能天気な確信と、眼鏡の誤算
アルヴィスが今にもカイルを斬り捨てそうな殺気を放つ中、リヴィアは意外なほどあっさりと、そして能天気に告げた。
「わかった! カイルさん、これからよろしくね。私、もっとこの世界のこと知りたいから」
「……リヴィア様!? 正気ですか、この男の目は貴女様を『部品』としてしか見ていない!」
アルヴィスが絶叫するが、リヴィアは平然としたものだ。彼女には、ある種の本能的な確信があった。教皇やこのエリート教師が何を企んでいようと、自分の「自分らしさ」を論理や数字で塗りつぶせるわけがない、と。
「大丈夫だよ、アルヴィス。カイルさんは賢いんでしょ? 私、賢い人に勉強教わるの、嫌いじゃないし。それに――」
リヴィアは、カイルに向かって屈託のない笑顔を向けた。
「カイルさんがどんなに難しい理屈を並べても、私が『今日は勉強やめて遊びたい!』って言ったら、カイルさん困っちゃうでしょ? 私の『やりたい』は、どんな経済理論よりも強いんだから」
カイルは、一瞬だけ言葉に詰まった。
彼の「完璧な女神計画」は、相手が「神としての責任感」を持つことを前提に構築されている。しかし、目の前の少女は、責任感よりも「自分の機嫌」を重んじる、ある意味で最強の個人主義者だった。
「……なるほど。リヴィア様は、自らの感情がこの国の最高法規であると、本能で理解されているわけですね。……面白い。教育のしがいがあります」
カイルは余裕を取り戻したように微笑むが、その眼鏡の奥で、少しだけ計算が狂ったような光が揺れた。
それから数日。神殿では奇妙な光景が見られるようになった。
「……リヴィア様。今申し上げた通り、王家の権威を保つためには、この礼拝において特定の動作を……」
「あ、カイルさん! それより、さっきの『隣国のスイーツ事情』の話の続きが聞きたいな。そっちの方が外交には大事だと思うの!」
「……それは、教義とは無関係ですが……。確かに、文化交流の側面で見れば……いえ、まずは歴史を……」
「えー、歴史は昨日やったよ。今日は『美味しいお茶の淹れ方(実技)』がいいな。はい、アルヴィスも座って。カイルさんが淹れてくれるって!」
「……私は、女神の教師であって、茶汲みでは……」
カイルの理路整然とした講義は、リヴィアの「能天気な脱線」によって、ことごとく骨抜きにされていった。 どれだけ教皇の思惑を盛り込んだ論理を突きつけても、リヴィアはそれを「へー、大変なんだねえ」と他人事のように受け流し、いつの間にかカイルを自分のペースに巻き込んでしまう。
扉の脇で、不機嫌そうにカイルを監視していたアルヴィスは、その光景を見て鼻で笑った。
「ふん。教皇の飼い犬が。リヴィア様の『自由』という名の深淵に、少しは気づいたようだな。……どんなに完璧な檻を作ろうと、リヴィア様はその檻を『可愛いお家ね』と笑いながら改造してしまうお方だ」
「……アルヴィス卿。貴公のその全肯定も、教育上は極めて有害ですがね」
カイルは、額の汗を拭いながら溜息をついた。
教皇ピウスの思惑――「リヴィアを意志なき偶像に仕立てる」という計画は、リヴィアの圧倒的な「マイペース」という壁を前に、早くも暗礁に乗り上げつつあった。




