「王妃からの招待」<エンドリア物語外伝78>
「アレン皇太子、正気ですか?」
「残念だが、正気だ」
何も買わない常連客アレン皇太子が、カウンターで商品のハサミを磨いていたオレに『明日、王宮でムーに異次元召喚をして欲しい』と頼んだのだ。
「ムーの召喚成功率をご存じですよね?」
「8割だ」
「そちらは失敗率です」
「2割か。燃えさかる炎に飛び込む蛾だな」
「それぐらいですめばいいんですが」
オレがフウと息を吐くと、皇太子もつられるように深いため息をついた。
「わかっている。無謀なことは」
「前に王宮で異次元召喚を失敗しましたよね?」
来たのが危険な異次元召喚獣だったので、オレ達ではどうすることもできず、モジャに頼んで封鎖してもらった。
「それでも、呼ばねばならないのだ」
追いつめられた顔でアレン皇太子が言った。
「理由をお聞かせ願いますか?」
「母上の希望だ」
桃海亭に静寂が訪れた。
オレは手に持っているハサミを再び磨き始めた。
ツタの模様の彫金が施された豪華なハサミだ。刃もピカピカに光っていて切れそうに見える。が、切れない。【何も傷つけない】という魔法がかかったハサミなのだ。試しにプリンに突き立ててみた。どれほど強く押しても、へこんだだけでプリンは壊れなかった。
「わかっている。お前の言いたいことはわかっているが、しかたないだろう!」
静寂に耐えきれなくなった、アレン皇太子がわめいた。
「わかりました。皇太子から直接ムーに言ってください」
「ムーに言えば、やるというに決まっているだろうが。お前から、断るようにしむけてくれ」
「希望しているのは、王妃様ですよね?」
「そうだ」
「それならば、王様が召喚禁止といえばいいのではないでしょうか?」
「やけに冷たいではないか」
「気のせいです」
断言したが、本当は私情が入っていたりする。
エンドリア国王の妻ヴィオラ妃は、顔立ちの整った非常に美しい女性だ。今年で52歳になるはずだが30代後半にしか見えない。王妃としての政務能力は近隣諸国でも賞賛されるほど高い。
が、国民からの人気はさほど高くない。
特に40代以上の男性には悪印象をもたれている。それというのも、今から36年前、400年近く平和を維持してきたエンドリア王国に戦を呼び込みそうになったからだ。
「父上はいないのだ」
「王様が王宮にいないのですか。何かあったのですか?」
エンドリア国王の人気は非常に高い。お人好しで頼りないところがあるが、国民のことを一生懸命に考えてくれるからだ。
「公にはできないがシェフォビス共和国の軍人がラルレッツ王国で重大なトラブルを引き起こした。双方から仲裁を頼まれて、父上は両国間を振り子のように行き来している。母上に時間を割く余地はない」
「大丈夫ですか?」
「エンドリアには直接関係ないから、両国が戦にでもならなければ大丈夫だろう」
「いえ、オレが心配しているのは王様です。長旅で身体を壊したりしないかと」
「エンドリア国の政務は私が取り仕切っている。安心しろ」
「そちらは、諦めています。王様が無理されないよう、どうかよろしくお願いします」
アレン皇太子が眉をひそめた。
「私と父上だと、人気にそれほど差があるのか?」
「王様が月で、皇太子はスッポンです」
「私と母上だと、どうだ?」
「皇太子がわずかに上です」
「ならば、良いか」
アレン皇太子のひそめた眉が元に戻った。
「母上は言い出したらきかないところがあるのだ」
「言われなくても知っています」
ヴィオラ妃は、表向きはエンドリア国の一般庶民の出ということになっている。
が、本当はキデッゼス連邦の強国、グウィキ王国の姫君だった。今から36年前にキデッゼス連邦に公用で訪れた当時皇太子、現在のエンドリア国王に一目惚れした。
いまの王様はふっくらとした柔和な丸顔だが、36年前の肖像画もほぼ同じ顔だ。深窓の姫君が一目惚れする要素が微塵もないのだが、とにかく、ヴィオラ姫は恋をした。
ヴィオラ姫はエンドリア皇太子と結婚したいと父親であるグウィキ国王に申し出たが却下された。ヴィオラ姫には既に婚約者がおり、結婚の日取りも決まっていたからだ。それにエンドリア王国のような小国と血縁関係を結んでもグウィキ王国にはメリットがない。国王として、また父親としても当然の判断だった。
反対されてもヴィオラ姫は諦めなかった。自分が生涯を共にする人はエンドリア皇太子しかいないと心に決めて、国を出た。
ヴィオラ姫のすごいのは、誰にも言わず、盗んだ侍女の服を着て、厨房から盗んだ食料と水筒を持ち、厩舎から盗んだ馬に乗り、たったひとりでエンドリア王国を目指したことだ。自分が深窓の姫君であることをヴィオラ姫は自覚していた。宿には泊まらず、城から持ち出した携帯食料と川や泉の水で命をつなぎ、エンドリア王国にたどり着いたのだ。
これでエンドリア皇太子が『よく私の元に来てくれた』と言って、ヒシッと抱きしめれば【世紀の恋】なのだろうが、実はエンドリア皇太子、ヴィオラ姫のことを知らなかった。ヴィオラ姫が遠くから見て、勝手に恋しただけった。
ある朝、疲れ切った馬に乗った泥だらけな女性が『あなたの妻になりにきました』と、皇太子の元に押し掛けてきたのだ。驚かない方がおかしい。
グウィキ国王は激怒した。ヴィオラ姫は病気で急死。妹姫を代わりに嫁がせることを公式に発表した。
そうなって、ようやくヴィオラ姫も目が覚めた。このままでは愛するエンドリア皇太子に迷惑をかけてしまう。エンドリア王国から出て行こうとしたが、お人好しの皇太子は押し掛けてきたヴィオラ姫を見捨てられなかった。ニダウにある老舗の洋裁店に養女にしてもらった。
それから3年後、洋裁店の娘と皇太子は結婚した。
ヴィオラ姫は庶民の娘として洋裁店で一生懸命働き、皇太子には会いに行かなかった。皇太子が町の視察に出ると、遠くからソッと見ていた。そんなヴィオラ姫の姿に二ダウの町に住む女性達の同情と憐憫が集まり、国民の声に押される形で結婚が決まった。皇太子に許嫁がいなかったことも幸いした。
