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二章 さて、何処でしょう? Where was she from?

1、

「うーん。何て言うか、背景がわからないよね」

 次の週の木曜日、つまり哀澤の部屋を訪ねてから(さらには殺人現場を見てから)二回目の木曜日、ゼミの日である。七月に入り、暑さは厳しさを増すばかりである。

 猪狩はとりあえず即席で考えたテーマを発表したところだった。一人ずつ発表し、猪狩が最後なのでこれで今日のゼミは終わりである。

「なぜそのテーマを選ぶに至ったか、というか、なぜそれをしなくちゃいけないのか。つまり、それを研究して誰が喜ぶか、何の良い事があるかというのが少しわかりにくい。

 問題点はうまくまとまってると思うよ。だけど、背景がわかりにくいから、必要性がちょっと分かんない。さらに言うなら、アプローチ方法も深く詰めないと後で困りそうだね」

 難しい。わかるのは「要するに駄目」という事だ。

 今年に入ってゼミで論文のための発表を数回行ったが、十人のゼミ生全員がまだOKをもらっていない。なかなかハードルが高い。ハードルの設定が棒高跳び基準ではないかと疑ってしまう。

「ま、頑張って。それじゃ、解散」哀澤がそう言った事でゼミはお開きとなった。今日は何とか時間内に終わる事ができた。

 というのも、このゼミは時間をオーバーするのが常である。原因は詰め込みすぎ。毎回全員が発表するのには無理があるのにもかかわらず、無理矢理やるものだから、一時間以上過ぎるのは当たり前になってしまっている。今日はたまたま欠席者が多かった。

 猪狩が授業棟を出るとそこで矢式奈美香に出会った。どうやら待っていたようである。

「二人は?」猪狩が尋ねる。二人とは藤井基樹と新川怜奈の事である。

「さあ? 私も今終わったところだし」

 猪狩と奈美香、そして藤井と怜奈の四人はよく一緒にいる気の知れた仲である。猪狩は奈美香とは幼馴染だし、藤井とは高校が同じだ。怜奈とは大学に入って知りあった。

 この構図だけ見ると猪狩の周りに人が集まっているように見えるが、たまたま偶然、どういうわけかはわからないが、少なくとも猪狩にそんな人間収集力はない。猪狩はそう自己分析している。

 藤井は高校の時に話しかけられたのがきっかけであって、自分本位ではない。(奈美香との接点は知らない)怜奈は奈美香経由だ。そこに猪狩と奈美香の接点があって四人になった、それだけである。

 二人は歩きなれた坂道を下る。O大は山を二キロほど上った先にあるので、上りは寒い日でも汗をかくほどである。では下りが楽かと言えば、そうでもない。下りは無意識のうちに体にブレーキをかけているのでその分疲れるのだ。

 小学校の登山遠足でも猪狩は下りの方が嫌いだった。上りももちろん嫌いだった。さらに言うなら根本的に登山遠足が嫌いだった。

「何か憂鬱そうね」奈美香が口を開いた。

 登山の話ではないだろう。そんなに表情に出なかったはずだ。それならば目下一番の悩みはゼミである。

「ゼミが、やばい」猪狩は素直に答えた。猪狩はほとんど意地を張る事はない。それにあまり感情を表に出さないが、よほど苦しそうに見えたのだろう。

 つまり、それほど切羽詰っているという事である。

「あんたでも苦手な事ってあるのね」奈美香はくすぐられているかのようにクスクスと笑った。

「苦手な事の方が多い」

「勉強の話よ」

「知らないんだから仕方がない。“いろは”がわかれば問題ない」

「あ、そう。頑張ってね」奈美香は微笑んだ。それは若干、馬鹿にしたような感情も含まれていたように思える。「そもそも、そんなに苦しむなんて何のゼミなの?」

「哀澤ゼミ」

「何やってるゼミなの? 経営情報学科でしょ?」

 O大は単科大学で学部は一つしかないが、学科が四つに分かれている。経済学科、商学科、法学科、そして猪狩の所属する経営情報学科。ちなみに奈美香は商学科である。

「わからない」

 経営情報学科はまわりからみると何をやっているのかわからない。実のところ中にいてもよくわからない。O大のホームページの言葉を借りれば「現代社会の複雑な問題を把握し、情報技術を駆使して最適な解決法を探る」ための学科らしい。そのためかよく言われるのは「パソコン学科」だが、パソコンを使う授業はそれほど多くない。

