時を超えた約束の指先
「……ねえ、アルヴィス。あなたのご先祖様に、『ヴァン』っていう名前の人はいない?」
その名を口にした瞬間、アルヴィスが目を見開いた。 彼はリヴィアの方へ向き直り、その青い瞳に驚きと、どこか深い感傷を宿す。
「……なぜ、その名をご存知なのですか。ヴァン・クロムウェル。それは、我が一族の初代にして、リヴィア様をこの地に安置したと伝わる伝説の騎士の名です」
「やっぱり……」
リヴィアの脳裏に、千年前の光景が鮮やかに蘇る。
それは魔導具店の隣の家に住んでいた、やんちゃで、いつも剣の稽古で泥だらけになっていた幼馴染の少年。家族同然の付き合いをしていて、リヴィアはヴァンといつか結婚するんだろうなと恋愛未経験ながらに思っていた。いつも守ってくれた。いつもそばにいてくれた。
最後に『リヴィア、待て!止まれ!』と
泣きそうな顔で制止するヴァンの声を、昨日の事のように覚えている。
「ヴァンは……あの後、どうなったの?」
「……初代ヴァンの手記が、一族にのみ受け継がれています」
アルヴィスは、リヴィアの前にゆっくりと膝をついた。それは「女神への礼」ではなく、かつての友が果たせなかった事を引き継ぐ者の姿だった。
「彼は生涯独身を貫こうとしましたが、貴女を守り続ける血脈が途絶えることを恐れ、一族を成しました。彼は晩年まで、この場所で貴女の目覚めを待ち続けていたそうです。……『もし俺が死んでも、俺の息子が、その孫が、いつかあいつが起きた時に一人ぼっちじゃないようにしてくれ』……それが、彼の遺言でした」
アルヴィスの手が、リヴィアの震える指先をそっと包み込む。
「三十五代の時を超えて、今、私が果たしているのです。……リヴィア様。私は貴女の信徒ですが、それ以上に……貴女を二度と独りにしないと誓った、ヴァンの血の代弁者でもあります」
「アルヴィス……。そっくりだね。頑固なところ」
リヴィアの瞳から、一滴の涙がこぼれ、アルヴィスの手の甲に落ちた。 孤独だった千年後の世界が、急に色付いて見える。
「……でも、ヴァンはそんなに過保護じゃなかったよ? もっと、こう、私をからかって笑わせるような……」
「……からかう? 女神様を、ですか?」
アルヴィスの目が、すん、と据わる。
「初代といえど、聞き捨てなりませんな。女神様にそんな不敬な真似をするなど……。リヴィア様、ご安心ください。私は初代の志を継ぎつつも、そのような『不敬な馴れ馴れしさ』は一切排除し、より厳格に、より完璧に貴女に奉仕いたします」
「あ、いや、そこは似てくれても良かったんだけど……」
アルヴィスの「過保護」には、信仰心だけでなく、千年の時をかけた「執念に近い一族の愛」が乗っかっていることが判明した。リヴィアは、彼の手の温もりにヴァンの面影を感じつつも、ますます自由が遠のいていく予感に、苦笑いするしかなかった。
◇◇◇
リヴィアが少し疲れたから横になりたいと言ったら、案内してもらった豪華絢爛な神殿の自室。アルヴィスはリヴィア様がお休みになられてる間に雑用を済ませてきますと、どこかに行ってしまった。
その代わりにこれまた屈強な騎士二人が、リヴィア様を必ずやお守りします!と意気揚々と派遣されてきたが、部屋にいられては落ち着かないので…扉の前で待機してもらう事になんとかアルヴィスと騎士達を説得できた。
一人きりになったリヴィアは、最高級の羽毛が詰まった天蓋付きのベッドに、行儀悪くバフッと飛び込む。
「……はぁ。なんか色々疲れたなぁ。……」
ふかふかの枕に顔を埋め、リヴィアは今日あった出来事を思い返します。 数百人の職人が跪いたパンの試食会。国家をまるごと差し出そうとする国王エドワードの重すぎる忠誠。そして、四六時中「不浄なもの」を遠ざけようと、殺気すら漂わせて守護してくるアルヴィス。
(みんな、私が寝てる間に私のことを『女神様』なんて呼んで……。本当の私は、ただ魔法がちょっと得意なだけの、魔導具屋の娘なのに)
リヴィアはベッドの上で寝返りを打ち、窓から見える王都の夜景を見つめました。 千年前とは比べ物にならないほど巨大な街の灯り。あの中のすべての人々が、今この瞬間も、目覚めたばかりの「女神」に祈りを捧げ、期待を寄せている。
「期待、されすぎだよ……」
リヴィアの心に、冷たい不安がよぎる。 もし、自分がただの人間だとバレたら? もし、彼らが望むような「奇跡」を、いつか起こせなくなったら? 「女神」という虚像が剥がれ落ちたとき、この国の人たちは、そしてアルヴィスは、どんな顔をするのだろう。
(アルヴィスさんは、私のことを守ってくれてる。でも、彼が見ているのは『伝説のリヴィア様』で……私自身じゃないのかもしれない)
そんなことを考えると、胸の奥がチクリと痛んだ。
家族も友人も、知っている人は誰もいない千年後の世界。
唯一の繋がりであるアルヴィスでさえ、自分を「神聖な象徴」として扱い、一歩引いた場所にいる。
リヴィアが求めている、家族のような関係性を築くのは難しいように思えた。
「……本当は、普通に笑い合いたかったな。ヴァンみたいに、バカなこと言って、喧嘩して……」
リヴィアは、ベッドの脇に置かれた小さなサイドテーブルを見る。そこには、アルヴィスが「女神の喉を潤すために」と用意した、月の光を浴びて熟成させたという、とんでもなく高い水が入ったクリスタルの瓶が置かれていた。
リヴィアはそれを無視して、自分の指先に小さな、本当に小さな灯りを魔法で灯す。 家族の前で、暗い夜道を照らすために使っていた、何の変哲もない生活魔法。
「私は、リヴィア。……女神じゃない」
暗闇の中で、その小さな光だけが自分の真実を証明している気がして、彼女はそれを消さないように見つめ続けた。
(明日になったら、アルヴィスさんに言ってみようかな。『女神様』じゃなくて、普通に『リヴィア』って呼んで、って。……無理かな。あの頑固な騎士団長様じゃ、また不敬だって言って倒れちゃうかも)
くすりと小さく笑ったリヴィアは、光を消すと、シーツにくるまる。 不安も、重たすぎる期待も、今は一旦横に置いて。 千年分の孤独を癒すには、もう少しだけ、静かな夜が必要だった。