結婚式の最中、泣き続けた花嫁は【幸せの花嫁】と、あこがれている若い女性も多いらしい。皇太子からすると、いきなり押し掛けてこられて、結婚をしなければ収まらない状況になって結婚したわけだから、あこがれられる結婚というのも違う気がするだろう。
結婚までの経緯はともかく、夫婦仲はよくてアレン皇太子の他4人の王女をもうけた。王女はすでに全員他国に嫁いでエンドリア王国にはいない。王室の結びつきを強くするための政略結婚ではなく、全員恋愛結婚というところが母親の血が強く出たと噂されている。
「今朝、母上が言ったのだ。『明日、異次元召喚を王宮で行う』と」
「いきなり、どういうことですか?30年以上もエンドリア王妃をしているのですから、ムーの異次元召喚は、王宮にとって、害になっても、歓迎する出来事ではないとわかっているはずです」
「それが……」
アレン皇太子が言いよどんだ。
数分黙ったのち、オレと視線を合わせた。
「事情を話したら、協力してくれるか?」
「イヤです」
「皇太子の願いが聞けないのか!」
「皇太子の願いを全部聞いていたら、今頃天国です」
「現在のグウィキ国王が母上の弟だということは知っているな?」
オレを無視して、勝手に話し出した。
「知りません」
「嘘をつくな」
「本当です。オレが地理と歴史が苦手なのを知りませんか?」
「ハニマン殿に聞いた。たしか、成績は…………疑って悪かった」
爺さん、オレの成績をアレン皇太子に教えたらしい。悪かったのは事実だから、知られても気にしないが、爺さんがオレの成績をどうやって手に入れたのかのは気になる。
「現在のグウィキ国王は11年前、前国王の死去に伴い即位した。いま47歳だったはずだ」
アレン皇太子は苦虫を十匹くらい噛み潰したような顔をした。
「自慢できることではないのだが、母上に似ていて恋をすると盲目というタイプの方なのだ」
「現国王様がですか?」
アレン皇太子はハァーーーーーと、長いため息をついた。
「王族なのだから、我慢するとか、仕方ないとか、諦めることも必要だとは思わないのだろうか?」
アレン皇太子が、オレに聞いた。
聞いたのが、貧乏古魔法道具店で、とぐろを巻いている王族でなければ同意したかもしれない。
「現在のグウィキ国王が19歳の時、母親の侍女に恋した。王宮にあがったばかりの15歳の初々しい侍女だった。だが、世継ぎである王子にはすでに婚約者がいた。キデッゼス連邦のトセリ国に姫で、年は15歳。結婚直前のことだった。当時のグウィキ国王は母上の件で、反対すれば逃げる可能性のあることを学習していた。世継ぎの王子を失うわけにはいかない。相手の姫の出身地が小国のトセリだった為、軽くみたところがあったのだと思う。侍女を側室にむかえることを認めた」
また、ハァーーーーとため息をついた。
「世継ぎの王子と侍女の間には6人の子供ができた。そのうちの4人は男。産んだ侍女は行儀見習いとしてあがった良家の子女だったため、子供を国王にするには問題はなかった」
シュデルがお茶を持ってきた。それを一口飲むと話を続けた。
「4人の王子が全員10歳を越え、誰を世継ぎにするかというと話が持ち上がった頃、トセリの姫が懐妊した。男を産めば、正妃の子。世継ぎは決定だ。これに納得しなかったのが、4人の王子だ。特に長子は既に19歳になっていた。帝王学を学び、自分が世継ぎになると信じて育ってきた人間だ。浮気の子だと騒ぎ立て、それに一部の貴族が乗った」
話が長そうだと気づいたシュデルが、食堂に逃げた。
オレも逃げたかったが、皇太子がオレを凝視しているので逃げられなかった。
「これにトセリ国が反応した。長年ないがしろにされていて、懐妊すれば浮気だと騒がれる。魔法協会に調査を依頼した。魔法協会は優秀な医療系の魔術師を派遣した。そして、父親がグウィキ国王であること、お腹の子は男の子であることを、両国に伝えた。トセリ国との関係を重視したグウィキ国王は、生まれる前にお腹の子を世継ぎと決定した」
3度目のハァーーーーが出た。
「トセリ国は魔法協会の力を借りて、姫を自分の国に移送して保護した。トセリ国で出産、子育てをすることになった。世継ぎが他国で育てられるという異常な事態だったが、グウィキ国王は容認した。グウィキ国の王宮では、命の危険なしに育てられるような状況ではなかったからだ。そして、今年になってからグウィキ国の内部から、この状況を改善すべきだという意見が出た。侍女との間にできた王子たちは僻地の別荘に隔離して、世継ぎの王子を王宮に迎えるべきだ、世継ぎの王子はすでに10歳になった。次期国王としての教育をグウィキ国で行うべきだという内容だ」
4度目のハァーーーーーーーーーーは長かった。
「侍女が産んだ4人の王子は一番若い王子で21歳、最年長は30歳。全員独身。王宮内の評判は地をはっていた。だから、排斥論がでるのは時間の問題だったが、王子たちは納得しなかった。先日、トセリ国にある世継ぎの王子が育てられていた別荘を、金で雇用した兵隊達と強襲した」
「あの……」
「ひどい話だろう?」
「仕事に戻っていいですか。話を聞いているだけでは金にならないので………」
「正妃は命をとりとめたが重傷だ。襲われた世継ぎは側近に守られて、命辛々エンドリアに逃げてきた」
「追い返してください」
「10歳だぞ。まだ、子供だぞ」
「エンドリア王国に、戦いの火種はいりません」
「母上が『ムー・ペトリの異次元召喚はエンドリアでしか見ることができません。クリスがエンドリアに来た理由は異次元召喚を見にきたことにしましょう』と言ったのだ」
「クリスというのは、世継ぎの子供ですか?」
「そうだ」
「いま王宮にいるのですか?」
「側近10名と一緒にいる」
「王様はご存じなのですか?」
「知らない」
「国外に捨ててきてください」
「可哀想だとは思わないのか」
「可哀想かと聞かれたら、可哀想だと思います。しかし、エンドリアに関係のない出来事で、エンドリアの民が傷つくのは筋が違うと思います」
「しかし」
「逃げ込む先が間違っています。魔法協会に保護を頼むべきです」
「わかっている。だが」
皇太子が疲れた声で言った。
「わからないのだ。魔法協会が何を考えているのか」
オレは黙っていた。
皇太子は考え込んだ。