 ゼミも似たようなもので、特に哀澤ゼミは活動内容が不明瞭である。

「わからないって……」奈美香は猪狩がいい加減に答えていると思ったのか(実際、真面目に答えている)呆れながらも猪狩の方をやや睨んでいる。

「先生の専門はソフトウェア科学。コンピュータ関係だね。Webネットワークとか」

「なに? そんな理系チックな事やってるわけ?」奈美香は目を見開いた後、顔をしかめた。

「いや、全然。やりたかったらやってもいいけど、って感じ。テーマは自由なんだ。普通に経済・経営の勉強をしてもいい。でも逆に自由すぎて不自由だ。何やっていいかわからない」

 これが哀澤ゼミの不明瞭さ、そしてつらさの所以である。

 人間、ある程度縛られないと生きていけない。自由自由と言いながらどこかで不自由を求めているのだ。何かしらの指針がないと不安で仕方がない。

 真の意味での自由とは砂漠の真ん中に放り出されるようなものだ。

「ふうん」奈美香は既に興味を失ったようだ。もともと興味などなかったかもしれない。

 二人はJRに乗り込んだ。電車に揺られて四十分、S駅で地下鉄に乗り換える。市の名前を冠するS駅はもちろん街の中心で、今は帰宅ラッシュの真っ只中である。

 こうして行き交う人を見ると駅は工場のように見える。

 人々は部品だ。仕事というベルトコンベアに乗せられて、社会という製品を造るための部品。バラバラに動いているようで出口は一緒、自分の役割を果たすために歯車の如く機能を発揮しているのだ。

 自分はどんな部品なのだろうか。猪狩はそんな事を考える。

 どうせ自分は大した部品ではない。少なくとも今は。無駄に多い一本のネジ。コストカットで真っ先に外されるようなどうでも良い存在。

 社会に出れば少しはまともな部品になれるのだろうか。

 地下鉄を降りると後は自転車で帰るだけである。二人が駐輪場に向かったとき、猪狩はある一帯が騒がしい事に気が付く。どうやら近くの公園のようだ。

「何かしら?」奈美香も気づいたようだ。

「さあ?」猪狩はそれしか言わなかった。嫌な予感がしたからである。その予感は二つある。

「行ってみましょう」一つ目。

 猪狩は黙って奈美香に続いて歩いた。近づいてみると、あまり歓迎すべき事態ではないという事がわかる。人々の表情がそれを物語っている。どうやら二つ目も当たりそうだ。何か事件があったに違いない。怪我人か病人か。

「……ああ」猪狩はそこで言葉を切った。最初は怪我人に見えた。だがすぐにそうではないと直感する。あれは

「死んでいる」


2、

 伊勢は車を降りた。どうにも足が進まない。どうやら自分の足は歩く事を忘れつつあるようだ。まだ、先日の事件も捜査が始まったばかりだというのに、またもや他殺体だという。これが憂鬱にならずにいられようか。

 野次馬を掻き分けると池田が目に入る。

「どうだ?」

「第一発見者は近所の子供だそうです。死亡推定時刻は昨夜八時前後。ここの公園は相当利用者が少ないようで、子供も滅多に利用しないようです。おまけにあそこで見つかったんですよ」池田が指した方向には二台のすべり台を繋ぐトンネル状の遊具があった。「ずっと見つからなかったんですね」

 伊勢は運び出された被害者の顔を覗き込んだ。後頭部を殴られたようだ。それにしてもどこかで見た事のある顔だ。どこだっただろうか。

「被害者の身元は?」

「六本松美智子、四十八歳。シックスパイン・ネットワークの女社長ですよ」

 そうだ、最近話題のIT企業の社長だ。珍しく東京ではなく北海道S市に本社を置き、この不況の中にあって創業数年で黒字転換、その後も増収を続ける注目企業としてTV出演も数多い。

