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ショートストーリーズ

最後の一枚、君の残像

作者: Yoshhi‑Yama
掲載日:2026/03/30

東京を出る朝、

 **藤崎(ふじさき) 直哉(なおや)**は、カメラを売るつもりだった。


 脱サラして三年。

 貯金は底をつき、仕事も続かない。

 「写真で食べていく」なんて言葉は、もう口にするのも恥ずかしかった。


 バッグの中のカメラは、重かった。

 重いのは、機材のせいじゃないとわかっていた。


 ——これで終わりにしよう。


 そう決めたはずなのに、電車の中でふと、昔のことを思い出した。


 大学二年の春。

 初めてできた彼女、美月(みづき)。


 「ねえ、写真撮ってよ」


 西伊豆の海だった。

 合宿の帰りに寄った、小さな入り江。


 風に髪を揺らしながら、彼女は笑っていた。


 「将来、写真家になるんでしょ?」


 冗談みたいに言ったその言葉を、

 直哉はなぜか本気にしてしまった。


 カメラを向けると、彼女は少し照れて、それでもちゃんと笑った。


 カシャ。


 あの一枚が、すべての始まりだった。


 「応援してるよ」


 そう言ってくれたのに、

 結局、彼女とは別れた。


 夢を追う自分と、現実を見始めた彼女。

 どちらが間違っていたのか、今でもわからない。


 ただ、最後に言われた言葉だけは、忘れられなかった。


 「好きなものまで嫌いにならないでね」


 気づけば、電車は西伊豆へ向かっていた。


 売る前に、最後に一枚だけ。

 ただそれだけのつもりだった。


 海は、あの頃と同じだった。


 いや、違う。


 変わったのは、自分の方だ。


 カメラを取り出す。

 久しぶりに触れるその感触に、胸がざわつく。


 ファインダーを覗く。


 あの日と同じ場所。

 同じ光。

 同じ海。


 でも、そこに彼女はいない。


 カシャ。


 シャッターを切る。


 その瞬間、胸の奥がほどけた。


 もう一枚。


 カシャ。


 もう一枚。


 気づけば、息が浅くなっていた。


 そして、突然。


 涙が、溢れた。


 止まらなかった。


 理由なんて、いくらでもあったはずなのに、

 どれも違う気がした。


 失敗したからじゃない。

 貧乏だからでもない。


 ——思い出したからだ。


 あの時の自分を。


 ただ好きで、

 ただ楽しくて、

 誰に認められなくても、シャッターを切っていた自分を。


 そして、その隣で笑っていた彼女を。


 「好きなものまで嫌いにならないでね」


 その言葉が、波の音に重なった。


 直哉は、ぐしゃぐしゃのまま笑った。


 ——まだ、好きだ。


 写真も。

 あの時間も。

 彼女のことさえも。


 夕日が沈みかけていた。


 海が赤く染まり、世界がゆっくり終わっていく。


 ファインダーを覗く。


 そこに、いないはずの姿が見えた気がした。


 風に髪を揺らす、あの頃の美月。


 もちろん幻だ。

 でも、それでよかった。


 「ありがとう」


 誰に向けたのかもわからないまま、呟く。


 そして——


 カシャ。


 最後の一枚を撮った。


 東京へ戻る電車の中。


 カメラは、まだバッグの中にある。


 売るつもりだったはずなのに、

 もうその気はなかった。


 うまくいく保証なんて、どこにもない。


 でも、それでもいいと思えた。


 遠回りでもいい。

 何も残らなくてもいい。


 それでも残るものがあるなら、それが本当だ。


 スマホを取り出し、ひとつのフォルダを開く。


 昔の写真。

 西伊豆で撮った、彼女の笑顔。


 少しだけ見つめて、そっと閉じた。


 そして、新しい写真を保存する。


 今日撮った、最後の一枚。


 そこには誰も写っていない。

 ただの海と、夕焼け。


 それなのに、不思議と温かかった。


 直哉は、窓の外を見ながら、小さく息を吐いた。


 「もう一回だけ、やってみるか」


 その声は、誰に届くわけでもない。


 それでも確かに、自分には届いていた。


 遠回りの先に、ようやく見つけたもの。


 それは成功じゃない。


 ただ、好きでいられるということだった。

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