5分ほど熟考したあと、オレに言った。
「母上は、クリスはグウィキ国王の子ではないと考えている」
「なぜですか?」
「どういうことだしゅ?」
グウィキ国の内情を話すと、シュデルもムーも首を傾げた。
「オレにだって、わかるか」
皇太子には時間をもらった。
明後日の午前中、ムーが城で異次元召喚をやることにした。
今は昼の3時。今日と明日で、今回の出来事を調べて、召喚の前に桃海亭として調査結果を王宮に持って行く。
「事情はわかりました。店長が調べたいことはクリス王子がグウィキ国王の実の子かどうかですか?」
「うーん、そうなんだが、それだけかと言われると違うんだよな」
「親子関係を調べる魔法道具は桃海亭もあります。ただ、グウィキ国王とクリス王子が一緒にいなければいけません。いまのように離れた場所にいる場合は使えません」
「ムー、何かないか?」
「グウィキ王国はチョコレートで有名しゅ」
「それで?」
「食べたいしゅ」
「あのな、オレが聞きたいのは………」
「店長、よろしいでしょうか」
シュデルがおずおずと口を挟んだ。
「どうかしたのか?」
「グウィキ国王の妾妃が産んだ4人の王子は優秀な人物です」
「どういうことだ?」
「ほよしゅ?」
「兄の手紙に書いてありました。上の2人の王子は文武両道に秀でていて、3番目は魔法の研究者。4番目は地誌学者だそうです」
「頭の良さと性格は関係ないだろ」
「特に優秀なのは一番上の王子で、忍耐強く度量もある王にふさわしい人物だと書かれていました」
「本当なのか?」
「レナルド兄様からの情報です。間違っていることはあり得ません」
シュデルのいうことが事実ならば、アレン皇太子は間違った情報を信じていることになる。
「整理しよう。アレン皇太子の情報の出所をヴィオラ王妃と仮定する。ヴィオラ王妃は『クリスはグウィキ国王の子ではない』と言っている。ヴィオラ王妃は王様以外のことに関しては理性的な方だ。4人の妾妃の子供を悪く言っているのも、何か意図してのことだと思う。答えの手がかりは、なぜ、ヴィオラ王妃はクリスをエンドリア国の王宮に匿おうとしているか、だ」
「情報が少なすぎるしゅ」
「それはそうなんだが…………」
「店長は何かわかったのですか?」
「単純に考えると、あれだよな」
「はい?」
「ボクしゃんも、あれの確率が高いと思うしゅ」
「あれだったら、魔法協会の介入はやりすぎだよな」
「介入しないとダメダメだしゅ」
「いつ、わかったかだよな」
「はいだしゅ」
「店長!」
シュデルが大声を出した。
「店長とムーさんの会話は、省略しすぎです。他に人がいるときは面倒くさがらずわかるように話してくださいと言っているはずです」
「そうは言うけどな、オレは口に出したくないんだよ」
「ほいだしゅ」
「口に出したくなくても、口にしなければ通じません。その為に言語があるのです」
「そういうけどなあ。シュデルは口にできるか?」
「できます」
「なら、言ってみろよ」
「現在のグウィキ国王はグウィキ王家の正統なる血族ではなく、よってグウィキ国王の妾妃の子は王位につく資格がない。グウィキ国王が正統なる王でないことを公にせずに、正統なる血族に王座を戻す為に、次期グウィキ国王に正統な血族の者を王に据えることにした。それがクリス。そう考えれば、筋道が通ります」
「そうなると、クリスの父親は誰だ?」
「それは………」
「な、困るだろ?」
「店長が困ることはないと思います」
「考えれば、そうだよな」
「召喚、どうするだしゅ?」
「そこだよな。クリスを助けたいだけなら、『落石事故に巻き込まれたから、王宮で怪我を養生してもらう』とか理由を付けて匿えばいいだけだろ。なんで、異次元召喚なんてものを引っ張り出したんだ、ヴィオラ王妃は」
「異次元召喚が見たかったのではありませんか?」
「本気で言っているか?」
「もちろん、冗談です」
「オレには【ムーを城に呼ぶ】ことくらいしか思いつかないんだが、王様が留守にしているとき、ムーをこっそり呼ばなければならないとなると…………」
「店長」
シュデルが目を細めた。
「その【不幸を呼ぶ体質】、早く治してください」
「オレのせいか?違うだろ。どう考えても、現グウィキ国王が………どういうことだ?」
「変だしゅ」
「ああ、変だ」
ヴィオラ王妃は3人姉弟だ。王妃が長女、王妃の代わりに結婚した妹姫、そして、弟の現グウィキ国王。実弟のグウィキ国王が正統な血族でないなら、同腹のヴィオラ王妃も違う可能性が高い。今回のことに口出しする理由がない。
「まさかだしゅ」
「それは勘弁してくれ」
ヴィオラ王妃の妹姫には子供がいない。
もし、ヴィオラ王妃が王家の正統な血を引いているとなると、グウィキ国の跡継ぎがクリス王子だけでなく、アレン皇太子も候補になってしまう。
「あれには無理だろ」
「無理ですね」
「無理だしゅ」
シュデルが「はぁーーー」と深いため息を吐いた。
「つい、店長達の言い方にのってしまいました」
「楽でいいだろ」
「だしゅ」
「よくないです。でも、それよりも、驚くべき事に気づいてしまいました」
「なんだ?」
「なんだしゅ?」
シュデルが窓からキケール商店街を眺めて言った。
「貧乏な古魔法道具店で、なぜ、こんな重大な話をしなければならないのでしょうか?」
情報は大切だ。
翌朝、オレは魔法協会エンドリア支部で働いている情報通のブレッドを訪ねた。ブレッドは何も言わなかった。手振りで『箝口令がでている』ことを教えてくれた。
次に王宮に行った。門番は「また、叱られに来たのか」と笑いながら、オレを通してくれた。調理場に行くとコックが朝食の余り物をわけてくれた。礼を言って食べながら、客人がいる場所を聞き出した。
東の離宮。
南の掘っ建て小屋の離宮と違い、王宮の敷地内ある立派な(エンドリア基準)建物だ。温泉がついているので、まったりするには最適な屋敷だ。
王宮の警備は緩い。オレは誰にもトガメられることなく、東の離宮までたどり着いた。離宮に作られた前庭では豪華な服を着た10歳前後の少年を数人の男性が取り巻いていた。少年は庭に咲いている美しい花を見て楽しんでいたが、男性のひとりがオレに気づき、緊張した声で「クリス様、お部屋に」と促した。