「でも何でパインなんですかね? シックスはわかりますけど」池田は首を傾げた。

「松は英語でpineだ。pineappleの略式としての方がよく使うが、そもそもパイナップルは形が松かさに、味がリンゴに似ている事から、pineとappleをつなげてできたという説が有力で、松の方が先だ」

「へえ、そうなんですか。グレープフルーツなら知ってましたけど」感心する池田をよそに伊勢は遺体を観察した。上着のポケットからカードのようなものが飛び出ているのに気が付いた。その瞬間鼓動が高鳴る。

「論より証拠、か」

「何か言いました?」池田が尋ねたが、伊勢は首を振る。池田は不思議そうな顔をしたが、それきりだった。

 それはカルタだった。江戸カルタの“ろ”、“論より証拠”である。

 何の意味がある? 伊勢はしばらく考えにふけった。

 伊東誠、六本松美智子。“い”と“ろ”だ。では次は“は”なのか。

 やはり偶然ではないだろう。おそらく同じ犯人だ。

 ふと思いついて公園を出て周りを見渡す。この一帯は南北に走る地下鉄の駅を境に西は住宅街、東は飲み屋街とはっきりと二分されている。もちろん線路は地下にあるのではっきりとした境界はないが、商業ビルなどがちょうど間に入り、大まかに区切られている。

しかしこの時代、飲み屋は街の中心に客足を取られているようで、どこも寂れていた。これならばほぼ一日見つからなかったのも頷ける。そして彼は公園の看板を見た。

禄里ろくさとあおぞら公園”

 伊勢はこんな狂った事を考え付いた犯人にある意味脱帽した。

 名前だけではなかった。発見された場所も掛けてある。最初は“伊原マンション”、次は“禄里あおぞら公園”、“い”と“ろ”である。

 しかし何のためにカルタを置いておく必要がある? 何かのメッセージだろうか。そもそも殺された二人には何の関係がある?

「伊勢さん」考えあぐねていると聞き覚えのある声が聞こえた。

「ああ、こんにちは。いや、こんばんは、かな? 矢式さん」

伊勢の挨拶に対して奈美香は笑みを浮かべてお辞儀をした。

「事件ですか?」奈美香の後ろから別の声が聞こえる。無愛想でぶっきら棒な声だ。

「やあ、猪狩君」伊勢は笑顔で挨拶をするが猪狩は軽く頭を下げただけだった。再び奈美香の方を見ると好奇心に満ち溢れた子供のような目でこちらを見ていた。

「殺人事件がね、あったんだよ」伊勢がそう言うと奈美香の目は一層輝きを増したように思えたが、実際に目は輝いたりしないのだろう。

「そうなんですか。あ、いえ。いくら私でも関わっていない事件で出しゃばったりしませんよ。でも私たちの知恵が必要ならいつでも言ってくださいね」そう言って悪戯っぽく微笑んだ。「ね?」

「え、何?」奈美香に同意を求められた猪狩は現場の方を見ていて聞いていなかったようだ。奈美香は猪狩を睨みつけた。

 実際のところ二人の推理力には目を見張るものがあるが、一般人に協力を求めるなど本来あってはいけない。   

 今までの事件だって彼らが関係者であったからこそであって、それもこちらとしてはかなりの後ろめたさを持っていた。というより上にばれたら大変な事になる。今回協力を求める事はしないだろう。

 だが、気になるのはあのカルタだ。あれがあるのとないのでは大きく違う。あれには何か意味がある。 今わかっているだけで、個々の殺人事件を連続殺人事件に変えた。これからあのカルタはどれほど自分たちを縛っていくのだろう。

 そう考えたところで馬鹿馬鹿しくなってきた。確かに不思議だが単なる偶然で済ます事ができなくもない。連続殺人である根拠はない。今までどおり現場から証拠を見つけて、被害者の周辺を洗って、容疑者のアリバイを崩せばいい、それだけだ。

