王の計算と、震える秤
国王エドワードは、自室の重厚な机に向かい、深夜まで筆を走らせていた。その瞳には、リヴィアの前で見せていた「涙もろい老人」の影はない。代わりに宿っているのは、冷徹な統治者の光だ。
◇◇◇
「……アルヴィス卿のガードが、想像以上に固いな」
エドワードは呟き、書きかけの書簡を睨みつけた。彼にとって、リヴィアの降臨は「奇跡」などという生温い言葉では片付けられない。それは、沈みかけていたルミナス王家という泥舟に降ってきた、黄金の錨だ。
現在、王都の地下では共和制を謳う不穏な勢力が息を潜めている。地方の領主たちも、王家への上納を渋り始めていた。そんな中、伝説の『眠りの女神』が自分の膝元で目覚めたのだ。これを利用しない手はない。
「リヴィア様が『エドワードよ、汝の統治を祝福する』と、国民の前で一言告げるだけでいい。そうすれば、反乱分子も不遜な貴族も、すべて『神敵』として処刑できる……」
エドワードは、贅を尽くした贈り物リストを指でなぞる。ハチミツパン、極上のシルク、千年前の魔導具の破片。リヴィアが喜ぶものは何でも与えるつもりだ。彼女を満足させ、依存させ、この王宮という鳥籠こそが安息の地だと思い込ませなければならない。
しかし、最大の問題はアルヴィスだった。
「あの若造……。一族の使命だか何だか知らんが、女神を独占し、政治から遠ざけようとしている。騎士団が女神の『盾』であり続ける限り、我ら王家はただの『拝むだけの観客』に成り下がる」
エドワードは、傍らに控える密偵に視線を送った。
「……アルヴィス卿を、一度リヴィア様から引き離す必要がある。幸い、北方の国境付近で魔物の活動が活発化しているという報告がある。騎士団長として、彼にしか解決できない『神事』を作れ」
「陛下、それはリヴィア様の警護が手薄になるということでしょうか?」
「いや。私が自ら、王宮の親衛隊を率いてリヴィア様をお守りするのだ。……その間に、ジュリアンを彼女の懐に潜り込ませる。信仰ではなく、もっと脆い『情愛』で彼女を縛り付けるために。女神が王太子の妃となれば、ルミナス王家は永久に不滅だ」
エドワードは邪悪な笑みを浮かべ、書簡に王家の印章を押し当てた。彼はリヴィアを崇めているのではない。リヴィアという巨大な「神の権威」を飼い慣らし、自らの支配を盤石にするための、壮大なチェスを指しているのだ。
◇◇◇
ある朝。何も知らないリヴィアの元に、エドワードからの招待状が届く。 「女神様の御心を癒やすため、王宮の秘密庭園にて、ささやかな茶会を催したく存じます」
招待状を読み上げるアルヴィスの背後で、リヴィアは嫌な予感に身震いした。
「……アルヴィス、これ、断ってもいい?」
「いいえ、リヴィア様。……あえて、罠の中に飛び込みましょう。陛下が何を狙っているのか、その化けの皮を私が剥いで差し上げます」
アルヴィスの手の中で、エドワードの招待状がミシリと音を立てて歪んだ。