オレはすぐに東の離宮に背を向け、早足で王宮を出た。頭を整理したかったので、桃海亭には向かわず、アロ通りをのんびりと南に歩いていた。
「ウィルーーー!」
オレを呼ぶ声がした。
声の方を向くと、アロ通りにある古魔法道具店で働いているリュウさんがオレに手を振っている。
「手を貸してくれ」
駆け寄った。
「どうしたんですか?」
「こいつを助けたいんだが」
リュウさんが店と店の隙間を指した。
隙間に詰まっているものが見えた。
「…………助けるんですか?」
「助けた方がいいだろ」
オレは隙間に詰まっているものを見た。
「…………この仕事はオレではなく、ニダウ警備隊のアーロン隊長ではないでしょうか?」
「ニダウ警備隊に頼みに行ったが、アーロン隊長と警備隊の半分は隣国のタンセドに行って留守だそうだ。人数が少ないから王宮に頼んでくれと言われた。王宮にいったら『ウィルに頼め』と言われて、いま桃海亭に行くところだった」
「オレより適任者がたくさんいるのではないでしょうか?」
リュウさんが空を見上げた。
「いつ帰ってきてくれるのだろう………」
「はい?」
「アーロン隊長がタンセド王国に行ったのは、先週カジノで暴力事件を起こした男を捕まえるためだ。隊長達がカジノに到着する前に、ニダウから逃げ出して行方がわからなくなっていたが、昨日タンセド王国で目撃されたらしい」
「はあ、それよりも、この詰まっているものを………」
「この間までなら、ハニマンさんがいてくれたからなあ」
リュウさんが、遠い目をした。
爺さん、ニダウの町で色々やっていたようだが、オレは聞かないことにした。
「ハニマンさん、いつ帰ってくるんだ?」
すがるような眼差しでリュウさんに見られた。
「それより、この詰まっているものを………」
「ウィルがやってくれ」
「オレの仕事ではないと思うんですけど………」
「皇太子命令だ」
本当かわからないが、やるしかないようだ。
オレは詰まっているものに触れた。
『ギョェーーー!』
威嚇するように歯をむいた。
「ほら、手を出せよ。引っ張ってやるから」
オレが手をヒラヒラさせると意味が通じたのだろう。唯一自由になっている右腕をのばしてきた。握って、引っ張った。
かなり固くハマっていたが、緩急を込めて引っ張ると、数回で抜けた。抜けた勢いでオレにしがみついた。体重を支えきれず、オレは尻もちをついた。
「大丈夫か?」
オレは、オレにしがみついているブルードラゴンの子供に聞いた。
体長150センチ前後。まだ、5歳くらいの幼体だが、ドラゴンなので力は強く、人をひとりくらいなら乗せて飛べる。
『キュゥ……』
うなだれた。
飼いドラゴンだ。人に慣れている。
「ご主人はどうしたんだ?」
いつの間にか、オレとドラゴンの囲むように人の輪が出来ていた。ブルードラゴンの成体は飛竜として使役されるので時々空を飛んでいるが、町に住む人間が幼体は目にすることがほとんどない。
『キュゥ……』
「まだ、言葉を覚えていないよな」
ガブッ!
「ウィル、う、腕が!」
リュウさんが焦った声で言った。
オレの右上腕をドラゴンが噛んでいる。
「不安なんでしょう。大丈夫です」
オレが頭をなぜると、噛んでいた腕を放した。血がポツポツと地面に落ちた。
人の輪が、ズサッーーと広がった。
ドラゴンは震えている。
「リュウさん」
「な、なんだ?」
「すみませんが、この状態だとオレには無理そうです。頼まれてくれますか?」
「何をすればいいんだ?」
「桃海亭に行って、ムーを呼んできてください」
『キャゥーー!』
「こっちしゅ、こっちしゅ」
ドラゴンとムーは、楽しそうに桃海亭の店内で走り回っている。店内の売り物は、シュデルが地下に避難させた。ドアには【臨時休業】の札。
オレはカウンターに頬杖をついた。
「今日の売り上げは?」
「銀貨2枚です」
カウンターの陰からシュデルが答えた。カウンターの陰で身体を丸めている。
「貧乏だよなあ」
「そう思うなら、ドラゴンを引き取ってこないでください」
「迷子なんだから、しょうがないだろ」
「エンドリア王軍の飛竜隊に渡せばいいのではないですか?」
「ブルードラゴンは自分の群に所属しない子供が近づいてくると攻撃するんだ」
「警備隊にお願いしてはいかがでしょう?」
「警備隊にドラゴンの世話が出来ると思うか?」
「ムーさんができるのですから、大丈夫なのではないでしょうか?」
「なら、お前にできるか?」
「無理です」
シュデルが即答した。
「なぜか、ムーの奴、ドラゴンとは相性がいいみたいなんだ」
ロイドさんの店の前でドラゴンは震えながらオレにしがみついていたが、ムーが来ると、ムーのところにすっ飛んでいった。ムーが歩いて、その後ろをドラゴンが飛んで移動。ムーは何もしていないのに、ドラゴンは安心しきった様子でムーについて桃海亭まできた。
「なんでだろうな」
ゴールデンドラゴンのポチもムーと楽しく遊ぶ。
「ムーさんは人間ではありませんから」
シュデルが言い放った。
「まだ、怒っているのか?」
「店長からも、朝、スープで顔を洗わないようにムーさんに言ってください」
「美味しく食っているんだから、いいだろ」
「店長!」
「わかった。言っておく。とりあえず、このドラゴンをどうするかだよな」
「所属を書いたプレートとかついていないのですか?」
「見あたらなかった」
「住む地域での特徴とか」
「ブルードラゴンは繁殖期に若い雄が大陸全土を移動する。地域による特徴がなかったはずだ」
「あれっ?」
シュデルがカウンターから顔を出した。ペンと紙に何かを書いてオレに渡すと、またカウンターの陰に引っ込んだ。
「なんだ、これ」
「ドラゴンについていた記憶の欠片の映像です」
丸顔でタレ目の子供の顔。赤い花と白い鳥が描かれた扇子。
「ムー!」
子ドラゴンをなぜていたムーが、オレの方を見た。
持っていた紙をムーに見えるように広げた。
「こいつがわかるか?」
「その白い鳥はヒュススという想像上の鳥だしゅ。グウィキ王家の女性が使う扇子には、必ずヒュススが描かれているしゅ」
