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怒鳴り声の温もり

作者: 薄口


僕は、普通の会社員だ。そう、この不景気の時代に、何十と会社を駈けずりまわって、ようやく手に入れた職。

仕事は辛い、けれども、そう思うたびに思い出すのは、就職活動中の言葉だった。


「君って、仕事出来なさそうじゃん。…ああ、もう帰っていいよ。面接は終わりだから」


どの会社だったかは覚えていない。書類で落とされるのも多い中で、やっと審査に通った一社だった。

この好機は逃すまいと、張り切って行った。もちろん、準備はしっかりとした。

言葉遣いだってそうだし、身だしなみだって、細部の細部、見えないところまできっちりと揃えた。

通されると、3人の面接官が座っていて、「まあ、かけて下さい」と言われたので、お辞儀をして静かに座った。


聞かれたことだって、テンプレートを地で行くような物だ。まるで機械が作業を行っているように、淡々とこなしている。

人間として、彼らは血が通っているのか、心配に思うほどだった。


「…です」

自分のアピールを言い終える。

すると面接官らは、急に顔をほころばした。ほころばすというよりは、嘲るような表情だった。


「でもさ、君ってなんか、やめちゃうオーラ、出てるよねぇ」

「…はい?」

「ああ分かる。少し辛い事があっただけで、『もう嫌だ、こんな仕事やめる!』って言い出しそうで」

「楽な仕事してるわけじゃないんだけどね、うちの会社」


3人はやはり血の通った人間である。その言葉から、ひしと感じ取れた。

同時に、彼らが僕のことを馬鹿にしていることも、理解できた。


「あの…」

「君ってさ、仕事出来るの?うちの会社辛い仕事ばっかりだよ?逃げ出さない?」

「そ、それは、もちろんです。御社に入らせていただけるならば、身を粉にして働く所存です」

「身を、粉に?」


大笑いが、面接室に反響した。


「君、面白いね。あっはっはっは。最高」

「いまどき、そんな表現するんだ。いやあ、最近の若者って、センスに溢れているねぇ、あははは」

「なんだか、久しぶりに、ツボにハマっちゃったよ。くひひ…」

面接官たちは、皆が腹をおさえ、笑いを噛み殺そうと必死だった。


僕は。


「あ、あの、面接は…」

何も言えない。言い返せなかった。どす黒く、そして当然の思いがこみ上げてきているのに、表層の人格は、それを拒んだ。


「うっひゃひゃ。あ、ごめんねぇ。いやぁ、笑った笑った」

「ギャグセンスなら合格だね。でも、うちの会社、そんなに甘くないの」

「そうそう。第一、分かっちゃうんだよ。君の顔見てると。言動も…くふふ、そうだけど」

収まらないニヤケ顔。面接官の一人がそのまま続けた。


「君って、仕事出来なさそうじゃん」


その言葉以降、僕の記憶はほとんど抜けていた。

自身の葛藤を抑えることだけで精一杯だった。

この理不尽に、なぜ、僕は耐えられたのか、いまだに分からない。


選ばれる立場の人間は、どうしてこうも、不幸を被らないといけないのだろう。

選ぶ人間は、偉いのか。そう、彼らは偉いのだ。

人類皆平等と謳っておきながら、当然のように差別は行われている。

…彼らは勝ち組で、僕は負け組か。



それから、一時的に僕は街を放浪した。家に帰る気力もなかった。

このまま野垂れ死にしても、それが運命ならと、受け入れるはずだった。


「お前、何しとんだ」


誰かと思った。その声は、親戚のおじさん。


「汚い格好しやがって。お前、ホームレスにでもなったんか」

「いや、そうじゃなくて」

「立派なスーツこんなに汚してな。もっと大事にせんかい」

「…おじさん」

「馬鹿たれが。男の癖に何に悩んどんじゃ。悩みなんて、酒飲んで、ぱあっと忘れるもんなんだよ」

僕は、抱きついた。

久しぶりに、子供に戻った気がした。


「な、なにすんじゃ。気持ち悪い、放せっての」

「おじさん。俺、もう、駄目だ」

「はぁ?…ああなんだ、泣きべそかくなよ。ったく、オメエはいつまで子供でいるつもりだ…」

「う、う、っく…」

そう言われても、泣き続けた。


子供の頃は、いつも怒鳴り続けていたこのおじさんが、大嫌いだった。

自由を与えてくれなかった彼を、敵視していた。


今は、どうだろう。


おじさんは、邪魔とか汚いとか言いながら、けれども優しく、僕を家に連れていってくれた。



そうして、自分の家で体を洗い、綺麗な服に身を包んだ頃、おじさんは部屋でタバコを吸っていた。


「それで、どうしたんだ。泣くようなことなんだから、よっぽどなんだろ?」

睨みつけるような表情なのに、何処かに優しさが漂っている。

そうか。…そうなんだ。


僕は、面接での出来事を説明した。

おじさんは、あまり聞いているふうではなかったが、僕が口を閉じると、こう言った。


「ぶん殴ってやりゃ良かったんだ」

「それは無理だよ」

「馬鹿かお前は」

怒鳴られた。久しぶりだった。でも、子供の頃に感じた「嫌悪感」は、微塵もなかった。


「相手にそこまでコケにされて、黙ってるほうがおかしいだろうが」

「でも、会社の人だし」

「そんな野郎どもはゴミ同然だ。会社だ?どうせすぐ潰れるに決まってる。人事の悪い会社なんて続くはずがないんだよ」

「…僕が悪かったんだよ」

悪口を言われる、その理由があった僕に非があったのだ。そう言おうとした。


「てめえは、本当の馬鹿たれだな!」

激昂したおじさんは、僕の顔をひっぱたいた。


「自分ってのはな、ちょっと贔屓目に見ていたほうがいいんだ。自分が自分を可愛がらないでどうすんだ。自分をけなして何になる。ちったあ、その頭で考えてみろ」

おじさんはまだ物足りない様子だったが、舌打ちして座りなおした。


「…言い方が変かも知れねえけどよ。俺は、自分をけなしたことなんて一度もねえ。いつだって、自分の判断が正しいと、それが正義だと思ってきた。悪いと思うか?どう思ったっていいさ。その結果、今の俺が居るわけなんだから」

