赤姫
とても暑い夏の日のこと。
田舎の夏休み。
蝉の声がどこまでもけたたましく響き、草木と太陽の匂いが満ちる季節。
午後1時ちょっと過ぎ。
新しくはないが、広く立派な佇まいの家から、蝉の声に負けじと女の子の声が響く。
「いってきまーす!」
その声の主は家から飛び出し走りだす。女の子は右手の脇道に入りすぐ見えなくなってしまった。
お母さんは不安でいっぱいだった。
それも、そのはず。女の子は近所に遊びに行くのではなく、女の子の祖母にあたる人物に会いにいくからだ。いつものテリトリーより、家から距離がある。
午後2時少し前。
女の子は病院への道をよく知っていた。祖母によく懐いていて、学校がない土曜か日曜はおかあさんとお見舞に必ず行っていたからだ。
道中、こっちをじっと見てくる、見覚えのある男の子がいた。多分、同い年。
こんな暑い日に、黒いパーカーを着ている。
女の子に近づく。
「やあ!こんにちは!今日も暑いね!君はよく病院にいる子だよね?」
何かがおかしい気がする。
「え?うーん…土曜日か日曜日は病院にいってるよ?」
「なるほどね!僕もあの病院によく行くんだ!それで、見覚えがあったんだ。僕を見たことない?」
女の子は思い出す。
「あっ!見たことある!」
「僕はヨルって言うんだ。よろしくね!」
「うん。そうだ!私、行かなくちゃいけない所があるの。」
「そうなんだ…それじゃ、また今度だね。次は一緒に遊ぼうね!」
「うん。バイバイ!」
「バイバーイ!またねー!」
もう病院はすぐそこだ。
午後2時ぐらい。
おばあちゃんの病室に着いた。
「こんにちは、おばあちゃん。調子はどう?」
よくお母さんが言うセリフ。
「大丈夫だよ。」
おばあちゃんが微笑む。
「お父さんは?」
「飲み物を買いに行ってるはずだよ。」
「ふーん。明日、おばあちゃん、家に来るんだよね?」
おばあちゃんはずっと入院をしていて、やっと退院の許可がおりていた。
午後3時3分。時計の針をずっと眺めていた。
「おー!いつ着いたんだ?」
お父さんが病室に入ってきた。
「ずっと前に着いた。お父さん遅いよ!」
「すまんな。お母さんがこっち来るのは4時ぐらいになるってさ。そしたら、何か食べに行こう。」
「おばあちゃんは?」
おばあちゃんが答える。
「気にしないで行っておいで。」
お父さんが女の子を説得する。
「おばあちゃんとは明日にしような。いきたい所に連れてってやるから。」
女の子はおばあちゃんを横目で見ながら答える。
「うーん…分かった…おばあちゃんはそれでいい?」
おばあちゃんは微笑みながら応える。
「おばあちゃんはそれでいいから行っといで。」
午後4時半
ファミリーレストランにて、食事と一緒に明日の作戦会議が進行中。
「で、どうする?」
お母さんが女の子に二択を迫る。
お母さんと一緒に家に帰ってあしたの支度をするか、お父さんと病院でおばあちゃんについているかの二択。
「私はおばあちゃんと一緒にいる。」
午後5時くらいに戻った。
太陽はまだ顔を出している。けど、おばあちゃんがいない。
「おばあちゃんは?」
女の子はこの時間まで病院に居たことがない。不安が胸から、せり上がってくる。
「お風呂に入ってるんじゃないかな?
お父さんの声が不安をかき消してくれた。それに、少し待ってたら、おばあちゃんが帰ってきた。お父さんが言った通りお風呂に言ってたらしい。
ジュースを飲んだり、お菓子を食べたり、テレビを見たりしてたら、時間が通り過ぎていた。
午後6時から7時。
日が暮れ出していた。女の子はおばあちゃんの傍で寝てしまっている。お父さんは椅子にかけ、おばあちゃんと静かに会話をする。
蝉の声は落ち着き始め、空はこれから来る夜の為に色を赤く染め、窓から入る風からは昼と変わらず草と太陽の匂いがした。
午後8時13分。時計の針が歪なへの字になってる。
女の子は目を覚ました。お父さんとおばあちゃんは寝てしまっている。病室を出て、トイレに向かう。向こうにあの子がいる。
「やあ!こんばんは!もう、すっかり暗いね!」
あの子だ!昼間に会った子だ!