オレは停止した。
まずいと思ったときには遅かった。
カンターの陰からシュデルが飛び出した。
まなじりをつりあげ、オレに向かってすごい勢いで怒鳴った。
「店長!僕は何度もやめて欲しいとお願いしているはずです。なぜ、トラブルを持ち帰ってくるのですか!」
「違うんですね?」
「違う」
遊び疲れたドラゴンは、店の真ん中で丸くなって寝ている。
「本当ですか?」
「本当だ」
ドラゴンがグウィキ王国のドラゴンだとすれば、東の離宮にいるグウィキ王国の皇太子が主人の可能性が高い。
オレは皇太子を午前中に見たが、シュデルの絵と似ても似つかない顔だった。
「ドラゴンの世話係の子供の顔ではないでしょうか?」
「子供にドラゴンの世話が出来ると思うか?」
ドラゴンの子供の体長は150センチだが、体重は100キロを楽に越える。腕力も脚力もハンパない。ドラゴンが遊んでいるつもりでも、ちょっと当たっただけで重傷、打ち所が悪ければ天国だ。
オレは似顔絵をヒラヒラさせた。
「ブレッドに聞いてみるか」
箝口令を引かれているようだが、似顔絵の主くらい教えてくれるかもしれない。
「早く行って聞いてきてください」
シュデルがどこか怯えた様子で言った。
「ドラゴンが嫌いか?」
「生き物は苦手です」
「わかった。行ってくる」
「ボクしゃんも行くしゅ」
ドラゴンと一緒に床に転がっていたムーが起きあがった。
「ムーさんは行かないでください」
シュデルが慌てて言った。
「ドラゴンはあと1時間くらい起きないしゅ」
オレは扉を開けた。
「行くぞ」
「ほいしょ」
開いた扉の向こうに、少年が立っていた。
「僕のドラゴンがここにいませんか?」
丸顔、タレ目。間違いなくシュデルの書いた絵の子供だ。
服装は庶民が着ている安物の麻のシャツとズボン。かなり着古して、落ちない染みがいくつもあり、肘や膝の布が薄くなっている。
「ドラゴンの子供が、ここにいると聞いてきました」
オレは一歩さがり、子供に店内が見えるようにした。
「あいつか?」
「はい」
強くうなずいた。
「連れて帰るか?」
少年は困った顔をした。少し迷ったあと、顔を上げてオレを見た。
「しばらく、預かって貰えないでしょうか?」
「無理です!」
店内からシュデルが叫んだ。
「今すぐに連れて行ってください!」
シュデルの言葉の強さに、少年は一瞬たじろいだが、オレに向かって頭を下げた。
「お願いします。そのドラゴンを預かってください」
「急いでいるのか?」
少年が顔を上げた。
「話をするなら店の中の方がいいだろう」
少年はすぐに店の中に入ってきた。オレは扉を閉めた。
「店長!」
「シュデル。地下倉庫に行っていろ。終わったら、迎えに行く」
不満を露わにしながら、シュデルが店の奥の扉を開いた。そして、振り向いた。
「クリス王子にも早く出て行って欲しいものです」
「おい!」
「倉庫で道具の手入れをしています」
そう言うと、足早に店を出ていった。
オレの横に立つ少年は顔面を強ばらせていた。
オレは少年の肩をたたいた。
「変なことを言って悪かったな」
「………すみません」
少年、おそらくは本物のクリス王子がオレに謝った。
「ほら、そこに座れよ」
商品の椅子を指すと、オズオズと腰を下ろした。オレも別の椅子に腰掛ける。
「少し間なら、ドラゴンを預かってもいい」
少年がオレを見た。不思議そうな顔をしている。
「ドラゴンはオレが預かるとして、お前は今夜泊まるところがあるのか?」
少年の目が揺らいだ。
「泊まっていけよ。固いベッドだけどな」
少年が頭を下げた。
「夕飯はパンと野菜スープ。6時まではオレの部屋でのんびりしていろ。2階の階段をあがって右端だ」
少年は動かない。
「わかった。言い直そう。グウィキ王国の世継ぎのクリス王子とお見受けします。夕食まで2階のオレの部屋でくつろいでください。オレは貴方の敵でも味方でもありません。これで、どうだ?」
少年が顔を上げた。
「なぜ、僕がクリスだと知っているのですか?僕を助けてくれるんですか?」
戸惑っている様子だ。
懇切丁寧に説明してもいいのだが、本物のクリスでグウィキ王国の世継ぎならば簡単な説明で足りる。
「ここがどこだか知っているか?」
「桃海亭です」
予想と違う反応にオレは戸惑った。
シュデルのことは、秘密にされている。だが、強国グウィキ王国の世継ぎが、同じキデッゼス連邦のロラム王国の【異能の王子】のことを知らないはずがない。
それなのに、クリス王子はシュデルが【異能の王子】だと気づかない。
「………あっ」
いきなり、声を上げた。
「もしかして、今の綺麗な方が【すべてを知る者】ですか?」
オレはうなずいた。
シュデルの呼び方には違いないが、王室関係者は【異能の王子】と呼ぶ者が多い。
「僕のことは、すべてわかってしまったのですね?」
「どうだろうな。オレにはわからないから、知りたければシュデルを呼んでくるが、どうする?」
クリスが、首を横に振った。
そのクリスの側に、同じサイズの人影が近寄った。
「ドラゴンしゃん」
ムーが言うとクリスが怪訝そうな顔をした。
「先ほども言いましたが、預かっていただけたら……」
「なぜ、バラバラになったしゅ?」
「えっ」
「ドラゴンしゃんに乗って、飛んできたしゅか?」
「いいえ」
「ドラゴンしゃん、どうやってエンドリアまで来たしゅ?」
クリスが唇を堅く引き締めた。
「言いたくなければ言わなくていい」
オレは2階を指した。
「一番左側の扉がオレの部屋だ。ゆっくり寝てこい」
クリスは一礼すると2階があがっていった。
「どうするしゅ?」
「ま、なるようにしかならないだろ」
オレが笑うと、ムーも笑った。
その後、2人で同時にため息をついた。
「まだ、死にたくないなぁ」
「はいだしゅ」
クリスはオレの部屋で休養を取った後、窓から脱走しようとして、侵入しようとした盗賊と鉢合わせになり、階下に逃げてきた。シュデルの道具が2階の廊下で撃退したが、オレの部屋は窓がなくなった。
時刻は夕刻6時過ぎ。窓の修理は明日になった。
