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自分の部屋に閉じこもって。
あたしはすすり泣いていた。
お母さんが心配して何度もドアをノックしてくれたけど、返事すらできなかった。
カギがかけられるわけじゃないから、お母さんはいつでも入ってくることができる。
でも、入ってこなかった。
べつに、ほったらかしにしているわけじゃない。
こういう場合には、ひとりにしておくのが一番いい。
それがわかっているのだ。
長年あたしを扱ってきたお母さんだからこそ、わかっているのだ。
「ご飯できてるけど、下りてくる? ……来ないみたいね、わかった。あとでドアの前に置いておくから、ちゃんと食べなさいよ?」
そう言い残してお母さんは階段を下りていく。
ほどなくして、再び階段を上ってきたお母さんは、今度はなにも声をかけず、また階段を下りていった。
あたしはそっとドアを開ける。
そこにはトレイに乗せられた夕飯が置かれてあった。
あたしは夕飯を部屋の中に引き入れ、黙々と口に運ぶ。
いつもどおりの、お母さんの味つけ。
ちょっぴり塩味が強いかも。
それは涙のせい? それともお母さんの気遣い?
あたしは食べ終えた食器をドアの外に置いて、布団にくるまった。
いろいろと考えてしまって、寝つけないまま時間は過ぎていったけど、いつしかあたしはまどろみの世界へと落ちていた。
☆☆☆☆☆
沈んだ心が生活のリズムを狂わせてしまったのだろうか、目が覚めるとすでに時刻は九時半を回っていた。
授業も始まっている時間だ。
とはいえ体調が悪いわけでもないから、遅刻になるけど学校には行かないと。
のそのそと制服に着替える。
お母さんは心配そうにしていたけど、あたしが着替えて部屋を出てきたのを見ると、少し遅い朝食を準備してくれた。
重い足取りで、ひとり学校へと向かう。
この時間だと、ちょうど一時間目が終わった休み時間のあいだには到着できるだろう。
授業中に入っていくよりは、幾分マシだ。
教室のドアを、あたしはあまり音がしないようにそーっと開けた。
休み時間の騒がしさに紛れれば、音なんてすっかり消えてしまう。
あたしはこのまま静かに着席して、授業開始を待つつもりだった。
だけど――。
ひとたび悩んでしまうと、なかなか立ち直れないあたしの性格を、音美ちゃんも和風ちゃんも知っている。
知ってはいても、だからといって放ってはおけないのだろう。
ふたりは、教室に入ったあたしのそばへ揃って近寄ってきた。
「理紗、今日は大丈夫かしら?」
気を遣って控えめにかけてくれる和風ちゃんの声に、あたしはなにも答えず、プイッと視線を逸らす。
「ふう……、まだダメか」
「そうですわね」
ふたりが言葉を交わす声はもちろん耳に入っていたけど、黙って席に着く。
心配してくれてはいても、しつこくはできないと考えているのか、ふたりはそれ以上、あたしに話しかけてきたりはしなかった。
☆☆☆☆☆
お昼休み。
いつもなら音美ちゃんや和風ちゃんと一緒にお弁当を食べるところだけど。
あたしはそんな気分にもなれず、お弁当を持って席を立った。
ふたりとも、気づいてはいたはずだけど、なにも声をかけてきてくれなかった。
しつこくされなくて清々する……。そう思いながらも、もの悲しさは感じてしまうもので。
とぼとぼと、あたしはひとり寂しく廊下を歩いていた。
外で食べたら、ちょっと寒いかな? でも風はなさそうだし、日差しもあるから暖かいかな?
ぼんやりと窓から中庭を眺めていると、あたしの横に誰かが近づいてきた。
「こんにちは、理紗さん」
「あ……こんにちは。お久しぶりです」
その声に驚いたあたしは、振り向いて挨拶を返す。
目の前に立っていたのは紫苑さんだった。
二年生の教室は、階が違うはずなのに……。
あたしは不思議そうな目で紫苑さんの顔を見つめてしまっていたのだろう。彼女は笑顔を浮かべて話し始めた。
「ふふふ、ある人から頼まれてね。理紗さんの様子を見に来たのよ」
……ある人……。きっと和風ちゃんだ。
心配してくれているのはわかるけど、先輩である紫苑さんまで巻き込むなんて……。
あたしはわずかに怒りを覚えた。
そんな様子に気づいたふうもなく、紫苑さんはあたしの目をじっと見つめたまま話し続ける。
「それに、わたし自身も気になっていたから。理紗さん、ずっと来てないでしょう? 風邪でもひいて寝込んでるんじゃないかって、心配していたところだったの」
来てない――というのは、ドリーミン世界に、ということだ。
オンラインゲームにハマっているというのは、一般的にあまりいい印象を持たれない場合が多い。
だから一応気を遣って、そういう言い方をしてくれたのだろう。
「……あっ、それお弁当よね? わたしもまだだから、そうね、どこかで一緒に食べない?」
優しい声でそう提案してくれる紫苑さんに、あたしは素直に頷き返した。
☆☆☆☆☆
「……なるほどね」
中庭にある花壇を囲うレンガに腰かけ、あたしと紫苑さんはお弁当を広げた。
広げたとはいっても、ふたりとも小さなお弁当箱をひざの上に乗せているだけなのだけど。
あたしは紫苑さんに、かいつまんで事情を話した。
知り合いの人にしつこくされて、なんだか嫌な気持ちになってしまって、ドリーミンをお休みしている。
細かく話すと時間もかかるし、と思ったあたしは、そんな感じで話してみた。
話を聞き終えると、紫苑さんは少し考え込むような仕草を見せた。
それから、すっと温かな視線をあたしに向けて、こう問いかけてきた。
「それで、あなたとしては今後どうしたいの? もう、このままやめてしまうつもり?」
「え……?」
そう言われて、あたしは答えに詰まる。
やめてしまう。
もう二度と、ドリーミン世界には行かない。
自分でも、そうしたほうがいいのかも、とは考えていた。
ただ、行かなくなってよくわかった。
あたしがどれだけ、あの世界に染まっていたのかを。
現実世界とは違う、架空の世界ではある。
それでも、そこには多くの人がいて、みんながみんな、それぞれの生活を楽しんでいる。
そして、あたし自身も楽しかった。
嫌なことがあったのは確かだけど、それを吹き飛ばして余りある充実感と満足感を得られていた。
だからこそ、今こうして以前の生活に戻っただけのはずなのに、物足りなさや寂しさを感じているのだ。
そんなふうに感じている理由が、音美ちゃんや和風ちゃんとケンカしているような状態だから、ということだけじゃないのは明らかだった。
すでにあたしにとって、ドリーミン世界での生活も、現実のあたしの一部となっていたのだ。
――戻りたい。
素直に、そう思った。
「……みんな、待ってますよ」
あたしの気持ちを感じ取ったのだろう、紫苑さんは温かな笑顔でそうささやいてくれた。