女神の勅令と、世界一贅沢な「隠居」
王宮の大広間。修復が追いつかないひび割れた壁を背に、エドワード国王は騎士団に包囲されたアルヴィスを見下ろしていた。
「アルヴィス卿、貴殿の罪は重い。北方警備の任を放棄して帰還し、王宮を破壊し、あまつさえ女神様を危険に晒した。……これは反逆罪に相当する」
アルヴィスは武装を解かれ、跪かされていた。だがその瞳は死んでいない。ただ、リヴィアを再び危険な場所へ戻してしまった己への悔恨だけが、彼を繋ぎ止めていた。
「異議があるなら、リヴィア様ご自身に伺おうではないか」
エドワードが冷ややかに視線を送った先には、教皇ピウス、そしてカイルも同席していた。彼らは皆、この場でアルヴィスを失脚させ、リヴィアという「権力」を自分たちの手元に引き寄せることで合意していたのだ。
「……アルヴィスは、悪くないよ」
玉座の傍らに座らされたリヴィアが、ぽつりと呟いた。
「聞こえぬな。女神様、この不届きな騎士を、元の『ただの番犬』……いや、それ以下の罪人として処罰することをお認めになりますな?」
エドワードが畳みかける。リヴィアの「能天気」な優しさを利用し、彼女に処刑のサインをさせようとする狡猾な誘導。 だが、リヴィアはゆっくりと立ち上がった。その瞬間、広間の温度が劇的に変化した。
「……みんな、私のこと『女神様』って呼ぶよね」
リヴィアの声は小さかったが、不思議なほど全員の耳に直接響いた。
「でも、本当の神様がどんなものか、誰も知らないみたい。……アルヴィスを罪人にするなら、この国をここまで歪めたあなたたちは何なの?」
「な、何を……」
「エドワードさん。あなたは私を自分の椅子を守るための『判子』だと思ってる。教皇様、あなたは私を黙って座ってる『石像』だと思ってる。……でも、私は生きてるの。ご飯を食べて、笑って、怒る人間なの!」
リヴィアが地面を一歩踏みしめる。 その瞬間、王宮全体が、物理的な振動ではなく「魔力の共鳴」で震え出した。
白銀の光が王宮を満たし、全員がその圧倒的な神気に平伏した。
エドワード国王は、処刑を覚悟して震えながら床に額を擦り付けていた。だが、リヴィアから放たれた言葉は、予想外にのんびりとしたものだった。
「……ねえ、エドワードさん。王様って、そんなに大変ならもうやめちゃえば?」
「え……? やめる……とは、処刑ということでございますか?」
「違うよ! そんな怖いことしないってば。……ただね、あなたが『女神の代弁者』として威張るから、アルヴィスと喧嘩になっちゃうの。だから、今日からこの国は『リヴィアの大きな家』ってことにする!」
リヴィアが指をパチンと鳴らすと、王宮に張り巡らされていた重苦しい結界が、温かく柔らかな光に変わった。
「エドワードさんは『王様』じゃなくて、この大きな家の**『管理人さん』ね。ジュリアンは、そうだな……私の『お出かけの相談役』。教皇様は、みんながハッピーになれるような『お祭りの企画係』!」
あまりに能天気で、けれど抗えない「神の定義」の書き換え。
リヴィアが発動したのは、王権を奪うことではなく、この国の統治機構を丸ごと「リヴィアという少女を楽しく支えるための互助組織」に作り変える魔法だった。
「これなら、誰が一番偉いかとかで喧嘩しなくていいでしょ? だって、みんな私の『家族』なんだから。……あ、でもアルヴィスは別だよ」
リヴィアは、まだ呆然としているアルヴィスの手をギュッと握りしめた。
「アルヴィスは、私の『一番近くにいる人』。それ以外の役職は、全部禁止!」
その宣言と共に、王宮を包んでいた緊張感は、まるで春の陽気のように霧散した。
エドワード国王は、命を拾った安堵と、あまりに奇想天外な解決策に、毒気を抜かれたように脱力した。
「……管理人、でございますか。……ふふ、ふははは! わかりました。このエドワード、女神様の『家』を世界一住み心地の良い場所にしてみせましょう。それこそが、私の新たな誇りです」
ジュリアンも苦笑しながら立ち上がった。
「お出かけの相談役、ですか。いいですね。次はもっと美味しいパン屋を見つけておきますよ、リヴィア様。……アルヴィス卿、また僕に襟首を掴ませないように、せいぜい頑張ってください」
「……殿下、貴殿は相変わらず一言多い。ですが、リヴィア様がそう仰るなら、私も剣を預けましょう」
アルヴィスは、ようやく穏やかな表情でリヴィアを見つめた。
政治も、宗教も、リヴィアの「能天気な家族計画」という濁流に飲み込まれ、ルミナス聖教王国は「ルミナス・リヴィア・ホーム」という、世界で一番平和で、少しだけ騒がしい国へと生まれ変わった。
こうして、千年前の魔導師の娘は、世界を滅ぼすことも救うこともなく、ただ「みんなを家族にする」ことで、自分とアルヴィスの新しい居場所を守り抜いたのだった。