「僕は」

「言うな。…お前の判断も、お前がそれを正しいと思うなら、それでいい。俺が気に入らなかっただけだ。すまねえな」

「僕は、おじさんのことを、悪いなんて思わない」


子供の頃の自分との、決別。


「…おじさんは、いつだって、僕のことを見守ってくれていたじゃないか。危ないことや、していけないことをしようとしたとき、怒鳴ってくれた。叱ってくれた。当時は、僕はそんなおじさんが大嫌いだった。でも、でも」

「お前はな…」

「僕は、やっと分かったんだ。おじさんの気持ちが。自分が鬼になっても、嫌われても、恨まれても、絶対に悪いことはさせないって。真っ直ぐ、育ててやるんだって。…今まで、気がつかなかった。僕は、おじさんの事を、どんなに誤解していたのか、どれだけ愚かだったのか」

「うるせえっつってんだ!」

今度は、僕は殴り飛ばされた。


「分かったならな、自分の中で整理しろ。俺なんかに聞かせるな。大体、そんな昔の話、覚えてねえな」

「…ごめん、おじさん」

「ふん」

おじさんは、タバコを携帯灰皿に入れ、立ち上がった。


「もう、帰るんだ」

「いらねえ話ばっかり聞いて、疲れちまったからな。もう、家に帰って寝るよ」

「そう、ですか」

何か言い忘れていたことは無かっただろうか。

しかし、頭の混沌が邪魔して、それはついに思い出せなかった。


そして、彼が、ドアを開け、外に出た。締める間際。


「…そうだ。そういえばな」

「?」

「俺の会社、今、人手が足りなくてな。誰かいい奴がいたら、教えてくれ」


「おじさん…」

「明日だぞ。会社の住所は、そこに置いといた。…やる気のある奴限定だからな」


おじさんは、にかっと笑った。



今僕が働いているのは、おじさんの会社だ。

そこは少人数だけれど、皆が笑って仕事をしている。それは嘲笑ではなくて、本当に、皆が幸せであるという笑顔だ。


まだ仕事慣れしていない僕に、彼らは優しく教えてくれる。


「飲み込みがはやいなぁ、最近の若い奴は。こりゃ、俺の首がひやひやだわな」

「その時は、僕が首を丁重に葬りますから。安心していただいて結構ですよ」

「こいつめ!くそー、俺はまだ現役だぁ!」

こんな感じで、いいのだか悪いのだか、それでも、今僕は幸せである。


「おいこら新人!先輩になんだその態度は!」

おじさんの声だ。


「あ、社長」

「おじさん、今日も朝から元気そうでなによりです」

「お前な、身分をわきまえろ。雇ってやった俺に感謝の気持ちとか、あるんじゃないんか?それに、面子も立たねえだろ…こんな無礼な新人をコネで雇っちゃ」

「無礼というよりか…丁寧で、毒舌ですよね。ま、楽しいからいいですけどね」

「ありがとうございます、先輩」

「こら!お前がそんな事言うからこいつがつけあがるんだ!」

こんなふうに、おじさんは会社でもよく怒鳴る。


「あれ、これって、誰の写真ですか?…可愛いお子さんですね。なんだか怒ってるけど」

先輩が、おじさんのポケットからはみ出した定期入れのような物をひょいと引っこ抜いた


「あ、馬鹿たれ、勝手に何を」

「なんですか、先輩?見せてください」

おじさんをブロックしつつ、先輩からそれを受け取る。


…それは、僕の幼い頃の写真だった。


僕の顔は本当に嫌そうだ。無理やり取られたみたいな、そんな印象をうける。

それで、その横に、おじさんの姿。とても良い、満面の笑みだった。

嫌そうな僕と、嬉しそうなおじさん。その一枚は、当時の両者の心境を、とても明確に写しだしていたのだ。


「…おじさん」

振り返ると、すかさず取り返された。


「油断も隙もありゃあしない。本当に、困った社員だ…」

「あれって、誰なんですか?」

先輩が不思議そうに尋ねる。僕は答えた。


「あれは、僕ですよ」

「ええ!?そうなんだ。びっくりだ」

「お前はまた余計なことを…」

睨みつけられるが、怖くない。

それから先輩は、それを聞くと、とても面白そうに言った。


「社長、目に入れても痛くない、ってくらい、可愛がっていらっしゃったんですね」

…おじさん、もとい社長の顔が、紅潮した。


「おじさん、今思い出した。子供の頃から今まで、本当にありがとう。感謝の気持ちでいっぱいだ。僕、絶対にこの仕事頑張るから」

「ほらほら、誠実に育ってますよ、良かったですね、社長」

「てめえら、ぶん殴ってやる!」


腹の底からの、社長の怒声が、そこら中に響き渡った。

和気あいあいとした会社。こんな会社なら、ぜひ就職したいものです。あたたかい雰囲気って、今大切ですから。冷え切った心には、ココアがぴったりですよ。ちょっと休んで、温まりましょう。

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