第1話 霹靂の夢堕ち
プロローグ 党に忠誠を、公民に奉仕を
取調室と聞くと薄汚れた暗くじめじめした空間を思い浮かべるだろうか。この部屋もそのイメージにそのまま服を着せたような場所であった。
二人の男が机を睨み相対する。いや、睨んでいたのは容疑者と思しき人物のみである。
もう一人の男は容疑者へ向けて視線を送る。黒一色のコートを羽織った男は、テレビや新聞、街中で見ない日はない。党序列ナンバー2、磐手流岩執事その人であった。
「君には自分の処遇を選ぶ自由がある。党のために生きるか、死ぬかだ。」
暗い取調室の僅かな電球にすがるかのようにハエが飛び回る。流岩は続けた。
「党の金を横領したのみならず、機密情報を漏らしたとあっては…。」
「待ってくれ!あんな本を持ち出しただけで情報漏洩かよ!図書館の本を、それも絵本を持ち出しただけで…!」
すると流岩は机に判を押すように叩いた。
「罪かどうかは、私が決める。党が決める。公民たちが決める。お前の判断は要らないのだよ。理解したならさっさと吐きたまえ。何を、何処に漏らしたかを。」
観念したのか、項垂れた容疑者と思しき男が語り始めた。
飛び回っていたハエは疲れたのか、やがて机に不時着し、流岩の拳に押しつぶされその生涯を終えた。
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「うっわ、めっちゃきれいやなぁ」
小学生の時、使い終わった絵の具を水道に流した時もこんなコントラストだったろうか。眼下に眺める大阪の空は、青と橙の二色がグラデーションをつくりながら日の入りの瞬間を待っていた。雷舞は高2にして初めて訪れた地上300メートルもある天王寺タワー屋上展望台で圧巻のビル景に見惚れていた。
まだ春になって間もない四月だが、北方には入道雲も見えた。
「ねぇちゃん、そろそろ帰るで」
呼び止めたのは、雷舞の弟、大智であった。
「はいはい~、今行くから~」
と返事して、家族のもとへ戻る。背にした夕焼けは少しばかり紫に変色していた。これから地上に戻り、歩き回れば何でもそろう巨大繁華街、梅田で食事と買い物をして帰ればちょうど良い頃合いである。
エレベーターに乗って一分足らず、降りるともう地下鉄の改札前である。
「はよ乗ろうや」そう促して雷舞はピッとICカードをかざして駅構内へ入場し、ホームへ降りる。聞きなれたアナウンスが流れると同時に電車がやってきた。車内は誰もおらず、一家は横並びに着席する。ここから梅田まで七駅くらい。座席に少し体重をかけて座りこんだ。やがてドアが閉まり、動き始めた電車は駅で止まって、また動く。リズムに慣れたのか雷舞は次第に眠気に苛まれ、居眠りし始めた。
どれくらい乗ったんやろ。もう梅田あたりかな、いやそこまで寝てもないよな。目が覚めた雷舞は横の大智を起こそうとして目をやると横に座っていたのは知らないおじさんだった。そればかりか両親の姿も見えない。何処か別の車両に移動したか、あるいは寝過ごしただけか。雷舞の不安をよそに到着アナウンスが流れ始める。
「次は、夜神~、夜神です。メトロ2号線、3号線…」
などと続くアナウンスに強烈な違和感を覚えた。強烈な鉄オタである大智のおかげで雷舞は人より鉄道には詳しい自負があった。その脳内データベースに2号線などというアナウンスをする鉄道は、大阪にはない。第一、夜神などという駅は聞いたこともなかった。
なんやこれ。うち寝ぼけてるんかな。
そう思い右頬をビンタするとはっきりと衝撃が伝わった。
痛った!《いった》
あまりにも唐突な出来事に乗客の視線が集まる。社会的にも物理的にも痛い子の完成である。なんでもないですよ、と会釈してから、到着した夜神と呼ばれる駅に逃げるように降車した。
