プロローグ その1
オレは新島 流。高校二年、将棋部(という名の暇人の集まり)所属。ゲームや漫画が好きで、勉強はそこそこ。体育祭でも華やかな活躍は望むべくもない。
ただ、オレの幼なじみはそうじゃない。
才色兼備を地でいく大和撫子、吾妻 晶。クッキーを焼くのが得意で、運動部顔負けの腕前で、華道部の長だ。そして何より大事なのが、フリー、つまり彼氏がいないってことだ。
そのおかげで、オレは今日も今日とてボディーガード。学校への送迎、休みの日はショッピング。その御礼は弁当と、たまにクッキーやらカップケーキやらだ。オレは甘いの嫌いだっつったら、甘くないビターチョコ入りやらラズベリー入りやら、食べられるお菓子を焼いてきてくれるようになった。店で買うのより食べやすいんだが、そんなことはどうでもいい。
問題は、弁当やらクッキーしか貰えないのに、学校中の男共から殺してやるとばかりに睨み付けられたり、憎しみの言葉をぶつけられたりする事だ。流石に直接的な嫌がらせや暴力はないが、気分は悪い。
お前ら、休みなのに付き合わされる苦労が分かるか? 代われるもんなら代わってくれ! オレはゲームしたいし、漫画読みたいんだよ!!
晶も、早く彼氏でもなんでも作ってオレを地獄から解放してくれ~。しかし、未だにそんな気配はないのであるからして、オレはまだまだアイツのボディーガードの任を解かれず、なのである。
「だったらお前が彼氏になりゃいいのに」
「なんでオレが?」
心友の加賀 望の言葉に、オレは白けた目線を送った。クラスの男子や女子も少数、オレ達の会話に耳をそばだてているのが気配で分かる。頼む、望。オレはこの話を続けたくないんだ、目を見てくれ、この真剣な目を!!
「だって、仲良いっしょ。一緒に帰るくらいなんだし」
ああ、無情。
望よ、オレは聞き返したんじゃない。
反語で否定したんだ……。
「あのな、望。オレと晶はただの幼なじみなの。アイツはオレをペットの犬と同じようにしか思ってねぇの」
「そうかな~。お似合いだと思うよ、実際」
よせ。教室が凍りついてるぞ。
「オレみたいな馬の骨なんか相手にされるはずないだろ。それに、アイツはなまじ顔が良いせいで小さい頃から色々あって、恋愛には乗り気じゃないんだよ」
事実である。異性に言い寄られるのも同じ子ども同士なら笑い話にもなろうが、十歳やそこら年上から本気で求愛されたら引く。親も泣くし心配もするぜ。ストーカーやら盗撮魔やらを引き寄せて、小学生時代は学校を巻き込んで大変だったんだ。担任も色目を使ってきて遠くにトばされたな~。
晶に対する女のやっかみも酷かった。一時期、本当に登校出来なくなった時期もあったし。まぁ、今では女子の扱いにも磨きがかかってるし大丈夫だとは思うが、あんまり刺激したくないな、というのが本音か。
「そっか、大変なんだな」
「そうだよ。それにオレも会わせた友達全員、彼女持ちまで皆が晶に夢中になっちまって、恨まれるしイジメられるしで散々だったんだ」
そうだ。だからオレはいつからか友達すら作らなくなった。周りが全員敵みたいになって、でもオレは晶を守らなくちゃいけなくて……。晶を恨んだときもあった。八つ当たりで怒鳴っちまったときもあった。それでもアイツは、泣かなかった。泣きそうなのを懸命にこらえながら、ごめんね、ごめんねって謝り続けたんだ……。
そんな晶を見て 、オレは決めた。悪いのはこいつじゃない。オレはこいつを泣かせちゃいけない、って。
「オレはアイツに彼氏が出来るまでの番犬だよ。ご主人様を守ってんのさ。こんな話、巨乳フェチで年上好きのお前にしか言えねぇよ」
「ちょ、ま、タンマ!」
オレは部室で暇を潰し終えると、華道部の活動する部屋へ向かった。晶はきちっと時間通りに終わらせる。部員達がぞろぞろ出ていってしばらく、荷物と鍵を持った晶が出てきた。
「流、ごめんね、待った?」
「いいや」
オレの言葉に晶はふふ、と笑った。この笑顔も色っぽくなったもんだ。昔はもっと大口開けて笑ってたのにな。オレに愛想よくしなくても良いんだぞ、オレは仕事なんだ。
職員室に鍵を返して、学校を出る。
そういや今日は母親に買い物を頼まれてたんだった。メモはどこにやったかな。そんなこんなで、晶とスーパーに行ってお使いを済ませてから帰ることになった。
「悪ぃな、買い物付き合わせちまって」
「気にしないで。それよりすごい荷物ね、半分持つわ」
「良いって。ジャージで膨らんでるだけだから」
「でも……」
「良いって言ってるだろ」
「分かった」
……強く言い過ぎたか? でも、持たす訳にいかんし。
晶は自分の鞄に手を入れてごそごそしていたが、やがて小さなタッパーを取り出した。中身は……クッキーか。
「新作なの。良かったら食べて」
「あー、サンキュ。後でな」
「今、食べてみて。はい、あーん」
マジか!!
オレに辱しめを受けろと?
「ほら、口、開けて?」
ひとの両手が塞がってると思いやがって!!
しかし、オレは結局「あーん」を受け入れたのだった。空きっ腹が悪いんだ……!
もしゃもしゃ食べてやったら、晶のヤツ、上機嫌で次から次に入れてきたので、そこそこ腹は塞がった。真っ黒いビターなクッキーに白いチョコチップが練り込んであった。チョコチップクッキーは粉っぽいのを牛乳で流し込むのが良いんだぜ。こんなしっとりしたのは邪道だ。
「どうかな?」
「ん。旨かった」
お世辞も大事だよな?
やがて、うんざりするほど長い階段に着いた。オレ達の団地の入り口だ。そういや中学のとき、気まぐれで数えたが二百を超えたあたりでアホらしくなってやめたんだった。久しぶりに数えてみるかな。
オレが先に上りだし、晶は後からついてきた。三十まで数えた時、晶が小さく叫んだ。
「なに、これ!」
「晶?」
「や……、流!」
「晶!」
空中に渦があった。
どう見ても自然現象じゃない。ゲームに出てくるワープの入り口みたいだ。その渦はすでに晶の右手を呑み込んでいた。
オレは晶に近い方の手を、買い物袋が落ちるのも気にせず付き出した。
「晶!」
「だめ、流!」
なんで手を引っ込めるんだ、馬鹿!
晶の腕を掴んで引っ張ろうとしたのに、オレは渦に向かって吸い込まれるように落ちていったのだった。