オレは食堂にクリスを入れて、夕食のスープとパンを振る舞った。シュデルは不機嫌そうな顔で柱に寄りかかり、ムーはクリスの前の席でキャンディをなめている。
「大丈夫か?」
震えているクリスに聞いた。
「……はい」
「忘れていて悪かった。オレの部屋はよく泥棒が入るんだ」
クリスが驚いた顔をした。
「そうだしゅ」
「先週は5回です。修理代もバカになりません」
シュデルは腕を組み、目を半分閉じている。
「そうですか」
怯えた顔でシュデルを見るとうつむいた。
「スープが冷めるぞ」
オレがすすめると、スプーンを手に持ってすくった。ゆっくりと口に入れたスープを飲み込むと、食べることに夢中になった。用意したパンとスープはすぐに食べ終わった。
「聞いてもよろしいでしょうか?」
クリスが聞いたのは、柱に寄りかかっているシュデルだった。
「どうぞ」
不機嫌を隠そうともせず、シュデルが言った。
「僕のことをどこまで知っているのでしょうか?」
シュデルが小さく息を吐いた。
「ご存じでしょうか、僕には人にはわからないことがわかります。しかし、知る内容はどれも曖昧で部分的です。中途半端な情報は危険です。真実とは違う答えを導き出してしまうからです」
シュデルが顔を上げて、クリスを見た。
「だから、僕は僕が知った内容を話しません。わかっていただけますか?」
クリスがうつむいた。
「でも、今回は別です」
「えっ」
クリスが驚いた顔でシュデルを見た。
「クリス王子、あなたはどう生きたいですか?王子として生きたいですか?それとも」
「竜使いになる」
即答だった。
「クリス王子。あなたは、これから先、グウィキ王国の世継ぎクリス王子ではなく、ダイメンの竜使いキット・ストーカーとして生き、生涯を終える。そう希望されているのですね?」
クリスが力強くうなずいた。
シュデルがオレの真正面に移動した。
「店長、話を聞いていただけますか?」
「聞きたくないなぁ」
「今回の件、登場人物がひとり欠けているのです。そのことが原因でヴィオラ妃が勘違いしている可能性があります」
「異次元召喚するとムーを呼びつけたのも、その為か?」
「断言できませんが、可能性はあります」
「オレが話を聞いて、どうにかなるのか?」
「店長が頑張らないで、どうするのです」
「はあ?」
シュデルが右手でテーブルを、バンと叩いた。
「僕は桃海亭にトラブルを持ち込まないでくれとお願いしています。それなのに持ち込んだのは店長です。明日、後腐れがないよう、始末をつけてきてください」
「オレのせいじゃ……」
「店長、ここでは話しにくい内容です。地下に移動をお願いします。ムーさんもお願いします」
シュデルにうながされて、オレとムーは渋々地下に降りた。そして、聞きたくない話を聞かされた。
オレは頭を抱えた。
「なんでこうなるんだ」
「よく来てくれました。桃海亭の皆さん」
ヴィオラ妃が両手を広げて、オレとムーを歓迎した。
招かれたのはヴィオラ妃の私室。縦横10メートルほどの広さがあり、南側に面した窓からは整備された庭園がよく見える。
部屋にいるのはヴィオラ妃とメイドが2人、それに離宮に滞在している方のクリス王子と王子の側近が2人、オレとムー、合計8人だ。アレン皇太子には、この部屋に通される前に調査結果を伝えた。『ウィル、お前に任せる』と言って逃げてしまった。
「召喚をお願いしたのですけれど、よろしいかしら?」
当然、受けてもらえると思っているヴィオラ妃は、満面の笑顔だ。
「召喚の前にやっておかなければならないことがあります」
「何かしら?」
「ヴィオラ妃、オレ達2人に10分ほど時間をください」
聡明なヴィオラ妃は、オレの意図をすぐにくみ取ってくれた。
笑顔を崩さず、クリス王子と王子の側近に話しかけた。
「申し訳ありません。お呼びするまで隣の部屋でお待ちいただけますか?」
クリス王子と側近が部屋から出ていくと、目でメイドを部屋から出した。
「これでよろしいかしら?」
時間は10分。
オレはすぐに切り出した。
「今回、死者の召喚はしません」
笑顔のヴィオラ妃が真顔になった。
「どういうことですか?」
「異次元召喚ということでムーを呼び寄せ、ムーに前グウィキ王、ヴィオラ妃のお父上の召喚をさせるつもりだったのではないですか?」
「そなたは事情を知っているようですね」
「知りたくなかったんですけどね」
本心がこぼれ出た。
「それならば、なぜ私のアイデアの邪魔をするのです。死者の口から真実を語られれば、クリス王子が王位に就くことを周囲も納得するはずです」
ため息が出た。
「どうしたのです?」
話したくないが、話さないわけにはいかない。
「ヴィオラ妃は勘違いされているのです」
ヴィオラ妃は、わずかに目を細めた。
オレはヴィオラ妃を刺激しないよう、できるだけ静かに言った。
「クリス王子はグウィキ王家の血筋ではないのです」
ヴィオラ妃が目を見開いた。
「今回の召喚を計画したということは、ヴィオラ妃は既にご存じなのではありませんか?今回の原因はラティーシャ大后にあるということを」
ヴィオラ妃の顔色が変わった。頬の淡い赤色は恥ずかしさと怒りが混じったものに見える。
ラティーシャ大后。シュデルが欠けていると言った登場人物。前グウィキ国王の正妃でヴィオラ妃や現グウィキ国王の母親だ。
「これはオレの想像です。流れとしてはこうです。10年ほど前に何かが起こり、現グウィキ国王の4人息子は王家の血筋ではないことがわかった。疑われるのは4人を産んだ現グウィキ国王の妾妃です。しかし、さらに調べると現グウィキ国王がグウィキ王家の血筋ではないことがわかった。調査した結果わかったのは、ラティーシャ大后が不貞。違いますか?」
ヴィオラ妃が弱々しくうなずいた。
「母はグウィキ国世継ぎの婚約者という立場でありながら、別の男性を愛したのです。家同士のとりきめで父と無理矢理結婚させられた母は、復讐にグウィキ王家の血を絶やすことを決意し、父ではなく愛する男性の子を産んだのです」
「ラティーシャ大后の狙いどおりグウィキ王家の血が耐えるはずだった。ところが、血は耐えなかった。前グウィキ国王が息子の正妃と通じていたからです。それがクリス王子です」