降りた駅は何度も見たことがあるなんば駅のホームのそれである。
やけに意識がはっきりとしている。思考もまとまっている。なにより頬がまだ痛い。
しかし駅名標だけは、いや路線図に書かれた地名も周りの広告も明らかに知らないものばかりであった。
なんやここ、と思い路線図を眺めると洛都メトロの文字が。古今東西聞いたことのない地名である。夢でないなら可能性は一つ。信じがたいが異世界か平行世界あたりに飛ばされたのだろう。タダで読めるからと、図書館からラノベを借りすぎたか。
どうせ転生するならもう少し異世界っぽくてもええのになどと考えてみたが叶うことは無いだろう。
仕方ないと諦め、来夢は順応することにした。夢ならいずれ覚めるだろうし、異世界なら帰る方法があるはずだと思い、夜神駅から地上に出ることにした。
どう出よかなといつも定期券を入れている右ポケットに手を突っ込むと、DeyoCaという交通ICカードらしきものが入っていた。洒落た名前やな。だとすれば改札は出られるだろうと考え、エスカレーターを登り出場した。改札を出てしばらく歩いてみて気が付いた。名前こそ違えど、地下の構内は大阪のそれとよく似ていた。何より使われる文字や言語は完全に日本語である。強いて言えば喧噪から聞こえる会話は「~じゃん」「だよな」などとやけに関東人のような喋り方ばかりであった。
階段を上がり雷舞の目の前に現れたのは、よく遊びに来るなんばの駅前広場そのものであった。いや、普段見るなんば駅周辺の町並みより高層ビルが多いような気がした。しかしここも目の前に映る広告は見慣れないものばかり、知らない店の看板ばかりであった。なによりゴシック調の巨大駅舎の駅名は大きく夜神駅などと書かれている。
訳の分からない情報量に眩暈がした来夢は、広場のベンチで休むことにした。人はいるが混雑はしていない。持っていたペットボトルのアイスティーを飲んでいると突然周囲の喧騒が止んだ。周囲の視線の先にある、商業ビルに掲げられた巨大スクリーンは一斉に白くなり、騒いで、あるいは帰宅路を急いでいた周りの人々の足を止めた。
ロゴマークのようなものが映し出された後、黒いコートを着た男が画面上に出現した。50代くらいか、テレビでよく見る政治家よりは少し若く見えた。アナウンサーの声が周囲のビル群で反響し駅構内にまで響き渡る。
「これより敬愛なる党執事・磐手流岩より公民指導演説を実施いたします。テレビのある家庭はそのまま電源を切らず、無いものは近くのスクリーンビジョンにて拝聴願います。なお、この間の労務停止はサボタージュ行為には該当しません。それではご静粛に拝聴願います」と締めくくってから、黒コートはしゃべり始めた。
「公民諸君、日ごろより党の活動に理解と協力をしていただき厚く感謝する。党国家は民衆あってのものである。今後も一層発展へ尽力いただく思う。一方で、党に歯向かう不届き者も増えてきている。そういった連中は群れて行動し、国家公民の安全を脅かす。彼らは国家を変える力を持っていないが故、ただやみくもに人を傷つける。そういった行為を許してよいものか?答えは当然否、である。国家公民の安全を守るために我々党は存在し‥」
「なんやこのおっさん…」
と呟いた瞬間、後ろから肩を叩かれた。目をやると同じ年代くらいのショートポニーテールの少女が目を光らせていた。黒ずくめのコートにスカート。おまけにマントまで羽織っている。
「ちょっと、今の発言はまずいのでは?党に対する侮辱と受け取られかねませんよ?」
雷舞の脳は更に混乱する。
「え…そのぉ、まずその党とかなんですのん?あのおっさん誰なん?」
雷舞の疑問を少女はスルーし、お黙りとでも言わんばかりに自身のひとさし指を口の前に立てる。
