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先生と私

作者: 白巳

私は今週も合気道の稽古に行くために寒川駅の近くまで自転車で走っていた。


最近は道場に通うという毎週の日課もたいして苦痛に感じなくなっていた。


私の家は格別高級な立地条件でもない大抵の人が普通に暮らすには、あまり不便でもなく便利でもない住宅街の一角にあった。


どちらかというと、丘の上にあるので自転車での私の生活にはそこだけは大変な思いをしていたことは、事実だった。


私はのんきに日曜日の午前中の初夏の晴れた日にチャリチャリと自転車を走らせてぼんやりと、街道を走っていた。


最近のこの陽気は私に程よい平和感を覚えさせていたこともあり、どうも緊迫とした自分は以前のようにはいかなくなっていた。


結局のところ、私は緊張感を持てる生活を何か、欲していた節もあったのかもしれない。


私は川原沿いの土手を、走っていたときだったが、日の光が眩しくて、向こうから見える自動車さえも、何かぼんやりと見えて危険にも思えるようなそういう午後の川原の土手で、橋に差し掛かり、そこを私はいつものようにわたろうと思ったところだった。


向こうから、来たのは以前働いていた会社の同僚だった。


彼は私のことを覚えていてくれたらしく、声をかけてくれた。


私は彼のことを一瞬思い出すのに苦労をしたが、かけてくれたことをありがたく思いつつ、思い出した時には嬉しくて笑みが漏れてしまうのだった。


彼の名前までは忘れてしまっていたがそれでも話をすることになった。


私と彼が勤めていた、運送会社は今だ運営をしていて、働いている人も1人ほどやめただけで、かわりなく仕事はあるらしかった。


私もそれはよかったと、彼と話をした。


私は彼との楽しい話をそこまでにして別れてから、また道場に向かって自転車を走らせた。

実は昔もうひとつ別の道場へ通っていた時があった。


それは別の合気道道場だったが、そこで習っていたことを一通り終え好くも悪くも理由はあったにせよ私はその道場を15年間続けたが、やめることにして、今の道場に通っている。


私は25才からその道場にいて励んでいたが、そのようにやめたこともあり、人生の節目だと思っていた。


それもそうとして、四十才という歳は人生で、どういうものだろうかという不思議な歳なのだろか。


よくいう四十にして不悪とはいうのだろが、私にはそういう時が来るのかはいまだわからなかった。


かれこれ自転車で走っていると、そういうとめどもない、考えがポロポロ浮かんでくるものだ。


結局は私は、道場が始まる時間もまだ早いので、近くの喫茶店に入ることにした。


喫茶店で列に並ぶと、メニューを進めてくる店員に声を返して商品を伝える。


こういう毎日の変わらない生活は何ヵ月続いたのだろうか。私はなぜこういうフリーな生活をしているのか。


というところに至っては色々説明しないとはいけないが、また今度にしておいて、私はその後、タコスとミネラルウォーターを注文し、席についてタブレットとキーボードを出した。


タブレットはともかくとしてこのキーボードは二つ折りになるので、コンパクトだった。私はむかしプログラマだったので、このタブレットにはオリジナルの総合で大抵のことが何でもできる自作のアプリが入っていた。


それで、現在メモをしなくてはならないことを、思い出しながらメモをしていくことにした。


そうしている間ふと前を見ると、私のことをずっと見ている女性がいる。


私はふと思い出す。


女難が私は昔からの経験でかなり起こるので、あまり女性との接点を持たない様にしていた。


だから今回もあまりその女性とはコンタクトを持たないと、心にしたかったので、私はスッと目をそらした。


私は軽いのりで誰にでも話しかけられるという特質を持っていもいたので、出会いには余りこれといってこだわりも、苦労も持っていなかった。


だからこの出会いもたいして、余りこだわることもないなとそういう軽いのりだったので、こだわらないことにした。


目線はこちらを向いていたが、私がそらせたことによって、彼女も余りこだわりを持たないとそう思っていた。


喫茶店でメモをとるという週間は長い間続いていたので、こういう経験はかなり多かった。


メモを大概に済ませて、私は喫茶店を出て自転車を走らせることにして、駐輪場に向かった。


そしてふと、電気が走ったように何かの記憶が切なく結び付く感覚が自分に起こるのを感じた。


そう、私は高校生の頃、大学生の英語の家庭教師を持っていた。


私の家は国家公務員だったこともあったが、余り裕福ではない家庭だったので、長い間はやとってはいなかったのだが、それは美人の大学生だったことは確かだった。


私は真面目で奥手だったことおもあり、勿論その大学生とはなにもなかったが、美しくて何時も熱心に英語のテキストを自作で作ってきてくれて、一生懸命教えてくれる先生の宿題を私は結局一回もやったことはなく、勉強にひたすら諦め感をもって取り組もうともしない、私を先生は必死に教えていたことを覚えている。


とにもかくにもその先生のその手ずくりのテキストは私にとってとても今は大きな思い出になっていたことは確かだった。


そのお陰で、勉強するということは、ある意味自分のなかで自己満足できればそれで良いという芸術作品のようなもののようなそういう祈り的なものを私は感じていた。


先生のお陰で私は今好くも悪くも、勉強についてはお世話になったのは事実だった。


私はその後先生と離れてから、高校の教科書をすべて机の上の本棚にざーっと並べて、ひたすら教科書をきれいに丸写しして一言一句覚えるつもりで書き写した。


結局教科書はすべて覚えて、大体どこの文章が何ページにかかれているのかわかるぐらい丸暗記していた。


こうして私はダメダメな高校生から一転して大学に進学できたのだった。


かれこれ時間も流れ地元に戻ってきていた私にその先生がとても、切ないいとおしい存在に感じら

れて、私は苦しくも切ない涙がどーっと目ににじんできた。


先生...そう思って私は喫茶店に戻ろうと、振り向くと先生は私の後ろに立っていた。


私は涙をちょっと手で隠そうとしたのだが、それを諦めて先生に挨拶をすることにした。


「先生、その後おかわりなく過ごしていらっしゃいますか」


先生は私のことを何となく聞いていたらしくすっと横を向いてうなずき

「菅原君はその後大学に入れたらしいね、私もとっても嬉しかったわ」

私は先生とすぐに別れるのは、とても耐えられなかったので

「一緒に途中まで歩きませんか」

といった。


先生は私にこういった。


「一期一会でも、菅原君のことは凄く心残りだったの

正直菅原君のことどうしようかわからなかったの。

私なりに一生懸命テキストやら何やら作ってたけど

それが役にも何にもたってないとかそういう何て言うか

虚無感は持っていたのね」


私はある程度聞いて口をはさんだ


「私も先生が教えてくれることが凄く熱心で熱意があるのに

私が勉強にたいしてどうしようもなく熱意がないのを

先生は感じてるのを悪く思っていました。

でも、それはそれで、先生が結局私に教えてくれたのは

勉強と言うものに対して、無欲に結果を恐れずに

時間を割いていくというそういう心構えのようなものを

もらった気がします」


先生は私の手をとって別れ際にいってくれた。


「良かった、正直さっき涙をみて、どうしてかわからなかったけど

でも、あなたが私の授業で得られたものがあったのはとても嬉しい

先生としてとても嬉しいよ」


私はもう四十歳になってるし先生も歳は歳だろう。


だけど、わたしたちはその頃の青春時代に戻った様に、歳を感じなかった。

凄く新鮮な再会だった。

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