「あの……伊勢さん?」伊勢が考えにふけっていると奈美香が不思議そうに見つめてきた。

「ああ、なんでもない。ま、何かあったら助けてもらおうかな。なんてね」伊勢は冗談めかして言ったつもりだが、奈美香にとっては本気に取られたかもしれないと思った。

「もちろんです! じゃ、そろそろおいとましますね」

「ああ、勉強頑張って」伊勢は片手を軽く挙げて見送ろうとした。そう言ってから、自分は大学時代ちっとも勉強しなかったのを思い出した。

 奈美香はすぐに公園を離れていったが、猪狩はまだその場に残った。

「あれ、六本松美智子ですよね?」突然猪狩が口を開いた。遺体はシートに覆われているが、彼はこちらの会話をほとんど聞いていないようだったから、奈美香との会話中に顔を見る機会があったのだろう。

「そうだけど」伊勢は猪狩が彼女の事を知っている事に驚いた。いくら有名とはいえ学生が知っているような人物とは思えなかった。が、彼なら知っていてもおかしくはないと思えてきた。

「確か、自宅は南区の豊山ですよね?」

「そうなの?」ここは北区禄里、字の如く南区とはS市の反対側で車でも一時間はゆうにかかる。

「前にテレビで見た事があります。この辺りに用があったんでしょうか? でもそれにしては車が見当たりませんね」

「……そうだね。車はなかった」伊勢は彼の言葉の続きを待ったが、何もなかった。しかし言いたい事はわかる。

「わかってるよ。なぜここなのか、だろ?」

「ええ、犯人と共にここに来た、つまり顔見知りの犯行。もしくは、殺されてここに放置された。どちらかだと思いますが、どちらにせよ『なぜここなのか』という疑問が生じます。特に後者は。

 通り魔の犯行だとすれば死体を移動させるとは考えられません。かといって顔見知りの犯行かと言われれば、わざわざ街の反対側に来た理由がわかりません。車がないという事は犯人の車か地下鉄を利用したという事になりますけど……」

「地下鉄はないだろうね。一流企業の社長だ。これは偏見かな?」

「だとするとなぜ犯人はこの公園に死体を捨てたのでしょう? 犯人の自宅がこの付近で、被害者と共にいたのなら、疑いを逸らすためにも被害者の自宅付近に捨てるべきでしょう」

「だな。けど捜査は始まったばかりさ」

 なぜここなのか、それにはやはりあのカルタが関わってくる。

「あの、猪狩君……」言いかけて思い直す。「いや、何でもない。気をつけて帰りなよ」

 猪狩は少し気にした様子を見せたが、すぐに軽く頭を下げて帰っていった。帰り際に「この間も事件があったばかりなのに、大変ですね」とねぎらいの言葉を置いていった。

「ふう……」伊勢は息を大きく吸い込んで、、ゆっくり吐き出した。

 今、自分は何をしようとしたのだ? 先ほど考えたばかりではないか、一般人を関わらせてはいけない。それがどうだ、彼の頭脳のほんの一片を垣間見ただけで彼に頼ろうとしている。

 刑事失格だな。と自嘲しもう一度ため息をつく。

 とにかく、今は自分のできる事をしよう。もしそれで駄目なら……。

 ほら、また始まった。自覚を持て、伊勢浩太郎。これは警察の仕事だ。

「池田、被害者の住所は?」気を取り直して仕事を再開する。

「えっと、免許証が発見されてます。南区豊山○条△丁目×-□。ずいぶん遠いですね」

「明日から被害者周辺を洗うぞ。まず被害者の昨夜の行動。車もなしにここまで来るとは考えにくい。地下鉄はあるが、一流企業の社長が使うとは思えない。ま、偏見かもしれないからもちろんそっちでも考えるが。あとは家族・友人からの聞き込みだ」

「そうですね。頑張りましょう」池田は肘を曲げ、右腕を上に突き出しガッツポーズをした。今時ガッツポーズはダサく見える。

「今度は“論より証拠”か」池田がいなくなると伊勢は独りごちた。どうも最近独り言が増えている気がする。気をつけなくては。

 しかし、カルタになぞった連続殺人。犯人側からすれば何の得がある? そもそもこの連続殺人という仮説。

 何の証拠がある?