「発言に気をつけなさい。言語が通じるなら少なくとも貴女、この国の公民でしょ?総帥をそのように呼ぶことが如何に危険なことかはお分かりで?」
疑問に答えない少女に少し苛立った雷舞は、それまでより一段と声を張り上げた。
「さっきからなんなん!分からんから聞いてるだけやん!」
少し声が大きかったか、周囲の視線は雷舞に注がれる。
「党の侮辱に演説の妨害。少なくとも貴女をここに居させる訳にはいかない。署に連れ渡すわ」
そう言いながら少女はスマホを取り出し、電話を始めた。
「はい、こちらメトロポリス所属出灰火凛≪いずりは かりん≫です。夜神駅前広場にて不穏分子の少女を発見しました。恐らく学生かと。見た目と言語は我が国の者とみて間違いないですが、党を知らないなどと発言しており…。えぇ、記憶喪失と思われますので、保護して教育が望ましいかと。とりあえず少女と共に署まで参ります。それでは」
通話を終え、火凛と名乗るその少女はこちらに手を指しのべた。
「さっ、参りましょう。大丈夫、悪いようにはしないから」
この手を取れば捕まる。いくら別世界とはいえ、警察の世話になるのは勘弁だ。
逃げるなら今しかない。雷舞は手を出すふりをした刹那。ぱぁんっ!と火凛に向けてねこだましを喰らわせ、隙を作り出してから広場から急いで逃げ出した。
「あ、待てっ!」
不意打ちを喰らった火凛は、広場から全速力で逃げる雷舞の後を追った。
どんくらい走ってるやろ。中学卒業してから二年であっという間に体力落ちたわ。などと余計な思考でさらに体力を消耗させながら繁華街を駆け抜ける。広場から右手に曲がり、路地を百メートル進んで左に旋回。少し違うが、知っているなんばの地形、道と変わりない。このあたりは大阪屈指のオタク街であり、人も多い。雷舞の予想があっていれば、ここもそうである。
先ほどの小洒落た店のラインナップと打って変わって、ゲームセンターやカードショップが増えてきた。通行人も彼女の手を大事そうに握りしめる若い男子たちから、抱き枕をいれたバッグを大事そうに握りしめるむさ苦しい男子らに切り替わっていった。
人を撒くなら人である。歓楽街なら歩くことさえ困難なほど人で溢れかえっているが、ここなら人は多いものの、走り抜けられる程度ではある。
周囲のオタクを障害物に仕立て上げ、アニメショップの並ぶ路地を駆ける。
行けるか、いや追いつかれる!後方には全速力で追跡する火凛の姿があった。
「こちらは党所属学生夜警団、メトロポリスである!通行人は道を開けよ!」
拡声器に乗せられた命令は離れた位置にいる雷舞の耳にまで届いた。
「…プラズマスーツ、始動!」
火凛がそう叫ぶやいなや、羽織っていたマントはふわりと動いたかと思うと、勢いよく加速し始めた。そして火凛はホップ、ステップ、ジャンピング!と言わんばかりに三段跳びを行い路面から足を離し、右隣のビル三階あたりの窓に足をつけた。刹那、その次は左手のビルに移り、速度を落とすことなくビルを飛び回りながらこちらに向かって来る。
はぁ!?嘘≪うせ≫やん!そんなんありなんかい!?
驚愕する雷舞の目の前に火凛はよっと、着陸した。
「観念なさい、今なら公務執行妨害の件は見逃してあげるから」
ここまでか、いや捕まりたくない。途方に暮れる雷舞の顔に影が見えた。
すると火凛は顔を空に向けて疑問を漏らす。
「おかしいな。今日は全日晴天と聞いていたが…っ!?」
その時であった。火凛のすぐ横を巨大な電流が勢いよく駆け巡る。落雷したのだ。
直撃こそ避けたものの、火凛は圧倒され地面に倒された。
直後、喧噪をかき消すほどに降り出した豪雨を前にして、これ幸いとばかりに雷舞は火凛を背に再び走り始めた。




