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香り  作者: 伯耆
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それから私は毎日のように夢を見た。

うまく思い出せない。ただとてもたくさんの夢の世界を渡り歩いた気がする。

幸せで柔らかな世界、かと思いきや、冷酷で怖くて痛い世界。

そういえば子供のころによく見ていた夢も何度か見た記憶がある。

生まれてから高校2年まで住んでいたマンションのエレベーターに私はいる。

一階から自分の家のある3階(マンション自体は4階建て)のボタンを押すのだが、3階になっても止まらないどころかあるはずのないもっと上階に止まることなく上がっていくのだ。

そのまま夢から醒めることもあれば、エレベーターから飛びおりるという結末もある。

もしくは3階から1階へと押すが、止まらず地下までいっては帰り方がわからないという恐怖にかられることもあった。


そして極め付けはこの夢である。

私は昔通っていた小学校の隣にはある畑がある。それは黄金に光っていて、先には畑の光よりも問題ならないくらいに輝く黄金の大きな観音扉がある。

その扉を見つけてそこへと向かいたいが、どうもがいても動けない。

後ろから誰かが追ってきてるのだ。追手の姿を確認はしていないものの、わかる。夢とはそういうものだ。

いつしか足は動いて扉へと走るが、扉を目の前にして誰かに肩を掴まれた。途端の浮遊感。

次は洞窟にいた。そこにはたくさんの人たちの中に埋もれていた。

人々に距離を置いて、取り囲まれている真ん中には光り輝く神様(のように思える存在感であった)がいる。

神様は辺りを見渡すと、私ともう一人(誰かはしらない)をゆっくりと指差した。


「お前は勝たなければいけない」


肩と叩かれ言われた。そこで夢の世界の道は閉ざされた。

夢占いなど気休め程度にしか信じないが、私にとってそれはとても意味のある夢のように思えた。

誰かが何かを私に伝えようと、もしくは戒めようとしているような錯覚に陥った。

何かを伝える、もしくは戒めるものなど今の私にはおらず、いるとするならばただ一人を除いて他にない。

しかし私にはそうされたとて、どうする術もなく、戒めるべき私はすでにこの世界にはいない。



店が暇な時期に差し掛かった。

6月。梅雨は田植えをする時期であり、少々客足は衰える。

店を構えている場所は特に老人の多くが農作業を手持無沙汰にする田舎なのである。

こんな日は長く開けていても電気代と私の体力の無駄だ。

早めに店を閉めた私は久しぶりに父と共に高校時代にバイトをしていた知人の焼肉屋に外食することにした。

まだ社会人になる前の10代の頃はよく食べにきた記憶がある。

お金に余裕があったわけではないが、外食だけはよくする家族だった。いろいろと問題も多かったものの、仲はよかったように思える。

家族4人。記憶にない空席はやはり母親がいたのだろう。

焼肉屋のママさんは私たちが食べに行くたびにサービスをしてくれる。明るくて気前がよい。しかし気の強さもやはり全面に出ている、もう80近いんじゃないだろうか。

私が高校の頃は60歳を過ぎてもまだまだ元気であったが、息子に店を継がせてからというものすっかり生気がなくなっているようにも思えた。

この店だけが生き甲斐だったのかもしれない。

そしてやはりママさんも私と父に悔やみの言葉を告げた。


「そうかい、今は夏帆が店を継いだのね。それが一番の親孝行やねえ。


お母さんが一生懸命働いて贔屓にしてくれたお客さんを逃さないよう頑張るんだよ」

私は精一杯の作り笑顔で頷くしかなかった。


「ワシも土木が倒産してから、母さんに食べさせてもらってたようなもんだから、夏帆に店だけでも残せてよかったよ」


いつもはそんなこと言わない父がママさんに便乗するように言った。

そういえば父は母が亡くなってから、一体何を思ったのだろう。

妹は?