3、

 翌日、伊勢は六本松美智子の夫、信太郎に会うために彼の自宅を訪れた。猪狩の指摘したとおり、現場とは車で一時間以上も離れた場所にあった。

 まず伊勢は信太郎に会うとお決まりの文句でお悔やみを言った。それに対して信太郎もありきたりな言葉で返した。

「本当に信じられません。この無念は警察の方が晴らしてくれると信じています」

信太郎は薄くなった髪に丸顔、丸い眼鏡で鋭い目つきだった。鋭いというのは陰険な意味ではなく、人生を渡り歩いている、成功者の目である。少なくとも伊勢の目にはそう映った。ただ、好きにはなれない。

「そのためにはご主人の協力が不可欠なんです」

「ええ、わかっています。私に答えられることなら、何でも答えましょう」

「我々がまず知りたいのは、彼女がなぜ自宅から離れたあの場所で発見されたのか、です。つまるところ、彼女は何をしていたのか」

「実は……」信太郎はバツの悪そうな顔で歯切れ悪く言った。「実は一昨日はある企業の方と飲み歩いていまして、美智子の行動は全く知らないんです。ああ……、美智子があんな目にあっている間、私は楽しくお酒を飲んでいたんですよ!」彼は自虐的に言った。

 伊勢は、多少演技が入っているようにも思えたが、とにかくフォローを優先した。

「そう悲観的にならないで下さい。仕方のない事です。……一昨日の奥さんの行動はわからないんですね?」

「はい。ただ……」そう言って続ける。「美智子は夜に散歩をする習慣があったんです」

「それは何時頃ですか?」

「その日にもよりますが、だいたい八時くらいですね」

「その散歩のルートはわかりますか?」

「ええ、おおよそは。何度かついて行った事があるので」

 伊勢は道案内を頼み、池田と三人でまわる事となった。まず、自宅を出た後に近くの森林公園へと向かい、遊歩道を進む。そして近くを流れる豊川の河川敷を歩く。

「ここだな」途中で伊勢が呟いた。

「何です?」信太郎が聞いた。池田も首を傾げている。

「いえ、何でもありません。引き続き案内して下さい」

 そこはやや川幅が狭くなり、まわりの木々も無防備に生い茂った場所だった。加えて河川敷を上がり道路に出てみると、大きな通りからは外れた人通りの少ない道だった。民家も少ない。ここならば誰にも見られることなく犯行を実行できる。

「何なんですか、いったい?」池田が耳打ちで聞いてきた。

「あとで鑑識にここらを調べさせろ」伊勢はそれだけ言った。

 河川敷をしばらく進んだ後は道路に上がり、人通りの多い住宅街を進んだ。後は自宅に戻るだけのようだ。

「そういえば」池田がふと口を開いた。「奥さんが社長らしいですけど、あなたは何の役職なんですか?」

 伊勢は久々に池田に感心した。後で聞こうと思っていた事だった。

「私は副社長です。変わっているでしょう? 旦那の方が下なんですよ」信太郎は恥かしげに笑った。

「一体どういう経緯なんですか?」

「単に美智子が作った会社で、私はその後入った、それだけですよ。再婚ですから」

「再婚だったんですか?」

「ええ、二人とも二度目の結婚です。彼女の方は前の夫と死別したらしくて。僕は離婚なんですけど。お恥ずかしい」

「会社の方はあなたが引き継ぐんですか?」

「まあ、そうなるでしょうね。それが何か?」棘のある言い方になっただろうか、信太郎はやや不満げな表情で言った。

「いえ、興味があっただけです」伊勢は精一杯の作り笑顔で応じた。


 翌日、伊勢は六本松夫婦についての報告を聞いた。

 六本松美智子は十年前に夫と死別、子供はいない。信太郎とは五年前に再婚、同じく子供はなし。兄弟姉妹はなく両親も数年前に死去。

「相続権は信太郎一人、か」伊勢は机の隅に追いやってあったコーヒーに口をつける。

 子なし、直系尊属なし、兄弟姉妹なしとなれば相続権があるのは配偶者の信太郎だけである。成功をおさめている企業の社長なら個人の財産も相当あるだろう。もちろん副社長の信太郎もだが。

