王太子の訪問
神殿に戻った昼。リヴィアとアルヴィスの間に流れる空気は、街探検の余韻でどこか柔らかかった。
しかし、その平穏をぶち破るように、王太子ジュリアンが公式な「挨拶」と称して神殿に乗り込んできた。昨日は国王の後ろで一言も発さず借りてきた猫のようにしていた王太子。
今日はニヤニヤとした、たちの悪い笑みを浮かべて__
神殿の応接室。王太子ジュリアンは、リヴィアの向かい側に座るなり、ティーカップを置いて身を乗り出した。
「リヴィア様。今朝は……随分と『庶民的』な時間を過ごされたようですね?」
その言葉に、リヴィアの背筋が凍る。隣で控えていたアルヴィスの眉間には、一瞬で深い溝が刻まれた。
「……殿下。何の話をしておられるのか、さっぱり分かりかねますが」
「とぼけないでくれよ、アルヴィス卿。街の裏通りのハチミツパン屋の前で、地味な外套を着た男が、可愛らしい女の子を『抱きしめるように』外套の中に隠していたのを見たんだ。……あの銀髪の輝き、見間違えるはずがない」
「ぶふぉっ……!」
リヴィアは飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。見られていた。それも、一番恥ずかしい瞬間を。
「殿下、それは何かの間違いだ。私は今朝、一日中リヴィア様の御前を離れず、瞑想の警護を――」
「嘘をつけ。君、あの時すごく幸せそうな顔をしてリヴィア様の髪の匂いを嗅いで……いや、失礼。リヴィア様を必死に守っていただろう?」
「嗅いでません!! 守っていただけです!!」
アルヴィスが叫んだ。あの冷静沈着な騎士団長が、顔を真っ赤にして激昂している。 ジュリアンは勝ち誇ったように、今度はリヴィアに視線を向けた。
「リヴィア様。あんな堅物の番犬を連れて歩くより、私のような女性をエスコートするのに慣れた男が案内したほうが、街はもっと楽しいですよ? 次はぜひ、私と二人で――」
ドゴォォォォン!!
ジュリアンとリヴィアの間の机に、アルヴィスの拳が叩きつけられた。高級な木材に、嫌な亀裂が入る。
「……殿下。今の言葉、女神への勧誘と見なします。貴殿の首が胴体とサヨナラしたがっているように聞こえますが、よろしいか?」
「お、おい、目が本気だぞアルヴィス……。冗談だって」
「冗談で済むか。リヴィア様との聖なる時間を覗き見し、あろうことか不埒な誘いをかけるとは。……昨日見たことはすべて忘れろ。さもなくば、記憶ごと消し飛ばしてやる」
「アルヴィスさん、落ち着いて! 殿下も、からかいすぎ!」
リヴィアが慌てて二人の間に割って入る。ジュリアンは「やれやれ」と肩をすくめながらも、リヴィアにだけ聞こえるような小声で囁いた。
「リヴィア様。あいつ、信仰心で守ってるって顔じゃなかったですよ。……ただの、独占欲の塊の男の顔でした」
「えっ……」
リヴィアが絶句していると、アルヴィスがジュリアンの襟首を掴んで、そのまま部屋の外へと引きずり出し始めた。
「待て! まだ話は終わって……! アルヴィス、離せ、不敬だぞ!」
「不敬なのは貴殿の存在そのものだ。二度とリヴィア様に近づくな」
バタンッ、と扉が閉まる。 静かになった部屋で、リヴィアは一人、顔を熱くして立ち尽くした。
(……独占欲の塊、の顔……?)
今朝のアルヴィスの腕の温もりと、ハチミツパンの甘い匂いが、またリヴィアの脳裏に蘇る。 女神と騎士。その境界線が、王太子の余計な一言によって、ますます曖昧になっていくのを感じていた。