「あれ?あの、こんばんは。もう夜だよ?お家に帰らないの?」
「うん。大丈夫だよ。ねえ、これから遊ばない?下の階のプレイルームに行こうよ。」
「私、トイレに行ったら病室に戻らなくちゃいけないの…」
「そっか、分かった。それじゃあ、また今度だね。またね!」
「う、うん。またね!」
午後9時42分。先生がそう言ってた。
おばあちゃんが死んだ。
容体が急変した為のようで、手を尽くしたがダメだったらしい。
全てがあっと言う間だった。
女の子が病室に戻る時は既に騒々しく、白い人達がたくさんいた。
お父さんは横で両手で顔を隠すように、頭を抱えている。静か過ぎてまるで、寝ているみたいだ。女の子は状況を理解できていないのか、足をプラプラさせながら、椅子に座って俯いている。
午後10時過ぎ。
お母さんが来た。とても急いで来たようだ。私はお母さんに自動販売機で飲み物を買って来るように言われた。厄介者払いだと思う。
また、あの子がいた。
「やあ!こんばんは!今夜はなんだか煩いね!」
何故か、安心感があった。この世界で唯一の理解者に会った様な安堵感があった。おかしな事にだ。
「………おばあちゃんが死んじゃったの」
「そうか…ごめんなさい。失礼な事を言ってしまったね。」
「ううん。大丈夫。」
「君は………その、悲しいとは思わないのかい?」
「えっと、分からないの…」
「実感が湧かないんだね。無理もないね。」
「どうしたら、いいのかな?」
「どうせ、子供にできる事なんて殆ど無いさ。だから、今できる事を精一杯やるしかないよね。ほら、おつかいとかさ。」
「そっか……そうだね!」
女の子は踵を返した。
「待って!これを、君のお父さんに渡してくれないか?」
そう言って、半分に折った紙と、十字架の長い所が尖った銀のペンダントを渡してきた。
午後11時くらい
女の子はヨルからの"預かり物"を渡せずにいた。渡したら、何か良くない事が起きる気がしたからだ。両手で"預かり物"を包んで。お父さんの横に座っている事しかできずにいた。
通路から足音が聞こえてきた。ペタペタと歩いて来る。病室のドアが開く。そこにはヨルがいた。女の子はそんな気がしていて驚かなかったが、お父さんは目を見開いて今まで見たことない程の驚いた表情をしていた。
「そんな……本当に……」
お父さんはヨルにゆっくり近づき、肩を掴んだ。
「君が……」
言葉が続いていない。
「はい。」
ヨルは質問されていないのに、肯定した。
お父さんがヨルを突き飛ばした。触れたくない様だった。
女の子はお父さんにしがみついた。
「ダメだよ!」
何がダメなのかは女の子自身にもよく分からなかったが、いつものお父さんに戻って欲しいという願いが込められていた。
そして、女の子は"預かり物"を落としている事に気付いていなかった。
午後11時前。
沈黙が病室に充満していた。
病室には、床にへたり込んで左手に"預かり物"を握っているお父さん。
お父さんの正面で微動だにせず立っている男の子、ヨル。
お父さんにくっついて泣いてる女の子の3人。
沈黙を破ったのはヨルだった。
「覚悟はできています。いつでも大丈夫です。」
「だが、君は子供だ!」
急な大きな音で、余計に静寂が強くなる。
12時ちょうど。
ヨルの胸からは、銀の十字架が突き出ている…
さっきとは、まるで逆の構図だ。ヨルが倒れ、お父さんが立っている。
でも、静寂は何処かへ行ってしまった。この空間には、お父さんの荒い息遣いだけがひびいている。
蝉の声は全く聞こえない時間。開け放たれた窓からは夜の冷たい空気が脳を冷やした。
夜明け。
私はお母さんとお家にいる。
お父さんは遠分帰ってこないだろう。
そして、あの夜とおばあちゃんも帰って来ない。
早起きな鳥が声をあげ始る。
まだ、夜の冷たい匂いが残っているけどれ、もう少し経てば太陽の匂いが町に広がるだろう。
私は今日を迎えることができた。
もしかしたら、恋愛ではないと思った方もいると思いますが、僕なりの恋愛モノです(´・Д・)」