 続いて信太郎、四十九歳。十二年前に先妻と離婚。こちらも子はないが、姉が一人、弟が一人いる。

 シックスパイン・ネットワークは美智子が六年前に起業、翌年に信太郎と再婚し、彼も入社するが当初はヒラ社員だった。しかし、もともと能力のある人物だったらしく、社長の夫という事もあって副社長に落ち着いた。

 保険金は大した額は掛かっていなかった。もっとも小説のように多額の保険金など掛けていたら、私が犯人ですと言っているようなものだ。

 しかし、六本松美智子の財産が気になる。夫婦なのだから財産など二人で一つのようなものだろうが、再婚というのが気になる。もし財産を一人占めしようとしたら?

 それに社長の美智子亡き今、会社は新太郎の物も同然だ。 

「信太郎の一昨日の行動はウラが取れたか?」

「はい、取引先の社長と飲み歩いていたというのは本当らしいです。三軒ハシゴしてます。結構目立っていたみたいで、企業のお偉いさんだと言いまわっていたらしいですよ。

よく行く店らしくて、他の客ともよく絡むので店員だけじゃなく覚えている客も多かったようです。

そんな感じで三軒ともしっかりと覚えられていてアリバイは完璧です」

 その報告を聞くと伊勢は舌打ちした。

「もしかして伊勢さん、六本松信太郎を疑ってるんですか?」

「彼女が死んで一番得するのはあいつだ。再婚っていうのも怪しい」

「そんな事言ったら全国の再婚夫婦、全員怪しくなりますよ」池田が肩をすくめて言った。

「企業の社長とじゃ規模が違うだろう」伊勢は呆れ顔で池田を見つめた。「前の事件のときのアリバイは?」彼は思いつきで尋ねた。

「前のって、どの事件です?」池田は首を傾げて聞いてきた。

「どのって、そりゃあ……」そこまで言ってカルタについて気づいているのは自分だけだという事に気づいた。そこで、池田に説明をする。

「……確かに現場にカルタがあったのは不自然ですけど、ちょっと弱くないですか?」池田は信じられないというように言った。

「ああ。だが次を待つわけにもいくまい。とりあえず、会議で提案してみるさ」


 その日の午後、捜査会議にて伊勢は池田にした説明を繰り返した。現場でカルタが発見されていた事、被害者の苗字と発見現場がカルタと一致している事、つまりこれが何者かによる連続殺人ではないかという事。

 何人は、現場でカルタが発見された事に疑問を持っていたし、そのさらに数人は名前の一致にも気がついてはいた。だが、結局のところそれだけでは何の説明もできないという事で誰も言わなかったようだ。

 議論もたいして発展しなかった。最終的には「カルタが残されていたのは不自然で明らかに偶然ではないが、連続殺人と結びつけるには証拠が足りない」という曖昧なもので終わった。

「結局進みませんでしたね」

「ああ、だが予想通りだ。それにどのみちどうする事もできない。俺たちは次にどこで誰が殺されるのか知る由はないんだからな」

「でも、どうするんです?」

「とりあえず、二人の関係と、その関係者について調べる。アリバイもだ」

「二人の関係、ですか?」

「殺された二人には何らかの関係があったはずだろう。もちろん見え見えの関係ではないだろうな。そうすれば犯人が簡単にわかってしまう。そんな馬鹿はやらないだろう。それに関係がわからなくても、関係者の誰かが犯人である確率はかなり高いはずだ」

「伊勢さんの中では、六本松信太郎が第一候補なんですね?」

「今のところはな。伊東誠の方はどうなってる?」

「被害者の弟、信二というんですが、兄弟の仲はあまり良いものではなかったようです。友人関係の方はまだ何も出てきてません」

「具体的には?」

「弟の方がガラが悪くて、よく金をせびっていたようです。ほとんどは断っていたそうですが」

「プー太郎か?」

「いわゆるそういうやつです。さらには借金もあったみたいです」

「……わかった。そいつにも話を聞いてみる必要があるな」伊勢はコーヒーを飲み干した。それは午前中に淹れたもので、ひどくぬるかった。



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