事実を表沙汰にすることなく、王位をグウィキ王家の血筋に戻すため、魔法協会の手を借り、計画を進めたのだろう。
「王妃様、考えてください。グウィキ王家を憎んでいるラティーシャ大后
が、王家の血筋に王位が戻るのを、黙ってみていると思いますか?」
「母がクリスに何かしたのですか?」
「クリス王子が産まれる前日、街道沿いの小さな産所でひとりの男の子が産まれました。父親はダイメン軍の飛竜の世話係。母親はロラム王国にいる病気の母親に会いに行った帰りでした」
「赤子を取り替えた…のですか?」
「本物のクリス王子はダイメンで飛竜使いの子供として育ちました」
「迎えに行かなければ!」
「本物のクリス王子は、すでに自分がグウィキ王家の正当なる世継ぎであることを知っています」
呆然としているヴィオラ妃にオレは言った。
「先日、ラティーシャ大后が本物のクリス王子に会い、すべてを話したそうです」
クリス王子に確認した。ドラゴンについた記憶のグウィキ王家の扇子。会いに来たラティーシャ大后が使用していたものだった。
クリス王子は偽物のクリス王子が隣国エンドリアに滞在していると聞き、あとさき考えずにニダウにやってきたらしい。
「なんということを………」
ヴィオラ妃が両手で顔を覆った。
「王妃様、本物のクリス王子は竜使いとして生きていくことを望んでいます」
「認められません。グウィキ王家の正当なる血を持っているのは、今では彼しかいないのです」
「現国王の王子は優秀と聞きました。王子たちは自分が王家の血筋でないことを知っているのですか?知らないのなら、次期国王は彼らのうちのひとりよいとオレは思います」
笑顔を浮かべ、肩を落としているヴィオラ妃に会釈すると、部屋を出るために扉に向かった。
「………なんとかしなさい」
暗い声が部屋に響いた。
オレは聞こえなかったことにして、扉に向かって足を早めた。
小走りの音が後ろから聞こえ、オレの襟首をむんずとつかまれた。
「なんとかしろと言っているのよ!」
「オレは一般人でして、その、無理です」
「本物のウィル・バーカーなら、なんとかしなさい」
「本物ですが、無理は無理です」
襟首を引きずり落とすようにして、床に転がされた。
「ウィル・バーカーなら、やりなさい」
ヴィオラ妃の顔が間近にある。
「勘弁してください」
「どのような手段をつかってもいい。現グウィキ国王が王家の血筋でないことがバレないようにして、本物のクリス王子を王位継承権第1位にしなさい」
「そんな難題、誰にもできません。それに、その方法を実行すると偽物のクリス王子の居場所がなくなります」
「竜の世話をすればいいわ。元々竜使いの子供なのだから」
「あのですね」
「ウィル・バーカー。あなたがウィル・バーカーでいたいのなら、方法を考え、やり遂げなさい」
オレの代わりに、隣にいたムーがコクコクとうなずいた。
【臨時休業】の札のかかった扉を開けると、店内のまん中にドラゴンが丸くなって寝ていた。そのドラゴンにもたれて横たわっているのはクリス。
オレとムーを見ると、飛び起きた。
「すみません。このくらいの幼体だと一日15時間くらい寝るんです」
「まだ、ガキなんだな」
「エンドリアに連れてくるのは無理だから、ダイメンに置いてきたのですが、こっそりついてきたみたいで」
「クリスはダイメンから歩いてきたのか?」
クリスが破顔した。
「野良飛竜を捕まえて乗ってきました」
驚いた。
野良飛竜は簡単には捕まえられない。それだけではない。調教されていないブルードラゴンに乗るのは、熟練の竜使いでも難しい。
「飛竜が好きなんだな」
「大好きです」
寝ているドラゴンに腕を回したクリスは、幸せそうだった。
「また、すぐに出かけるが大丈夫か?」
「はい」
「頼むな」
オレとムーは地下倉庫に降りた。シュデルが魔法道具を磨いている。
「ダメだった」
「これを」
巻物を手渡された。
オレが逃げ損なったとき用に、打っておいた手だ。
「僕が書いて、僕の魔力をこめました」
「うまく作動するのか?」
「ムーさん次第です」
「まかせておくしゅ」
ムーが鼻息荒く言った。
「じゃ、戻るか」
巻物を強く握った。
そのオレにシュデルが冷たく言った。
「今度こそ、終わりにしてくださいね」
「魔法の家系図ですか?」
オレ達が戻った場所は、ヴィオラ妃の私室。
シュデルからもらった巻物を広げた。長い紙には何も書かれていない。
「家系ではなく、実際の血の系譜です。王妃様、血を一滴いただけますか?」
「一滴でいいのですか?」
「はい、この紙の上に落としてください」
ヴィオラ妃は髪飾りを抜くと指先を刺した。
真っ赤な血が一滴、白い紙に落ちる。
「ムー、頼んだぞ」
「まかせるしゅ」
指で印を結ぶ。高速で動く指にあわせるように、何かを唱えている。1分ほどで血が動き出した。直線を書き、その直線が枝分かれする。
紙から細いものが突き出た。隆起した場所の真上に文字が浮かぶ。
「これは?」
「名前です。系譜ですから」
「私のもあるのかしら?」
オレは最初に近い地点を指した。
「そこです」
突起の上に、ヴィオラと名前が浮かんでいる。
赤い線が紙の上に広がっていく。ムーの詠唱はとまらない。
「出たぞ」
ヴィオラという名前から、さほど遠くない場所に前グウィキ国王の名前が浮かんだ。王族は近親結婚が多い。近くにあると予想したが、予想よりかなり近い。線をたどる。ヴィオラ妃の母親であるラティーシャ大后は、5代前のグウィキ国王の曾孫に当たる。
現グウィキ国王の名前が出現。ヴィオラ妃の隣だ。30分ほどで白い紙は赤い線と突起と突起の上に浮かんだ名前で埋め尽くされた。
「王妃様、これは血の系図です」
ヴィオラ妃が自分の名前の上に指を置いた。赤い線をたどるようようにして関係図を確認している。
「私の記憶とは違うようです」
「はい、事実に基づいて描かれたものです」
オレは指でヴィオラ妃の名前を指した。
「ごらんの通り、王妃様は前グウィキ国王と線が直接繋がっていません。
これは死者が持つ真実の情報を集めて描いたのものです」
ヴィオラ妃が、かすかに眉を潜めた。
オレが何をしたのか理解したのだろう。