母は家族にとって、どういった・・・。

食べきれなかった肉が網の上で焦げるまで、私はそのことを考えていた。

炭のようになった肉は記憶にない母の遺灰を思い起こさせては、刹那として膨張した死の香りに火を消した。




安定な生活とはそうそう続くものではない。

焼肉を食べにいった数日後、父が家の前で倒れていて、病院に搬送されたという連絡が店にかかってきた。

すぐに私はパートさんに店を任せて搬送された病院へと車を飛ばした。

私が到着すると既に落ち着いた顔で眠っている父が病室にいて、医者からすると一時的に血圧があがり心臓に負担がかかったということらしい。

命に別状はないが、これからのケアは怠らないようにしなければ、歳も歳であるためまた繰り返す心配もあると言っていた。

直接的な原因はストレスと聞かされた。

父にストレスがかかるようなことがあっただろうか。私にはまったく思い当らなかった。

母の死がまだ心に負担を与えているのか?

遅れて到着した妹は命に別状がないということを告げると一安心したように大きく息をついた。

しかし、その原因がストレスであるということを知って、複雑そうな表情をする。

何か思い当る節があったのだろう。思わず眉根を潜めた私に妹は「ここではなんだから」と近くの喫茶店で話をすることにした。

私はアイスコーヒーを、妹はカフェラテを注文する。

甘党である妹は4杯ほど砂糖を入れて、混ぜては確認するように少しだけ一口含むと満足気にカップをソーサーに戻した。


「お父さんのことだけど、これからどうしよう」


これから、とはどういうことなのか。私は返答せずにただ妹を見つめた。

私から返答がないということを知って、彼女は続ける。


「ストレスってやっぱりお母さんが死んでから、お母さんがいないしストレスの吐きどころもないからじゃん?今までならまるで母親に当たるようにしてストレスも発散してきたし・・・。お姉ちゃんにお父さん当たったりする?」


