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備忘録  作者: 新椥 標
5/5

彗星、アスファルトを走る。

 雨の日の高速道路が、ロマンチックで恐ろしかったという話。

 視界を覆う一面の水煙は白く疾く、オーロラのように踊る。港を跨ぐ湾岸高速、海抜およそ五十メートルを覆う幾億もの水飛沫を切り裂きながら、僕は嵐から時速百キロで遠ざかって行く。

 海上遥か上を行く鉄筋コンクリートは緩やかに上り坂を作っている。まだ白い雨雲を背に、そびえ立つ中央橋の主塔は頭を呑まれた首なしの巨人のようだった。彼の足元をくぐり抜ければ、今度は彼の弟が現れる。

 周りを走る大型車両はどいつもこいつも彗星みたいな尾を白く引きながら走り、僕の駆るツーリングワゴンもまた、彗星だった。


 こうして僕が巨人の股を潜って空を駆ける彗星となったのにはちゃんとした理由があって、それは依里の寄越したメールだった。彼女の、いわゆる発作が起こったのだ。

『会いたい』

 午前五時に届いていたそれだけの短いメッセージが発作で、その後も一時間くらい僕は泥沼の底に沈み続け、いつもより遅く六時過ぎに起き、彼女の発作を知った。


 彗星の役目は重力に落とされずに彼女を浚って、大気圏を掠めて燃え尽きずに再び宇宙へと飛び出すことである。

 この星が持つ何物にも逆らえない摂理に抗うのだ。

 やってやろうじゃないか、鼻息を荒く吐いてみる。視界は白く覆われたままだ。


 はっきり言って僕は疲れていた。

 彼女が救難信号を発し、それにノータイムで応じている(いつもはもっと、電話をしたり段取りを踏んで予定を組んでいる)ことがすでにその証だった。

 太平洋に浮かんだサンゴの島々みたいに飛び飛びの休みを消費したあと、法や条例なんか眼中にない十八連勤を終えて、僕は布団の中から出土した。硬くなった眉間の戻し方を探りながら着替えを済ませ、冷や飯にインスタントのポタージュスープを流し込み(安物で味が薄いので食い合わせは良くないし、湯が沸ききるのを待ちきれなかったから温くなってしまった)、愛車のレガシィ(社会人になるときに買ったものだからそこそこの付き合いになる)を叩き起こしたのだった。


 片側三車線を走るトラックの、巻き上げる水飛沫は炎のように揺らめいて僕を誘う。トラックの後ろ顔は揺らめく白い飛沫たちで霞み、テールランプを睨み付けていると、催眠術をかけられているみたいに意識が揺れる。車をまっすぐに走らせることがやっとで、正直一刻も早くハンドルを手放したい。

 けれど今の僕は言うなれば姫を根城に連れ去る魔王。どのような理不尽を犯してでも彼女の日常を奪い取らねばならない。すでに完成したシナリオだけはせめて終わらせなければならない。

 目頭を押さえてみた(実際には鼻っ柱の方が正しかった)、腿を抓ってみた、首の後ろを掻き毟ったり、カーステレオのボリュームを無意味に五つ大きくした。サービスエリアなんてとうの昔に通り過ぎて当分ないし、あいにく飲み物の持ち合わせもない。缶コーヒーの一本でも買っておくべきだったことを後悔してみるが、力んだ目頭がどうにかなるわけでもない。

 依里を連れ出す一心で、彼女に会う気持ちだけで僕は動いていたし、この車は走っていた。それが僕に与えられた重力で、自然の摂理に従って世界は回っていた。


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