「さすが桃海亭と言うべきでしょうか」
静かな物言いだったが、不快の気持ちが現れていた。
「誤解されないように言っておきます。シュデルはネクロマンサーの技の中でも、この手の技を使うことを特に嫌がっております。やりたくて、やったわけではないのです」
ヴィオラ妃は数秒沈黙した。
そして、表情を変えた。
「私の祖国を救うために無理をさせてしまったのですね」
ドレスの裾を持ち上げて、頭を下げた。
「シュデル・ルシェ・ロラム殿に心からの謝罪と感謝を」
「伝えておきます」
ムーが一歩前に出た。
「こいつしゅ」
浮かんでいた名前は、オネシファラス。
「変な名前だな」
ヴィオラ妃の額に怒りマークが見えた。
オレは慌ててポケットから小瓶を取り出した。
「これは昨日、クリス王子から採った血です。ムーが固まらないように処理してあります」
クリスと名前が書かれた突起に、小瓶に入っていた血を一滴落とした。血が系図に沿って広がっていく。
ムーがオネシファラスの突起に振れた。怪しげな呪文を唱えている。
「試料が2つしかないので、完全ではありませんが、ほぼ正しいと思ってください」
血が全体に回ると、系図が一瞬だけ光った。
ムーがオネシファラスの突起から指を離した。
「ご覧ください。色が変わったのがわかりますか?」
浮かんだ名前の色に濃淡がついた。
ムーが触っていたオネシファラスが最も濃い赤。オネシファラスから離れて行くに従って、赤色は薄くなっていく。
「色に濃淡がありますが、これはグウィキ国を建国されたオネシファラス王の血の濃さを表しています」
ムーの説明によると、血の濃さなどではなく、特質とか遺伝的情報とか科学的な根拠となるデータの数々らしい。難しすぎてオレにはわからなかったので『血の濃さ』で通すことにした。ヴィオラ妃にとって今必要なのは、クリス王子以外を王に据える名分だ。もし、技術的な説明が必要になったらムーを引っ張り出せばいい。
「ご覧ください。前グウィキ国王より現グウィキ国王の方が、色が濃いのです」
微妙な差だが、現グウィキ国王の方がわずかに赤い。
「血で王を語るなら、前国王より、現国王の方がグウィキ国王にふさわしいということになります」
ヴィオラ妃の顔が和らいだ。
「そして、ここです」
オレはクリスという名前を指した。
「これは本物のクリス王子です。クリス王子の色より、こちらの現グウィキ国王の4人の王子の方が色が濃いです。そして、この第一王子が最も赤い色が濃い」
ヴィオラ妃の肩から力が抜けた。
「あの子たちにひどいことをしました」
肩の荷を降ろした者の呟きだった。
「王家の血に戻すために、4人の王子を悪者にする計画だったのですね?」
ヴィオラ妃がうなずいた。
「計画は私の弟、現グウィキ国王が考えました。国王が王家の血を継いでいないことがわかれば国が混乱します。4人の王子も納得して悪者を演じてくれました。あとはクリスが世継ぎとして王宮に戻り、4人の王子が出て行くだけでした。計画が頓挫したのは、クリスの母親が反対したからです」
ヴィオラ妃は首を軽く振った。
「今考えれば、クリスの母親はクリスが実の子でないことに気がついていたのかもしれません。グウィキ王家の血を継ぐ子の存在を、気性の激しいラティーシャ大后が許すはずがないのですから」
ヴィオラ妃はオレをすがるような目で見た。
「助けていただけますか?」
「魔法協会の方はオレが押さえます」
「ありがとう」
ヴィオラ妃が微笑んだ。
オレがやることは簡単だ。魔法協会にクリス王子の後ろ盾をやめさせればい。それだけで、クリス王子はただの第五王子になる。クリス王子の母親が実の子でないと気づいているなら、世継ぎの話はなくなるだろう。今は無理かもしれないが、いつの日にか、実の子が生きていることを話せる日がくるだろう。
最後の仕上げは、グウィキ国王が悪者にした王子達を、元の優秀な王子達に戻して、世継ぎにすればいい。
「オレ達はこれで帰ります」
「ありがとう。ウィル・バーカーとムー・ペトリに心からの感謝を」
ドレスの裾をつまんで、頭を深く下げられた。
オレ達は会釈して、ヴィオラ妃の私室を後にした。
部屋を出るとムーが額の汗を拭った。
「ヤバヤバしゅ」
「まさか、あんなことになるとは思わなかった」
グウィキ王国、建国の王オネシファラス。彼の存在に近い者を表す系図を描いたのは、先ほど王妃の私室で行ったのが初めてだ。だが、本物のクリス王子の血を使っての検証はムーとシュデルで行っていた。ムーの魔法陣とシュデルの魔法で【本物のクリス王子より現グウィキ王の王子達の方がオネシファラスに近い】という結果を得てから行ったのだ。
実験結果と同じ結果を示し、事件は収束に向かっている。
だが、予想外のことがでてしまったのだ。
「王妃様、見なかった振りをしていたよな?」
「していたしゅ」
名前が真っ赤だったのは、建国の王オネシファラス。
そして、次に赤かったのは、我がエンドリア王国のアレン皇太子。
オレとムーは顔を合わせてうなずくと、桃海亭への帰路についた。
事件は終わったのだ。
平凡な明日を希望するオレは、記憶の底に沈めることにした。
「母上が変だ」
オレ達がヴィオラ妃に呼ばれた翌日、アレン皇太子が桃海亭にやってきた。昨日の礼だと王宮で作った干し肉を持ってきてくれたのだ。
いつものようにカウンターの側に椅子に座り、シュデルの運んできた紅茶を飲んでいる。
「私の顔を見て、ため息をつくのだ」
オレは聞こえないふりをした。
「昨日、お前達が帰った後から、私の顔を見る度にため息をつくのだ。何か知らないか?」
「知りません」
「そうか」
首を傾げはしたものの、あまり気にしてはいないようだ。
ヴィオラ妃は若い頃、切れ者で有名だったらしい。なぜ、男に生まれなかったと前グウィキ国王が嘆いたという逸話もある。もし、アレン皇太子がグウィキ王国を背負える器であるとヴィオラ妃が確信したなら、グウィキ王国に今回の終わらせた案とは別の案を持ちかけたかもしれない。
アレン皇太子は紅茶を口に含むと、顔をほころばせた。
「桃海亭の紅茶は実に美味しい」
オレの口から、ため息がもれた。