その手をとって
離さない。細くて白くて柔らかい彼女の。
唇が柔らかな肌に触れる。
陶器のように美しく、何の障りもない細やかさ。唇がするりと肌を滑る。だが無機な器にはない柔らかさ、ほんのりとした温かさは、本能的に安心感を覚えさせる。外気に冷やされた皮下脂肪の、ふわりと丸みを帯びた冷たさには心が融かされる。
見やれば、困惑と不安と不満の混じった彼女の目と出会った。
至極当然な反応だろう、彼女は今まで、テーブルに雑誌を広げて、夕飯の後の静かなひとときを楽しんでいたのだから。
大丈夫、続けて。そういう意味を込めて笑んで返すと、彼女は諦めたようなため息をひとつ、空いている右の手でページを弄び始めた。
まさか嫌がられるかもしれない、というかけらしかなかった不安はひとまず去って、再び彼女の左腕の感触を楽しむ。
水平線のようになめらかで、夕陽のように柔らかい。唇を押し当てればそれは浅く沈み、啄むようになぞればするりと滑り落ちる。恍惚とさせる感触。惚れ惚れする。
彼女の腕は早い朝の降り積もった雪のように白い。その真っ白い肌の下を、雪解け水のような血潮が凍らずに通っている。そして静寂を保つ湖面のように逆立ちも波立ちもなく、美しい曲面を描いている。細枝のように細く華奢なのに、骨の健康的な確かさとそれを包む柔らかな脂肪と肌。
ぐ、っと腕が引かれて、慌てて彼女の腕を掴んでしまった。
「くすぐったい」
「ん、ごめん」
謝りはするが、手放しはしない。血管が僅かに青く浮き出た柔肌に、鼻の頭を宛がう。洗剤の爽やかさと夕飯の香ばしさ、そして彼女の甘い匂いが鼻腔を擽る。鼻の奥へと這入り込み脳髄を侵す。じんわりと麻痺するように、全身の感覚が僅かに遠ざかる。ぐずぐずと沈んで行くように、溺れていくように、呼吸を求めるように彼女を求めた。同時に鼻の頭でも彼女の腕の質感を楽しむ。
彼女が身じろぎをするのを感じたが、黙殺した。もし本当に嫌がっているなら、とうに蹴とばされているだろうから。
顔の向きを変え、角度を変え、腕を愉しむ。唇の先から端、頬擦り、食み、撫でる。表の冷たさはずっと触れていたいような離れがたさがあり、その内側から微かに伝わる人肌の優しげな温もりが心地よい。
こんなに細い腕。
これほどまでに華奢な腕。
抱きしめたり、絡ませたり、そういったふれあいをさせてくれる彼女の腕に対する愛おしさ、そして根元的に言えばそれは愛しい彼女の一部分。
むずがゆそうにする視線を感じても怯まない。芸術品のように美しく、しかし触れて確かめられるこの感触を触れずにおいておくことなど抗えない事であった。
白さ、きめ細やかさを目で心を動かされる。
お菓子のような甘い香りと、生活の中にあった匂いに痺れる。
その緻密で精密で、一片の欠けも見当たらない完成された曲面に触れて理性が溶け落ちる。
ずっとこのままこうしていたいとすら思う、彼女はさすがに嫌がるだろうが。しかし許されるならばこうしていたい。
この感触に飽きることはきっとないだろう。
こうしていられる間は、日々の喧騒も憂鬱も全て忘れていられた。何者をも忘れさせ、ただこの瑞々しく完成された芸術的とも言える結合の連綿を撫で続ける。
この腕を捕らえて離さないのは自分であったが、自分こそがこの腕に虜にされて離れられないものとなっていた。