そういえば父親が密かに一人で泣いているところをみたことがあった気がする。

しかし父が私に八つ当たりなど、この3年したことがない。


「考えてみればないなぁ」


「娘に面倒みてもらってるし、年いって気も弱くなっちゃったのかな。

お酒も前みたいに飲めないみたいだし。いろんなストレスが溜まりに溜まったのかもね」


父は持病持ちで元からメンタルは強くない。

加えて、妹がいうように母が父親にとって「母親」のような存在であったのならばそれは合点のいく話である。


「それでこれからってのは?」


最初に切り出した妹の話を聞き返すと妹は悩むように眉根を寄せて、しばらく躊躇ったあとに話し始めた。


「私も実家に帰って3人で暮らしたほうがいいのかなって。私なら休みもあるし、お父さんの隣にいてあげることもできるんじゃないかって」


「でも職場からは遠すぎるでしょ?それはお父さんが喜ばないよ」


「そうだけどそこはどうにかするよ」


意見を譲る気のない妹に私は静かに首を振る。


「せっかく就職して良い感じに働けてるんだから、あなたはあなたのやるべきことをしなさい?お父さんのことはこっちでどうにかするよ。

幸いお金は回ってる。すこしくらい人件費がかかっても問題ないくらいにはね」


母のおかげが幸せなことに理解の多い従業員と客が多い。

すこしばかり店を開けることが多くなっても、大丈夫だろう。


「それに・・・」


続けようとして今自分がなにを言おうとしたのか、喉元まで上がってきていた言葉はどこかに消えてしまった。

「それに?」と反芻してくるが、私は変わりにため息をつく。

珍しいことではない。

しかしとても重要なことを言おうとしたはずである。

昔彼女が言っていた何かを、今言おうと。

おそらくそれは母に関することなのだろう。だから私の言葉からは出てこられないのである。


「ねえ、千奈津」


カラン。

アイスコーヒーに溶けた大きめの氷が音を立てて、崩れた。


「私、あなたに大切なことを言ってないの」


千奈津(妹の名だ)はなに?も言わなければ頷きもせず、ただ私の言葉を待った。

まるで事件の被害者が加害者の審判を祈って待つように。

まっすぐ、少しも目をそらさずに。

彼女の瞬きと同時だった。


「私、お母さんの記憶がなくなったの」


千絵に打ち明けた時はときとは違い、まるで喫茶店の感じの良いジャズに溶けるような雰囲気だった。

千奈津は驚かなかった。

代わりにふと目を伏せて、「知ってたよ」と悲しげにほほ笑んだ。

最初は忘れようとしているように思えた、と彼女は言った。

母の話は触れたがらなかったし、話しても素っ気ない、もしくは曖昧な答えしか返ってこない。

昔二人で約束したことを話に出したことがあったよね。

必ず成功して、両親に恩を返そうって。

それを覚えてないような素振りと、今日お姉ちゃんに会って確信したよ。

彼女はそう言った。


「なんで?」


知っていたのになぜ黙っていたのか。

千奈津は首を左右に振った。


「思い出さなくてもいいよ」


彼女の口から出た思いもよらない言葉に私は驚く。

真実を告げた時、高い確率で非難されると思っていたからである。


「お母さんもきっとそれを望んでると思う」


私には理解できなかった。

何故それを母が望んでいるのか。

何故私は母のことを忘れてしまったのか。


「お母さんとお父さんが一番つらかった時、私たちが10代の頃のこと覚えてる?

お父さんの仕事が倒産して、お母さんがすごく辛い時、何度も死のうと思ったことがあるって。

なんで死ななかったのか、勿論家族が大切だったからもあるよ。けれどお母さんはお姉ちゃんのために死ななかったんだよ。

お母さんはだれよりもお姉ちゃんが大切だった。

お父さんや妹は意地でも生きるだろう。けれどお母さんが死んだら、お姉ちゃんはきっと生きてないって知ってたから。

だからね、お母さんはきっとお姉ちゃんを最後まで守るために、お姉ちゃんの一部を連れ去っちゃったんだよ」


エゴだね、と彼女は最後に皮肉めいて悲しそうにほほ笑んだ。


「ほら、結局はお母さん。お姉ちゃんが一番好きだったんじゃない・・・

こんなに頑張ってるのに、成功してお母さんにたくさん贅沢させてあげようって思ってたのに・・・なんで死んじゃうのよ・・・」


妹はそう言って静かにテーブルに雫を落とした。

何故だか私も初めて辛くなった。

母は私をたくさん愛していてくれていた。

その事実だけで十分なのかもしれない。

出来るならば母が生きているうちに孫の顔だけでも見せてあげたかった。

そうも思えた。




それから3周忌が訪れた。

父の様態は落ち着き、仕事の時間を短めにとりながら父と長く過ごしていたある日。

まるで母が再びめぐり合わせてくれたように、私は同窓会を目の前にして幼馴染と偶然再会した。

同級生や幼馴染との結婚。よくあることであるが、まさか自分がそうなるとは夢にも思ってなかったわけで。

そうして私は女としては少し遅めで、すでに諦めかけていた結婚を実現することが出来た。

すぐに女の子も生まれる予定である。(デキ婚であったが、両親も実はそうであったため文句は言わせなかった)名前も一生懸命二人で考え、母には叶わなかったが父には孫を見せることが出来るのが、子供としての孝行として嬉しかった。

お店はしばらく信頼できるパートさんと父親に任せた。

しかし予定より随分と陣痛は早く来た。

救急車に運ばれてからというものほとんど記憶がない。

苦痛と必死の思いで生まれた我が子を見た瞬間の安心と今までに感じたことのない喜びだけを除いては。

病院の天井。落ち着いて初めてみたのはそれであった。

夫は仕事のためいない。

しばらくして看護婦さんが子供をベッドの隣へ連れてきてくれて、初めてゆっくりと我が子を見た。

まだ誰に似ているとかはわからない。

ただ私も母親になったという実感はなくとも、深い感慨にも似た何かが胸の奥から湧き出ていた。

母も私を生んだ時、こんな感じだったのだろうか。

するとふと思い出したように目を覚ました赤ちゃんが私を見た(まだ目はちゃんと見えていないのでそう感じた)

そして私の手をゆっくりと握ってきたのである。

ただそれだけであったが、私にはそれで十分であった。

次から次へと、まるでこの子と一緒に私もこの世界に生まれ落ちた時のように涙があふれて止まらなかった。

欠けていた何かがすべて埋まり初めて、収まりきらない容量が溢れ出すように。

全身の血が湧き立ち、歓喜と恐怖に泡立つように。

母が私を愛したように、この子もたくさん愛しなさいと。

耳元で囁いているように思えた。

そこにはもう、死の香りも張り付いていた喪服もなく、花の香りで包まれた病室で生まれたての裸の母が子を必死に守ろうとしているだけであった。



初登校です。突発的に書いた半分ノンフィクの駄文ですが、読んでいただいた方がいらっしゃいましたらうれしいです。

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