者のみとなる。
ガイキには、〝一〟も〝零〟も付かない。
〝記憶〟の能力があるという事は薄くともどこかしらで平王の血を継いでいるという事になるのだが、〝王〟と名乗るにはあまりにも遠縁だ。
それでも彼は〝王〟を努めている。
彼にそれ以外の道はないのだ。
「そもそも、、Cosa-adiというものは神使のこどもが遊びで作ったものだ」
「…えっ、そうなのかっ!?」
「ああ、だから〝Cosa-adiが存在している〟って時点で〝神や神使は実在していた〟ってことになる。
まぁ、〝記憶〟のない他のヤツらに言った所で信じてもらえるかは人望によるがな」
とりあえず、祈れ、とガイキは視線であの神と神使像を指した。
ベーディが振り向いた所で、そこにはただの陶器が布を押さえているだけなのだが、
「〝祈りと言霊の神〟に祈れ。
いきもののする祈りはその神に向けてにしか意味がないものなんだ、本当はな。
だから、その神に祈った時にだけ自分の人力の動きが感じられるはずだ。
…戦地では祈るなよ。
人力を削られるだけだから」
ベーディは陶器の前へと歩み寄る。
そして手を胸の前で組み、目を閉じて、静かに思想に沈んだ。
自分の努力を〝神頼み〟するようで複雑だが、ガイキが間違った事なんて今まで一度もなかった。
その強固な信頼の下、ベーディは本日初めて聞いた〝祈りと言霊の神〟というものに祈る。
内容は、いつも形式的に漠然とした〝神〟に祈っていたものと同じだったが。
ベーディには、その願い以上に祈るべきものなど思い付かなかった。