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トワの学習帳シリーズ

トワの大いなる学習帳:「ペットボトル」

作者: 神西亜樹

「それ、何?」

 少女が俺の手に握られたペットボトルを指さして尋ねる。今日は友人の家に行っていたのだが、この分だとそのまま遊び疲れて眠ってしまったようだ。しかし何処からでもここに来ることが出来るんだな、と俺は殺風景な白い部屋を見渡す。俺だけがこの夢の世界に導かれるのは、もしかしたら我が家の立地が関係しているのでは、あるいは俺のベッドが特殊なのだろうか、などと色々考えていたのだが、原因はどうやら俺自身にあるようだった。この少女は俺が眠ってさえいれば何処からでも召喚することが出来るらしい。

 勿論、俺が夢の世界に導かれる理由は彼女の意志に因っているのか否かは定かでは無かったが、彼女との交流を重ねた今の方が昔と比べると召喚のペースが明らかに増えていることから、最近では彼女が俺を呼び出していると仮定して考えることにしている。自分では「定義付けないで」などと言うがこの白い少女はどうも好奇心には勝てないようで、依然積極的に俺とのコミットメントを図ろうとしてくる。もしかしたらトワ自身が自分の欲しているものを理解出来ていないのかもしれない、と俺は思った。だからその答えを求めて俺を呼ぶのかもしれない。

「これはペットボトルだ」

 そんなことを考えながら、俺は徐々に覚醒してきた頭で少女の質問に返答した。

「武器か?」

「違うよ。まぁロケットにしたりもするけど」

「武器だ!」とトワは警戒したように一歩後ろに下がった。どうもこの少女は武器に過剰反応するなぁ。

 俺は少女を安心させるため、ペットボトルを指先で弾いて笑ってみせた。

「こんなプラスチックを引き延ばしたものが武器に見えるか?これは基本的に飲み物を持ち運ぶために使うんだよ。水筒みたいなもんだな」

 水筒、と言いかけるトワを「やっぱ今のナシ」と手で制す。この質問魔は一度質問し出すと見境なく質問し出す。前の質問が解決されたかどうかお構いなしにだ。もはや快楽を得ていると言っても過言ではないはずだ、と俺は眉間に皺を寄せ唸った。この恐ろしさは実際に少女の質問責めを経験していないと理解し辛いだろうが、その場合は「質問」を「殺人」に置き換えてもらえればきっとある程度察してもらえることだろう。連続質問魔、シリアルクエスチョナーの暴走を許してはならない。公共の福祉に反する。

「ほら、底の方にまだ飲み物が残ってるだろ?こうやって携帯して、喉が乾いたら飲むんだ。人は水分が無いと生きていけないからな」

 トワは膝を折って姿勢を低くし、ペットボトルの裏側を覗きこみながら「なるほど」と呟いた。

「あとアレだな、ペットボトルというと間接キスだな」

 運動部をやってると部に一人は必ず間接キスを気にして回し飲みを嫌がる奴がいるんだよなぁと笑った後で、俺は余計なことを言ったことに気付き慌てて口を閉じた。少女にとって新単語が多過ぎた。どれを拾われるか、あるいはどれも拾われるのか、俺は自身の軽率さを神に懺悔しながら質問魔の次の発言を待った。

「間接キスとは、何?」

「やっぱまずはそれか」

 俺は肩を落とした後で、再び失言を重ねてしまったことに気付き頭を抱えた。「まずは」なんて言ったら例えそういうつもりじゃなくとも次の質問を考えてしまうじゃないか。

「間接キスというのはだな、うーん・・・話題のタネだよ。きっかけみたいなもの」

「どういう意味?」と少女が腑に落ちないという顔で首を捻る。

「さっきも言ったけど、間接キスという発言を人がする時、それは新たな話題に繋がる時なんだ。からかったり、あるいはもっと真面目な展開になるかもしれないけど、何にせよ合図の役割を担っている」

 俺は何となく目の前の無垢な少女に対しキスという行為、あるいはそれに続く恋愛に関する事柄を教えることに後ろ向きだった。情欲に繋がる言葉は口にするだけで汚れてしまうのではないかと思うぐらい、少女は純白な存在として洗練されていたし、何も知らなかったからだ。そのため今回の質問に関してもなるべく敬遠する方向で話を進めることにした。

「なるほど」

 少女は少しの間を作った後、俺の回答を理解したことを示した。

「色々出来るな、ペットボトル」

「標語みたいな言い方だな」

 少女が手を伸ばす。どうやらペットボトルを貸してもらいたいらしい。飲食は彼女を「定義付け」ることになるからやめて欲しいと以前少女自身から言われていたのでこちらから提供することは控えていたのだが、心境の変化だろうか。ただ手に取ってみたいだけかもしれないな、と俺は彼女にペットボトルを差し出した。

 トワは小さな両手で心許なくペットボトルを握ると、右手で上部の蓋を回して開けた。飲んでしまうのか、と俺が驚いていると、何を思ったのか少女は“ペットボトルを自分の口元に”運ぶのではなく“自分の口をペットボトルの飲み口へと”運び始めた。ゆっくりと上体を曲げ、顔を下げる。長い髪が顔に影をつくるが、彼女の透き通る白さが翳ることは無かった。

 キスをする気だ、と俺は気が付いた。今から手を伸ばしても、止めることは間に合わないだろう。“間接キス”で何故ここまで焦るのか、説明しても誰にも理解してもらえないかもしれない。そりゃそうだ、と俺は思った。目の前の少女がもたらす背徳感はこの場にいない人間には分からない。

 少女は俯くような姿勢で暫くの間停止していた。長い髪が顔を覆っており表情は分からない。俺は少女がどんな顔をしてこちらを見るのかが気になって目を離せずにいた。顔を上げたらそこに別の人間がいるのでは無いかという不吉な予感が俺の神経を尖らせ、蝕んだ。

 固唾をのんで見守る俺だったが、しかし顔を上げた少女はいつも通りのポカンとしたあどけない童顔であった。

「何も起きない」と少女が言った。

「・・・そうみたいだな」

「間接キスは難しい」

今日学んだこと

ペットボトル・・・多機能デバイス。状況によって様々なものに変化する。

しかし

・ロケット・・・発射せず

・水筒・・・不可逆のためか役割を果たさず

・間接キス・・・何も始まらず

だったため、恐らく今回見せられたペットボトルは偽物であると推測される。次回は本物を見てみたい。

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